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communicationとwebに関するo_keke_nigelのブックマーク (85)

  • 日常の大喜利化、或いは、ネタ化という現実の中で|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    これは、はてな村のひとつの傾向としては共感できる。 ・はてなの大喜利化とはてな村ネタ地区 - 手記 そもそもぼく自身、村外のブログを使っていながらはてな界隈への言及をやめられないのも、ここがネタの宝庫だからかもしれない。だから、興味の持てる内容だと思えば村の方言を調べるに吝かではないし、それがたとえ釣りやネタの類だったとしても自分の興味と書き手の意図は無関係だと割り切っている。また、用語の成立というのは、必ずしもタイプミスや誤変換の親戚ばかりとは限らない。特定の文化圏でそれ以外の言葉では表現し難いニュアンスを持つに到るケースもあろう。それはあらゆる学問がテクニカルタームを生み続けているのと同じことである。 もちろん、だからといって「非モテ」を論じることに意味があるのか?…と問われれば、ある人にはあるがない人にはない、としか答えようがない。そして、意味なんてないと思う人が「非モテ」という用語

  • 儀礼的無関心/公共空間 - 磁石と重石の発見

    「儀礼的無関心」という議論が起こっている。 非常に生ぬるい議論というのが偽らざる第一印象だ。 まず、「ネット教習所をシステムとして作る−儀礼的無関心について−」について述べたい。参照先 インターネットにコンテンツを載せれば不特定多数に読まれてしまう、ところがそのような事を望まないヒトというのは居るのだから、アクセスを一定量で制限するなどのシステムを作ってみてはどうかというアイディアがある。 いってみれば、ヨットとかを始めるにあたって、最初から外洋に出るのは危険なので、入り江のような場所で練習させるようにしたらどうかというような議論なんだけれど。こりゃあ間違っている。確かにヨットなど入り江なりで練習させようって事は意味がある。自動車でも教習所があると言うのはそのとおりだ。しかし一定量のアクセス制限がそのような入り江であったり教習所であるという事にはならない。入り江でヨットに乗ろうと、救命胴衣

    儀礼的無関心/公共空間 - 磁石と重石の発見
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2008/02/05
    「『公共』であるとか『公共空間』が誰か個人の、または誰とはいわない全てのヒトにとってすばらしいリゾートであるかのような考え方は幻想に過ぎない。」…それは人間が美しくもあり醜くもあるから、と。なるほど。
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

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  • ほんとはノイズうんぬんが問題なんじゃなくて、クネクネしたいのに自分の望むようなクネクネができないのが問題なんじゃないの?

    こうして、ネット上に新たなノイズエントリーが、またひとつ生まれましたとさ。 おれは、はてなーがブクマでクネクネしてるの気にならないけどなあ。そんなクネクネが見れるのも楽しみのひとつでしょ。それをノイズノイズというほど、あなたははてブで一体どんな大事な情報を集めたいと思ってるのですか?と逆に聞きたい。はてブじゃなけりゃ集まらないような情報なの? あなたのお悩みの表層的な解決策を言うとね、 ・そこまで言うなら、自分が定義する清く正しいソーシャルブックマークサービスのひとつも自分で立ち上げ運用して、ユーザー集めたらいいんじゃない?(でも、あなたが作ると、たぶん、潔癖すぎて誰も使いたがらないか、あなたの信者のような人たちが少数で寄り集まるサービスが出来上がると思うけど。) ・それから、クネクネエントリーは、はてブでお気に入りユーザーを登録するとか、閾値を調節するとかすれば、結構はじけると思う。 ・

    ほんとはノイズうんぬんが問題なんじゃなくて、クネクネしたいのに自分の望むようなクネクネができないのが問題なんじゃないの?
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2008/01/26
    「ほんとはノイズうんぬんが問題なんじゃなくて、クネクネしたいのに自分の望むようなクネクネができないのが問題なんじゃないの」ルソー/ニーチェ/ジジェク先生のフォーマットに照らせばそうなる。何周でもするさ
  • 語るのは怖い - 勝虫日記

