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渡辺京二の検索結果1 - 8 件 / 8件

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渡辺京二に関するエントリは8件あります。 訃報思想歴史 などが関連タグです。 人気エントリには 『<速報>日本近代史家の渡辺京二さん死去、92歳|熊本日日新聞社』などがあります。
  • <速報>日本近代史家の渡辺京二さん死去、92歳|熊本日日新聞社

    熊本市在住の日本近代史家で、作家の故石牟礼道子さんを編集者として支えた渡辺京二さんが25日、死去した。92歳。京都市出身。代表作「逝きし世の面影」や「黒船前夜」、「バテレンの世紀」など近代を問う著作で知られる。石牟礼さんと共に水俣病患者の支援組織「水俣病を告発する会」の結成にも関わり、「熊本風土記」や「暗河[くらごう]」、「炎の眼」などさまざまな雑誌を刊行してきた。本紙で昨年4月から週1回、大型評論「小さきものの近代」を連載している。

      <速報>日本近代史家の渡辺京二さん死去、92歳|熊本日日新聞社
    • 「おりる」ということ――渡辺京二の方法意識について - king-biscuit WORKS

      ――ひとりひとりの個の生は、こういう私化された小さな小宇宙の複合体であり、その複合体を鞏固な統一物と見せかけているものがもろもろの文化的観念的構築なのである。そして思想とは文学とはつねに、個的な日常の規定から、そのうえにそびえ立つ文化的観念的構築を批判するいとなみである。*1 ――もちろん、思想的抽象の一定レベルでは、このような〈地方〉をサイクルとする一生も、〈都〉で過される現代風な勤め人の一生も、その包含する意味は全く等価でしかない。だが、少なくともここには視圏にかかわる想像力の問題が生じるはずである。陸を走る動物と海にひそむ生きものとが、世界をおなじふうに見ているはずがないように、都で一生を過す人間と、田舎で一生を終える人間に、世界がおなじものに見えているはずはない。 *2 ――闇から闇に流れる流星のような人生もあれば、いつ生まれ死んだともわからぬ苔のような人生もある。 *3 ● “最

        「おりる」ということ――渡辺京二の方法意識について - king-biscuit WORKS
      • 渡辺京二と上野昂志、「思想史的知性」と主体の毅然 - king-biscuit WORKS

        ● 渡辺京二が、亡くなりました。敬称や敬語の類を使うのはこういう場合、自分としては理路の調律にさわるところがあるので、敢えてそれらは割愛します。 渡辺京二とは、「最後の人」でした。これは、自分が勤めていた大学で、彼が晩年、全国区の固有名詞として知られるようになるきっかけとなったあの『逝きし世の面影』を学生若い衆らと読んでゆく講義を足かけ10年ばかりずっとやってゆく中で、ゆっくりと確信するようになってきたことでもあります。 何の最後か。「思想史的知性」の最終走者のひとりだった、という意味での。このへん、手前味噌になりますが、自分が書いたものから引いておきます。 「この国の母語を環境とした、時期的には先の戦争が終わって後、高度経済成長の豊かさに後押しされて出現した、良くも悪くもそれまでとは様相の異なる新たな大衆社会状況と、そこに宿ったその他おおぜいのリテラシーに支えられた読書市場を介して可視化

          渡辺京二と上野昂志、「思想史的知性」と主体の毅然 - king-biscuit WORKS
        • 渡辺京二さん「小さきものの近代」インタビュー 名もなき人びとの視点で|好書好日

          92歳になったいまも、幕末明治にまつわる文献の山と格闘しながら、週に原稿用紙6枚のペースで執筆を続ける。「読めば読むほど、読むべき資料が増えていく。楽しい晩年のはずが、なぜこんなにしんどいことを続けているのでしょうね」 明治国家をつくったエリートではなく、名もなき人びとが残した日記や書簡などをなるべく選んでひもとく。望むと望まざるとにかかわらず、新しい世の中に適応せざるをえなかった「小さきもの」の視点から、もう一つの近代日本を描き出す狙いだ。 江戸後期、上野国(現群馬県)の農民は〈農家程(ほど)この上に安楽の者はあるまじ……云(い)いたいままの事を云いてすむ者は百姓ばかりなり〉と書いた。当時の農民には、政治権力との関わりを可能な限り避け、「自分を自分の主人として暮らそうとする知恵」があったとみる。 そして明治維新。町人たちは幕末の動乱を〈近い中(うち)に公方様と天朝様との戦争があるんだって

