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ウェーバーの検索結果1 - 35 件 / 35件

  • 巨乳主義の精神とプロテスタンティズムの倫理 - 本しゃぶり

    人が巨乳に惹かれるのは本能ではなく文化である。 その大きさから歴史の重みを感じ取ってもらいたい。 犬山あおいに蹂躙されたオタク 『ゆるキャン△』の犬山あおいが強い。 『ゆるキャン△』2話 一時期、Twitterを見ていると彼女のイラストが頻繁に流れてきた。今期アニメで一番注目を集めているキャラと言っていいだろう。 しかし、最初から人気があったのではない。アニメの放送がスタートしたのは2018年1月4日からであり、彼女が本格的に登場したのは2話からだ。4話までの彼女は、メインキャラなので登場シーンは多かったが、注目を集めていたのは主人公である志摩リンと各務原なでしこの両名だった。 情況が一変したのは2月に入って5話が放映されてからである。 『ゆるキャン△』5話 乳に打たれたオタクは「エッッッ」と言って倒れた。 これ以降、pixivの閲覧数はうなぎ登りとなる。 「犬山あおい」タグがついたpix

      巨乳主義の精神とプロテスタンティズムの倫理 - 本しゃぶり
    • とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去

      はじめに結論から書いておこう。「国家が暴力を独占する」の意味は、国家が自らの暴力の行使に対してのみ、正統性を付与するということである。国家というのは、征服によるものであれ、共和主義的な統合によるものであれ、その集団がある領域内を実効支配した時点で、定義上、その領域内には少なくとも国家に匹敵しうるような暴力を行使可能な集団は存在していないはずである。だが、国家はなお支配のために「暴力を独占」する。それは、自前の暴力組織にのみ正統性を与えることによってであって、そうやって正統性を与えられた暴力組織を「軍隊」や「警察」と呼ぶ。ウェーバーによればその正統性の源泉は、近代国家においては「合法性」である。その正統性(=合法性)に基づいてはじめて、政府は国家内の自律的な暴力集団を規制したり弾圧することができるのである。 軍隊や警察は、人を殺しうる力を持っている。たとえ侵略軍から「国家を防衛」するためであ

        とあるアルファブロガーのSophisterei(詭弁)――あるいは正統的な暴力も暴力であることについて - 過ぎ去ろうとしない過去
      • 「性的消費」の何が悪いのか、という問いについて

        社虫太郎 @kabutoyama_taro で、これを言うと必ず「昔からオタクは性的関心が」という反論(?)が必ず来るのだが、それはもう使い尽くされた「歴史の遡及的再構成」、つまりは歴史修正主義の一種として最初から却下されていますので念のため。 ryo @issengorin 先日の艦これ論争(?)でも、モトケンさんのように艦これの脱衣を「ゲームのお約束」「戦闘ダメージのメタファー」として捉え、性的消費コンテンツとして認識していない人が少なからずいた。そうした主観に基づく認識とクーコさんのように「客観的機能」を問う議論では、どうしても噛み合わない。

          「性的消費」の何が悪いのか、という問いについて
        • 『帳簿の世界史』商人のジレンマ - HONZ

          長らく営業の仕事をしていることもあって、売上や原価といった数字管理はお手のものなのだが、我が家の家計のこととなると話は別である。自分が月々いくら本代に使っているのか知らない。エンゲル係数も知らない。家計簿をつけようとも思わない。自分でもよくぞ、おめおめと生きているものだなと思うが、自らの欲望の痕跡を直視することが恐いのだ。 このままではヤバいことくらい、分かっている。だが、どれだけヤバいのかを客観的に知りたければ、歴史に敵うものはない。そこで、本書である。 会計と歴史、双方の知見を持つ著者によって手掛けられた『帳簿の世界史』は、アダム・スミス、カール・マルクス、マックス・ウェーバーといった面々が口を揃えて主張した帳簿の力を紐解いた一冊。アクセスログやライフログといったログ全盛の現代社会に、帳簿という最も古典的なログの重要性を描き出す。 数多くの歴史で見られる光景のご多分に漏れず、帳簿の歴史