    他人とつながることを忌避しているわけではなく、自分自身の情報、特に心理的なことや感情的なことについて表に出すことを忌避している。 自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く ネットに対して抱く恐怖に対して敏感であればあるほど、語ることが難しくなる。 その恐怖に敏感な人は、ネットでは語らないだろう。 ネットで語る人というのは、恐怖に鈍感な人か、もしくは、恐怖を飼いならせる人なのだろう。 「ネットで語る」という行動に移るまでの心の動きを考えてみる。 だいたい次のようになるのではないかと、想像する。 何かを「語る」という行為の結果を想像するが、明るい結果と暗い結果のふたつがある。 このときに、人は自らの経験をもとに、ネットの明るい過去と暗い過去を参照する。 すると、思い浮かぶのは、ネットにうずまく憤、屈したものを抱えた他人が引き起こした暗い過去。 当然、語るということが怖く

    語るのは怖い - 勝虫日記
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/12/08
    自分を語る、じゃなくて自分と語る、現在の、未来の、過去の他者である自分と語る。書く前にも、書きながらも、書いた後も/糾弾者でも、裁判官でも、異端審問官でもなく。それでも何者かになってしまうこともある。
  • 「何を書いても自由」のわけがない:ekken

    表現の自由という言葉くらい容易く、しかも他者からの批判を回避できる物言いは他に存在しないだろう。 「ウエブは公共空間」は虎の威でしかない - 煩悩是道場 ウエブは公共空間ではない。ただ「公共空間」という虎の威を借りて表現者を攻撃する馬鹿者がいるだけの事だ。 「表現の自由」という虎の威を借りて、不特定多数の人に攻撃する馬鹿者が多いなぁ、といつも思っているよ! オタイベントで働いていた人が「きんもー☆」と書くのも、牛丼家で働いてる人がテラ豚丼の製作過程をニコ動にうpするのも「自由」の訳がない。 自分の所属を明らかにしないで「ヲタってキモイよね」と書く、あるいは自分の家の台所でテラ豚丼を作って、その過程を動画にして投稿するのは自由だと思う。けれど、自分が働いている(オタ相手に商売をしている)職場を明かして・あるいは容易に推測できるようにして行うのは、職場の社会的信用を貶める行為だ。名誉毀損になり

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/12/07
    「自分の勝手」の根拠に公共性を僭称するのがぞっとしない、と言う話を「ウェブは公共空間じゃない」というタイトルで釣ろうとするからこういう逆バリを食らう。
  • 「ウエブは公共空間」は虎の威でしかない - 煩悩是道場

    webart 公共空間という言葉くらい容易く、しかも他者の言論を圧殺出来る物言いは他に存在しないだろう。無料でウエブが閲覧出来るインフラも存在するとはいえ、多くの人が何らかの形でプロバイダなどと契約行為を締結し、パーソナルコンピュータなどを購入しなければ見る事も出来ないウエブという空間が公共空間であるのかどうかは私にはわからないのだけれども-随分高額な公共空間だな、と思うのだが-それでも一定の要件さえ満たす事さえ出来れば「誰でも」閲覧し、あるいは書き込みが出来るのがウエブであるのは事実だ。 ウエブという場所は様々な人間が様々な価値観・行動様態を孕みながら閲覧し書き込みを行う場所だ。来的に言えばオタの集まるイベントで働いてた人が「きんもー☆」と書こうが、牛丼家で働いてる人がテラ豚丼の製作過程をニコ動にうpしようが未成年が飲酒したとか無免許で運転したと書こうが、特定のカテゴリの人に対して殺意

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/12/07
    マナーは往々にして勝手にルールとなるのでその意気や良し。でも人通りの多い「駅前」での大立ち回りをアートとするのもぞっとしない。「えーかげんにせえよ」と呟く自由もまたあると、もそもそと言っておきたい。
  • 「さらに弱いもの」がやさぐれ「弱いもの」を叩き「正しさ」の荒野が量産されていく: muse-A-muse 2nd

