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美学に関するo_secchanのブックマーク (156)

  • 見たこともない絵画を「美しい」と言ってなにがまずいのか|obakeweb

    タイトルは反語。以下では、まずくない、という話をする。 1 直面原理について私たちは、絵画や音楽映画や服や風景などについて、美的判断を下している。つまりは、「Xは美しい」「Yは醜い」といったことを考えたり言ったりしている。美的な観点からアイテムを評価しているのだ。あったかい服でもダサければ選ばないし、美しい風景なら苦労してでも見に行くという風に、美的判断は生活における選択を左右している。 美的判断というのは美学という学問のコアを成す主題(と言ってもよいだろう)だが、これをめぐっては強く支持されている原理がある。 直面原理[Acquaintance Principle] 直接の経験に基づくことなく、美的判断を下すことはできない。 その目で見てないならある絵画が優美かどうかは分からないし、その耳で聞いてないならある曲がかっこいいかどうかは分からない。読んだこともないのに『ユリシーズ』は壮大だ

    見たこともない絵画を「美しい」と言ってなにがまずいのか|obakeweb
  • 『「ふつうの暮らし」を美学する』の手前で - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    「ふつうの暮らし」を美学する 家から考える「日常美学」入門 (光文社新書 1317) 作者:青田 麻未光文社Amazon 青田麻未『「ふつうの暮らし」を美学する 家から考える「日常美学」入門』というが光文社新書から出ました。日常美学という美学の一分野の入門書で、著者はこの分野の第一人者(おそらく日にひとりしかいない)です。詳しい目次がAmazonから見れるので、興味のある人は見てみるとよいでしょう。 私が宣伝するまでもなく売れてそうだし、内容紹介は著者がすでに書いているため、私はこのを読む上で知っておくと役立つかもしれないことを書いておこうと思います。 以下、の要約や感想からかけ離れたことをしばらく書くので、そのつもりで読んでください。日常美学という分野と関係があり、美学者は知っているけれど、このを読む人はひょっとすると知らないかもしれないことを書きます。 さて、書きたいことは以

    『「ふつうの暮らし」を美学する』の手前で - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • なぜAppleの楽器破壊CMは不快で、映画の街破壊は不快ではないのか - paiza times

    <この記事の著者> 大谷大 - Tech Team Journal ウェブデザイナー/映像クリエイター/作曲家/ギタリスト/ブロガー/YouTuber BGMや効果音を無料でダウンロードできるサービス「タダオト」を運営し、自らが作曲した楽曲を掲載。2023年に生成AIにハマり、さまざまな仕事でフル活用しながらそのノウハウをYouTubeやブログで情報発信している。 iPad Proの新CMで楽器などをプレス機で潰したところにiPad Proが置かれている演出に、非難の声があがっています。 www.youtube.com 僕はギタリストなので自分の楽器だったらと思うと嫌な気持ちになりましたが、あくまで感覚的な話しであり、このCMの何がダメだったのかをうまく言語化できませんでした。 それを整理するためにいろいろな例を挙げながら考えてみたので、僕なりの考えとして書き記しておきます。 【目次】 映

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  • レヴィンソン「仮説的意図主義」の要約——解釈の哲学 - netenete.

    厳密なアカデミック・ライティングの作法(書誌情報とか)はけっこうサボっています。わかればよいスタイル。 ジェロルド・レヴィンソン「仮説的意図主義:主張、反論、応答」(Jerrold Levinson. Hypothetical Intentionalism: Statement, Objections, and Replies)を要約する。 が、そのまえに仮説的意図主義なるものをざっくり解説しておこう*1。なお、レヴィンソンの考察の対象は、一部を除いてもっぱら文学作品である。従って、エントリーで「作品」という場合は文学作品を指すと思ってほしい。 文学テクストの意味を決定するのは何だろうか。まず思い浮かぶのは、①作者の意図が意味を決める、という考え。この考えによると、ある意味の不明瞭なテクストがあったとき、諸々の推論を通して「作者はこう意図してこの表現にしたはずだ」と答えを出せる。逆に見当

    レヴィンソン「仮説的意図主義」の要約——解釈の哲学 - netenete.
  • ディッキー「芸術とはなにか」の要約——分析美学基本論文集② - nete-nete.

