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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/zoot32 (33)

  • いっぺんに3個とか買う - 空中キャンプ

  • ひとりごと - 空中キャンプ

    ひとり暮らしをしていると、ついひとりごとがでてしまう。気がつくと、よくわからないことを、誰に向かってというわけでもなく話している。これ、人に見られたらずいぶん珍妙な光景だろうな、とおもいつつも、ひとりごとはつい、口をついてでてしまう。わたしはなにやら心の病でもあるなのだろうか。なんだか脈絡のないことを、まるで誰かと会話でもするみたいに話してしまうのだ。自分でも、これはいったいなんだろうと心配になることがあるけれど、やはり、気がつくとそうしてしまっている。 とはいえ、ひとり暮らしをしている人がみな、ひとりごとをいっていると決まっているわけでもなく、きっとわたしは特殊な例外なのかも知れないとおもっていた。映画『空気人形』は、だから、わたしにとっては、「ひとり暮らし映画」としての側面もあって、あの作品においては、ひとり暮らしならではのがらんとした自由と孤独がとてもうまく描かれていたとおもう。孤独

  • 私たちまだ死んでない - 空中キャンプ

    サリンジャーは、「ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー」という、それだけですぐにユダヤ系だとわかってしまう名前を隠すために、ずっと、JDサリンジャーと名乗っていたのだという。かくいう私も、ちょっとだけそれに似た理由で、たかこ BLと名乗っている。BLがなにを略しているのかを、私は口にすることができない。だから私は、行儀のいいタクシー運転手みたいに、余計なことをいわず、どこへいってもできるだけおとなしくしている。 私たちの日での生活はいくぶんきゅうくつだ。いつも、誰かに見つかってしまわないかとそればかりを心配している。三者面談のときには、お父さんにきちんとひげをそってスーツを着てもらうようにおねがいしなければいけなかった。「ちゃんとしたスーツを着てね」と私はいった。「なるべく原理主義者っぽくないやつ」。お父さんは肩をすくめて、「わかってるよ。俺は三者面談にはターバンを巻いていかない主義な

  • 『びんぼう自慢』/古今亭志ん生 - 空中キャンプ

    だめな人だとは知っていたが、ここまでだめだとはおもわなかった。志ん生人が半生を語り下ろしたこのを読みながら、わたしはあらためて、だめ人間の威力について考えざるをえない。この人はほんとうにだめだ。わたしは感動すら覚えながら、彼の半生を読み進めた。 志ん生が困るのは、落語だけは天才、というところで、そうでもなかったら、こんなめちゃくちゃなおっさんなどとてもまともに生きていけない。人がとことんまでだめを極めたとき、そこには聖性を帯びたなにかが立ち上がるが、戦前の志ん生には、ほんとうにだめな人にのみが持つうつくしいオーラ的ななにかが見えるような気がする。 なにより志ん生がひどいのは、誰の金であろうと平気で使い込んでしまう横領癖だ。たちがわるい。この人が「寄席をしくじった」「師匠をしくじった」という表現をするとき、たいていは使い込みか横領がばれて出入禁止になっている。父親のだいじにしていたキセル

  • エアメール - 空中キャンプ

    わたしはときどき、エアメールをだす。週に一回くらいはだしている。考えてみれば、けっこうな頻度である。とはいってもこれは、海外郵便のことではない。ここでいうエアメールは、エアギターのエアと同じなので、つまりは、一度は送信しようとおもったが、じっさいには送信していない携帯メールのことである。 メールってやつはけっこう気をつかうものだ。相手にメールをだそうと、ひとまずは作成画面にメッセージを入れていくのだが、しだいに、「これは、ないな……」と気持ちがしぼんできて、やっぱりこのメールは送らないでおこう、とおもい直すことが、たいてい誰にでもあるような気がする。そういうときは、ひとまずメッセージを最後まで完成させてから、心のなかの送信ボタンだけを押して、そのまま画面を閉じてしまうと、そのメッセージはエアメールとなって、ちゃんと相手のところに届くはずである。 そうしてわたしは、いろいろな人にたくさんのエ