    この件にはあまり関わる気はなくて、てきとーについったーでつぶやくに留めてたんですが、hashigotanの様子も大丈夫そうだし、なんか違和感が残ってるのでエントリにまとめようかと思います。 まず最初にぼくの立ち位置なんですがどちらの味方というわけでもないです。かと言って「敵」というわけでもない。単なる傍観者なんですが、加えて言うなら「もうちょっと幸せな結末はなかったもんかなぁ」と思ってます。当事者についてはそんな感じなんですが外野については少し思うところがあります。ただ、これも批判とかバカにするとかそういうことではなく単純に、「もうちょっとうまくやれたんじゃないか?」、と思う程度です。「誰も悪くないのなぁ」と「もうちょっとうまくやれたんじゃないか?」っていうそういう気持ち。「誰が正しい」とか「偽善者」とかそういう優越感ゲームに加わるつもりはありません。 で、件のエントリなんですが、ちょうど

  • スルーした、という事を - 煩悩是道場

    web 小林祐一郎さんのエントリに沈黙とはまた別に「無視を選択したこと」や「意図的に関わりを避けたこと」(単に無関心だったとか知らなかったのでなく:これらもある意味では「沈黙」だけど、ちょっとニュアンスは違うかなと)の可視化、というのもソーシャルメディアのアーキテクチャの課題かもしれない。newsingで○でも×でもない無評価ボタンもあれば良くね? というのと通じるか。また「沈黙」の可視化だけでなく何を「沈黙」と認識するか、というのも面白い課題かもしれない。「沈黙」や「無視」の可視化 :Heartlogicというのがあるのですけれど「読んだけどスルーだよ」というのと「読んでなかった」がわかりにくい問題はありますよね。例えばはてなブックマークに[華麗にスルー]タグをつければ良いのか、というと何かが違うような気がする。読んだ記事は全てライブドアクリップに蓄積して、コメントやタグをつけたい記事に

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/11/11
    「ウエブは世間とは異なるので、自分の見たくないもの、関わり合いになりたくない事柄に出会ったときに曖昧な笑顔を浮かべて誤魔化す必要の無い場所だ。」ここが「(半/擬似)公共空間としてのweb」の難しいところか。
  • 声を上げ続けること、声を言葉に換えること - 地を這う難破船

    どんなに不幸な人にも、幸福を。 どんなに悲しい人にも喜びを。 どんなに幸福な人にも悲しみを。 『スペインの宇宙』 数日ネットから離れていて巡回先を確認したところ管理人氏がサヨナラ宣言のうえ過去ログ全削除していて腰が抜けたけれども改めて確認したところログ復元されていて嗚呼ヨカッタと胸なでおろして夜半帰宅後再確認したらログ削除どころかはてな退会していて椅子から転げ落ちた件。 http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/296c58302af83e2ebc2ec3131954b4bb はてなブックマーク - http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/296c58302af83e2ebc2ec3131954b4bb http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/58d690dcf02e90a53f5a15310a81f

    声を上げ続けること、声を言葉に換えること - 地を這う難破船
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/11/10
    これはこれで考えさせられる。hashigotan氏のあの心象風景の表明の仕方はトリッキーだった、という思いに変わりはないが、問題意識の所在がどこにあるのか、と言う意味でじっくり読んでみたい。
  • エクストラレポート・ルーム:「私を抹殺する言葉」という錯覚 - livedoor Blog(ブログ)

    結婚しました」 「子供が生まれました」 そんな報告を嬉しそうに、幸せそうに、あるいは感動した様子で誰かからされれば、私は大体(※あまりにもそういう事するにはアレな人物相手だと分かりませんが)微笑みとかを浮かべながら「それは良かった」とか答えていることでしょう。 私自身は、基的にそれらのものに何の希望も期待も抱いてませんし、それで「幸福になれる・他人を幸福にできる」なんて人間は皆無とは言わないけど「極めて限られて来る」とも思っていますが、基的に他人の未来なんてどうでもいいですし、まあ、「今嬉しそうだから別にいいか」程度の感じで。 結婚や子供を産む(産ませる)ことは勿論、それを無邪気に望んで喜べることにも羨ましさを覚えない……逆にそこから人生狂い始めた奴、悲劇に見舞われた奴を見ても「あーあ、やっぱりな」程度にしか感じず、同情にすら至らない。 強迫観念的だったり義務的だったりする結

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/11/10
    「『罵倒で攻撃すれば相手の言葉を潰せる』も、『罵倒されて自分の言葉が潰された』も、錯覚に過ぎない」「自分の書くことは感想に過ぎないと自覚するのは、自分に他人の言葉を排除する権利はないと自覚する事です」
  • あるブログの終焉 - 玄倉川の岸辺

