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_mojimojiに関するo_keke_nigelのブックマーク (69)

  • 「コロナウイルスPCR検査に関して、科学的に妥当なものの見方ができる人たちと不安の強い人たちとの分断について」medtoolz先生の久々のツイート

    現実問題として、科学的に説明しても納得しない人の「不安」にどう対処できるのか、納得の解説 その前にまず科学的説明がほしいという方は https://togetter.com/li/1472743 等をお読みください。 「分断に対する具体的な提案」のまとめもありました。【medtoolz先生の手洗いについての考え方】 https://togetter.com/li/1474364 中国アメリカ、そして日のこの問題に対する条件の違いについて、連投がありました。 続きを読む

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    o_keke_nigel 2020/02/28
    昔モジモジ先生が擬似科学か何かのことで「バカにいくらバカと言ってバカにしてカシコい人の星に立てこもってもバカはバカを引き連れてカシコの人たちを滅ぼしにやって来る」みたいな話をしてたのを思い出した。
  • 混合診療を解禁してはいけない - モジモジ君のブログ。みたいな。

    保険診療と保険外診療(自由診療)を併用する「混合診療」を実施すると、来は健康保険が適用される診療も含めて治療費全額が自己負担となる厚生労働省の運用が妥当かどうかが争われた訴訟の判決が7日、東京地裁であった。定塚誠裁判長は「厚労省の法(健康保険法)解釈は誤り」と指摘し、原告患者に保険給付を受けられる権利を認めた。混合診療を原則として禁止する国の政策を違法とする司法判断は初めて。 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071108k0000m040091000c.html(魚拓) 患者の選択の自由、混合診療解禁は当然至極、と思われがちだが、これは極めて危険である。素人が弁護士の力を借りずに国に対して勝訴したこともあって盛り上がっているようだけど、冷静に議論したい。論点は、混合診療の是非ではなく、それ以前のところにある。次のを参考に整理する。 市場原理

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    o_keke_nigel 2011/11/18
    TPPで「日本の国民皆保険制度が崩壊する」か否かの議論にも関連して。冒頭の事例は高裁・最高裁で原告逆転敗訴になったもの。国民皆保険制度については、いわゆる「医療ツーリズム問題」とも併せて考えたい。
  • Moji Pest Control

    When you hear the word sunroom many different pictures come into your head.  First and foremost is how much will it cost?  For those interested in these types of additions, price shouldn’t be a factor.  You need to look at this as an investment in your home and you will get the monetary value back out if and when you sell your home. This is why sunroom additions in Columbia, SC are so popular.  Pe

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    o_keke_nigel 2010/03/24
    「こういうことを書けば書くほど、「「大声」が通らない」という状況を前提した言説を垂れ流すことになる。…自らが「「大声」が通らない」状況の代弁者となり、その状況に対する(意図せざる)擁護者のふるまいに」
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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    聖蹟桜ヶ丘へ 今年度の授業が全て終了した。最後の授業はテスト返却とその確認作業の後は特に何をしろとも言われていなかったので、『耳をすませば』の後半、お姉さんと雫が言い争いをする場面を生徒と皆で見た。 この場面。あの場面、お姉さんは雫に「今しなきゃいけないことから逃…

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  • 『「レイプレイ」と言論の自由 - モジモジ君のブログ。みたいな。』へのコメント

    ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有

    『「レイプレイ」と言論の自由 - モジモジ君のブログ。みたいな。』へのコメント
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/06/11
    ブコメ欄はすんごいシニシズムのオンパレード、と思った。いや、そもそも「レイプレイ」がある種の「ヘイトスピーチ」に当たるかどうか、でまず分かれるのかもしれない。
  • 「レイプレイ」と言論の自由 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    女性を陵辱して言うなりにすることを目的とするゲームへの規制が主張されていることに対して、「表現の自由」の名の元に「規制まかりならぬ」などと言う輩がいるらしい。笑うべき論、と思う。 この件に関して、佐藤亜紀氏が6月3日付の日記で述べている次の内容は重要だと思われる。 『悪魔の詩』がそういう(注意:ムスリムは表現の自由を圧殺する、というプロパガンダの)トポスにならずに済む機会が、少なくとも一度はあった、と私は考えている――冗談みたいな話だが、在英ムスリム団体があのに冒涜罪を適用するようにと当局に訴えた瞬間がそれだ。逆説的だが、もしイギリスの法廷が、冒涜罪は国教会とその首長である女王に対する冒涜に対してのみ適用される、などという固いことを言わずにラシュディ氏を召喚していたら(かつ、表現の自由が、とか言わずに、悪意の有無を徹底して追及していたら)、ラシュディ氏はむかつきながらも西と東の狭間に立つ

