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*_O:応答責任に関するo_keke_nigelのブックマーク (26)

  • メモ   「なにをやっても「世界は変わらない」という人たちへ」 - ナイジェル - はてなハイク

  • 「事実」はいかに書かれるべきか - 猟奇カニ人間地下道に出現

    ケースワーカーと呼ばれる人々 ニッポン貧困最前線 (文春文庫) 作者: 久田恵出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 1999/03/10メディア: 文庫購入: 4人 クリック: 113回この商品を含むブログ (17件) を見るケースワーカーという、戦後の生活保護行政の現場を支えて来たひとたちを主人公に据えたルポルタージュ。 大層面白いではある。その理由のひとつとして、小説形式の採用が挙げられるだろう。ケースワーカーを主人公に据えた三人称形式で、ケースワークの現場や事件の再現を行っている。取材者である久田恵はプロローグと第四部の終盤、それとあとがきにしか登場しない。著者は作中では一貫して黒子として、取材対象の発言を元に構成した小説の語り手として姿を隠している。 平成四年十一月の月曜日の朝である。 午前八時三十分、東京都内のK福祉事務所の出勤してきたケースワーカーの川口等は、ひと息つく間もな

    「事実」はいかに書かれるべきか - 猟奇カニ人間地下道に出現
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    o_keke_nigel 2011/12/20
    行政担当職員における、いわゆる「幸せなアイヒマン」問題について。人権概念に関する「難易度の高い」問題。仮に受給者側(あるいはその周辺)が"モンスター”的だったとして、制度設計の問題とは別なのだが。
  • 人を試すタイプの話について

    1年前のブコメにレスポンス tomo-moon どうでもいいけど事業に失敗したと言う男にそれでもいいと告げて 『嘘だよ、事業は至って順調。君は心が美しい女だ今すぐ結婚しよう』とか言われて 「私を担ぎやがって」と相手をボコボコにしないでいられる自信はない 2010/10/18 14 これはすごくまっとうっていうか、当たり前っていうか、 そもそも相手を試すような行為ってのは大変無礼なことであって、 「事業に失敗したという男」のお話で言えば もし女が「それでもいい」と言った途端に 男はその場で五体投地して 「ごめんなさい 人を信じられない僕の醜い心が君を試すようなことをしてしまいました でもこんなことをするのは一生でこれっきりです もし愚かな僕に愛想が尽きていなければ どうか結婚してください」 という展開が当然来るわけで 「事業に失敗したという男」のお話でいうと 女が「お金ないならサヨナラ」と返

    人を試すタイプの話について
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2011/09/15
    「応答責任」を巡るお話が往々にしてシニシズム的な所に着地してしまうのは、「試す」ことのしんどさを意識していないか逆に意識しすぎているからなのか…自分で自分を問わざるを得ないしんどさがあるからなのか。
  • 応答責任を果たした状態ってどういう状態?

    http://togetter.com/li/12529 twitterで「応答責任あるといってる人」に「応答責任ないといってる人」が応答してるのが不思議。 応答責任ないなら応答せずスルーすりゃいいだろと「ない派」に突っ込みたいが、 「ある派」は応答されてるんだからそれで満足すりゃいいのに、応答させ続けてる。 「応答責任がある」といわない限り応答責任を果たしたことにならないんだろうか。 「応答責任がある人はあらゆる質問に常に答え続けなきゃいけない、それができないなら応答責任を果たしたことにならない」とでも思ってるんだろうか? ちょっと前「説明責任」というバズワードがあったが、こういう責任って反証不可能というか、一体どういう状況になったら責任を果たした状態なのかが明確でない限り言いがかりに過ぎないよなあ。

    応答責任を果たした状態ってどういう状態?
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2011/07/22
    「応答責任」と「説明責任」の両者を微妙に混同してしまっている印象。両者は重なる部分があるので確かにややこしいけれど。
  • AV撮影に間違えられた過酷なロケ - ライブドアニュース

