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エクリチュールの検索結果1 - 40 件 / 71件

  • 映画を倍速で見ることのなにがわるいのか|obakeweb

    以下は2020年3月に書いたまま放置していたドラフトだ。ちょうど『現代ビジネス』で同じ話題を扱った記事がバズっていたので、この機に多少手を加え、成仏させておく。 上の記事で問題視されている「「10秒飛ばし」で観る」「1.5倍速で観る」のうち、私は後者のみを擁護するつもりだ。「10秒飛ばし」を含む鑑賞は、あとで論じる「回復可能な鑑賞」に該当しないと考えられる点で、私にとっても「わるい」鑑賞である。よってそちらは問題とせず、倍速鑑賞のみを問題とする。 また、上の記事はこれら不適切な鑑賞がはびこっている原因に関して「①作品が多すぎること」「②コスパが求められていること」などを指摘しているが、社会的な風潮の分析も本稿の関心事ではない。本稿が問題とするのは、「映画を倍速で見ることのなにがわるいのか」という美学的問いのみである。 ―――――――――― 映画を倍速で見ることのなにがわるいのか タイトルは

      映画を倍速で見ることのなにがわるいのか|obakeweb
    • 社会が非モテ論壇に追い付いてきた(という不幸) - シロクマの屑籠

      恋心すらセクハラ…若い男性が抱える「新しい生きづらさ」(清田 隆之) | FRaU 若い男性が恋心を持つのは簡単ではない、ハラスメントに相当するような恋心を抑えながら恋心を持つのは難事業になっている、といった内容のウェブ記事を見かけた。 サークル内の女性への親切さから恋心を持つことがあったとして、それは下心あるセクハラとみなされるのか、そうでないのか。これは、当該男女のコンテキストによっても解釈者の考え方によっても色々だろうが、文中のSさんは繊細なリテラシーに基づいて、自分の振る舞いはセクハラに相当したと悩み、後悔していた。続いて紹介されるMさんも、男性の加害者性を自覚するにつれて自己矛盾に陥り相当悩んでいる様子だった。 このSさんやMさんほど悩んだり自己嫌悪に陥ったりしている男性はまだ珍しいかもしれないとしても、男性が女性に声をかけるということ、男性と女性のコミュニケーションで気を遣う感

        社会が非モテ論壇に追い付いてきた(という不幸) - シロクマの屑籠
      • 1981年に坂本龍一が選んだ140冊の本

        先日TwitterのTLを眺めていたら、1981年に当時29歳の坂本龍一がおすすめの本140冊を選出しているチラシの画像を見つけました。どうやら紀伊國屋書店による企画だったようです。 「坂本龍一が選んだ。坂本龍一の世界が見えた。The 龍一 BOOK HUNTING」と題されたこのチラシは、残念ながら誤字脱字があったり、分野別に整理されておらず見にくかったり、40年後の今日から見ると書誌情報の追加が必要だったりと難点があるので、これらの不備を補完してみました。 案外に詩集が多いことと数学書が含まれていることが興味深いですね。 「坂本龍一が選んだ。坂本龍一の世界が見えた。The 龍一 BOOK HUNTING」 【音楽】 柴田南雄『楽のない話——柴田南雄自選著作集』、全音楽譜出版社、1976年。 柴田南雄『音楽の骸骨のはなし——日本民謡と12音音楽の理論』、音楽之友社、1978年。 高橋悠治

          1981年に坂本龍一が選んだ140冊の本
        • 世界文学を100ヶ国分読んでみた【全100冊紹介】 - ゴミ本なんてない

          元々読書好きを自称してはいたものの、なんだかんだいって結局読んでいるのは欧米や日本人作家の作品ばかり…。そんな折にこの、世界各国の代表的な小説を一年で196冊読んだ方の記事が目に飛び込んできて、早速自分もやってみようと決意したのが2016年初頭。それからちょこちょこ特定の国の本を探しては、読み進める事丸三年!ようやく100冊読み終える事ができました。まさかここまで時間がかかるとは思っていなかったものの、海外文学の造詣を深めるとびきり良い機会になりました。ひとところに居ながらにして、ここまで自分の世界が拡がるとは思わなかったなぁ。 読んだ世界の小説100冊 今回の試みでは、各国に所縁のある作家の作品を読み、あらすじと感想を地域順に並べています。そのため、舞台が必ずしもその国に設定されているとは限りません(例えば、ポーランド出身の記者が描いたアフリカのルポ作品は「ポーランド」に分類)。この方が

            世界文学を100ヶ国分読んでみた【全100冊紹介】 - ゴミ本なんてない
          • 「聴かずぎらいのための吹奏楽入門」を切っ掛けに考えた幾つかの物事について|石塚潤一

            「聴かずぎらいのための吹奏楽入門」(漆畑奈月、小室敬幸)を読了。吹奏楽というガラパゴス化した世界を外の聴衆へと啓く、といった意気込みのようなのだが、終始、ガラパゴスの論理と言葉とでつづられた対談、というのが正直なところ。なぜ、ここまで吹奏楽コンクールを軸に展開しなくてはならないのか。 日本の吹奏楽界がコンクール(全日本吹奏楽コンクール)を軸に回っていることは論を俟たない。子供(≒未成年、くらいのつもりだが)というものは社会的な尺度をもたず、それゆえに、よほど老成でもしていない限り自分を客観的に見定める方法を知らない(「中二病」なんて言葉が生まれるゆえだ)。よって、自分を褒めることも叱ることもできない彼らは、人からの評価を何より欲するもので、実際、大人が思う以上に競争好きだ。それゆえに、吹奏楽の場合、コンクールで審査員という権威に、金賞・銀賞といった賞を以って承認してもらいたいと思うのだろう

