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ブックマーク / bushoojapan.com (3)

  • 実際の薩摩隼人はフィクション以上にならず者?漫画やアニメで検証だ

    2018年大河ドラマ『西郷どん』が放送されたとき 「主人公はじめ薩摩藩士が軟弱だ」 という指摘がしばしば挙げられました。 確かにそうでしょう。 ドラマにおける彼らの行動は、薩摩藩士とはむしろ真逆の行動をしていました。 ・来ならば男尊女卑思想が厳しい薩摩藩士のはずが、女性である岩山糸とつるみ、はては女装までする西郷 ・男色を好み、鹿児島では遊郭すら少なかったというのに、江戸で磯田屋という遊郭に入り浸る西郷とその仲間たち とまぁ、薩摩藩士が得意とする薬丸自顕流もほとんど出てきませんし、猛烈な郷中教育の様子もさほどありませんでした。 描写がぬるいと言われても致し方ありません。 ただ、それだけが原因とも言い切れぬ部分があるんではないか?とも感じました。 『西郷どん』以外の近年のフィクションで描かれる薩摩出身者は、異常なまでに強烈、人間離れした描写をされているのです。 そのギャップから、

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  • 大森貝塚モースの滞在記『日本その日その日』には何が書かれてる?

    モースはこの中で、当時の日の自然や人々に対する感動を大小問わず多く書き残しました。 学者らしい好奇心や観察眼もうかがえますし、モースが素直な人だったのだろうと思わせる点も多く、微笑ましく感じる部分もあります。 「研究や採集で忙しいのに、よくこんなに書けたな」と思うほどですが、実は彼は“両手で同時に文字や絵を書(描)ける”という、とんでもない特技の持ち主でもありました。なにそれうらやましい。 ○日・日人の美点では、彼が当時の日で生活した中で感じた美点や欠点について。 いくつかご紹介していきましょう。 一般人でも、外国人に礼儀正しい農民が頭にかぶった布をいちいち外してから挨拶してくれたり、初めて外国人を見るであろう人でも侮蔑や嘲笑を向けないという点に、モースは繰り返し感動しています。 「もしアメリカで日人が出歩いていたら、全く違った反応をされるだろう。私はそれが恥ずかしい」 そんな風

    大森貝塚モースの滞在記『日本その日その日』には何が書かれてる?
  • 雪駄・草履・草鞋の違いご存知?日本人の足元を支えてきた履物の歴史

    明治三年(1870年)3月15日、佐倉藩士・西村勝三が、日初の西洋式工場を創設しました。 場所は築地の入船町。 軍用を量産するためで、当時、この辺りは物流や諸外国の玄関口だった場所だけに何かと便利だったのでしょう。 この時期以降、広く西洋式のが庶民の足元に普及していくワケですが、今回はそれまで日人の足元を支えてくれた「履物の歴史」をたどってみましょう。 衣冠束帯に合わせて貴族が履いたのが浅沓というモノ自体は、紀元前3500年頃に生まれたと考えられています。 しかし、日では全く別の履物が用いられてきました。そもそも庶民は裸足で過ごしていた時代も長かったですし、履物自体が一定以上の身分の人が使うものだったのです。 公家の用いていた履物には、そういった点が顕著に現れています。 公家の衣装として有名な「衣冠」や「束帯」のときに履かれていたの一種が「浅沓(あさぐつ)」です。

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