    提供社の都合により、削除されました。 関連ニュース ランキング 総合 国内 政治 海外 経済 IT スポーツ 芸能 女子

    AV撮影に間違えられた過酷なロケ - ライブドアニュース
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2011/07/07
    2008年に始まったMBS「ロケみつ」の彼女のブログ旅は、異形の「他者」として現れた上でいかに周囲を応答責任性に巻き込むか…という意味で「旅」ではなく、もう「エクストリーム・スポーツ」(爆)。
  • 桜 稲垣早希のブログナイフ: 着きました。

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2011/04/26
    ファンの男性に声を掛けられるも逃げてしまったことをわびる追伸→1)「私に声を掛けないで」フラグ2)「誘い受け」サイン3)あるいはその両方/でもこんな記事をわざわざ書くとはいずれにしても律儀だなぁと思った。
  • Good night, Posterous

    Posterous Spaces is no longer available Thanks to all of my @posterous peeps. Y'all made this a crazy ride and it was an honor and pleasure working with all of y'all. Thanks to all of the users. Thanks to the academy. Nobody will read this.

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2011/03/15
    16年前、縁あってブログ主のような若者たちと一緒に仕事をした。おそらく彼らの想定を超えた体験をしただろう。でも私は彼らの気持ちが嬉しかったし、その時の体験がこういう記事になったのを見るともっと嬉しい。
  • 自由と責任

    ひところ「自己責任」という言葉が流行ったが、なんだかよくわからないうちに流行が終わってしまった。この言葉の意味を当に知ってほしい一部の人は「無知な大衆によるよくわからないバッシング」としか受け取っていないような気がするし、逆の立場の人は腹が立ったから難癖をつけただけのようにも見えた。自己責任を振り回す人や、「責任を取れ」と言ってはばからない人にも、自由と責任について考えてほしい。 「自由に振舞うには、責任を果たすという代償を払わなければならない」と考える人が結構いる。しかし、これは間違いである。自由はもっと根源的なものであり、誰かに許されたり与えられたりする必要のないものである。人が「自由である」というのは事実であり、何者もそれを変えることができない。人ができるのは、自由を奪うことだけである。 そして、ある行為が自分の自由によるものであるという認識が「責任」である。だからこそ、責任は「問

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2011/01/27
    「応答責任」性における「責任」概念を考えるために。「責任のない自由はない」ではなく「自由のない責任はない」とむしろ言うべきなのは何故か、についても。
  • 404 NOT FOUND - MANTANWEB(まんたんウェブ)

    404 NOT FOUND 指定されたページかファイルが見つかりません。 指定されたページかファイルは削除されたか、アドレスが変更された可能性があります。 MANTANWEBトップページへ戻る

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2010/06/08
    この記事のMBSの森貴洋ディレクターがあの”ドSな親玉D”のこと?「コスプレした芸人が、地方へ行って、自分のことを知らない住民から白い目で見られるアホなVTRができるはず」…前提がやっぱり理不尽すぎる(爆)。
  • jisyus2

    『ためらいの倫理学』(内田樹)について 2006/05/13 於:現象学研究会 ○はじめに 「自分の正しさを雄弁に主張できる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが私は好きだ。」 筆者は「こので自分の語りたかったこと」を以上のように端的にまとめている。 この言葉の通り、「自らの『可誤性』を念頭に置きながらも、自分自身の感触に基づいて『よし・あし』を吟味する」ことが筆者に一貫する姿勢として伺える。こうした視点から、「権威主義的」「党派的」な思弁に陥っているポストモダン思想の問題を的確にとらえていくところは、胸のすくような思いで読んだ。だが、内田のこの「実存に定位する誠実な懐疑主義」とでも呼ぶべき思想的態度は、(「これは問題」「ここが変」というように)諸問題を批判するに際して効果的かつ魅力ある表現を生み出している一方、思想の原理を生み出すためには弱いものだというようにも感じた。自分な

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2010/04/05
    加藤典洋氏と高橋哲哉氏の「戦争責任」論争に対して、高橋氏に対して批判的な見解を示す内田樹氏という構図について。この構図はどこかでも見たことがあるような。
  • 加藤典洋氏と高橋哲哉氏の