              「聴かずぎらいのための吹奏楽入門」を切っ掛けに考えた幾つかの物事について|石塚潤一
            • diffとしての表現、あるいはほぼあらゆる (人間的な) 価値は、逸脱である - 山形浩生の「経済のトリセツ」

              Executive Summary 多くのものはいまや、価値が本来の機能ではなく、それ以外の本来の機能との差分/diffに宿るようになっている。酒はもともとアルコールの酩酊感のためのものだが、いまやアルコール以外の不純物がお酒の味の主役になっている。食事は栄養摂取が本来の機能だが、グルメ料理はそれを離れ、単なる舌や感覚への刺激だけを重視するようになっている。 今後、そうした部分が増えるのではないか。車もバイクも、「味わい」とされるのはニュートラルな移動機能から逸脱した歪み。いずれ、そうした部分だけソフトウェアなどで再現されてそれだけが分離されて取引され、その土台となるハード/本来の機能部分はコモディティ化してどんどん低価格化する世界がやってくるのではないか? ジャクソン・ポロックなどある種の芸術は、いちはやくそうした diff だけの世界を予見しているようでもある。 かなり前から考えている

                diffとしての表現、あるいはほぼあらゆる (人間的な) 価値は、逸脱である - 山形浩生の「経済のトリセツ」
              • 国会図書館デジタルコレクション個人送信サービスで読めるフランス現代思想|MasakiUeta

                人類学篇が人気だったので、たぶん求められているだろう──いや、作成者自身が求めている──フランス現代思想版をつくりました。例により作成者は専門家ではありません。またおそらく漏れているひともたくさんいます(特に1900年以前に生まれたひとは適当)。なにとぞご了承ください。 2024年6月1日 植田将暉 (6月5日更新) アンソロジーJ.デリダ ほか著 ほか『現代フランス哲学12講』,青土社,1986.10. 〔レヴィ゠ストロース、フーコー、バルトとの対話〕レーモン・ベルール 著 ほか『構造主義との対話』,日本ブリタニカ,1980.2. ジャン=ルイ・ド・ランビュール 編 ほか『作家の仕事部屋』,中央公論社,1979.5. 1900年代以前の生まれガブリエル・タルド(1843–1904)タルド 著 ほか『タルドの社会学原理』,岩波書店,1923. ガブリエル・タルド 著 ほか『模倣の法則』,而

                  国会図書館デジタルコレクション個人送信サービスで読めるフランス現代思想|MasakiUeta
                • みすず書房75年の本 | みすず書房

                  敗戦からまもない1945年12月、「新しい出版社をやろう」と設立発起人となった山崎六郎(1889年生)・清水丈男(1902年生)・小尾俊人(1922年生)の三名は、1946年3月、焼け野原の日本橋の一角に事務所を設け社名を「美篶(みすず)書房」とし、若い小尾を中心に「まず紙、印刷と製本の設備、それからお金、そして企画」、と動き出した。みすず書房の歴史はそこから始まる。 それから数えて2021年で75年。1946年7月刊行の第一作、片山敏彦『詩心の風光』に始まり、これまで世におくった本の点数は、今年2021年2月には5000点を超えた。 総点数5000点余のうち、現在在庫のある本は約1700点。一年に数冊程度のものから『夜と霧』のように毎月1000冊以上動いているものまで、在庫といっても広い幅はあるが、75年間に刊行した本の三分の一以上が、いまも元気に読者の手許にわたっている。 出版した本が

                    みすず書房75年の本 | みすず書房
                  • 木澤佐登志の書評 『次の東京オリンピックが来てしまう前に』(菊地成孔 著) | SUB-ROSA

                    決して訪れることのなかった未来。今後「TOKYO 2020」は、日本における「失われた未来」を象徴する概念となるのだろうか。音楽ジャンルのひとつ、ヴェイパーウェイヴの語源とされる「Vaporware」なる言葉は、発売が発表されたものの結局完成せず開発中止になったソフトウェアやハードウェアのプロジェクトのことを指す。政府のオリンピック主導者は、無観客を視野に入れた上で、なお強行する構えを崩そうとしない。もしそうなれば、四年に一度の祭典は、国家が制作するグロテスクなヴェイパーウェイヴとなるであろう。 菊地成孔『次の東京オリンピックが来てしまう前に』(平凡社)は、はからずも東京オリンピックに対するレクイエム(追悼文)となってしまったかのようだ。さすがは「レクイエムの名手」たる氏の面目躍如、といったところだろうか。次の東京オリンピックが来る気配は未だにない。 仮にも書評とされる場で自分語りをするの

                      木澤佐登志の書評 『次の東京オリンピックが来てしまう前に』(菊地成孔 著) | SUB-ROSA
                    • 20世紀の倫理-ニーチェ、オルテガ、カミュ - 内田樹の研究室

                      『ペスト』がいきなり売れ出したということで、集英社の伊藤さんからカミュ論の旧稿をウェブに上げたいという提案を頂いたけれど、これがとてもそのままではお目にかけられるようなクオリティではない。その時にHDの筐底から「こんなもの」が出て来た。たぶん1995年くらいに大学のリレー講義の一部で、「20世紀の倫理」というのを3回くらい担当したことがあって、その時に作ったノートである。そのあと大学の紀要に載せたのだけれど、単行本には採録されていないと思う。カミュ論の部分はのちに改稿して『ためらいの倫理学』という論文になって、同名の論集に収録されている。前半の「倫理についての思想史的概説」は学生向けに書いたので、たいへんにわかりやすい。 1・倫理なき時代の倫理 神戸の小学生殺人事件のあと、あるトーク番組で「なぜ人を殺してはいけないんですか?」と発言した中学生がいて、物議をかもしたことがあった。おそらく、彼