    ネットの片隅での小事件はてなブックマーク - ある個人史の終焉 - after game over heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ はてなブックマーク - heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ はてなブックマーク - hello goodbye - after game over はてなブックマーク - ブログログ復元 - after game over はてなブックマーク - ログ復元に関して実際にはまだうだうだと悩んでいる話 - after game over はてなブックマーク - 今のもんもんを、正直に書いてみる - after game over 書き手に「読者に読ませない権利」はあるのか - T

    あるブログの終焉 - 玄倉川の岸辺
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/11/10
    「私はこの手の村上春樹もどきの小綺麗な文章が嫌いなのである。」だったら自分の嫌悪感だけ表明しておけばいいのに、と思った。こうやって他者をダシにしたり追撃ミサイルまで撃ち込む必要があるのか?
  • https://anond.hatelabo.jp/20071108123821

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/11/09
    ……で、結局こうなるんだね。ここまで来てしまうと無間地獄だ。センシティブに過ぎるというのもまた苦しい。きりがないから。
  • ネガポジに関する「書くこと」について - 瀬戸風味@はてな

    http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/58d690dcf02e90a53f5a15310a81f6c2 http://d.hatena.ne.jp/idiotape/ ここの話。 http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20071107#p3 で書きかけたものを大幅リライトしてまとめる。 文章化するにあたりid:nitinoさんに協力してもらった。感謝。 「私は不幸である」と言う側の方から。 以前書いたことからひっぱると、これは「テレビはあなたに話しかけてはいない」で、「けれどもネットは向こう側の人に声が届く」というところになる。そこからすると、話しかけていない人に対して「何かを要求する」というのははっきりいって無茶。無茶だけれども、「テレビモニター)を見て思ったことを言う」というのはアリ。そこでもし、「何かを要求したい」と思ったの

    ネガポジに関する「書くこと」について - 瀬戸風味@はてな
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/11/08
    腑に落ちる考察。でも、切実でそれなりに正当な心象風景の表現が感情を生で剥き出した”テロル”と周囲の共振に至ったこの現実は、webという「(半)公共空間」の難しさをむごいほどに可視化してしまったとも思う。
  • 沈黙というメッセージは届かない: 不倒城

    ちょっとひとり語りをする。 昨日のエントリーを書いてから、また別の幾つかのエントリーを読んで、色々考えた。 十年来の知人がいる。まあ、「親友」というラベルをぺたりと貼っても、凄く嫌そうな顔をしつつもまあ勘弁はしてくれるかな、という感じの仲である。 私と彼は、多分割と相談事を持ち込まれる、あるいは愚痴を聞かされる方だと思う。 「彼の自己評価」と、「私の彼に対する評価」が一致しているかどうかは分からない。というか、まあ、おそらく違っているだろう。ただ、私自身は、彼と私の相談事の聞き方は結構違っている様な気がしている。私に愚痴を聞かせる人と、彼に相談ごとをする人は、求めているものが大分異なっている様な、そんな気がしている。 昨日のエントリーでも書いたが、「つらそうな人」の言葉を聞く時、私は何も言わない、というか何も言えないことが多い。言ったとしても、一見関係がなさそうで実はありそうで、でもよく考

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/11/08
    「沈黙は相手に届かない。Webでの沈黙は、Web以外での沈黙以上に相手に届かない。ある意味、沈黙は届かないことにこそ意味があるのだから、それはそれでいいのだろうと思う。」
  • 表現するという不幸 - 煩悩是道場

    WebArt ウエブという空間は、表現者を見る事なく表現そのものしか見る事が出来ないが故、コンフリクトという名の不幸が発生する。個人的にはある個人史の終焉にも「「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ」にも読んだがブックマークをしない、という事で自らの態度を消極的に示していた。そうするべきだ、と思っていたからだ。 けどやっぱ他人攻撃しちゃダメだよ。自分が理不尽な目にあったからって他人まで理不尽な目にあわせるこたーない。程度の釣り合いじゃなくてね。狐の王国 「非モテ」「童貞」がどんだけの男女を無気力にさせてるか少しは考えろエントリを起こした時点で負けというか、負けという意味では私も同じなのだけれども何故スルーしなかったんだろうと思ってしまう。あなたの「正義」が誰かを傷付ける可能性は考えなかったのだろうか、と。今回の一件は、まさに「表現同士

