江戸時代の法令というのは発布と実行の間にかなり大きな懸隔があり、これを考慮に入れないと、物事の実像をとんでもなく読み違う。 なにせ、「三日法度」なんて用語までもが罷り通っていたほどだ。 寛政年間の奇談集、『梅翁随筆』にちょうどこの言葉が使われている。江戸が繁盛するにつれ、道路事情にもいろいろ問題が起きてきた。牛車、小荷駄馬、大八車に代表される、「乗り物」による衝突事故の激増である。 交通量の増加が導く、必然の結果といっていい。 新たな統制の必要性を感じた幕府は、さっそくこのような触書を出した。曰く、「各車は十間づゝも間を置き、小荷駄馬は二疋続引に致すべし」と。 発想自体は当を得ている。車間距離の十分な確保が事故防止に繋がるというのは万古不易の哲理であろう。 が、エンジンも積んでいないのに、十間――二十メートル弱というのは少しばかり広すぎた。せっかちな江戸っ子気質も手伝い、不満悪口の類が続出