                      • 毎日10本「死にたい」電話がかかってくる時代に、芸術は何ができるのか?坂口恭平×マヒトゥ・ザ・ピーポー対談|FINDERS

                        CULTURE | 2020/01/27 毎日10本「死にたい」電話がかかってくる時代に、芸術は何ができるのか?坂口恭平×マヒトゥ・ザ・ピーポー対談 坂口恭平さん(写真左)とマヒトゥ・ザ・ピーポーさん(写真右) 2019年12月27日に、梅田 蔦屋書店で坂口恭平さんと... 坂口恭平さん(写真左)とマヒトゥ・ザ・ピーポーさん(写真右) 2019年12月27日に、梅田 蔦屋書店で坂口恭平さんとマヒトゥ・ザ・ピーポーさんの対談が行われた。 今回、坂口さんの新著『まとまらない人 坂口恭平が語る坂口恭平』(リトルモア)、マヒトゥさんの初小説『銀河で一番静かな革命』(幻冬舎)の刊行記念としてセッティングされたこの対談。この2人はどちらも今の日本で最も独創的な「コミュニティづくり」を実践するアーティストだ。 坂口さんは、路上生活者の暮らしに着目したデビュー作『0円ハウス』から一貫して、資本主義社会の「

                          毎日10本「死にたい」電話がかかってくる時代に、芸術は何ができるのか?坂口恭平×マヒトゥ・ザ・ピーポー対談|FINDERS
                        • ちくま学芸文庫刊行書目一覧 最新版|かるめら

                          2024年6月30日時点での既刊のちくま学芸文庫全2,053点(セット版を除く)をあげた。 文庫の整理番号順に従って表記(一部変更あり)した。 「♾️」マークはMath&Scienceシリーズ(青背)を示す。 人名表記の揺れ(例「シモーヌ・ヴェイユ」と「シモーヌ・ヴェーユ」)は訳者に従い、統一はせずそのままにした。 編者、訳者は一部を除き割愛し、編著者が3人以上に及ぶ場合は代表者1人の名前のみ記した。 Math&Scienceシリーズのみの刊行書目一覧はこちら。 浅田彰『ヘルメスの音楽』 赤坂憲雄『異人論序説』 赤坂憲雄『王と天皇』 赤坂憲雄『排除の現象学』 赤坂憲雄『遠野/物語考』 赤坂憲雄『象徴天皇という物語』 赤坂憲雄『柳田国男を読む』 天沢退二郎『宮沢賢治の彼方へ』 飛鳥井雅道『明治大帝』 E・アウエルバッハ『ミメーシス[上] ヨーロッパ文学における現実描写』 E・アウエルバッハ『

                            ちくま学芸文庫刊行書目一覧 最新版|かるめら
                          • 分析美学者から見たポストモダニズム|obakeweb

                            こんにちは、ポストモダンおちょくる芸人です。 分析vs大陸のいがみ合いが三度の飯より好きなのですが、ラウトレッジ・美学コンパニオンに「ポストモダニズム(postmodernism)」の項目があったのでかんたんに紹介。 書いているのはDavid Novitzという南アフリカ出身の美学者。描写の哲学やフィクション論で注目すべき仕事をしていた人だが、がんで若くして亡くなっている。 後で述べる通り、そこまで情報量のある論文ではないですが、英語圏の哲学・美学において、フレンチ・セオリーやポストモダニズムがどう扱われているのか関心があったため、読んでみました。 以下レジュメ。 ----------✂---------- 1.ざっくりした歴史■啓蒙思想と近代哲学(16〜17世紀) 王、教会、封建制、貴族制が支配する中世から、個人の理性が重視される近代へ。 数学や論理や実証を通して、誰でも世界について正し

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                            • 菊地成孔×森直人が語る、映画批評のスタンス 「湧いてくる悪文のリズムには忠実でありたい」

                              音楽家/文筆家の菊地成孔が映画批評書『菊地成孔の映画関税撤廃』を刊行したことを受けて、2月9日に東京・BOOK LAB TOKYOにて、映画評論家の森直人をゲストに迎えたトークイベントが開催された。自身3冊目の映画批評書となる本書の執筆の裏話や、批評についての考え方、そしてトークショー翌日に授賞式を控えた第92回アカデミー賞の話題についてまで話は及んだ。(編集部) 菊地成孔『菊地成孔の映画関税撤廃』 森直人(以下、森):『ユングのサウンドトラック 菊地成孔の映画と映画音楽の本』が2010年ですよね。前作の『菊地成孔の欧米休憩タイム』が17年だから、『菊地成孔の映画関税撤廃』は2年半ぶり。比較的早いスパンでした。 菊地成孔(以下、菊地):2015年にリアルサウンド映画部で欧米圏以外の映画、特に韓国映画を中心に取り上げて批評する連載が始まって、それが『欧米休憩タイム』になった。韓流熱がエボラの

                                菊地成孔×森直人が語る、映画批評のスタンス 「湧いてくる悪文のリズムには忠実でありたい」
                              • 「読む」とは哲学的にいかなることなのか?(デリダ『グラマトロジーについて』読書会の終わりに)|森脇透青

                                ※ 一年近くかけて実施した読書会が先日(2021.8.28)終了した。対象図書はジャック・デリダ『グラマトロジーについて』(1967年)。以下は、その読書会の締めくくりとして、最終回で読み上げた文章を一部加筆修正したものである。投げ銭用に有料設定してあるが、無料で全文読める。なお、その途中過程でもいくつかのまとめやエッセイを書いているので、お手隙の際にでもお読みいただきたい。 ———————— この読書会のテーマは「読むこと」であった。「グラマトロジー」とは、リトレ辞典によると「文字、アルファベット、音節区分、読むこと(レクチュール)と書くこと(エクリチュール)についての概論」である。以下では、デリダの議論から——それ自体「読む」ことによって——引き出されたいくつかのアイディアをテーマに即して、簡素な仕方ではあるが整序しておこう。 (なお、デリダは私の研究対象ではあるが、この文章自体は「デ