    凡例:「」内は引用や論文タイトルなど、〈〉内はぼくによる強調。引用に際しては文脈に合うように断りなく改訳することがあります。また、引用ページは面倒なので明記しません。 ジョージ・ディッキー「芸術とはなにか——制度的分析」今井晋訳(西村清和編『分析美学基論文集』所収)を要約する。芸術の定義論の古典であり、芸術の定義は不可能だとする論に反対して芸術の〈制度的定義〉をおこなったことで有名。ひとことで要旨をいうならば〈芸術とは、人工物であり、かつアートワールドの人間に鑑賞の候補だと認められたものである〉となるのだが、これだけではわけがわからないのでさっそく題に。 論文の構成は以下。まず美学者モリス・ワイツの〈定義は不可能である〉という主張に反対し、芸術の定義が可能であることを示す。それからじっさいに芸術の定義を打ち出し、最後にまたワイツを批判して終わり。 ワイツ論文の紹介と批判 芸術の定義 ふ

    ディッキー「芸術とはなにか」の要約——分析美学基本論文集② - nete-nete.
  • ワイツ「美学における理論の役割」の要約 - nete-nete.

    モリス・ワイツ「美学における理論の役割」松永伸司訳*1を要約する。芸術の定義論の古典であり、ひとことで要旨をいうならば「芸術の定義は不可能だ。しかし、芸術の定義論じたいは考え方によっては有用である」という感じ。前半の芸術の定義の不可能性のほうが有名で、「(芸術の定義論は)きわめて単純な理由で論理的には無駄である」といってしまう辺りが挑発的でパンチが効いている。 ワイツがおこなうのは、ウィトゲンシュタインの家族的類似性を使った見慣れた定義批判なのだが、この論文は1956年に出されたもので、『哲学探究』は1953年なので、論文はそうした定義批判の初期ということになる。 さて、全体の流れはこんな感じ。 最初に告白しておくと、前半の定義論の紹介・批判と後半の「評価的用法」の議論が難しくてよくわからない箇所があった。レジュメの倫理に則って、そういうところは「よくわかってません」と明記したうえで自分

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  • 「ダサい」の美学:ダサい服はダサい人を前提とする?|obakeweb

    以下は、「ダサいという美的用語についてなんか書く」という、自分に課した大喜利への回答である。 「美しい」や「醜い」と同様に、「ダサい」はさまざまな用法で使われうる。そのなかには、記述的要素がなく純粋に評価的な用法や、とくに美的でない用法など、放っておいてかまわない用法がたくさんある。放っておきたくないのは、次のような用例に現れる「ダサい」である。 「この服はダサい」「これはダサい服だ」 ここでは、記述的な内容をもった美的性質としてのダサさが、個別のアイテムへと帰属されている。おそらく、これがダサいの最もベーシックな用法だろう。 一方、「ダサい」はダサいアイテムを選択したり使用する人に対して使われることもある。 「あいつは服のセンスがダサい」 ここでは、その人の美的センス、趣味、感受性が非難されている。しかし、センスの良し悪しについての判断が美的判断なのかどうかは論争的な点であり、したがって

    「ダサい」の美学:ダサい服はダサい人を前提とする?|obakeweb
  • 美しいもの、もっと美しいもの - obakeweb

    美的理由についての前置き 快楽主義 エンゲージメント理論 共同体主義理論 ネットワーク理論 ✂ コメント 参照文献 美的価値についての議論は引き続きたいへん盛り上がっているが、次の事実は意外なほどに無視されている。すなわち、美しさや優美さは比較・ランクづけ可能である。絵の下手な私が模写した《真珠の耳飾りの少女》は、フェルメールによるオリジナルほどには美的価値がない。 「趣味については議論できない」「美は見る人の目の中にある」を真に受けている人は、美的価値に上下があるという観察自体を否定したくなるだろう。「みんな違ってみんな良い」というわけだ。しかし、仮になんらかの観点から私の模写がフェルメールのオリジナルを凌いでいるのだとしても、それと同時に、前者が後者に比べて稚拙であり、覇気がなく、ごくふつうの意味において劣っていることを否定できるわけではない。芸術家やパフォーマーですら創作や上演に際し