            『帳簿の世界史』商人のジレンマ - HONZ
          • 「東大教授の恫喝—優生学史研究を始めたころ」(2017年10月4日) - ニセ仙人山籠り | 米本昌平のブログ

            東大教授の恫喝——優生学史研究を始めたころ 2017年10月4日 | 優生学史, 社会ダーウィニズム, 自跋 | 今は、優生学史の研究をすると言っても誰も怪しまない。ましてや、それを危険視することなど絶対にない。だが1970年代末は、事態はまったく違っていた。 数年前、ある大学の学位請求論文に、優生学史研究が提出され、審査員を依頼された。内容的にはじゅうぶんで何の問題もなかった。だが、この分野からしばらく遠ざかっていた私には、清々と優生学史が論じられ、議論が進んでいく雰囲気に、違和感を隠せなかった。私がドイツ優生学史を始めた当時、このような研究はナチス復活につながる危険な兆候と糾弾され、それに必死に抵抗した。そのことが、鮮やかによみがえってきたのである。 優生学史を研究課題に 話は40年前にさかのぼる。 1976年に私は、三菱化成生命科学研究所・社会生命科学研究室に採用され、科学史の担当と

            • そろそろ社会学を禁止すべきか。 - 『哲学的問題の禁止による解決』 (2011Q1)

              縮限 @contractio それでブルデューの議論が変わるようには思えないので却下。 “@Ichy_Numa: 大賛成!ついでに「構築」も禁止! contractio あーもー。「表象」を禁止したい。” 2011-01-06 13:59:41 縮限 @contractio 困るのは近世のひとだけってことは…… “@yukiphilo: 「表象」と一緒に「観念」も禁止されたら、大量失業が発生すると同時に、哲学事典がとってもお手軽ハンディーになると思う。” 2011-01-06 20:56:50

                そろそろ社会学を禁止すべきか。 - 『哲学的問題の禁止による解決』 (2011Q1)
              • 姜尚中氏の通俗的ウェーバー論 - 池田信夫 blog

                けさの朝日新聞で、姜尚中氏がマックス・ウェーバーの「精神なき専門人、心情なき享楽人」という有名な言葉を引用して、こう書いている:ウェーバーが予見した社会をいま我々が生きている。金儲けのための金儲けと、跋扈する精神のない専門人、そしてその影響としての格差や貧困・・・大塚久雄から半世紀以上たっても、こういう通俗的なウェーバー解釈を東大教授が教えているのかと思うと、うんざりする。姜氏には『マックス・ウェーバーと近代』という著書もあるから素人ではないが、この本でもひたすらウェーバー解釈学が展開され、肝心の歴史的事実はどうだったのかという検証はまったく行なわれていない。 これは日本だけで異様な発達を遂げた「ウェーバー学」の特徴だが、元祖の大塚は、むしろ西洋経済史の実証からマルクス主義的な「生産力・生産関係」の図式を批判し、(今でいう)起業家精神に資本主義の起源を求めた。そのよりどころにしたのが、ウ

                • [書評]マックス・ヴェーバーの哀しみ(羽入辰郎): 極東ブログ

                  怪著と表現していいのかわからないがスゲー本である。「マックス・ヴェーバーの哀しみ 一生を母親に貪り喰われた男(羽入辰郎)」(参照)。新書だし文体はのりのり。爆笑すること幾度。面白かった。 マックス・ヴェーバーを知らない人にとっても面白いかどうかというと、それなりにすごく偉い社会学者がいたというのをそのまま鵜呑みにすれば、おk、おっと2ちゃん語使うなよ、大丈夫大丈夫。このド偉い学者さん、浮気はできるのに妻との性交渉はできず、その原因はマザコン、というお話だよ、お立ち会い。マックス・ヴェーバーの夫婦関係ってそこまでおセックスレスだったのかというのは知らなかったので驚いたぜ、というレベルの面白さてんこもり。これ、劇画の原作にしてもすごい面白いと思う。弾小飼さんに献本したら説教十倍返しくらいのリアクションはきっとある。 ここに一人の哀しい男がいる。 彼はおのれの職業をまっとうし、多数の著作を残した