                                  「読む」とは哲学的にいかなることなのか?(デリダ『グラマトロジーについて』読書会の終わりに)|森脇透青
                                • 21/9/5 白上フブキは存在し、かつ、狐であるのか:Vtuberの存在論と意味論 - LWのサイゼリヤ

                                  前置き これはもともとVtuber批評同人誌への寄稿を依頼されて書いたのですが、ちょうど書き上げたあたりで主催者と連絡が取れなくなって死蔵されていた文章です。音信不通から半年経ったので「まあもういいか」ということでブログにそのまま掲載します。 4万字以上あってクソ長いですが、要するに「Vtuberから演者を取り払って自律した美少女キャラクターとして見る可能性」について分析哲学の知見を援用して延々と語っています。僕はVtuberの演者にはほとんど興味が無くてVtuber批評で主流(?)の「ペルソナ」「魂とガワ」「ロールプレイ」みたいな演者を前提としたジャーゴンにあまりノれず、むしろそういうものを完全にオミットしたキャラクター論を立てたかったというモチベーションがあります。 内容はそこそこ哲学的ですが知らない人でも読めるように結構丁寧に解説を書いているので普通に読めると思います。白上フブキにつ

                                    21/9/5 白上フブキは存在し、かつ、狐であるのか:Vtuberの存在論と意味論 - LWのサイゼリヤ
                                  • 大江健三郎詳細年譜 - jun-jun1965の日記

                                    1850年 曾祖父・八三郎生まれる。 1855年(安政2)内ノ子騒動 1866年(慶應2)奥福騒動 1894年(明治27)父・好太郎生まれる。祖母はフデ。 1902年(明治35)母・小石生まれる。 1914年(大正3)20歳の父と12歳の母が結婚。 1919年(大正8)祖父この頃死ぬ。数え五十歳。 1923年( 12) 姉・一生まれる。 1924年4月24日、好太郎、明智新六らと大瀬革進会を結成、総選挙で窪田文三を応援と決定する。(史料愛媛労働運動史4巻、124p、愛媛新報) 1929年(昭和4)長兄・昭太郎生まれる。 ? 次兄・清信生まれる。 1933年、姉・重子が生まれる。 5月15日、伊丹十三(池内義弘)生まれる。 1935年1月31日 愛媛県喜多郡大瀬村に生まれる。父は大江好太郎、母は小石。長兄・昭太郎(燃料商、歌人)、次兄・清信。姉二人、弟・征四郎、妹一人。父は製紙原料商で、ミツ

                                      大江健三郎詳細年譜 - jun-jun1965の日記
                                    • 源氏物語の各種現代語訳について|finalvent

                                      源氏物語の各種現代語訳について少し言及しておきたい。その前に、というか、前提ともなるのだが、源氏物語原文主義というか、源氏物語は原文で読むから味わい深いのであって、現代語訳はその劣化コピーか二次作品である的な立場がある。島内景二先生も『源氏物語ものがたり』でどの現代語訳もなじまないふうに述べているが、先生自身の『新訳 うたたね』はご自身の別の場でのコメントにもあるように、アーサー・ウェイリーの影響はあるだろう。同書では、原文との対応はあえて取れない(なので、私は別途直訳も試みているが)。 こうした原文主義は西洋文学についてもいえて、英語仏語ドイツ語など原文がよいという考え方である。 こうした文脈での原文主義は私は無意味だと思う。好きな人はそうすればよい。現代語訳者や翻訳者がどのような文学的な貢献をしているかという点において、原文主義の主張者がそれにまさるのは、微細な衒学趣味であることが多い

                                        源氏物語の各種現代語訳について|finalvent
                                      • 甘いお菓子と甘い香り&レシピはレモンケーキ - temahime’s blog

                                        お越しいただきありがとうございます。 春はお引越しシーズンですね。 隣の方がご迷惑をおかけしますとご夫婦でご挨拶にいらっしゃいました。 マンションでは隣の方とも顔を合わせることはほとんどなく、入居と退去の時だけというのもよくある事です。 小鳥を飼っていらしたので、さえずりが聞こえなくなると淋しいかも。 いただいたお菓子、「東京チューリップローズサンド」が美味しかったです。 最近食べた甘いお菓子をご紹介 左)東京チューリップローズサンド マカロンとサブレのマリアージュが優しい 中)銀座甘楽(かんら)のまめ大福、よもぎ餅、桜餅 豆大福は有名ですね。 右)プレスバターサンドのあまおう苺 シンプルな方が好みです。 さて、食べてみたいものありましたか? 甘い香り ハワイ大好きおじさん(id:hawaii-ojisan)の育てているプルメリアの花 一昨年は3月に開花していました。 hawaii-oji

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                                        • ハートの桜?&クルミっ子を作りました。マクロレンズ倶楽部ご紹介 - temahime’s blog

                                          お越しいただきありがとうございます。 鮮やかな紅葉がそろそろ終わりを告げて季節はもう冬。 関東に移り住んで驚いた事、冬は青くて済み切った空が多いこと。 冬の青空に真っ赤なハートの桜です。 お散歩でこぶしの芽を見つけました。 左はこぶしの芽、ふわふわの毛皮に包まれて冬を越し、3月には素敵な花を咲かせます(右は今年3月に撮った写真) www.suburin.jp くろいぬさん (id:suburikuroinu)は素振りをしながら文武両道を極めます。 最後に美味しいものを食べるのですが「美味しスイング」で「鎌倉紅谷のクルミっ子」を食べていました。 見ると食べたくなちゃって、買いに行くのは面倒なので作ってみる事にしました。 ※レシピは富澤商店さんのものです。 クルミっ子は上下のクッキー生地にヌガーを挟んだ人気のスイーツ 本物はこれ、 【レシピ】クルミっ子(富澤商店さんのレシピ) ● 材 料 <ク