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  • 感動した芸術作品がAIによって作成されたと知ったらその感動は変わるか? その逆もあるか? - YAMDAS現更新履歴

    scripting.com デイヴ・ワイナーが、スティーブン・レヴィが Bluesky か Threads かどっちか忘れたけど、興味深い質問をしていたと書いている……が、これこそ、実は2024年的なのかもしれない。Twitter あらため X がゴミだめとなり、Bluesky や Threads や Mastodon への移行が進み、先週には Bluesky が遂に招待制を終了し、誰でも参加可能になった。結果、X だけで済まず他もいくつかフォローすることになり、どこで見た話かあとでよく思い出せなくなる。 おっと、話がズレた。ワイナーが書いているレヴィの投稿はこれだろうが、ともかくレヴィが投げかけた質問はこうだ。 「もし、感動した芸術作品が AI によって作られたと知ったら、その感動は変わるか?」 この質問、ワイナーは最初「変わらない」と考えた。芸術で重要なのは、それがどうやって作られたか

    感動した芸術作品がAIによって作成されたと知ったらその感動は変わるか? その逆もあるか? - YAMDAS現更新履歴
  • ノア・スミス「もっと浅薄な未来に向かって」(2024年1月3日)|経済学101

    Art by GPT-4. Prompt: “an image that evokes ‘The Triumph of Death’, with similar buildings and a similar layout, but where everyone is healthy and happy”不運には,代償に見合う値打ちがない「50歳までぜひとも生きていたいよ」――キース・ヘリング いや,たしかにこの記事の発端は,旧称 Twitter のソーシャルメディアプラットフォームでつい先日に起きた馬鹿馬鹿しいいざこざではあるんだけど,約束する,後の方まで読んでくれたらもっと面白い話になっていくよ! つい先日のいざこざは,有名な絵画を軸に展開してる.その絵とは,キース・ヘリングの「未完の絵画」だ ("Unfinished Painting").1989年に描かれたこの絵は,AIDS にな

    ノア・スミス「もっと浅薄な未来に向かって」(2024年1月3日)|経済学101
  • わたしたちが『ビデオゲームの美学』を読むこと - 青色3号

    フィールド上で方向転換する。コンピューターが接続されているテレビ画面の左上四分の一に草原が映っている。画面の下半分はぼくら一同に関する情報で埋め尽くされている。ヒットポイント、アーマーポイント、スペルポイント、装備中の武器。画面の右上四分の一には今のところ何も出ていないが、いずれ遭遇した敵の情報で埋まり、戦闘に関する数字情報がスクロールし、ゲームがぼくたちに伝えるさまざまな言葉のメッセージが表示されることになる。 ──マイケル・W・クルーン『ゲームライフ』1 先日の『デジタルゲーム研究』の感想のなかで、人文系のビデオゲーム研究について(なかでも、いわゆるゲームスタディーズを念頭に置いて)「自分はこういうのっておもしろいと思ってるんだよな」と書きました。今回はその掘り下げも兼ね、『ビデオゲームの美学』という書籍をやや詳しく紹介してみようと考えています。表題2のとおり、「わたしたち」が読むもの

    わたしたちが『ビデオゲームの美学』を読むこと - 青色3号
  • デジタルゲーム研究 - 吉田寛 - 青色3号

    デジタルゲーム研究 作者:吉田寛東京大学出版会Amazon 書の構成は下記のとおり。あとがきでも触れられているとおり、カテゴリに分けられつつ、それを超えて全体におおむねクロノロジカルに並べられた論文集。なお、第1章の初出は2008年である。 序——ゲーム研究とはどういうものか I:知覚と認知——プレイヤーはゲームをどう感じるのか 第1章:スクロール 第2章:視点と空間 第3章:ゲーム空間の記号学——二重化する知覚 II:ゲームプレイ——プレイヤーはゲームをどう遊ぶのか 第4章:ゲームプレイと他者への信頼 第5章:カウンタープレイ——ゲームに抗うプレイヤー? 第6章:ゲームと公平性——社会革新としてのプレイ III:メディア——コンピュータで遊ぶ/コンピュータを遊ぶ 第7章:プレイヤーとキャラクター——ゲームにおける死の問題 第8章:メタゲーム——自己批評するゲーム 第9章:メディアとして