  • リサのこと - 空中キャンプ

  • 静岡にいったことはありますか - 空中キャンプ

    帰りの電車のなかでおかしな男に絡まれた。きっかけは、閉まりかけのドアにわたしが飛び込んだことだ。むりに入ったので、閉まるときに、ひじのあたりががつんとドアにぶつかった。すると、近くにいた土木作業員風の若い男(坊主頭、ピアス)がわたしに向かって、「迷惑なんだよ、オイ」「オマエみたいな奴がいるとむかつくんだよ」と悪態をつきはじめた。もとはといえばわたしが悪いのだが、ややこしいことになった。 しばらく無視をしていたが、「聞こえてるんだろう、テメー」「オイ、このやろう」などと言い続けるので、しかたなく急いで別の車両に移動した。もう、まいったなあ。ところが、移動したとなりの車両でしばらく立っていると、あろうことか、そいつもわたしを追ってくるではないか。どうしていいかわからない。男は「逃げんじゃねえ、オイ、テメー」と因縁をつけてくる。うーん、ややこしすぎる。しばらくうしろを向いて立っていたが、さすがに

  • とりあえずやってるうちにできるようになる - 空中キャンプ

    デジタルカメラが普及してから、カメラを趣味にしている人たちの腕前、その全体的なレベルが一気に向上したという話を聞いたことがある。撮った後、すぐに結果を確認できること、デジタルデータなので無制限に撮れるため、たくさんの写真を気がねなく撮っていくらでも練習できることなどがその理由らしい。なるほど。 わたしはこうした「とりあえずやってるうちにできるようになる」といったたぐいの話がすきだ。前準備とか、研修とか、事前の慎重な検討といったことよりは、考え込まずにひとまず現場にでてあれこれやってみる、という姿勢がすきなのだ。もちろん現実はそれほど単純ではなく、トレーニングは重要だし、現場で学んだことをフィードバックさせて、もう一度あらためて学習しなおす必要だってあるのだけれど、なにがともあれいったん経験してみる、というのはけっこうたのしいとおもう。 わたしは友人に美容師が何人かいるのだが、彼らの話を聞く

  • 『おっぱいバレー』を見たゼ! - 空中キャンプ

    渋谷にて。初日。 今はただ、信じられないことが起こった、としか言いようがありません。

  • 飲み会でとなりに座った女の子 - 空中キャンプ

    エヴァンゲリオン』の監督である庵野秀明さんは、飲み会でとなりに座った女の子に自慢できるアニメを作りたい、という気持ちで『エヴァ』を作ったという。とてもいい話である。わたしはこのエピソードがすきだ。なんだか元気がでてくる。この話を聞いて、「そんな低次元の目標のために表現をするのか」「誰にどうおもわれようと関係ないのではないか」などと反対意見を述べるのは、さみしいことだとわたしはおもう。 それまでの庵野さんは、自分がアニメ制作者であることを恥じ、たまたまどこかの飲み会に参加したときに職業を訊かれたりすると、会社員ですなどとごまかしていた。このままではいけない。友だちに呼ばれた飲み会で、ぐうぜんとなりの席に座った、CLASSYを読んでそうなコンサバOL(26歳)にもちゃんと説明できて、なおかつ「見たらぜったいおもしろいから、今度見てね!」と胸をはっていえるアニメを作る。それが庵野さんの目標だっ

  • 『丘の上のパンク 時代をエディットする男・藤原ヒロシ半生記』/川勝正幸 - 空中キャンプ

    川勝正幸新刊。五年の執筆期間を経てようやく上梓された、藤原ヒロシのバイオグラフィー/研究書。A5版、三百頁超、二段組に小フォントで詰め込まれた三十五万字という特大ボリューム。内容はとにかくもりだくさんで、とてもたのしく読めました。五年かけて一冊のを書き上げるというのは、なにしろすごいことだとおもう。川勝さんお疲れさまでした。 わたし個人は、藤原をほとんど通過していない。ファッションには疎くて、彼の展開しているアパレルブランドも知らなかったし、クラブで彼のDJを聴いたこともないとおもう。たまたま買った音源に、いくつかのリミックス仕事が入っていたことはあったけれど、彼自身のCDを買ったことはなかった。雑誌の連載を読んだこともなかったし、彼のレコメンドや洋服の着こなしを参考にしたこともない。川勝が藤原を準備していると知ったとき、藤原に影響力があるのはわかるけれど、そもそもなぜ彼なのだろうとい

