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『週刊金曜日』が、右翼雑誌の『月刊日本』と4月8日に共同集会を開いた。 http://www.kinyobi.co.jp/event/upload/0408_A4.pdf http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090411/trd0904111054007-n1.htm この集会の開催については、かなり前からウェブ上でも話題になっていたから、このブログを見に来るような読者には知っている人も多いだろう。 私は、この件をここで取り上げると、以前の『金曜日』創刊15周年記念集会における「日の丸」ポスターのときのように、『金曜日』が及び腰になってしまう可能性がある(笑)ので、言及するのは『金曜日』本誌で集会の報告が載るまで待つことにした。もう『金曜日』編集部はこういった、社会排外主義とでも言うべき方向に進む以外の可能性はないのだから、行き着くところまで早めに行って
もやもやとしてまとまらなく、そしてこういう話題は自分の人格のありようを問われるので、無意識に差別意識が露呈するんじゃないかと怖くもあるのだが、しかしあまり寝付けずに夜が明けてしまったくらいもやもやしているので、思い切って言葉にしてみる。「書きとめること。考えている途中をメモするということ。 - もっこもこっ」に励まされた感あり。 お題はふたつ。愛媛県の高校入試について家族会から要望があったという話、そうして知的障害者の性欲という話。まとまらないので、提言も批判もなにもなく、ただ垂れ流すだけになるのでお目汚しをあらかじめお詫び申し上げる。 愛媛県の高校入試について家族会が知的障害者への配慮を申し入れる 報道があるのを知って、実は最近まで等閑に付していた。 http://mytown.asahi.com/ehime/news.php?k_id=39000000901160002 公平性・客観性
■7/7(土)、「子どもを追い込む"見えざる手" 『いじめ』から我が子を守れるか?」と題した内田良子氏の講演会に行ってきた。主催は江別登校拒否と教育を考える会「もぐらの会」。 ■統計に依れば、いじめが理由の不登校は全体の1/3に上るという。子供は必死のサインを出しているが、親も教師もなかなか子供の立場には立てず、なんとか学校に戻そうとしてしまう。加えて、数値目標を掲げての登校圧力も強まっている。そんな中、自殺に追い込まれる子が出る。子供の人生、生命は家庭が守らねばならない。学校を休むことは子供の命の非常口を開けておくこと。退路を用意しておくことが重要だ。これが講演の骨子。大阪でいじめを苦に自殺した中学生や、そのほか多くのいじめの事例を引き、学校を休むことを親が認めてくれたおかげで「傷」が浅く済んだ、という子供の作文を引いての話だった。 ■会社には有給休暇という制度が認められていたりする。だ
2007年12月23日16:30 カテゴリLove 抑圧は絶対悪か? これを見て思ったのが、タイトル。 依存心と自由と保護のトレードオフ - pal-9999の日記 そして、僕自身も、それは全くその通りだという結論に達してる。女性は抑圧されている。これについては、ほとんど疑いようが無い事実だ。歴史的にも、社会的にも。ほとんど、全ての文化で女性が不利な制度というのが存在する。 女性は、被「抑圧」者である以上に「抑圧」者なのではないか? ここであえて「抑圧」という言葉を括弧に入れたのは、この言葉に含まれている悪のニュアンスを中和しておきたかったからだ。「抑圧」の文字通りの意味は、「抑えるように圧をかける」こと。何を抑えるか、といえば「行き過ぎ」である。 「抑圧」とは、ネガティブ・フィードバックのことである。出すぎれば抑え、引っ込みすぎれば引っぱり。そして、生物の行動のほとんどはネガティブ・フィ