    デジタルゲーム研究 - 吉田寛 - 青色3号
  • Richard Moran 「想像における感情(feeling)の表現」(1994) レジュメ - 夏ふようのメモ

    Moran, Richard. “The Expression of Feeling in Imagination.” The Philosophical Review 103, no. 1 (1994): 75–106. https://doi.org/10.2307/2185873. https://www.jstor.org/stable/2185873 ウォルトンのごっこ遊び理論を想像力概念の観点から批判する論文。Blackwellの美学アンソロジー*1にも収録されているので重要論文と言えそう。また「想像的抵抗imaginative resistance」という言葉を用いた初めての論文でもあります。レジュメを作ったのが4年くらい前で今見ると意味不明なところが多いですが、ひとまず公開してあとで直します。 1. フィクションにおける情動の理論は、ウォルトンの「ごっこ遊び理論」が中心的で

    Richard Moran 「想像における感情(feeling)の表現」(1994) レジュメ - 夏ふようのメモ
  • 『なぜ美』と『近代美学入門』への補足 - logical cypher scape2

    井奥陽子『近代美学入門』 - logical cypher scape2のブクマが急速に伸びている。ブログのTOP3に入ってきた。 https://hatenablog.com/ に載ったので多分そのせいだと思う。普段、見かけないidからのブクマが多いし。 (なお、ブクマが増えるとブログを書いている身としては単純に嬉しいが、伸びるかどうかはわりと偶然の産物でしかないことも分かっている) それはそれでいいとして、同日にデビット・ライスさんがやはり同書を取り上げた記事を書いているのに気付いた。 ここから直接アクセス流入しているわけではないが、はてなブックマークのホットエントリに並んだので相乗効果はあったのかもしれない。 タイトルにあるとおり、『近代美学入門』だけでなく『なぜ美を気にかけるのか』も一緒に扱われている。 『なぜ美』の方は、当ブログでは以下で取り上げた。 さて、ライスさんの記事は、

    『なぜ美』と『近代美学入門』への補足 - logical cypher scape2
  • 後期シブリーの美学 - obakeweb

    フランク・シブリー[Frank Sibley]の名前と結びつけられた仕事として、真っ先に思いつくのは「Aesthetic Concepts」(1959)と、その実質的な続編にあたる「Aesthetic and Nonaesthetic」(1965)だろう。前者は、美学者としてのキャリアの最初期に書かれた論文であり、20世紀美学において最も盛んに検討された論文のひとつとなった。 美的なものの議論においてシブリーの果たした貢献は改めて確認するまでもなく、絶大である。しかし、注目は上のふたつの論文に集中しており、その他の仕事はあまり引用されていない。このふたつは『Philosophical Review』という大手も大手の哲学ジャーナルに掲載されたことからも美学にとどまらない関心を集めたわけだが、その後シブリーは新設されたばかりのコーネル大学哲学科の運営に忙殺されたようで、いくつかのProcee

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  • アリストテレース『詩学』における筋の類型論 - 夏ふようのメモ

    1.『詩学』における筋の四類型について アリストテレース『詩学』の第14章では登場人物が「自分が何をするか知っているかどうか」、そして「その行為を実行するかどうか」によって筋を四つに分類している。それらは以下のように分類できる。 知 行為 記述の順 優劣 作品例 ① 〇 〇 1 3 『メーデイア』(エウリーピデース) ② 〇 × (4) 4 『アンティゴネー』(ソポクレース) ③ × 〇 2 2 『オイディプース王』(ソポクレース)『アルクメオーン』(アステュダマース)『傷ついたオデュッセウス』(伝ソポクレース) ④ × × 3 1 『クレスポンテース』(エウリーピデース)『タウリケーのイーピゲネイア』(エウリーピデース)『ヘレー』(不明) 例えば③の場合であれば、登場人物は自分が何をするのかを知らず、かつその行為を実行する(そしてその後に自分が何を行ったかを「認知」する)。それは『詩学』