                  • 官僚制理論と官僚制批判理論その基礎 [社会ニュース] All About

                    いろいろな事件が起こるたびに巻き起こる官僚制批判。しかし、そもそも官僚制とはいったい何なのでしょう。官僚制のなにがよく、何が悪いのでしょう。官僚制理論と官僚制批判理論の基礎的なお話をしていきたいと思います。 <目次> 官僚制とは何か? ウェーバーによる官僚制の特徴 マートンの官僚制批判1:訓練された無能力 マートンの官僚制批判2:目的の転移・逆機能理論 その他の官僚制批判論 シューバートの「公益観」理論と官僚制とは? 日本官僚制の公益観 官僚制とは何か? 日本の官僚制をみていく前に、そもそも官僚とは何か、というお話をしていきたいと思います。 官僚制とは、(1)ただ1人で決定する者をトップにし、(2)そこからピラミッド型の構造があり、人が働くしくみだと考えられています。 ですから、それは「古代エジプト王朝以来」あった、といえます。 しかし、官僚制の研究で有名な19世紀末~20世紀初頭のドイツ

                      官僚制理論と官僚制批判理論その基礎 [社会ニュース] All About
                    • マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む - 宇宙、日本、練馬

                      今日の未明、どうにも眠れる気がしなかったんでなんとなくマックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をぺらぺらめくってたんですが、いや何故か妙に引き込まれて、結局今日一日で通読してしまいました。以前に頁を最後までめくってみたときは、それほど熱心に読めなかったんですが、いや今回はめちゃくちゃ惹かれるものがあったというか、頭に入ってくる感じがあったんですよね。苦悶の叫びをあげながら頭を抱えて読み進めている『古代ユダヤ教』より全然頭に入ってきた感じがある。せっかくなので要約チックなものを書き留めておこうかなと思います。 第1章 問題 1 信仰と社会層分化 プロテスタントの経済的成功 第1章第1節の導入部分で提起されるのが、「近代経済においてプロテスタントが上の方の地位を占めてないか?」という疑問。そこから踏み込んで、なぜプロテスタントが資本主義に適合的なのか?という問いが提出

                        マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む - 宇宙、日本、練馬
                      • エートス - Wikipedia

                        エートス (古希: ἦθος, ἔθος; ethos, 複: 古希: ἤθη ἤθεα; ethe, ethea) は、「いつもの場所」 (ἤθεα ἵππων) を意味し、転じて習慣・特性などを意味する古代ギリシア語である。他に、「出発点・出現」または「特徴」を意味する。 それを元に、「道徳」や「道徳観の発露」を意味する ἠθικός (ethikos) という言葉が生まれ、ラテン語には ethicus として流用される。また、その女性形である ἠθική φιλοσοφία (ethica) は古フランス語の ethique 、中世英語の ethik を通じて、現代の英語の ethics へと変化した。「倫理的生活態度」ともいわれる[1]。 アリストテレスが著書『弁論術』で述べたところによると、エートスは説得法の重要な三つの方法的条件の一つ(他はロゴスとパトス)である。まず、始めに話

                        • 森岡正博「現代日本の哲学をつまらなくしている三つの症候群について」(Life Studies Homepage)

                          |生命学ホームページ|掲示板|プロフィール|著書|エッセイ・論文|リンク|kinokopress.com|English | 未発表原稿 現代日本の哲学をつまらなくしている三つの症候群について (1986年頃執筆および配付) 森岡正博 (中編作品集・第2章:14~18頁)にて、縦書きで読みやすい画面閲覧用PDFファイルと、全集版の頁数付き印刷用PDFを入手することができます。特に、下記の「図」は、全集版で正確にご覧になれます。 1 現代この場所で私たちが直面している問題を、根本にかえって、深く考えるのが、哲学である。ところが、大学や書店で出会う「哲学」は、決してそのようなものではない。現代日本では、哲学は、非常につまらないものへと縮減しているのである。 哲学者に向かって、あなたの哲学は何ですかと決して質問してはならない、というジョークがあるが、この話が意味するものをここでもう一度考え直して

                          • マックス・ウェーバーをめぐる羽入折原論争

                            羽入-折原論争の展開 羽入辰郎著「マックス・ヴェーバーの犯罪」(ミネルヴァ書房2002年)における問題提起を受けて、これに対する全面的な反論の書、折原浩著「ヴェーバー学のすすめ」(未来社2003年)が出版されました。本論争の射程は広く、ウェーバー研究者やウェーバー読者たち、あるいは広い意味での研究者たちにも応答を求めるものとなっています。ここでは私の応答を載せると同時に、皆様に本論争への応答を呼びかけています。また応答をいただいた方々の御論稿を掲載しています。 以下の内容は、こちらのホームページに移しました。2021.5.