「正学校論」@猿゛虎゛日記の、主に前半部分を検討する。 こう言い換えてもいいかもしれません。良心的フランス人が語るのは、植民地バージョン1を、より問題の少ないバージョン2にバージョンアップするとか、そうしたことだけだったわけです。それにたいしてサルトルは、植民地というソフトをアンインストールすべし、といったわけです。 ここでの「植民地のアンインストール」とは「独立」のことであるようなのだが、果たしてそうなのか。植民地主義への抵抗が目指したもの=目的はそこに住む人々それぞれの自由だったはずであり、独立はそのための手段に過ぎなかったはずである。「しかし、独立ですべての問題が片付くわけではないにせよ、まず独立することは不可欠のはずだ」。このように述べるのだろうか。しかし、このこと自体、検討の余地がある。それはつまり、独立しなかった植民地であるところの沖縄をどう考えるか、という問題でもある。 沖縄
噛みつきどころを外しているのは分かっているけど。 由布院の成功は東京を真似なかったことにあることは、どの「由布院本」にも書いてある。由布院が切磋琢磨している間、他の地方は一体何をしていたのか。 由布院の湯の壺街道というところは、由布院と関係ない県外資本の店なんか出てて、混沌としている。まるで原宿の竹下通りだ。大型バスが乗り入れて、ご当地ものとは思えない雑貨屋(東南アジア風雑貨など)ばかり並んでいて、こここそ東京の歓楽街のコピーじゃないかと思ってしまう。 dankogai氏の言及しておられる亀の井別荘とか玉の湯とかに泊まればまた違った由布院の姿が見えてくるのかもしれないけど、宿泊代が高いので地方在住賤民のおいどんには無理です。 けだし、由布院が観光地として成功したのは、東京から帰ってきた中谷健太郎という優秀な宣伝マンがいたから。東京からの出戻り組みたいのがいないと、地方の観光地はなかなか成功
けさ、ロストックの反G8サミット・デモのニュースを知った。多数のケガ人と拘束者がでたらしい。さっそく新聞社系のニュースをいくつか探して読んだ。 「黒装束の連中が、デモで暴れる機会をうかがっていた……」いかにもまことしやかな警察情報をそのまま翻訳して記事がつくられていた。「赤旗」は、「主催者は暴力を非難」と、ぬけめなく付け加えている。 G8になぜかれらが抗議するのか。「衝突」以外に、かれらがそこで何日もの間、どんなことを行っているのか。また、「衝突」にいたるまで、どのような規制と挑発が不当に行われていたのか。そんな背景は、全く無視されたままなのだ。 「良い抗議者と悪い抗議者」ということばを思い出した。それは、ジェノバでカルロ・ジュリアーニが殺されたあと、たまたま見つけたニュース・サイトで交わされていたコメントにあったことばだ。 死の出来事の後で、やや感情的なコメントがつけられていて、下の方に
だから、サルコジは嫌われる(下) 『緑の党』前党首が「極右コピー」と批判 及川 健二(2007-05-04 06:30) これまで、フランス大統領に当選する可能性が高いニコラ・サルコジ前内務大臣(52)に対する批判の声をご紹介してきた。 ヤン・ヴェーリング「緑の党」前党首(撮影:及川健二) 今回、登場していただくのは、ヤン・ヴェーリング氏(35)だ。同氏は2005年1月に33歳という若さで「緑の党」党首に選出された。31歳の女性、セシル・デュフロさんが党首の座を2006年12月に引き継ぐまで、党首としてメディアに積極的に出て、同党の政策や主張を訴えた。 ヴェーリング氏は党首を退いてからも、同党論客の1人として活躍している。同氏はイラストレーターでもあり、エコロジーをモチーフにしたイラストを多数、発表している。 ――「緑の党」は5月6日に行われるフランス大統領選挙の決選投票で、セゴ
言葉だけ「やめなよー」とか言いながら正義ぶって、でも内心ではニヤニヤしながらひとが窮地に陥ったり差別があったり暴力を振るわれている状況を憂える自体を「楽しんで」いる。私はそういう人間でしかないのだともう認めようと思う。 http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060327/p4 僕も認めよう。てゆーか、否定したことがない。ポールさんのようになれるくらいなら、もっともっとずっとずっと手前で、できることが沢山あるはずで、僕はポールさんのようにはなれないから、だから今こうして自らが信ずることを吐いている。それともう一つ。ほんの少しでもエリアを広く取るならば、そもそもこの「ポールさんのようになれるか」という問い自体がどこかずれている。僕らは今まさに他者を見殺しにしながら、毎日たのしく暮らしてる。この問いを問うのがおかしいとは言わないけれども、今・ここでまさに見殺しにして