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  • Jon Elster, Ulysses Unbound - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Ulysses Unbound: Studies in Rationality, Precommitment, and Constraints (English Edition) 作者:Elster, JonCambridge University PressAmazon ヤン・エルスター(『酸っぱい葡萄』*1の人)のUlysses Unboundという著作のIII部が芸術論らしく、ちょっと興味があったので読んでみた。わたしもエルスターのことはよく知らないのだが、エルスターは業では合理的選択理論などを使って、合理性の哲学を研究している研究者だ。書でも、芸術作品の制作を「制約のもとでの美的価値の最大化」というある種の合理的プロセスと捉え、さまざまな事例を扱っている*2*3。 制約とは何か。エルスターは作品制作における制約の例をさまざまにあげているが、わかりやすいところだと、形式やジャンル

    Jon Elster, Ulysses Unbound - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • 井奥『近代美学入門』の感想 - 9bit

    井奥陽子『近代美学入門』筑摩書房、2023年 ご恵投いただいたもの。いいなので宣伝も兼ねてレビューする。 全体の感想 当の初学者(たとえば学部一年生)でも十分に理解できる程度の易しさで書かれている。構成がわかりやすく、言葉づかいや文体もするっと読めて、それでいて重要なポイントがどこかがはっきりわかるようになっている。出てくる例もわかりやすい。 概して帯文はオーバーだったり嘘をついていたりするものだが、このの「難しいと思っていた美学が、よくわかる」は偽りのない宣伝文句だと思う。 書には、「読者はこういう理解をしているかもしれないけど、そうじゃなくてこうだよ」というかたちで、想定される誤読をあらかじめていねいに防いでいる箇所がけっこう多い。これはたとえば佐々木『美学への招待』などと比べたときの、書の際立った美点のように思う。 美学(あるいは哲学全般)は、問題意識や議論の内容が初学者に

    井奥『近代美学入門』の感想 - 9bit
  • 「批評」を定義するという課題|obakeweb

    批評の定義について。「定義」というのは、やや問題含みなところがあるので、私は「特徴づけ」という表現の方をより好んでいるが、まぁやること同じだ。すなわち、批評という活動(ないしその産物)に特徴的で、その他の活動(ないしアイテム)から批評を区別する要素とはなんなのか、に答えるのだ。芸術に関連した言説はいろいろある(広告、美術史、芸術哲学、キャプションなど)が、そのうちどれがなぜ批評に該当するのか。単純化のために、これらの課題については以下ではとにかく「批評の定義」と言うことにしよう。(また、「批評」はすべて芸術批評を指す。) エントリーは、前半と後半で異なる目的を担っている。第1節、第2節までは短いが教育的意図において書かれたものであり、第3節、第4節は、より特定的な話題に対する私のステートメントである。勉強したい人は1〜2節を読めばよいし、そうでない人は3〜4節だけ読んでもよい。 1 分析

    「批評」を定義するという課題|obakeweb
  • 美的なものと芸術的なもの - obakeweb

    1 美学は芸術の哲学なのか? 2 芸術抜きの美学? 3 美学抜きの芸術? 4 ビアズリー、ディッキー、シブリー 5 美的なものと芸術的なもの、その後 参考文献 1 美学は芸術の哲学なのか? 博士論文(80,000 words)をあらかた仕上げて予備審査に出したので、ゴキゲンのブログ更新。 博論でも取り上げている話だが、私の専門である美学/芸術哲学への入門的な話題としてよさそうだったので、一部ネタを抜粋して再構成してみた。なにかというと、美学と芸術哲学の関係性についての話だ。*1 美学[aesthetics]は、なんの専門家でもない人にとっては「男の美学」「仕事の美学」とか言われるときの流儀やこだわりを指す日常語であり、もうちょっと詳しい人にとっては、芸術哲学[philosophy of art]の同義語だ。英語でも事情は同じらしく、aestheticsが専門だと言えば、artについてなんか

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