                            • プロ倫は実証的に見ればゴミですよ - finalventの日記

                              池信先生⇒Twitter / 池田信夫: いまだに「プロ倫」を学生に勧める先生が多いみたいだけ ... いまだに「プロ倫」を学生に勧める先生が多いみたいだけど、あれはウェーバーの作り話 プロ倫は実証的に見ればゴミですよ。その点ではレヴィストロースがトンデモさんというのとあまり変わらない。 じゃなぜプロ倫かというと、人間行動における合目的性の概念にあって、それが理解社会学となるのだけど、この内面の「理解」を、いわゆる文学的な人間の内面ではなく、モデル的に、つまり理念型的に取り出したところがポイント。だからこの先にパーソンズの構造機能分析が出てくる。だからプロ倫が基礎とも言える。 ただ、これもちょっと特異な発想で、現代知性にとって重要かというとちょっと微妙かもしれない。 あと ⇒[書評]プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(マックス・ヴェーバー): 極東ブログ ⇒[書評]マックス・ヴェー

                                プロ倫は実証的に見ればゴミですよ - finalventの日記
                              • 「マックス・ウェーバーの日本」書評 ドイツ以上になぜ読まれたのか|好書好日

                                マックス・ウェーバーの日本 受容史の研究1905−1995 著者:ヴォルフガング・シュヴェントカー 出版社:みすず書房 ジャンル:社会・時事・政治・行政 マックス・ウェーバーの日本 [著]ヴォルフガング・シュヴェントカー 本書は、日本のウェーバー研究の内容を、大正時代から現在にいたるまで詳細に検討するものである。実は、ウェーバーは日本で、ドイツで以上によく読まれてきた。にもかかわらず、日本人のウェーバー研究はドイツでほとんど知られていなかった。したがって、本書がドイツの読者にとって役立つことは当然であるが、日本人にとっても、いろいろと考えさせる事柄を含んでいる。 日本は、非西洋圏で唯一、近代資本主義国家となった。その理由を問うために、日本人は特に、ウェーバーの理論を必要としたといえる。しかし、ウェーバーが広く読まれるようになったのは、1930年代、天皇制ファシズムが席巻し、マルクス主義運動

                                  「マックス・ウェーバーの日本」書評 ドイツ以上になぜ読まれたのか|好書好日
                                • ベンジャミン・フランクリンに学ぶ「幸せになる方法」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

                                  プラグマティズムの体現者 ベンジャミン・フランクリン(1705-1790)は、アメリカの政治家・発明家・学者。 印刷屋の子弟から身を起こし、豊臣秀吉ばりに出世を遂げ、アメリカ植民地議会の外交官にまで上り詰めます。 そしてアメリカの独立運動に貢献し、建国の父の1人となりました。 彼がその人生で体現したプラグマティズム(実践主義)は「理想のアメリカ人」を現しているとされます。実際、フランクリンが実践した様々なセルフ・マネジメントは、現在の日本人にも大いに参考になる部分があると思います。 アメリカが生んだ偉大な実践主義者から、幸せになるヒントを学びましょう。 ベンジャミン・フランクリンの人生 フランクリンはボストンの船主の両親の元に生まれますが、17歳で一念発起して、当時北米で最も繁栄していたフィラデルフィアに上ります。 印刷屋の子弟となったフランクリンは、早くも24歳に自分の印刷所と新聞を持つ

                                    ベンジャミン・フランクリンに学ぶ「幸せになる方法」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
                                  • 現代思想の断層 - 池田信夫 blog