            渡辺京二さん「小さきものの近代」インタビュー 名もなき人びとの視点で|好書好日
          • 思想史家の渡辺京二さん死去 92歳 代表作に「逝きし世の面影」:朝日新聞デジタル

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              思想史家の渡辺京二さん死去 92歳 代表作に「逝きし世の面影」:朝日新聞デジタル
            • 評論家 渡辺京二さん死去 92歳 評論「逝きし世の面影」など | NHK

              代表作「逝きし世の面影」をはじめ、日本の近代を問う多くの著作を残し、4年前に亡くなった作家の石牟礼道子さんを支えた評論家の渡辺京二さんが25日、熊本市の自宅で老衰のため亡くなりました。92歳でした。 渡辺京二さんは、京都府で生まれ東京の大学を卒業後、両親の出身地だった熊本で「公害の原点」と言われる水俣病の患者たちが起こした裁判などの支援に関わりました。 文芸雑誌を創刊して編集も行っていた渡辺さんは、その活動の中で4年前に亡くなった作家の石牟礼道子さんと出会い、患者や家族の苦しみを描いた石牟礼さんの代表作「苦海浄土」の編集に携わるなど、半世紀にわたって、執筆活動を支えました。 渡辺さんは、幕末から明治にかけて生きた日本人の姿を、当時、日本を訪れた膨大な外国人の記録をもとに記した代表作「逝きし世の面影」をはじめ日本の近代を問う多くの著作を残しました。 親族によりますと、渡辺さんは25日、熊本市

                評論家 渡辺京二さん死去 92歳 評論「逝きし世の面影」など | NHK
              • 早川タダノリ on Twitter: "twitterに書くとBANされかねない言葉しか浮かばない:渡辺京二「家制度とは男性本位のように見えて、その実、女性を主軸とする一種の幸福の保障システムではなかったのか、という気がしてくる」(『逝きし世の面影』)"

                twitterに書くとBANされかねない言葉しか浮かばない:渡辺京二「家制度とは男性本位のように見えて、その実、女性を主軸とする一種の幸福の保障システムではなかったのか、という気がしてくる」(『逝きし世の面影』)

                  早川タダノリ on Twitter: "twitterに書くとBANされかねない言葉しか浮かばない:渡辺京二「家制度とは男性本位のように見えて、その実、女性を主軸とする一種の幸福の保障システムではなかったのか、という気がしてくる」(『逝きし世の面影』)"
                • 渡辺京二さん死去 92歳「逝きし世の面影」:東京新聞 TOKYO Web

                  「逝きし世の面影」などの著作や、作家の故石牟礼道子(いしむれみちこ)さんの執筆活動を長年支えたことで知られる日本近代史家の渡辺京二(わたなべ・きょうじ)さんが二十五日、老衰のため死去した。九十二歳。京都市出身。葬儀・告別式は二十七日午後一時から熊本市東区健軍四の一七の四五、真宗寺で。喪主は長女山田梨佐(やまだ・りさ)さん。 小、中学生時代を北京や旧満州(中国東北部)の大連で過ごし、戦後に熊本へ。法政大を卒業後、日本読書新聞の編集者を経て、一九六五年に熊本で雑誌「熊本風土記」を発刊。石牟礼さんの代表作となる「苦海浄土(くがいじょうど)」の初稿を掲載した。 七九年に「北一輝」で毎日出版文化賞を受賞。幕末から明治初期に日本を訪れた外国人の手記を引きながら、日本にとって「近代」とは何だったのかを問いかけた九八年刊行の「逝きし世の面影」で和辻哲郎(わつじてつろう)文化賞を受賞した。そのほか大仏次郎(

                    渡辺京二さん死去 92歳「逝きし世の面影」:東京新聞 TOKYO Web
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