なんかなー。「コンビニで200円のおやつを買ってアフガニスタンの貧しい家族のために募金しなかったら人殺しかどうか」「救命ボートにあと一人しか乗れない場合どうするか」「救命ボートに感染したら死ぬかもしれない伝染病の人が同乗していたら」…倫理を考える際の殺すとか死ぬとかの極限状態の例え。弛緩している私らの倫理観を問うたり考えたりするために、私らの頭の中で殺されたり死の恐怖に脅かされたりする人たち。人の命を死に晒すような極限状態のたとえを持ってこないと倫理って語れないもんなのか? 生死に関わるような話じゃないと倫理について考えたことにならないのかなもしかしたら。 それはともかく。 そこで募金をしようがしまいがそもそも「私は生きているだけで間接的に人殺し」。このことを私は認めて生きていこうと思います。世の中には金がないとかその他理不尽な理由で死んでいく人や「もうちょっとたすけがあれば」死ななくてす
■「ポールさんのように行動できるか」 というのが「ホテル・ルワンダ」関連の話の中で出てきていたが、自分だったらどうかなーと考えると、非常事態にも関わらず、金庫の金を勝手に使っていいのだろうか、あとで怒られるんじゃないか、といったことにとらわれて、そこでジ・エンドになるというのが、いちばんありそうなことのように思う。映画見ててもそれが気になるくらいですし。それ以前にお前支配人になれるのかよって話だが、それはおいといて。(この質問は必ずしも「ポールさんの立場(社会的地位とか配偶者がツチとか)だったら」という意味だけではないだろうことは百も承知だが) 非常事態ならいつもと違う判断で行動できるだろうって? …そうでもないと思うよ。早急に処置することが必要な重篤な急患を慣習だからとろくな設備もない地元の病院に運んじゃう救急士の話こないだ読んだし、人間何が発生しようがそうは変わらないものだ。 人からど
聴覚障害者と健聴者との間に溝が・・。 聴覚障害を持っています。 最近、会社の人間関係で、ストレスが溜まっています。 仕事に関しては、問題はありませんが、昼食ではみんなと一緒に摂ることになっており、 会話がついていけないです・・。 唇を読み取って理解出来るのが周りの人は知っているから、何でも知っているという 誤解を与えてしまったようです。 私は食べた後、席を離れるようにしています。 でも、「付き合いにくいなぁ・・」と思われて欲しくないなぁ・・。 障害者と健聴者と一緒に仕事をするのは本当に難しいです。 健聴者が考えたイベント等は、聴覚障害者にとってはストレスが溜まるような内容が 多かったでした・・。(口話中心の交流など) 私が初めて採用した会社だから、理解不足という点は仕方ないですが・・ 面接の時は、「働きやすい環境を整えます」等、理解をアピールされたので・・。 他の会社に勤めている複数の友人
長居公園の強制排除が5日に予定されている!」とのことで、「中止を求める署名も提出され、多くの意見が届けられているはずなのに、行政の手続きは着々と進んでいる」というのがなんとも腹立たしい。最低限の良識さえあれば、「この冬のさなかにテント小屋を取り壊して、人の住まいを取り上げること」が人道的に許されるものではないことはわかるはずだし、場合によってはその人の死を招く恐れさえあることは容易に想像できるはずなのに、そういう人権感覚や想像力が麻痺していることが恐ろしい。Arisanさんも、「少なくとも今の大阪市のやり方・態度は、そうした技法上・理論上の分岐以前の根本的なところで、野宿している人たちの存在を「人間として」認めていないものなのだと思う」と指摘している。恐ろしいのは、大阪市当局が長居公園の住人たちに対する行政代執行を「道徳的に正当化できる」、そしておそらくは市民の(公然の/暗黙の)支持を得て
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