                                    ニーチェは「来るべき200年はニヒリズムの時代になるだろう」という言葉を遺し、狂気の中で20世紀の始まる前年に世を去ったが、彼の予言はますますリアリティを増しつつある。よく誤解されるように彼は「神を殺す」ニヒリズムを主張したのではなく、「神が自然死する」ことによって西洋世界が深い混迷に陥ることを予言し、それを克服する思想を構築しようとして果たせなかったのである。 本書はこのニーチェの予言を軸として、ウェーバー、フロイト、ベンヤミン、アドルノの4人の思想をスケッチしたものだ。ウェーバーとニーチェという組み合わせは奇異に感じる人がいるかもしれないが、ウェーバーは姜尚中氏の描くような「市場原理主義」をなげく凡庸な合理的知識人ではなく、ニーチェの影響を強く受け、キリスト教のニヒリズム的な側面が近代社会の合理的支配を自壊させると考えていた。 中心は著者の専門でもあるアドルノ論である。ヒトラーによ

                                    • 松尾匡 - 04年9月9日 羽入−折原論争を読んだ

                                      松尾匡のページ 04年9月9日 羽入−折原論争を読んだ 羽入辰郎という人が『マックス・ウェーバーの犯罪』(bk1amazonYahoo!)という刺激的なタイトルの著書を出してデビューしたのを受けて、ベテランのウェーバリアンの折原浩が『ウェーバー学のすすめ』(bk1amazonYahoo!)という批判本を出した。北大の橋本努氏は、羽生−折原論争のホームページまで作っていて、この論争への参加者達の論評を掲載している。 まあ、私などは、ウェーバーについては大塚訳の『プロ倫』を岩波文庫でざっと通読しただけで、あとは山之内靖や佐久間孝正の解説を読んでいるだけのド素人なので、両著とも野次馬的に「へぇー、へぇー」と言いながらずいぶん楽しませてもらった。 羽入が言っていることは、「犯罪」とか「詐欺師」とかの挑発用のレトリックを全部除いて簡単に言えば、「『プロ倫』でウェーバーは、ルターが本当はBeruffと

                                      • https://jaguar.eng.shizuoka.ac.jp/etc/WB-ja.html

                                        • プロテスタンティズムの倫理は存在するか? - himaginary’s diary

                                          マックス・ウェーバーのプロ倫を巡る研究は本ブログでもここやここやここで紹介したことがあったが、また新しい研究をUDADISIが紹介している。論文のタイトルは「Does a Protestant work ethic exist? Evidence from the well-being effect of unemployment」で、著者はAndré van HoornとRobbert Maselandというオランダはフローニンゲン大学の2人の研究者。 以下は論文の要旨。 Evidence on Weber's original thesis on a Protestant work ethic is ambiguous and relies on questionable measures of work attitudes. We test the relation between

                                            プロテスタンティズムの倫理は存在するか? - himaginary’s diary
                                          • 「思想」としての大塚史学 : 池田信夫 blog

                                            2013年08月13日16:37 カテゴリ本 「思想」としての大塚史学 マルクスの人気はすっかりなくなったが、ウェーバーの人気はなぜか日本では衰えない。「大学教師が学生にすすめる本」として、いまだに『プロ倫』がトップになったりするが、これは少なくとも歴史研究としては古文書であり、バーマンのような最近の研究書では脚注に出てくる程度である。 日本でウェーバー研究の元祖となった大塚久雄もいまだに「近代化論」の巨匠とされるが、本書は彼が戦争に協力した事実を明らかにする。彼の1943年の論文では、フランクリンの労働倫理について「生産力の拡充を招来することによつて、結果として全体の福祉に貢献し、而して此の貢献に於いて自らの倫理性を証明する」ものだとして、全体(国家・公共)への奉仕を強調している。 ここには国家総動員体制のために「生産力」の拡充を求める「時局的」な配慮がみられるが、60年代に発表された改

                                              「思想」としての大塚史学 : 池田信夫 blog
                                            • 書斎の窓:社会学はどこからきて、どこへ行くのか?/第5回 社会学における「理解」 | 有斐閣