  • 人のからだが立てる音 - 空中キャンプ

  • 『ヤッターマン』を見たゼ!- 空中キャンプ

    渋谷にて。三池崇史新作。すごくよかったです! おもしろかった。深田恭子はほんとうにすばらしいですね。三池が「日の宝」と呼んだ、深田のキュートな姿が全編にわたって躍動するたのしい映画でした。 三池のフィルモグラフィーにおいて『ヤッターマン』との類似性を連想したのは『妖怪大戦争』(‘05)である。このふたつに共通点としてあるのは、小学生のためのエロス、決して直接的ではない微エロを刻印する、という作風である。実に周到であると感じた。三池は意図してこうした微エロのくだりを見せており、『ヤッターマン』で性に目覚めてしまう子どもたちが続出することはまちがいないとおもわれる。 考えてみれば、小学生にとってのエロスとは、イコールおっぱいである。彼らはまだ幼く、おっぱい以外のパーツにエロスを見出す感受性がない。『ヤッターマン』において、もちろんおっぱいもエロスの要素として導入されていて、ドロンジョ役の深田

  • 『ノン子36歳(家事手伝い)』を見たゼ! - 空中キャンプ

    渋谷にて。まったく予備知識なしで見にいったのですが、坂井真紀が全脱ぎでがんばっていたのでおどろきました。けっこうきわどい性行為の場面などもある。劇場には意外にも年配の方がたくさんいらっしゃっていて、星野源と坂井真紀が性交する場面など、いったいどんな気持ちで見ていたのかな…とおもいました。 おもしろかったのは鶴見辰吾のキャラクターで、彼の言動を見ていると、女性の気持ちをつかむのは、じっさいのところこんな男性ではないのか…という気がしてなりませんでした。この人物設定はおもしろかったですね。鶴見が演じるのは、どうしようもなくいいかげんで、その日暮らしの人生を送ってきたが、口だけはうまく、ここぞというタイミングでの押しが異様につよい、という怪しげな男。 鶴見は全身から、うさん臭さをこれでもかと発散させながら、元である坂井とヨリを戻すために接近していく。「今さらどのツラ下げて戻ってきたのよ」と怒る

  • 神の子どもたち - 空中キャンプ

    渋谷駅前の交差点、路上に設置されたスピーカーから流れてくるのは、いくぶん抑揚に欠けた男性の声で、その声は「キリストを呼び求める人は救われます」と何度も繰り返していた。たくさんの通行人が行き交う年末の渋谷。強風で、外は寒い。信号待ちをしながら、わたしはふと気がついた。「キリストは罪を赦し、永遠の命を与える」──そう書かれた看板を持って立っていたのは、小学校五年生くらいのちいさな女の子だった。 われわれは親を選択することができない。どのような親のもとに生まれるのかを選び取ることができない。両親は、彼らにとって「善きこと」を子どもに伝えようとするし、そこにはそれぞれの親の価値観が大きく関係してくる。それはときに宗教であったり、ある種の思想であったりもする。親は「善きこと」を子どもに伝える。それはあたりまえのことで、他人があれこれと口をだす問題ではないのだとおもう。 両手でしっかりと看板を支えなが

  • 2008年の映画をふりかえる/結果発表 - 空中キャンプ

    みなさんこんにちは。空中キャンプを書いている者です。今年いちばんおもしろかった映画を、みなさんの投票により、ちょう民主主義的に決定する「2008年の映画をふりかえる」の結果がでました。さっそく、順を追って発表していきたいとおもいます。みなさんからは、あらかじめ以下のフォーマットにてアンケートを集めました。 名前(id、もしくはテキトーな名前)/性別 2008年に劇場公開された映画でよかったものを3つ教えてください 2で選んだ映画の中で、印象に残っている場面をひとつ教えてください 今年いちばんよかったなと思う役者さんは誰ですか ひとことコメント 参加していただいた方々の人数と男女比は以下です。 まずは、参加していただいた方々にお礼を述べたいとおもいます。ありがとうございます! 今まででいちばんの人数、ついに大台の3ケタに到達しまして、よりたくさんの方の意見が含まれた貴重な調査結果になったので