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/11/08
    「正義」とか「どんな表現であっても人を傷つける」とかいう言説は自分自身に向けたときに有効なのだろう。単に異質な他者を攻撃するためのツールとして使うのはトリッキーだと。
  • あなたは砲撃型ブロガーか狙撃型ブロガーか - シナトラ千代子

    ブロガーには二種類あるかもしれない。砲撃型ブロガーと狙撃型ブロガー。 あなたが狙撃型だとするとこんな感じかもしれない。 孤高のイメージ。 塔の上からブロガーを狙い撃ちします。 でもなんだかひとりのブロガーを狙い撃ちしても、相手が全力で撃ち返してきたり、関係ないブロガーがとんでもない方向から撃ち返してきたり、あるいは相手が一撃即死だったりするわけですが。 で、結果はこんなだったり、 こんなだったり で、あまり効率も評判もよくありません。果ては粘着君とか呼ばれます。そうなると孤高のイメージどころではありません。ただのさびしいひとと思われるようになります。 ここはやはり砲撃型になって、たくさんひとがいるところに砲弾(エントリ)を打ちこむほうがネット社会的においしい感じになります。 こんな感じ。 注意してほしいのは、吹き飛んでるひとたちはオンラインゲーム(のFPS)みたいに勝手に「イィヤホゥゥゥゥ

    あなたは砲撃型ブロガーか狙撃型ブロガーか - シナトラ千代子
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/07
    ゲリラ型(「勝手にボールに当たりに来て」痛い、イタイ、どないしてくれんねん、みたいな)もいそうだな。この論考のポイントは「上から撃ってくるところ」か。でも下からとか水平撃ちもあるよな。
  • 男化するweb世界 - G★RDIAS

    ウェブ進化論 当の大変化はこれから始まる (ちくま新書) 作者: 梅田望夫出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2006/02/07メディア: 新書購入: 61人 クリック: 996回この商品を含むブログ (2353件) を見る kanjinaiさんも紹介していた、梅田望夫「ウェブ進化論」を読んだ。これから先、もっとwebによって社会変革が起きていくらしい。と、どうも他人事で読んでしまった。 私はこっちの記事のほうが、肌身感覚にはあっている。 べつに「はてな」に限らず、個人的には「ブログ」というツール(ネットの遊び場)に手詰まり感を感じているわけです。自己表現として何かを世の中に出したいと思っている人間より、仲間と楽しく特定のサービスを使いたいと思っている人間のほうが圧倒的に多いわけで、そういう人はケータイ・コミュニケーションとかmixi(18歳以上)に行っている、ということでしょう。

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/08/24
    感情/論理、表現主義/コミュニケーション中心主義……等々のレイヤーが、パソ通→web→ブログ→mixiと流れていくというイメージ。現実の性差ではなくても「男/女」はこの種の議論の接頭辞として必要なのかな?
  • ミュージカル・バトンはなぜ大流行になったのか[絵文録ことのは]2005/12/28

    2005年を振り返るシリーズ【6】 2005年6月、ミュージカル・バトンの大流行現象が起こった。このブログでも初期に参加し、またその解説も合わせて書いている。 Musical Baton ミュージカル・バトン!(歴史+回答つき) [絵文録ことのは]2005/06/14 このミュージカル・バトンには批判もみられた。たとえば、「強制される感覚がいや」「ブログでのチェーンメールみたいなものなのだから、止めなければいけない」という批判から、「これは音楽業界のどこかが仕組んだマーケティングリサーチだ」という陰謀論に至るまで、一部で強い反発を招いたのも事実である。 だが、チェーンメールであれば絶対に(ネタにはしても)回すはずのないウェブのパワーユーザー、あるいは著名なネットワーカーも、このミュージカル・バトンにはこぞって参加している。そして、今もバトンは新しく作られ、どこかで回り続けている。 なぜミュ

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/07/27
    【080309追記】はてなハイクも考えようによってはバトンのようなものかもしれない。/バトン=チェーンメール、と断じる前に目を通しておきたい。この件はwebマナーというよりはコミュニケーションの齟齬問題に思える。