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                                          • 連載 シン・アナキズム 「ねこと森政稔」第1回|本がひらく

                                            政治思想史家の重田園江さんによる好評連載「アナキスト思想家列伝」第8回! あらためて注目が集まっているアナキズム思想の現代的可能性をビシバシと伝えていく連載です。今回は3人目として日本の現役の思想家を取り上げる待望の回「ねこと森政稔」の前半です! ※これまでの各シリーズは下記よりお読みいただけます。 「序 私はいかにして心配するのをやめ、アナキストについて書くことにしたか」へ 「ジェイン・ジェイコブズ編」の第1回へ 「ヴァンダナ・シヴァ編」の第1回へ 駒場のねこたち 去年の秋のことだ。ミネルヴァ書房から本が送られてきた。送り主は森政稔。あれ、本を出すなんて聞いてないけど、と包みをビリビリ破ると、中から『猫と東大。』なる本が出てきた。「あっ、すごい」。表紙はおそらく、あとで森政稔との2ショット写真を載せるミレちゃん(現在推定14歳)だ。 この本には、ねこ好きやねこ飼いの東大の先生たちが出てき

                                              連載 シン・アナキズム 「ねこと森政稔」第1回|本がひらく
                                            • 理論への抵抗 - おしゃべり!おしゃべり!

                                              モロイ 作者:サミュエル・ベケット 発売日: 2019/05/24 メディア: 単行本 […]要するに私はたいてい闇のなかにいて、世紀のあいだに貯えてきた私の観察も、礼儀作法の土台にいたるまで私を疑わせたので、限られた空間にあってさえ、その闇はなおさら深かったのだ。しかしこんなことやその他もろもろを考えるようになったのは、もう生きるのをやめてからなのだ。崩壊の静けさのなかで、あの長きにわたる混乱した感情を思い出しているが、わが人生とはこの混乱した感情そのもので、それを私は無礼にも、神がわれわれを審判すると言われるように審判するのだ。崩壊とは人生そのものでもある、その通り、その通り、うんざりするよ、しかしなかなか全壊というところまでいくものじゃない。 (p.37) 最近は津堅信之『京アニ事件』に目を通し、開口一番「意外と世間に京アニが知られてなくて驚いた」みたいな文言、どういう寝言かとページ

                                                理論への抵抗 - おしゃべり!おしゃべり!
                                              • 異業種からWeb開発者としての生き延び

                                                現在、会社の技術横断組織のメンバー(主にフロントエンド担当)として技術支援(壁打ち的やレビュー)やエンジニアの評価制度・採用、組織を横断したエンジニアのコーチング・メンタリングなどエンジニア組織を良くするための課題解決にそこそこの裁量をもたせてもらって事業に携わらせてもらっています。 そんなことをしている私ですが、そもそも製薬業界(学位も薬学修士を修めています)から業界転職をしており、気がつけば6年ほど経っていたのと、最近は自分のキャリアについて聴かれることも増えたので一度、開発者目線で「どんなことを?どういうモチベーションで?こんなことになったんだっけ?」を少し振り返ってみようと思います。 ※1. 今の自分の視点から振り返りつつ、またカッコでたびたびツッコミを入れながら書いていきますので、文体の時系列に違和感があるかもしれませんがなるべく書いている時の自然な気持ちを大事にしたいのでご了承

                                                  異業種からWeb開発者としての生き延び
                                                • セルトー『日常的実践のポイエティーク』の注釈と研究 - cartaphilium

                                                  この文章について 本稿はわたしの学位論文「抵抗する「使用」——セルトーの〈散種〉 ミシェル・ド・セルトー『日常生活の創発性』をめぐって」の第一部(と第二部冒頭)の部分掲載です。全文はBOOTHにあります。 第一部は「はじめに」とあわせて1.8万字くらいありますがあくまで序論で、第二部と第三部が本論になっています(全体で5万字程度です)。とはいえ、第一部は『日常的実践のポイエティーク』の簡単な解説(かなり突っ込んだ議論はしていますが)になっており、これ単体でも読解のさいの助けになるのではと思います(『日常的実践のポイエティーク』を詳細に読解した文献さえ、現状数えるほどしかありませんので)。 『日常的実践のポイエティーク』は去年復刊されましたが、まあまともに読まれている気配はないですし、たとえばセルトーの議論をただの楽観論だと断じたり、セルトーのいう「戦術/戦略」をきわめて二項対立的だとするよ

                                                    セルトー『日常的実践のポイエティーク』の注釈と研究 - cartaphilium
                                                  • アニメーション的な誤配としての多重見当識― 非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに関する理論的考察[PDF]

                                                    対人性愛中心主義、性別二元論、 〈字義どおり化〉という幻想、ポルノグラフィ、パフォーマンス /アニメーション Ⅰ.背景と目的 マンガやアニメなど、いわゆる 「二次元」 の性的表現を愛好する営みについては、こ れまで 「オタク」 や 「マンガ読者」 や 「ファ ン」として研究されてきた。これに対して 近年では、 「二次元の性的表現を愛好しつ つ、生身の人間への性的惹かれを経験しな い」人々や「二次元」キャラクターのみに 性的に惹かれる人々について、セクシュア リティの観点からの議論がなされている。 こうした人々はアセクシュアルの人々と似 た仕方で周縁化される場合があり(松浦 2021a) 、またアセクシュアルをめぐる近年 の問題提起と同じく、セクシュアリティを めぐる従来の認識枠組みを問い直す視座を アニメーション的な誤配としての多重見当識 ― 非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに