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    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/06/11
    性暴力をテーマにしたとされるゲームに対し表現/内心の自由の関係に言及し明確にNoと言った論考。「規制反対派」の言説には、人権も表現の自由も本当はどうだっていいんだろ?と聞きたくなるようなのが散見される。
  • 本気でパレスチナに寄り添うつもりなら - モジモジ君のブログ。みたいな。

    【末尾にブコメへのレスを追記しました。】 村上春樹が誰に向かって何を言ったのか。この点を明瞭に押さえておく必要があるでしょう。単に、「イスラエル人に対して語った」というだけでは、十分ではないでしょう。彼は、ガザの攻撃も含めてイスラエルの政治的正当性を疑っていない人に対して、政治の一つ手前にある前提について語りました。彼は、正真正銘、生粋のシオニストに向かって、倫理を説きました。そのことの意味を、考えておきます。 「シオニストに倫理を説く」ことの必要性 シオニストに対して、倫理を説く。その必要性は明瞭だと思いますが、確認しておくべきことではあるようです。基的なことから確認しましょう。パレスチナ問題は、いかにして解決されるのでしょうか?イスラエルの占領終結によってです。その後、どんな状態が待ち望まれているのでしょうか?イスラエル人とパレスチナ人がともに暮らす一つの国が形成されることです。 言

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    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/02/26
    "政治性"というときに、どうしても”政治的情勢論”しかイメージできない考え方、に向けてのエントリと読んだ。
  • 要求することについて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090223/1235394696 ごく簡単に。と思ったけど、結局、随分長くなった。 一億総懺悔とは違います 責任が、全員にたいするひとまとまりの責任としてあることは述べましたが、全員が同じように果たすべき、という話をしているのではありません。一億総懺悔の話とは、全然関係ありません。皆に責任があるということと、皆に等しい責任があるということは、別の話です。村上の責任を問うときに、自分の責任について考えるからこそ、それは当に村上に対して問える責任なのか、ということを反省的に考えられるのです。 逆に考えますが、天皇の責任を考えるときに、日社会に生きた一人の人間としての責任を考えないではいられません。戦後に生きてその相続者たる自分の責任を考えないわけにはいきません。それらは同じではありません。同じではありませんが、一つのあ

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  • 自分を棚上げにするということ、隠喩の問題 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「村上春樹による政治的なスピーチと、湧き上がる非政治的な解釈」@ブログのきおくそうしつ  Amnesia on the Blog だいたい、断りがない限り、文章の順に引用しています。 「えげつない国家」とはどこの国のことか あんなえげつない国家に加担しないというのは、まあ、まともな感覚といえる。ただし「どんな国も支援しません」と最後に付け加えるとき、イスラエル国家のやっている極端な不正義を、村上は絶対視せず相対化してしまっている。 僕は、イスラエルを「あんなえげつない国家」と言うときに、自分が日国籍を持つ人間であることを考えないではいられません。北朝鮮を「あんなえげつない国家」と言うときに、やはり、日国家が不問に付されているのを見ても、違う、と思うでしょう。ここでの「どんな国も支援しません」という追記は、不可欠でさえあります。 と述べたら、相対化でしょうか?僕は、自分を棚上げにするのか

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  • 代弁すること、加担すること - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチについて」 半ば名指しで批判されていることですし、応答したいと思います。 代弁の問題 驚くべきことに、村上には、「ここに来ることを決心」するにあたって、パレスチナ人に自分の受賞がどう映るか、ということを考慮した形跡は欠片もない(少なくとも、そうした点への弁明が必要だとは全く考えていない)。日での、村上への呼びかけしか眼中にないのだ。 また、村上は、自分のスピーチが「政治的なメッセージ」でないことを繰り返し語っているが、パレスチナの民衆から見れば、イスラエルの蛮行を世界的大作家は拒絶していない、という「政治的なメッセージ」以外の何者でもないだろう。もちろん村上がスピーチで、例えば、「賞金の1万ドルは、全額ハマスに寄附する」とでも表明すれば話は変わってくるだろうが。 もちろん、「パレスチナの民衆から見れば」という視点は大事ではあるんですが、この語り方はどう

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    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/02/20
    「道は一つではない」とはこのエントリで言われているように「逃れようのないシステムにおける加担の中」でどう考え/抗うかということを考える中にあるのだろう、と思った。
  • 村上春樹、エルサレム賞授賞式でイスラエルを批判 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    とりあえず、速報的に、気になることをいくつか。 とりあえずの感想 イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞が15日、作家の村上春樹さん(60)に贈られた。エルサレム市で開かれた授賞式の記念講演で、村上さんはイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすい卵に例えたうえで「私は卵の側に立つ」と述べ、軍事力に訴えるやり方を批判した。 …… 村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。 また「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」と述べた。イスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言と

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  • 尊厳死を考えなおすためのまとめリンク - モジモジ君のブログ。みたいな。

