この件にはあまり関わる気はなくて、てきとーについったーでつぶやくに留めてたんですが、hashigotanの様子も大丈夫そうだし、なんか違和感が残ってるのでエントリにまとめようかと思います。 まず最初にぼくの立ち位置なんですがどちらの味方というわけでもないです。かと言って「敵」というわけでもない。単なる傍観者なんですが、加えて言うなら「もうちょっと幸せな結末はなかったもんかなぁ」と思ってます。当事者についてはそんな感じなんですが外野については少し思うところがあります。ただ、これも批判とかバカにするとかそういうことではなく単純に、「もうちょっとうまくやれたんじゃないか?」、と思う程度です。「誰も悪くないのなぁ」と「もうちょっとうまくやれたんじゃないか?」っていうそういう気持ち。「誰が正しい」とか「偽善者」とかそういう優越感ゲームに加わるつもりはありません。 で、件のエントリなんですが、ちょうど
このエントリを読んで、ある程度納得する部分はありつつも、差別や偏見をヒューリスティクスな手法を採用することと結び付けて考えることに抵抗があって、ブクマでも「差別のことを合理性と呼ばない」のはなぜかと言うことを自分に問いただしてみるも、イマイチ回答が思い浮かばない。そんなときに、以下のエントリを読んだ。 ヒューリスティクスと差別 - raurublock on Hatena それで大体わかったんだけど、先のエントリで示されるヒューリスティクスによる合理性は、あくまで当事者の利益においてのみの合理性であって、あるいはそれは社会全体にも適用されるかも知れないけれど、そのことは、一部のもの(あるいは人)を明確に切り捨てると言う意思の元なされることであって、そのことは、正に差別そのものなんじゃないかと思いました。だって、差別ってのは社会にコストをかけないために採用された手法であり、それはコストをかけ
世の中には子供嫌いの人は多いはず。 うちの夫婦もそうで,もちろん子供なしの合意の上で結婚。子供がいないからこそ180%幸せな生活を送っていますし,今後も絶対!要りません!身の毛もよだつほど子供が嫌い。声を聞くのも嫌なくらい生理的に受け付けない。 もちろんそれが悪いともなんとも思っていません。(だから「人それぞれでいいと思いますよ」などの分かりきったご回答を期待しているのではありません) 子供嫌いの皆さん。その理由でまるで「悪者扱い」されたことはありませんか?「子供が嫌いな人=悪」のような。 気分悪いですよね。ゴキブリや蛆虫が嫌いな人と同じように子供が嫌い。なにもおかしくないのに…。 同感の方も多いと思います。 もちろん「ほっとく」「気にしない」が一番ですし,私もそうしてますが,そういう扱いを受けた時になにか効果的な対処方があった方,エピソードをお聞かせ下さい。
http://www.asahi.com/national/update/1019/OSK200710190030.html OpenId transaction in progress 痛いニュース(ノ∀`) : 「朝の3時ごろまで、盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思う」 米兵による少女集団レイプで、広島県知事が発言→非難の声 - ライブドアブログ はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):「朝の3時ごろまで、盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思う」 米兵による少女集団レイプで、広島県知事が発言→非難の声 「市長」と誤記している人が抽出レスに散見されたので、え、秋葉さんが、と思ったらやはり違った。ま、その。一報に目を通したときには、仮にも公の場で、こういうことを、素で言ってしまう、歴とした社会的立場ある58歳男性というのも、「どうかと思」ったのだけれども。 あぁ、知事
表示できません - Yahoo!ニュース2ch*1とはてブ*2(および若干名のはてダ)の「知事の発言は正論だ」とのたまう衆愚へ、この産経新聞の記事を見よ!【正論】藤田知事の「どうかと思う」発言を「正論」だとする意見に思う(22日22:05) 21日、広島県の藤田雄山知事が先日の米軍によるレイプ事件に触れ、「盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思う」などと発言したことが波紋を呼んでいる。批判が相次ぐ中、匿名掲示板2ch(にちゃんねる)およびソーシャルブックマークの大手 「はてなブックマーク」には、「正論だ」「言いたいことも言えないのか」「言論封殺だ」などといった衆愚の意見が並んでいて面食らってしまった。 今一度、確認しておきたい。「正論」とは、産経新聞社の月刊誌のことである。 フジ=産経グループとしては、たとえ著しく道徳からはみ出しているように見えようとも日本人にはちがいない我らが同胞