                                                    • 「仕方がなかった――」万能の言葉が歪める戦争責任 九大生体解剖事件から問い直す - 石川智也|論座アーカイブ

                                                      「仕方がなかった――」万能の言葉が歪める戦争責任 九大生体解剖事件から問い直す 劇作家・古川健が描き出す「組織と個」 石川智也 朝日新聞記者 今年も8月15日がやってきた。 終戦から76年目の夏も、昨年同様コロナ禍で規模は縮小されながらも、各地で平和祈念の催しが開かれた。えも言われぬやるせなさを抱いてしまうのは、老齢に達した語り部たちの、自分たちが最後の証言者になるであろうという切実な覚悟とは対照的な、原稿読み飛ばしや式典遅参というこの国トップの醜態があったからではない。戦争体験談においてはいつも「加害」よりも「被害」のエクリチュールの方が圧倒的に多い、という理由だけでもない。 8月という月は、私たち日本人をどこか運命論者のようにしてしまう。一年の折り返し点は6月末のはずだが、なぜか私には、旧盆のさなかの8月15日、夏の極みのこの日こそが一年のエントロピーの頂点という気がしてならない。様々

                                                        「仕方がなかった――」万能の言葉が歪める戦争責任 九大生体解剖事件から問い直す - 石川智也|論座アーカイブ
                                                      • ド・マン、デリダと語り合った日々:私の謎 柄谷行人回想録⑪|じんぶん堂

                                                        記事:じんぶん堂企画室 ポール・ド・マン(左端)と柄谷さん(右)。中央は、作家の冥王まさ子さん。イェール大学近くのカフェの前で。「78年だと思う。同席していたデリダが撮影したんじゃないか」と柄谷さん=パトリシア・ド・マンさん提供 書籍情報はこちら ――ポール・ド・マン(1919~83)との関わりについて、もう少し聞かせてください。ド・マンは、フランスの哲学者ジャック・デリダ(1930~2004)の“脱構築”を文学批評に展開してイェール学派の中心人物としてアメリカの文学界で大きな影響力を持つようになりますが、柄谷さんが渡米した1975年時点の実感としては、どうでしたか。 柄谷 まだイェールでも知る人ぞ知る存在ですよ。アメリカ国内で知られるようになっていくのは、80年前後じゃないですかね。僕は名前も知らなかった。だから、ド・マンに認められてうれしかったというのも、彼が有名だからとか何とかいうよ

                                                          ド・マン、デリダと語り合った日々:私の謎 柄谷行人回想録⑪|じんぶん堂
                                                        • 【批評の座標 第5回】「外」へと向かい自壊する不可能な運動──絓秀実『小説的強度』を読む(韻踏み夫)|人文書院

                                                          近年のBLM(ブラック・ライヴズ・マター)からも垣間見えるように、ヒップホップと人種差別への抗議が連動する現代において、その批評や研究から出発し、『日本語ラップ名盤100』(イースト・プレス)を上梓した韻踏み夫。第5回では、現代史の転回点である一九六八年論の代表的な批評家・絓秀実を取り上げ、その主著『小説的強度』から、いま必要な理論的展開を描きだします。 批評の座標 ――批評の地勢図を引き直す 「外」へと向かい自壊する不可能な運動――絓秀実『小説的強度』を読む 韻踏み夫 「しばしば私にはヘーゲルが自明であるかのように思える。だが、この自明は担うには重い」(『有罪者』)。なぜ今日──今日においてもなお──バタイユの最良の読者たちであってさえ、ヘーゲルの自明性をいともたやすく担えるほど軽いものであるかのように考える人々の列に加えられてしまうのだろうか。(……)過小評価され軽々しく扱われたヘーゲ

                                                            【批評の座標 第5回】「外」へと向かい自壊する不可能な運動──絓秀実『小説的強度』を読む(韻踏み夫)|人文書院
                                                          • 監督の意識、キャラクターの無意識ーー『リズと青い鳥』の「わざとらしさ」について|紅茶泡海苔

                                                            この文章は、2018年の年末にZhihuで書いた『リズと青い鳥』についての中国語評論を翻訳したものであり、ここに出てくる「友人」や周りの人の「反応」は当時中国の受容状況をベースに書きました。 はじめに:キャラクターの感情、監督の感情 『リズと青い鳥』を観て、私は多くの人と同じく、この作品が映画の尺で作られたことに疑問を感じた。映画全体として、ストーリーの密度が低く、空白的であるが、そのこと自体は悪いことではない。私がもっとも疑問に感じたのは、この空白を過剰な演出で全部埋めようとする制作側の強い意思の方にある。 思春期の女の子間の細微の心の揺らぎを描くために、これだけのリソースを動員して劇場で上映させたことはやはり凄いことで、その脚本の空白を埋めるために、細微な動き描写でキャラクターの心情を表現することに長けている山田尚子監督に任せたのは、確かにひとつの正解だと思う。 出来上がった映像を見れ

                                                              監督の意識、キャラクターの無意識ーー『リズと青い鳥』の「わざとらしさ」について|紅茶泡海苔
                                                            • DDDとロラン・バルト

                                                              昨年(2021年)12/16に増田亨さん主催のイベント「エヴァンス本のススメ」に参加した際、エヴァンス本の読み方と絡めてロラン・バルトの「エクリチュール」概念を紹介したのですが、あまりに唐突でちょっと喋っただけでは伝わらなかったろうなと思うので改めて記事にまとめたいと思います。 ここではタイトルに「DDDと…」としていますが、本質的にはエヴァンス本や他の技術書籍に限らず、より広くプログラミングやソフトウェアの書き方とロラン・バルトの『零度のエクリチュール』についての話です。 TL;DR 技術書やプログラミングを、言語、プログラミングスタイル、そして指導的設計思想(=エクリチュール)の3つのレイヤーに意識しながら読んでみましょう。 エヴァンス本のDDDでは、Smalltalk的なメッセージパッシングによるオブジェクト指向が指導的設計思想として背景にあります。 是非はともかく、そうした設計思想