    はてな内の記事を集めたモノ。思いついたら追記します。 基的な問題点整理 射水市民病院でのことから とりあえず言っておきたいこと@Demilogはてな 読みやすく網羅的、末尾のリンクもオススメ。 研究集会<死の法>―尊厳死法案の検証― 参加(2006年3月研究集会のレポート) 死体に麻酔は必要か?@「で、みちアキはどうするの?」(脳死臓器移植の問題点) What’s ALS for me ?(日記内検索「尊厳死」で拾い読み。) 自分の書いたエントリ 尊厳死言説を懐疑する(1)──リビング・ウィルにインフォームド・コンセントはない 尊厳死言説を懐疑する(2)──医療経済的観点の欠如 尊厳死言説を懐疑する(3)──尊厳死を選ぶ人は当に選べているのか 天国へのビザはいらない──尊厳ある生こそを求める ロックトインを「地獄」と呼ぶことについて Locked-inの二つのイメージ 匿名の「ウォッ

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    o_keke_nigel 2009/02/12
    トンコさん(http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/)の問題意識に向けて(5)。
  • Locked-inの二つのイメージ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    TLSについては、まだまだわからないことだらけで・・@What’s ALS for me ? ajisunさんのこのメッセージも「それは特殊なケース」と切り捨てる医療者は多いんじゃないかと思う。なので、僕の思うところを一つ、付け加えておきたい。問題は、医療と経済に関わること。 Locked-inしたその後のイメージについて、おおまかに二通りあると思われる。 第一。不潔で不快なベッドに放置され、誰が訪れるでもなく、誰が声をかけるでもなく、来たところで「あんなになって却って死なせた方がいいんじゃない?」などと哀れまれ、という状態を一言も発することもできずに耐え忍ぶだけの生。 第二。物を言えないがゆえに不自由ではあるけれど、清潔にしてくれて、寝返りを打たせてくれて、聞かなくても誰でも思いつきそうなことはちゃんとやってできるだけ快適に保ち、沢山の人が訪れて「生きている人」として扱ってくれて、呼びか

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    o_keke_nigel 2009/02/12
    トンコさん(http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/)の問題意識に向けて(4)。「死にたい」は本当に死にたい、なのか。それはむしろ生への渇望とも言えるのでは、ということ。
  • 尊厳死言説を懐疑する(3)──尊厳死を選ぶ人は本当に選べているのか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    前回は「経済的理由によって死に追い込まれる人がいる」という話をした。これは比較的分かりやすい。しかし、人工呼吸器や人工透析を導入するのを嫌がる理由は、「医療や介護に金がかかるから(=家族の負担になるから)」というだけではない。実際、そうした医療を使いながらの生活を、「私自身が嫌なのだ」と思うような、そういうところからの拒否感が、また別にある。こうした理由なら尊厳死オッケイと朗らかに言いきれるのか。とてもそうは言えない。そのことを述べる。 「あんな風になるくらいなら、いっそ死んだ方がマシだ」ということが、実際に病や障害を得ている人から言われる場合、それは聞いてやってもいいんじゃないか、と思ってしまう(滑り落ちてしまう)ような場面がある。 まず第一に確認しておくべきことは、どれほど困難な状況に生きていて、「もう死んだ方がマシだ」と心底から思うような人であったとしても、技術的に命を継続させること

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    o_keke_nigel 2009/02/12
    トンコさん(http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/)の問題意識に向けて(3)。「そんな状態になるくらいなら死んだ方がいい」のは本当にそうか、生き延びればまた違う考え方も出てくるのではないか、と。
  • 尊厳死言説を懐疑する(2)──医療経済的観点の欠如 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「死にたいと思う人が死を選ぶ、それのどこが悪いのか」。尊厳死に賛成する人たちの多くが口にすることは、だいたいこんなところだ。しかし、これほど簡単明瞭な話だとも思えないので、賛成の人たちにいつもいろんな質問をするのだが、そうやって聞いて回って感じたことは、賛成派はむしろ考えるべき論点を(知ってか知らずか)*1スキップしているということだ。先日のシンポジウムでも、「なるほど、それなら納得できるね」なんて話にはならなかった。この人たち(=尊厳死協会の人たち)の言うことは(やっぱり)危うく、とてもじゃないが乗れない。 「死にたいと思う人が死を選ぶ」、この物語に付随するのは次のような実感だ。──「あんな風になるくらいなら、いっそ死んだ方がマシだ」。こういうことが、割と簡単に口にされてしまうような世界に僕らは生きている。「あんな風」には、いろんな状況が代入されるだろう。たとえば、人工透析を導入するかど

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    o_keke_nigel 2009/02/12
    トンコさん(http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/)の問題意識に向けて(2)。現状の医療支援体制は、「本人が生きるか死ぬか」ではなく「本人か家族か」の選択を強いるものである(「捏造された救命ボート」)、という指摘。
  • 尊厳死言説を懐疑する(1)──リビング・ウィルにインフォームド・コンセントはない - モジモジ君のブログ。みたいな。

