1 どうした訳か、父の書架には直木三十五の本が何冊かあったので、私は中学生の頃から、それらの本を読んでいた。私が中学生の頃といえば、吉川英治の新聞小説「宮本武蔵」が読者を熱狂させていた頃で、昭和九年に没した直木三十五はすでに過去の人になっていた。だが、読んでみると直木の「南国太平記」はすばらしかった。私がこれまでに読んだ時代小説で、「南国太平記」に比肩できるのは、僅かに山本周五郎の「樅の木は残った」があるだけである。 時代小説というものは、いくら魅力のある武士や町人を登場させても、それだけでは薄手なものになってしまう。これが奥行きを備えた重厚な作品になるためには、主役の男女と平行して権力者像がリアルに描かれていなければならない。封建社会では、すべての人間が巨大な藩権力・封建権力の重圧下で生きていたからだ。 つまり、江戸時代を舞台にする作品だったら、大名や藩老職の意識と生活が実在感をもって描