                                                                DDDとロラン・バルト
                                                              • 千葉雅也 著『現代思想入門』より。別に飲みに行きたきゃ行けばいいじゃん。 - 田舎教師ときどき都会教師

                                                                ここでデリダに戻ってみます。 一方で、二項対立を組み立てることでひとつの意味を固定しようとするのが常識的思考です。たとえば「大人は優柔不断であってはいけない」といったもの。そこでは暗に子供的なあり方や、決断が揺らぐことが排除されています。そこに揺さぶりをかけると、「いや、別に優柔不断でもいい」、「必ずしも強い決断をすることがプラスとは限らない」といったことが出てくる。そういう揺さぶりをかけるのが脱構築的思考なのでした。 (千葉雅也『現代思想入門』講談社現代新書、2022) こんばんは。授業でコラボしている大学の先生が、学期早々に「知り合いにパリ五輪で金メダルをとった選手が何人かいるんですが、今度連れて行ってもいいですか。ただ単に子どもと保護者と先生に金メダルをかけて写真を撮りたいだけです」って、そういう揺さぶりをかけてきて、 脱構築的に楽しい。 意味のわからないことをしようというのが、前々

                                                                  千葉雅也 著『現代思想入門』より。別に飲みに行きたきゃ行けばいいじゃん。 - 田舎教師ときどき都会教師
                                                                • バナナレーズンマフィン - 甘いもん研

                                                                  娘が「なんでもかんでも…」と言う。 私のせいだ。たまに言ってしまう。若い人は言わないのだろうな。すまぬ、娘よ。 じいじとかは、 「いかんせん」「ズック」「アベック」とか言う。いろんな世代がいていいのかな? 雨だしバナナがあるし、今日はマフィンを作った。レタスクラブのレシピで材料と分量を変えて。 バナナ1本を潰して、レーズン(適当)とてんさい糖40gと塩少々混ぜ、玉子1個と牛乳32g、溶かしバター68gを入れ混ぜる。アーモンドプードル60gと薄力粉90gを振り入れてさっくり混ぜる。 180度で21分。 案の定膨らまない。 膨らまなくたってまあまあ美味しい。バナナもレーズンもあまり好きじゃないので食べたくはないが。 今回から薄力粉を特宝笠からエクリチュールに変えてみた。味の違いがわかる自信は無い。 特宝笠はアメリカ小麦で、軽い感じに仕上げるスポンジ系に向いてるらしい。キメが細かいので、ふるい器

                                                                    バナナレーズンマフィン - 甘いもん研
                                                                  • 同人音声・ASMR・ボイロAV等における視覚と聴覚の(再)結合について - おしゃべり!おしゃべり!

                                                                    このブログを言文一致で「私」を主語に書いてきた理由は様々あります。第一に、哲学書の翻訳概念が社会的かつ歴史的に負った権威性と思弁性を、現代の主体の問題に軟着陸させるための便宜。第二に、悪趣味にせめてもの責任を負わせる遂行的発話の含意。第三に、Twitterを拒絶して「反時代的」に生きた過去への深い自己愛。第四に、人と会話したり短文で物を書く機会が少なく、他の書き方を忘れてしまったという事情です。 趣味としては楽しんできたのですが、時間をかけてこだわった重い文章を書きすぎたようで、やばいやつかと人に怖がられることが最近多く、そろそろ方法を変えるべきかと判断されました。一見して感受されるような主体のやばさなど、二一世紀世界のやばさを記述した際に発生する副次的な効果にすぎず、自分を大きく見せて人を威圧したいわけではないためです。 実際、旧年に人生初の配信をした際も、普通に喋ったつもりが何か辛そう

                                                                      同人音声・ASMR・ボイロAV等における視覚と聴覚の(再)結合について - おしゃべり!おしゃべり!
                                                                    • なぜ本を大切にしてはいけないか - illegal function call in 1980s

                                                                      お前らって本という物体に対してだけ異常に過保護じゃない? そもそもは、「もの」と「こと」の対立に遡ります。対立というか、「もの」のほうが(おそらく)より古くて、遥か遠い昔に、《「もの」世界から「こと」世界の引き離しが起きた》といわれます。ただしこれは実証主義的な歴史学の話ではなく、どちらかといえば、「方法としての古語」や文学史観に近い話です。その上で、《》に記したようなことは、大野晋、福田和也、亀井勝一郎、三島由紀夫などが、それこそ「もののはずみに」控えめに口にしています。 日本の歴史を振り返ってみると、「もの」と「こと」の対立は、仏教公伝(6世紀前半から半ば)に相前後する、廃仏派(物部、中臣)と受容派(蘇我)というかたちがもっとも古い表れでしょう。 いまさらっと僕は物部、モノノベと書きましたが、「へ」「ベ」というのは、古い日本語で「そのあたり」という場所を表す名詞か接尾辞らしいです。それ

                                                                        なぜ本を大切にしてはいけないか - illegal function call in 1980s
                                                                      • 言語の束縛と自由――デリダ『有限責任会社』を読んだ感想を兼ねて|山口尚

                                                                        『有限責任会社』(高橋他訳、法政大学出版局)を読んだ感想をノートに書き留めておきます。この本はデリダ‐サール論争におけるデリダ側の論考を収めたものです。 この翻訳書の「起源」を特定することはいささか困難で、底本はフランスの出版社GaliléeからのLimited Inc.ですが、そもそもこの本自体が英語交じりの破格なものであり、単純に「フランス語の書物を日本語に訳した」と言うことができません。加えてデリダ‐サール論争はもっぱら英語で繰り広げられており、さらにLimited Inc.は英語版(Northwestern University Press)の方がフランス語版よりも先に出版されています(前者は1988年、後者は1990年出版)。というわけで訳者たちは、英語版を参考にしつつ、フランス語版を日本語へ翻訳するという作業に取り組むわけです。ここでデリダが翻訳に関して独特な見解をもっていたこ