    昨日(3月3日)、尊厳死と医療を考える集会「尊厳死ってなに?」@大宮に参加してきた。シンポジストのajisunさんからもレポートが出ている。>大宮@尊厳死ってなに? この問題については(も)論点が多岐にわたるので、一つずつ取り上げていきたい。今回は表題の点について。まずは、日尊厳死協会の会員がサインするリビング・ウィルの内容から。 リビング・ウイルとは、自然な死を求めるために自発的意思で明示した「生前発効 の遺言書」です。その主な内容は ○ 不治かつ末期になった場合、無意味な延命措置を拒否する ○ 苦痛を最大限に和らげる治療をしてほしい ○ 植物状態に陥った場合、生命維持措置をとりやめてください というものです。 http://www.songenshi-kyokai.com/dwd02.htm 「まぁ、妥当な内容じゃない?」と思うかもしれない。しかし、一度立ち止まって考えて欲しいのだが

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    o_keke_nigel 2009/02/12
    トンコさん(http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/)の問題意識に向けて(1)。まずは「植物状態/ロックトイン」とはどういう状態なのか知るところから。
  • 政治的直接性からの逃走 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    font-daさんの記事後半で紹介されている、ピンターについての書評記事より。 決して感情的にならず、あくまで劇の対話のように、ユーモアとアイロニーを手放さない。それがために、かえってBBCの愚挙が鮮明になってくるのだ。あくまで「表現」を通しているから、その研ぎ澄まされた言葉は読者のなかに通り一遍でない感情を巻きおこす。 劇作家らしく、ピンターの言葉は直接的でない。必ずユーモアとシニカルな目をたたえて、事態を見据えている。彼は政治的問題を「政治」で解決できないことを知っている。そこで前述した「知性」や「言葉」の問題が出てくるのだ。 一読して違和感を持つのは、ここではピンターの主張に対してではなく、ピンターが「劇作家らしく」「直接的でない」表現を使っていることに対して共感が寄せられている点です。もちろん、ピンターの主張にも賛成なのでしょうけれど、その手つきは、どこかピントがずれている。たとえ

    政治的直接性からの逃走 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/01/30
    ある種の「洗練さ」が認識の「鋭さ」を装いつつ、自らの不快感を正当化するためのリソースとして消費されてしまうトリッキーさについて>例:「シニシズムの中でもふもふしている」一群のブクマカ。
  • 村上春樹を読まずに批判してるって? - モジモジ君のブログ。みたいな。

    なにやら「村上春樹の作品を読まずに批判している」みたいなことを書く人があちこちにいますね。一例をあげれば、「非読検閲官」などとおっしゃってるid:mnemoさんとか。というわけで、言うべきことをハッキリいっておきたいと思います。 わたしは、村上春樹の作品への評価を、一切行っていません。*1 エルサレム賞の受賞のしかたによっては、村上春樹その人がこういう批判/賞賛を受けることになるだろう、ということを述べているだけです。村上春樹その人がこういう批判/賞賛を受けることになるだろう、ということを述べているだけです。村上春樹の作品への評価とはまったく独立のことしか述べられていない、ということは、まったく明瞭なことだと思います。 村上春樹の作品と関連付ける形で、別様にも言っておきましょう。エルサレム賞の受賞の仕方によっては、村上春樹は「村上春樹の作品の立場から批判される」か、「村上春樹の作品とともに

    村上春樹を読まずに批判してるって? - モジモジ君のブログ。みたいな。
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/01/30
    mojimojiさんに、ではなく-fujiponさんの「政治観」に向けて。
  • 私は鈍感さを肯定しない - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    id:mojimojiさんが、私が先に引用した西堂行人のピンター評を批判している。 mojimoji「政治的直接性からの逃走」 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090130/p1 西堂さんは、ピンターの直接的でない政治的意見の表明を評価する。 ここでも「何も起こりはしなかった」が繰り返されている。ピンターの対応は絶妙である。決して感情的にならず、あくまで劇の対話のように、ユーモアとアイロニーを手放さない。それがために、かえってBBCの愚挙が鮮明になってくるのだ。あくまで「表現」を通しているから、その研ぎ澄まされた言葉は読者のなかに通り一遍でない感情を巻きおこす。 (http://booklog.kinokuniya.co.jp/nisidou/archives/2007/05/post_22.html) しかし、これは(良く読んでみればわかるが)西堂さんは

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/01/30
    なるほど、でも制度設計を変えていこうとするのであれば、最終的には「政治的な選択」の場に持ち込まれることによってしか果たされないとも思う。「政治とは未分化の何か」の両義性-変革/シニシズムへの起動力。