                                              東京大学大学院情報学環教授 北田暁大〔Kitada Akihiro〕 龍谷大学社会学部准教授 岸政彦〔Kishi Masahiko〕 岸 先にウェーバーから始まったと言った「第二の話法」はどうですかね。たとえば行為者の話に限定すると、ぼくらが何をやっているかというと、調査対象であるところの行為者あるいは行為者集団の合理性を記述しているわけなんですよね。 北田 そうですね。 岸 社会学のやってきた仕事って、そもそもこういうことだと思っているんです。ウェーバーが行為者の「理解」をするんだと。じゃあ「理解する」ってどういうことかというと、ウェーバーは「行為者っていうのは合理的だ」と。まあ合理性にもいろいろとあるんだけど、「社会学者は行為者の動機を記述しなさい。行為者の行為の動機を記述することが理解なんだ」と。こういうふうに言ってる。要するに「わかるはずだ」。行為者には「理性」があって、ただこれに

                                              • ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を解読する

                                                マックス・ヴェーバー 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、社会学者マックス・ヴェーバー(1864年~1920年)の代表作だ。1905年に発表された。ヴェーバーには多くの著作があるが、ヴェーバーといったらコレ!というくらい知名度は高い。 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のテーマは、近代資本主義の起源だ。なぜ中国や日本ではなく、また古代メソポタミアやギリシアではなく、ヨーロッパ近代において資本主義が成立するに至ったのか。またその条件は何か。これが本書のメインテーマだ。 「プロテスタンティズムが資本主義の本質だ」とは言っていない 先入観をもっていたり膨大な知識に圧倒されたりすると、しばしば私たちはそれらの内容を細かく吟味せず、雑に受け取ってしまうことがある。 本書に関して言えば、「ヴェーバーはプロテスタンティズムが資本主義の中心にあると考えた」と解釈されることがとても

                                                  ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を解読する
                                                • 禁欲倫理の政治学―『ねむり姫の謎』 浜本 隆志 | 考えるための書評集

                                                  『ねむり姫』に隠された糸つむぎ部屋の習俗を暴き出すという本でなかなかおもしろかった。ある意味、日本の民衆の夜這いとか奔放な性を暴き出すという究明に似ていて、現代のわれわれは性的な習俗がいかに隠され、抑圧されているかということがわかるかのようである。 こんにちの『ねむり姫』というのは糸巻き棒にささって眠りについてしまうという話になっているのだが、どうして眠りについてしまうのかいまいちわからない。グリム童話とかペロー童話より古い型の原型を見てみると王女が眠っているあいだに王子は性交して、妊娠してしまうという話になっていたりする。でもこれは王女が大地だとしたら眠りは冬であって、王子はそのあいだに春の種子をうえつけたとしたら、なにもインモラルな話ではないね。 グリム童話などなぜ性的場面がカットされたり、ゆがめさせられたかというともちろん子ども向けということもあったが、カルヴァン派のピューリタリズム

                                                  • 橋本努講義レジュメ ウェーバー「経済と社会」第五版の構成

                                                    阿閉吉男・内藤莞爾訳『社会学の基礎概念』恒星社厚生閣1987、清水幾太郎訳『社会学の根本概念』1972岩波文庫(ただし訳が悪い)

                                                    • 「近代・組織・資本主義」からの抜粋・要約・解説 (佐藤俊樹著:ミネルヴァ書房) | Blog | nozomu.net - 吉田望事務所 -

                                                      目次 Ⅰ 日本的近代経営の系譜 1.日本にも根付いていた経営合理性という考え方 2.「袖長商人」と「本商人」 3.近世日本の合理的経営の系譜 4.「金持商人一枚起請文」 5.「元金」「望外」による家業からの脱皮 6.家制度と経営の継続性 Ⅱ 日本近世社会の成り立ち 1.近世武士の個人主義 2.組織に属さなければならなくなった「近世武士」 3.日本の武家社会が生み出した主従という関係 4.「非理法権天」—日本的「家」秩序の形成 Ⅲ 近世後期の「家」規範の形成 1.奉公人の組織化問題 2.日本近世儒教の誕生(仁斎学と徂徠学) 3.ぼろを脱ぎ捨てるように新しい制度を採用した日本 Ⅳ 西欧近代資本主義の観察 1.M・ウェーバーの観察した「禁欲的経営者」 2.「ピューリタン・カズイストイリー」にみる禁欲的経営倫理 3.プロテスタンティズム的経営と日本近世経営の決定的な差の理由 4.プロテスタンティズ

