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漢字と韓国語に関するnijuusannmiriのブックマーク (6)

  • 韓国語から日本語をどのように読み出すか?: 極東ブログ

    韓国語の数字を学んでいて思った。韓国語から日語をどのように読み出すか? 話はそういう次第なのでまず数詞から。 韓国語も日語と同様、数を数えるときに、母語の数詞と漢字に由来する数詞の二系がある。ここでは漢数字に注目。日語で言えば、イチ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、ク、ジュウがあたる。韓国語の場合は、일(イル)、이(イ)、삼(サム)、사(サ)、오(オ)、육(ユク)、칠(チル)、팔(パル)、구(ク)、십(シプ)となる。 起源は漢字の数字なので、その意味では同語源になるはずだが、日と朝鮮がどの時代のどの地域の漢数字を取り入れて、どのように音変化したか、については、私は調べていない。基は同じだろうというくらいしか関心がなかった。 それでも中国語の基も学んでいるので、自然に現代中国語との比較が頭に浮かぶ。1(yī)、2('èr)、3(sān)、4(sì)、5(wǔ)、6(liù)、

    韓国語から日本語をどのように読み出すか?: 極東ブログ
  • 韓国人は漢字が読めないのだろうか?: 極東ブログ

    韓国人は漢字が読めないのだろうか? 答え、人による。たいていは読める、ようだ。それどころか、読める人はかなり読める。もちろん苦手な人はいる。たぶん日人のように常用漢字2136字を読める人は、おそらくそんなには多くないだろう。 とはいえ、常用漢字というのは、日独自の規定でそもそも他の国には当てはまらない。漢字の字形も違うし、訓読みも規定されている。 中国はどうかというと、「常用漢字」と呼んでもそう間違いでもないらしい。以前は「现代汉语常用字表」というのがあったが改訂され、、2013年から「通用规范汉字表」(参照PDF)に統合された。これには8105字が含まれている。常用漢字の4倍もありそうに見えるが、クラスに分かれている。概ね、教育用の1級3500字、出版物用の2級3000字、専門用語用の3級1605字である。日の常用漢字に相当するのは2級と見てよいから、中国で通常使う漢字は日の三倍

  • 駅名をなぜハングルで表示するのだろうか: 極東ブログ

    新宿を歩いていてふと「西武新宿駅」という表記に目が止まった。我知らずという感じである。この時の意識が自分でも不思議なのだが、なぜその表記を見ているのか、理解していない。自分がなぜ?と改めて思ってから我に返る。そこにあるハングル表示が気になっていたことに気がつく。「세이부신주쿠역」 それが「西武新宿駅」の表記であることはわかる。口を突いて読んでみる。「セイブシンジュクヨ」。たしかに。最後の「역」は韓国語の「駅」を意味する言葉で、音の響きからわかるように、元は漢字の「駅」である。 というところで、はぁ?と変な気持ちになった。その時の意識もよく思い出せないが、口をついて今度は中国語で読んでいた。「シーウーシンスーイー(Xīwǔ xīnsù yì)」最後の「駅」は、日語では「站」だから、「シーウーシンスーチャン(xīwǔ xīnsù zhàn)」のほうがいいだろうか。 中国語はいい。漢字を読めば

  • 訓民正音を巡って その3 吏読と宣命体: 極東ブログ

    世宗が訓民正音を公布した理由については、曖昧ではあるが前回、前々回に触れたが、そこで触れなかったもう一つの側面、つまり、書記系の「創案」ではなく、「改良」の観点に立つと、吏読(吏讀)が注目される。 「訓民正音」の原文ではそのことが考慮されていたし、「崔萬理等・諺文創制反對・上疏文」は吏読の維持を求めていた。 原典だが「訓民正音」の鄭麟趾序では吏読(吏讀)はこう触れられている。 吾東方禮樂文章侔擬華夏。但方言俚語、不與之同。學書者患其旨趣之難暁、治獄者病其曲折之難通。昔新羅薛聡、始作吏讀、官府民間、至今行之。然皆假字而用、或澁或窒。非但鄙陋無稽而已、至於言語之間、則不能達其萬一焉。 下して、「昔、新羅薛聡、始めて吏讀を作り、官府民間、今に至り之を行う」ということで、新羅の薛聡が吏読を創案したとしている。 吏読とは何かだが、ここには書かれていない。「崔萬理等・諺文創制反對・上疏文」ではこうある

  • 訓民正音を巡って その2 崔萬理等・諺文創制反對・上疏文: 極東ブログ

    東洋文庫の『訓民正音』(趙義成訳注)(参照)には、訓民正音公布から程なく出された儒者・崔萬理等による諺文創制反對の上疏文も掲載されている。内容について概要は知っていたが、原文を読んでみると、非常に興味深い。思うことを記しておきたい。 まず、崔萬理にとってこの「訓民正音」は「諺文」であった。つまり、「オンモン」である。 庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏曰、臣等伏覩、諺文制作、至爲神妙、創物運智…… 庚子は、1445年であり、訓民正音公布の翌年。その時点で、「諺文」として認識されていたことがわかる。 ところで当代一の儒学者が諺文制作に反対した理由だが、私などは、儒者の利権侵害のように捉えていたしそうした理解で間違っているとも思えないが、王に対する諫言としてどうかと考えると、やはり政治のコンテクストがオモテに出る。そこが儒者としては真摯に重要だったのかもしれない。 我朝自、祖宗以來、至誠事大、一

    訓民正音を巡って その2 崔萬理等・諺文創制反對・上疏文: 極東ブログ
  • 訓民正音を巡って: 極東ブログ

    朝鮮語(韓国語)の勉強をかねて、訓民正音のことをつらつらと考えている。かつて文字面だけを鵜呑みにして、訓民正音の意味を解していたことと比べると、実際にパッチムの音変化や、中国語学習後に漢文との対比をしてみた経過などから、なんというのか、ぐっと面白さが増してくる。 「ああ、なるほどな」という思いがいくつかぽつぽつと心に湧いてくる。まだ、それらが一つのまとまった考えには至っていない。来なら自分の熟慮を通すべきなのだろうが、まあ、そうでなくてもいいだろう、という思いとこうした、何か、ああ面白いものだな、という感覚はブログなどに書くのに向いているように思うので書いておきたい。 まず、「え?」と思ったのは「訓民正音」、それ自体である。対比としてウィッキペディアを見ることにする(というか、予想通りの記述だったのだった)。いわく(参照)。 訓民正音(くんみんせいおん、훈민정음)とは、李氏朝鮮の世宗が制

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