    加藤典洋氏と高橋哲哉氏の「論争」 ~『敗戦後論』と『戦後責任論』を中心に~ 総合政策学部3年 70108602 松 純平 Ⅰ、発表の形式 著者紹介→加藤氏の主張の論点→高橋氏の論点→具体的な論争部分 Ⅱ、著者紹介 ・加藤典洋氏 1948年、山形県生まれ。東京大学文学部卒業仏文科卒業、現在、明治学院大学国際学部教授、文芸評論家。主な著作に『アメリカの影』、『ホーロー賞』、『戦略的思考』、『可能性としての戦後以後』などがある。 ・高橋哲哉氏 1956年、福島県生まれ。東京大学教養学部教養学科フランス科卒業、同大学大学院哲学専攻博士課程単位習得。専攻は哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科助教授。主な著作に『記憶のエチカ』、『断絶の世紀 証言の世紀』、『ナショナル・ヒストリーを超えて』などがある。 Ⅲ、加藤氏の主張 1、戦後日の分裂 ・ジキル氏と、ハイド氏 戦後において、日社会は人格的に

  • 2000年6月 Archives - 内田樹の研究室

    6月1日 半ドンなので、ソッコーで家に帰って、たまった洗濯ものを片づけ、掃除をして、アイロンかけをする。 家の中がきれいになると主... 2000年6月 1日 00:00 6月5日 下川正謡会大会無事終了。 これで六月最大のイベントが終わった。 やれやれ。 ご多用中、ご来駕賜った皆さんには心からお礼申... 2000年6月 5日 00:00 6月6日 小林昌廣先生のお弟子さんからメールがきて、「小林昌廣先生のオフィシャル・ホームページをつくったので見に来て下さい」という... 2000年6月 6日 00:00 6月7日 最近、芦屋市のお母さんたちからよく電話がかかってくる。 青少年センターの「ガイド」のトップに「合気道多田塾」が出ているか... 2000年6月 7日 00:00 6月8日 このところ、ゼミの発表がなかなか面白い。 うちのゼミは、学生さんが自由に研究テーマを選んできて、それに

  • 高橋哲哉『歴史/修正主義』批判のための習作

    ■はじめに 『歴史/修正主義』(思考のフロンティア:岩波書店・2001年1月26日発行)を批判する。著者の高橋哲哉 さんは、今までも<戦争犯罪>や<戦時体制化の暴力>を思想的にどう把握し、戦争後の世代が、 <戦争による暴力や迫害>に対して、今生きている時間の中でどのような行動を取るべきかについてラディカル な思索を展開しておられる。また、高橋さんはジャック・デリダ(1930年~)の研究者としても知られている。 私は哲学の門外漢であり、<高橋哲哉>や『歴史/修正主義』を内在的に分析し、それを<脱構築>する ことなど端からできるはずもない。しかし、『歴史/修正主義』の論理には少なからず驚愕し、義憤を感じた。 哲学の素人を専門的な言辞で翻弄し、もって、それほど根拠のあることとは思えない結論を素人に押し付ける、 そのあまりの無神経さと専門家的な傲慢さとにである。もっとも、これは、専

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2010/04/02
    「高橋哲哉=お節介な宣教師」と断じる論考。異なる倫理観はそれを表明するだけである種のハラスメントとして働き得る(それは逆に受け取る側の倫理の問題でもあるのだが)好例。
  • ポストモダニズム系リベラルの世界も大変だ - 過ぎ去ろうとしない過去

    また南京事件で盛り上がってますね。 中国は南京事件政治利用しているという人がいますが、少なくとも日中国交正常化以降、中国が南京事件に関して「謝罪と賠償」を要求したことは一度だって無いし、毒ガス問題など個別イシューを除けば日中間で歴史認識が政治問題になっているのは唯一靖国くらいのものですが、もちろん中国は南京事件があったことをもって靖国神社への参拝に反対しているわけではないのです。 さて、この問題が蒸し返されるときにはきまって、南京事件あったかなかったか「どうでもいい」と思っているのに南京事件「論争」にはいっちょ噛みたいと思っているのが多すぎるのが問題をややこしくしていると思うのですが、それはポストモダニズム系リベラルの問題として表すことができるかもしれません。 つまり、劣化版東浩紀です*1。 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081215/p1#c122932

