中東研究2001年3月号、19-28頁 トルコの「市民社会」思想運動とフェトフッラー・ギュレン 中田考(山口大学教育学部) 序. 旧ソ連の崩壊後、東欧では一定の「民主化」が進行したのに対して、西欧による「民主化」要求の言説が声高に叫ばれるにもかかわらず、中東の「民主化」は遅々として進まない。我々は、中東における「政治的イスラームの失敗」を語るより前に、先ず「民主主義の失敗」の現実を虚心にみつめる必要があろう。 中東における「民主化」の失敗の経験への反省に基づく一つの対応として生まれたのが、民主化が可能になるには、先ず権威主義体制の「国家」から自律的な「市民社会」空間を確保する必要がある、との認識である。 「市民社会」の概念も、社会科学の他の概念と同様、特殊西欧的な刻印を帯びている。即ち、西欧が、歴史的偶然からローマに由来する国家という世俗権力とキリスト教に由来する教会という宗教権力の二つ権