                                                      • M・ウェーバー「職業としての学問」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

                                                        岩波文庫 1936年 長尾龍一氏の「争う神々」(信山社 1998年)を読んでいたら、やはり「職業としての学問」を読み返さねばわからないのかなと思った。以前読んだのは大学生のころで、何だか随分と顰めつらしい話だな思ったことしか覚えていない。 それでこの尾高邦雄訳の岩波文庫を読んでみたが、さっぱり理解できない。それでインターネットを見ていたら、岡部拓也という方が、自分の翻訳を公開しているのを見つけた。その岡部氏の訳のタイトルが「職業としての科学」である。ウェーバーの原題は、Wissenschaft als Beruf である。Wissenschaft は手許の辞書では、学、学術、学問、科学(特に自然科学)とある。うれしいことに岡部氏のページでは公開されている英訳版(Gerth & Mills 訳)ともリンクしていて、その英語版のタイトルは、Science as a Vocation なのである

                                                          M・ウェーバー「職業としての学問」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
                                                        • ルーマン・システム論の行為論的脆弱性: リチャード中村

                                                          まったく大晦日にこんなことを書くのがどうかしていると思うのだが、つまみ読みしたら、突然佐藤俊樹『意味とシステム』勁草書房、2008、p50〜にルーマンの行為論的基礎、すなわちシステムの必然性の論証部分が目についたので取り上げる。 1)行為者(佐藤では「相互作用」)の時間が完全に「フッサール・ハイデガー現象学」からの引用である 2)行為の意味とコンテキストを捉える点で、単純な行為論(ウェーバー=パーソンズ)を超える地点にはいる。だが 3)行為を意味に還元し、意味をさらに還元する。これはクワインのホーリズムに通底する立場だが、クワインはほぼ反論されている(デイビドソン「概念枠という考えについて」)。 4)行為を偶有的な時間性の流れに還元し、その上位の組織を空間化し歴史を持つものとする。 以上がルーマンの行為論の全てらしい。批判は 1)現在の定義が不明である。現象学的現在は、わざわざ否定されるた

                                                          • ウェーバーの社会学(1)―『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と社会科学方法論

                                                            マックス・ウェーバー(Max Weber, 1864~1920)は19世紀末から20世紀初頭に活躍したドイツの社会学者である。宗教生活と経済活動のかかわりを論じた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Die Protestantische Ethik und der "Geist" des Kapitalismus,初出:1904-05)や『宗教社会学論集』で名高い。かれは社会学方法論,政治社会学,都市社会学,法社会学などの研究でも大きな業績をあげ,その後の社会学の研究に大きな影響をあたえた。かれが生前に完成させることができなかった『経済と社会』はこれらの研究を網羅した大著である。『宗教社会学論集』と『経済と社会』の目次を記しておこう。日本では,これらの著作のそれぞれの章の翻訳が分厚い(ときには上下2巻に分けられた)単行本として発行されている。

                                                            • カリスマ的支配:ウェーバー「支配の社会学」

                                                              マックス・ウェーバーが正統的支配の三つの類型として提起した合法的支配、伝統的支配、カリスマ的支配は、いずれも純粋な理念型であるとしているものの、やはり特定の歴史的な背景と結びついているところがある。合法的支配は、官僚制において最も純粋な形で成立すると言っているとおり、近代的な組織や社会共同体において典型的に見られるものである。したがって歴史的にみれば、最も新しい類型の支配だともいえる。これに対して伝統的な支配は、近代以前の社会において見られたものだと、とりあえずは言うことができよう。 この二者に比べると、カリスマ的支配はやや位相を異にしている。それは歴史的には最も古い起源をもちながら、古代社会にとどまらず、歴史上のあらゆる時代の社会に現れたし、ウェーバーの生きていた20世紀においても、現れる可能性は十分にあると、ウェーバー自身も考えていたに違いない。実際、ウェーバーの死後間もなく、イタリア