    ポストモダニズム系リベラルの世界も大変だ - 過ぎ去ろうとしない過去
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2010/04/02
    「応答責任性」について、特に※欄でその特徴と、応答責任性への反発/警戒心の所在点がよくわかるエントリ。
  • lvn レヴィナス

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • エマニュエル・レヴィナス - Wikipedia

    「ある」Il y a 実詞化 hypostase 「顔」 visage 分離 séparation <同>と<他> 没利害 désintéressement 他者のための一者 l’un pour l’Autre 身代わり 「<同>の内なる<他>」 痕跡 trace 隔時性 diachronie エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas フランス語: [ɛmanɥɛl ləvinas]、1906年1月12日 - 1995年12月25日)は、フランスの哲学者。第二次世界大戦後のヨーロッパを代表する哲学者[1]であり、現代哲学における「他者論」の代表的人物だとされている[2]。エトムント・フッサールやマルティン・ハイデッガーの現象学に関する研究を出発点とし、ユダヤ思想を背景にした独自の倫理学、更にはタルムードの研究などでも知られる。ロシア帝国、現リトアニア、カウナス出身のユダヤ

    エマニュエル・レヴィナス - Wikipedia
  • 応答責任について - 恐妻家の献立表blog

    「応答責任」という言葉は、レヴィナスやデリダの名前と結びつけて語られるのがふつうですが、責任という言葉がresponsabiliteの翻訳語であり、その原語にrespons(応答)という言葉が含まれている以上、ヨーロッパ語圏の人々には、哲学的に洗練されていなかったとしても、責任といえば何かしら応答責任のニュアンスをもって理解されていたのだろうと想像されます。レヴイナスやデリダはその曖昧だったかもしれない伝統をラディカルに突きつめた、そう私は理解しています。 さてしかし、現代の日でこの概念を用いて議論をしている代表的な論者として高橋哲哉が挙げられますので、以後、高橋の応答責任論についてのみ私が理解したところを述べます。なお、高橋自身は「応答責任」という四文字熟語を術語のように使っているわけではなく、「応答可能性としての責任」というような表現を用いていますが、ここでは「応答責任」の語と同じこ

    応答責任について - 恐妻家の献立表blog
  • Moji Pest Control

    When you hear the word sunroom many different pictures come into your head.  First and foremost is how much will it cost?  For those interested in these types of additions, price shouldn’t be a factor.  You need to look at this as an investment in your home and you will get the monetary value back out if and when you sell your home. This is why sunroom additions in Columbia, SC are so popular.  Pe

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/01/09
    という時に「冷静さ」をも装って現れてくる言説から逃れるために。
  • 倫理の根源は呼びかけにある - モジモジ君のブログ。みたいな。

    5月9日の記事(応答責任、再論)から、sivadさんの4月の記事にトラックバックを送ったところ、さっそくお返事をいただいた。>倫理の根源は想像力にあると思う@赤の女王とお茶を ここでsivadさんが「想像力」というキーワードを提起したことで、違いがより鮮明になってきたと思う。以下、議論したい。 ホームレスのそばを通り過ぎたとき「間接的ではあろうが、私は他人を見殺しにすることに加担した」と言えるであろうか(以上、kanjinai氏の記事からの引用) への答えは「言える。ただし、加担していない、とも言える。」になります。可能かどうかということであれば、いずれも可能というしかありません。 この部分に、まず同意できない。元の文を次のように言い換えてみよう。「私は他人を見殺しにした」。意味合いは変わっていないと思うが、こう書き直せば明瞭であるように、これは事実についての命題である。そして、事実命題と

    倫理の根源は呼びかけにある - モジモジ君のブログ。みたいな。
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/06/19
    「「万人に共通の前提」で語ることは、「万人に共通に信じられている前提」で語ることとは違うのだが、しばしば、置き換えられる。その意味でこれは錯覚なのである。」