当方33歳会社員。 もうすぐ妻が出産する。 産まれてくる子供のために品物を揃えたり、妄想して、毎日妻とアハハウフフと楽しく過ごしています。 ただ、気がかりな事もある。 それは周りの子供や親たちとの関わりあいのことだ。 父親となる決意の確認のためにここに書き出しておく。 1:名前が常識的に普通じゃない子供&親とは付き合わない。(当て字とか…) 2:子供と親の年齢が近い(あきらかに10代で産んでいる)人たちとは付き合わない。 3:子供を注意しない(しつけない)親とは付き合わない。 この3点は妻も同意している。他にも子供の髪を染めたりする親とかはお断りだ。 理由はそのような人が十分な経済力と常識で子供を守れると思わないからだ。 異論もあるだろうし、まともな人たちもいるだろうが、 私たち夫婦にとっては子供は一生かけて守るべきものでそんじょそこらの決意で作ったわけではない。 そういう人たちと一緒にさ
もういい加減ウンザリというか、出尽くし感が漂うのだが、「そろそろ一言いっとくか」(笑、全て敬称略)。 例の論座に掲載された記事だが、当該号は我が家でも偶然購入していた。「ネットカフェ難民」が広くマスメディアに取り上げられる以前に、どこかのブログで貧困ビジネスについて読んだからだった。初めは立ち読みしたのだが(笑)、「読書空間」の佐藤俊樹、池内恵とか山形浩生が出ていて面白そうだったから購入した。妻や子どもも読んだのだが、赤木論文には一切共感などないとのことだった。置かれる立場とか環境などもあるだろうから、おんな子どもの意見がどうということでもないのではあるが、取り上げる価値などない、としか思えなかった。 ところがその後、意外にも多方面からの反論があったり、ネット上でもしつこく取り上げられているのを見るに、彼の戦略が効果的であったことを知った。喩えて言えば「北朝鮮戦略」とでも言おうか。「~をし
「正学校論」@猿゛虎゛日記の、主に前半部分を検討する。 こう言い換えてもいいかもしれません。良心的フランス人が語るのは、植民地バージョン1を、より問題の少ないバージョン2にバージョンアップするとか、そうしたことだけだったわけです。それにたいしてサルトルは、植民地というソフトをアンインストールすべし、といったわけです。 ここでの「植民地のアンインストール」とは「独立」のことであるようなのだが、果たしてそうなのか。植民地主義への抵抗が目指したもの=目的はそこに住む人々それぞれの自由だったはずであり、独立はそのための手段に過ぎなかったはずである。「しかし、独立ですべての問題が片付くわけではないにせよ、まず独立することは不可欠のはずだ」。このように述べるのだろうか。しかし、このこと自体、検討の余地がある。それはつまり、独立しなかった植民地であるところの沖縄をどう考えるか、という問題でもある。 沖縄
噛みつきどころを外しているのは分かっているけど。 由布院の成功は東京を真似なかったことにあることは、どの「由布院本」にも書いてある。由布院が切磋琢磨している間、他の地方は一体何をしていたのか。 由布院の湯の壺街道というところは、由布院と関係ない県外資本の店なんか出てて、混沌としている。まるで原宿の竹下通りだ。大型バスが乗り入れて、ご当地ものとは思えない雑貨屋(東南アジア風雑貨など)ばかり並んでいて、こここそ東京の歓楽街のコピーじゃないかと思ってしまう。 dankogai氏の言及しておられる亀の井別荘とか玉の湯とかに泊まればまた違った由布院の姿が見えてくるのかもしれないけど、宿泊代が高いので地方在住賤民のおいどんには無理です。 けだし、由布院が観光地として成功したのは、東京から帰ってきた中谷健太郎という優秀な宣伝マンがいたから。東京からの出戻り組みたいのがいないと、地方の観光地はなかなか成功
このところ、教育基本法の改定に賛成する人々の意見をあっちこっち見にいっていたのだが、賛成の理由はどうやら”日教組粉砕”らしい。小学生のころにみかけた”ニッキョーソオ、フンサーイ”と、軍歌をバックに怒号するウヨクの黒いトラックの思い出からはや20年以上たつわけであるが、いまだに”ニッキョーソオ、フンサーイ”なわけで、ついにはそれが政治日程に載っている、ということなのである。いやはや時代はかわったものだ。などと目を細めるほど歳をとっているわけではないので、彼らの考え方に関する私のささやかな分析をかきとめておく。簡単なことだ。彼らの頭の中では、目下の教育は以下のような仕組みなのである。 日教組(及びその黒幕である共産党) −> 教師 −>生徒。 これを教育基本法の改定により次のように変える。 日本政府 −> 教師 −>生徒 実にわかりやすい。正しいかどうかはともかく、明快である。要するに教育の大
雑談odzさんのこの記事http://d.hatena.ne.jp/odz/20070825/1188043605をきっかけにして始まった議論に参加してみる。あと、この記事とそのコメント欄とかも参考文献。http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20070827#p1 無論大学進学のために何百万も借金を抱えるのはばくちだし、適当に勉強して適当に大学に進学する人がいる一方で、学力があるのにお金の問題のために進学を諦めるケースもあって、それは不公平だと言えるでしょうね。 でも私は世の中は不公平なのが(残念ながら)まず前提としてあって、その不公平な状況にあってもはい登れる道筋がある、ということが重要だと思ってる。世の中は不公平だ。でもリスクを負うならばそこから抜け出す道はある、ということが重要なんだと。その選択肢を選べる可能性をゼロにしない、というのが重要。そういう意味で、今
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く