                                                              • カルロ・アントーニ『歴史主義から社会学へ』(1)ディルタイ - 憂愁書架

                                                                『クローチェ注釈』『歴史主義』などで知られるイタリアの思想史家、カルロ・アントーニ(1896-1959)の名著『歴史主義から社会学へ』(1940刊・1959未来社・讃井鉄男訳)には、ディルタイ、トレルチュ、マイネッケ、マックス・ヴェーバーという四人のドイツ思想家と、オランダ人ホイジンハ、スイス人ヴェルフリンについての論考が収められています。特に理由は無いのですが、その中で、ディルタイとヴェーバーについて紹介しましょう。 ヴィルヘルム・ディルタイ(1833-1911)は,神秘家と狂信家の古い故郷、ライン川下流のナッサウに改革派教会牧師の息子として生まれました。祖父も曽祖父も、分家を合わせた一族全体も聖職者という家系でした。しかし、すでに曽祖父の代から、この一族にとって神学は我慢のならないものとなっていたのです。寛容の国、オランダからほど遠くないナッサウの聖職者たちには絶対自由の感情があって、

                                                                  カルロ・アントーニ『歴史主義から社会学へ』(1)ディルタイ - 憂愁書架
                                                                • 折原浩 「ヴェーバー学のすすめ」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

                                                                  [未来社 2003年11月25日初版] 昨年末、羽入辰郎氏の「マックス・ヴェーバーの犯罪」を読んで、ここまで完膚なきまでに批判されている「プロテスタンティズムの倫理・・・」について、ヴェーバー学者はどう答えるのだろうかと思っていたら、まさにそのような本があった。ほとんど全編が羽入著の批判のために書かれている。そういう本に「ヴェーバー学のすすめ」などというタイトルをつけるとは、いい度胸である。 ところで、わたくしは大学の教養学部のときに折原氏の社会学の講義をきいている。オリエンテーションで、ある上級生が折原氏を絶賛していたのである。それによると、折原氏は全受講生の答案に個人的な感想を書いてよこすというのである。こんな熱心な教師はいないということであった。少しは馬齢を重ねた今となっては、そういうやり方はある種の鈍感さとその裏返しの愛情飢餓の現われであることを感じるが、まだ二十歳前で純真であった

                                                                    折原浩 「ヴェーバー学のすすめ」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
                                                                  • 5分でわかる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 - 旧・カスミソウの本棚

                                                                    読む前に押さえておきたいポイント ・著者 マックス・ウェーバー(1864-1920) ・国籍 ドイツ ・職種 社会学者・経済学者 ・出版年 1905年 現代における評価 社会学や経済学を学ぶ人の必読書として多くの場所で紹介されています。例えば、このあたりが有名でしょうか。東大教師が新入生にすすめる本若手行政官への推薦図書 主な日本語訳 梶山力訳(1938年)古典原文に忠実大塚久雄訳(1988年)定番多くの人に読まれている中山元訳(2010年)新訳最も読みやすい 予備知識 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読むためには、キリスト教についての知識が必要になります。まずは、下記の内容を上から順に確認してみて下さい。 【 5分でわかる『ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の関係』 】 【 5分でわかる『創世記』 】 【 5分でわかる『旧約聖書』 】 【 5分でわかる『新約聖書』 】 【

                                                                    • not found

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                                                                        夕食は妻と近所のカレー屋へ。ちょっと食べすぎた。 羽入辰郎氏の「マックス・ヴェーバーの犯罪」は、ヴェーバーがプロ倫で犯していた不誠実な資料改竄を暴露して「ウェーバー学界」に激震をもたらしたが、それに対して折原浩氏がヴェーバーを擁護する立場で出したもの(の一冊)が前者、それに羽入氏が反批判(返り討ち)したものが後者である。 両者を読み比べてみて、折原氏にも一理程度はあるにせよ、全体としての印象では、羽入氏の立論の正当性が裏付けられたと私は思う。語学力や、資料の読み込み方に代表される学問の作法について、羽入氏の方が数段優れており、それに対して折原氏は、無理な「詭弁」を弄して強弁するだけだ。しかも、羽入氏の博士号を、東大文学部に圧力をかけて、撤回させようとしたと言うのだから、何をか言わんやである。 ウェーバーが犯罪者、詐欺師とまで言うのは言いすぎかもしれない。だが、相当にズルイ方法で自説を主張し

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                                                                        1