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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (1)

  • 横光利一 純粋小説論

    もし文芸復興というべきことがあるものなら、純文学にして通俗小説、このこと以外に、文芸復興は絶対に有り得ない、と今も私は思っている。私がこのように書けば、文学について錬達(れんたつ)の人であるなら、もうこの上私の何事の附加なくとも、直ちに通じる筈(はず)の言葉である。しかし、私はこの言葉の誤解を少くするために、少し書いてみようと思う。 今の文壇の中から、真の純粋小説がもし起り得るとするなら、それは通俗小説の中から現れるであろうと、このように書いた達識の眼光を持っていた人物は、河上徹太郎氏である。次に通俗小説と純文芸とを何故に分けたのか、別(わ)けたのが間違いだと云った大通(だいつう)は、幸田露伴氏である。次に、もし日の代表作家を誰か一人あげよと外人から迫られたら、自分は菊池寛をあげると云った高邁(こうまい)な批評家は、小林秀雄氏である。今日の行き詰った純文学に於て以上のような名言が文学に何

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