    2008年の映画をふりかえる/結果発表 - 空中キャンプ
  • 『ラースと、その彼女』を見たゼ! - 空中キャンプ

    渋谷にて。すばらしい!! ちょうさいこう! 震えるくらい感動しました。これ、すごいです。ほんとうにいい映画。いっけんトリッキーな題材を扱いながら、ストーリーにはみごとなふくらみがあり、孤独、コミュニケーション、他者といったテーマを豊かに描きつつ、エンディングには胸が高鳴るようなポジティブさが溢れている。後半はどうしても涙が止まりませんでした。 あらすじは、閉じこもり気味のおとなしい青年ラースが主人公であり、彼がある日兄夫婦にガールフレンドを紹介するのだが、それがネット通販で買った等身大のリアルドールだった、というもの。彼を診察した精神科医からのアドバイスは「ラースの物語を否定せず、共有してあげること」であり、兄夫婦、会社の同僚、そして周囲のコミュニティは、ラースと彼の恋人ビアンカという妄想を受け入れ、演技をしはじめる。 前半はコメディとして成立していて、リアルドールを連れて歩く青年と、その

    『ラースと、その彼女』を見たゼ! - 空中キャンプ
  • 気がつかないふり - 空中キャンプ

    映画『フレンチ・コネクション』(‘71)でわたしがいちばん好きな場面は、主人公の刑事が尾行に失敗する地下鉄のくだりだ。尾行される麻薬の密売人は、自分の後を刑事がつけていることに気がついている。刑事も、密売人が尾行に感づいており、自分を巻こうとしていることを知っている。しかし彼らは、尾行する/されるというお互いの立場を決して崩さず、なにも気がつかないふりを演じつづける。 誰の目から見てもあきらかな真実がある しかし、それを口にだすことは禁じられている 誰もが真実を知りながら、それに気がつかない演技をつづける わたしは、刑事と密売人という、いわば敵同士にあたる存在が、ひとつのルールにもとづいてお互いに協力しあいながら真剣に演技をしている、というふしぎな描写がとても気に入っていて、このおもしろさはどこからくるのだろうとおもう。こうした状況は、もちろん尾行だけではなくて、いろいろなことにあてはまる

  • 沈殿する言葉 - 空中キャンプ

    長い小説を読み終えて、をぱたんと閉じる瞬間というのは、実に気持ちのいいものである。これほど、達成感という言葉がしっくりくるものもない。それがおもしろいであれば「ああ、読んでよかった」とうれしくなるし、今ひとつ自分の趣味にあわなかったとしても、ふくらはぎを痛めながらもかろうじて完走したマラソンランナーのように「それでも最後まで読み通した」と自分を誇ることができる。 ここでむずかしいのは、世間的には名作と称される古典の長編小説に手をだし、じっさいに読んでみるとまったくわけがわからず、心が折れかかっているようなときである。がんばって読み通すか、おもいきってあきらめるか、という選択をせまられることになる。名作というからには、きっとそれなりの意味あいがある小説なのだろうけれど、なにがおもしろいのかさっぱり、というような場合、しだいにのタイトルを見ただけで悲しくなってくる、といった事態にもなりか

  • 『リダクテッド 真実の価値』を見たゼ! - 空中キャンプ

    渋谷にて。ブライアン・デ・パルマ新作。フェイク・ドキュメンタリーの形式で描かれる、アメリカのイラク派兵問題。おもしろい手法だとおもった。粗い画像のビデオカメラや監視カメラ等、ふしぎなリアリティをかきたてる。興味ぶかく見れました。 最初は、スラヴォイ・ジジェクのいう「○○抜きの○○」について考えていた。これはどういう意味かというと、カフェイン抜きのコーヒーとか、アルコール抜きのビール、ダイエットコークといった嗜好品が増えてきていて、そこでは巧妙に現実が遮断されていると。その延長に「戦死者抜きの戦争」というものがでてきた。戦争はしたいけど、戦死者がでるのは精神的に耐えがたい。そこで、遠くからボタンひとつでポンと攻撃して、(自国の)戦死者のでない戦争をおこなうことが可能になる。今アメリカはそういうタイプの戦争をしていると、ジジェクは、あのひげのおっさんはいっています。 では、われわれは現実から逃