                                                                          言語の束縛と自由――デリダ『有限責任会社』を読んだ感想を兼ねて|山口尚
                                                                        • 『アーカイブの思想』の書評

                                                                          今年の1月に刊行された『アーカイブの思想』はおかげ様で多くの読者を得つつある。あえてタイトルに「図書館」を入れないで出版してもらったことで版元には心配を掛けたが、それ自体は杞憂に終わった。確かに「図書館市場」というのがあって、そこに焦点を当てれば一定の部数が捌けるのだろうが、今回はこちらの我が侭を通させてもらった。4月に増刷されて当初の目標の販売部数は確保できたものと思う。 最初に、『週刊読書人』4月9日号に掲載された、「アーカイブと図書館を知り、よりよく活かす 対談=根本彰・田村俊作『アーカイブの思想』(みすず書房)刊行を機に」を紹介しておく。 https://dokushojin.com/reading.html?id=8084 田村俊作さんは慶應の図書館情報学専攻にずっとおられた方で辞められた後に、私が入れ替わりで入った経緯がある。その意味で互いによく分かっている者同士の話し合いとい

                                                                          • 森見、鴨川、マリオにくるり。ヨーロッパ企画の京都界隈を巻き込む快進“劇”! - イーアイデム「ジモコロ」

                                                                            いま劇が面白い! 劇の時代! 劇的に劇! と、最近、劇に熱くなっている編集者、藤本智士です。こんにちは。 どうしてこんなにも、みなさんに檄(劇)を飛ばしているかというとですね。僕は20年ほど、「ヨーロッパ企画」という劇団にハマり続けていまして、その結果、ようやくわかったんです。 「劇」こそ、最強のクリエイティブだ! と。 そこでいま演劇界をおおいに沸かせている劇団、ヨーロッパ企画の代表で劇作家・上田誠さんのインタビューをお届けしたいと思います。 ヨーロッパ企画HPより 代表作『サマータイムマシン・ブルース』(2005年)、『曲がれ!スプーン』(2009年)が本広克行監督によって映画化されたと思えば、 ヨーロッパ企画自ら手がけた初の長編映画『ドロステのはてで僕ら』(2020年)は、世界各国45の映画祭で上映され、23の賞を受賞。満を持しての長編映画第2弾『リバー、流れないでよ』(2023年)

                                                                              森見、鴨川、マリオにくるり。ヨーロッパ企画の京都界隈を巻き込む快進“劇”! - イーアイデム「ジモコロ」
                                                                            • 批評の練習帳 松浦寿輝『明治の表象空間』について

                                                                              松浦寿輝『明治の表象空間』が岩波現代文庫で上中下三巻本として収録されたので、この機会に再読してみた。この本は初版が2014年に新潮社から出ているが、当時私はこの本のタイトルに付せられた「明治」という時代区分に引っかかって、あまりきちんと読めなかった。前半疑似フーコー的(?) 表象分析(というわりには唐突な取ってつけたような国家権力への大文字的な批判が随所に入ってきてむしろ反フーコー的)が続いたと思ったら、後半は透谷・一葉・露伴の話になって、それ以後の近代文学を全否定する。その構えは勇ましいが、私にはそれが日本文学の本質的な問題を回避しているように見えた。今回読み直してみて、細部でいろいろ面白いことを書いているのが分かって少し見直したが、同時に私の違和感の根本的なところが見えた気がしたので、その点について書き留めておく。 すなわち松浦はこの本の最初の方で、明治維新は「横」(「横議」「横行」「

                                                                              • 『冤罪と人類』精密な世界模型たる迷宮(ラビリンス) - HONZ

                                                                                まずは著者の紹介からはじめよう。 管賀江留郎氏は在野の研究者にして著述家である。長年、ウェブで「少年犯罪データベース」を主宰し、また2007年には、そこに集積された資料に基づいて『戦前の少年犯罪』(築地書館)を上梓した。 この本に盛り込まれた内容は、少年犯罪の“増加”や“凶悪化”に心を痛め、その元凶として、現代の薄情な潮勢から時代の風俗の病理、果ては戦後日本人の堕落までを論おうとする人々にとって、さだめし衝撃的であったに違いない。 「戦前」には、子の親殺し、小学生による殺人、未成年者の「動機のみえない」異常犯罪や幼女レイプが多発し、キレ易い子供の暴力も日常茶飯事だった……。 『戦前の少年犯罪』はひたぶるにありのままの事実を突き付けた。私達が忘却していただけなのである。忘れ易い私達は、例えば「戦前」の新聞を「何紙か読むだけで年に30件や40件の親殺し記事を見つけることができ」るのに、記録を共

                                                                                  『冤罪と人類』精密な世界模型たる迷宮(ラビリンス) - HONZ
                                                                                • ブリコラージュという概念について

                                                                                  ブリコラージュとは、寄せ集めでなにかを造ったり (間に合わせの)修繕といういみで、繕(つくろ)う、誤魔化すというフランス語のブリコルール(bricoler)に由来する。レヴィ=ストロースは『野 生の思考』( La Pensée sauvage, 1962)において、「未開人」でも我々(=非未開人の意味だろう)でも、日常生活のなかで、さまざまな間に合わせ細工をもって実践にをもって世界に対応 しているさまを指摘し、そこに着目することの重要性を指摘した。 「実際に彼は自然/文化という対立の価値に異議を唱 え続ける。『基本構造』から十三経過したのち、『野生の思考』は、いま私が引用したテクストに忠実れわれがこだわった自然と文化の対立が今日においてわれ われに対してもつ価値とは、とりわけなものであるように思える」。そして、この方法論的価値は、その「存在論的」な——と、ここではこうした概念に疑念を 表明