小林一三は、二十歳から十五年間、三井銀行に勤務した。二十一歳の八月、日清戦争がはじまると、広島に大本営が置かれ、一三は大阪から広島への現金輸送に従事している。 そして、二十三歳の時、岩下清周が、大阪支店長として赴任した。岩下との出会いは、言葉のあらゆる意味で、一三にとっては巨きなものだった。岩下は、今は半ば忘れられた存在だが、関西の財界史を語る上で、逸する事の出来ない巨頭である。 信州松代に生まれ、東京商法講習所に学んだ岩下は、母校で教鞭を執った後、明治十一年、三井物産に入社、アメリカ、フランスに在勤し、品川電灯会社を創立した功績で財界の信認を得て、三井銀行の支配人となった。 岩下の融資方針は大胆きわまるものであった。鉄商として名を馳せた、津田勝五郎にたいして、たびたび巨額の当座貸し越しを見逃していた。また、これまで銀行が融資をしなかった、北浜の株式市場や堂島の米相場にも、資金を提供した。
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