並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

121 - 160 件 / 182件

新着順 人気順

猪木の検索結果121 - 160 件 / 182件

  • アントニオ猪木79歳はなぜ青森に「墓」を建立したのか? 病との闘いと亡き“ズッコさん”への思い「まだ、お迎えが来てくれないよ」(原悦生)

    2022年5月22日、アントニオ猪木は青森県十和田市の蔦温泉にいた。周囲には八甲田の山々がそびえている。 猪木には、やっておかなければならない一つの人生の行事があった。長いこと自宅の仏壇に置かれていた妻・田鶴子さん(通称ズッコさん)の遺骨を墓に収めることだ。 青森県の山中の静かな温泉地にその墓は作られた。場所を決めたのは猪木だった。猪木の無類な世界観によって、あえて青森の蔦温泉に行きついたのかと、筆者は驚愕を覚えた。それは生まれ育った横浜でも、東京でもなく、ブラジルでもパラオでもアラビアの砂漠でもなかった。 「アントニオ猪木家の墓」の全貌とは 新しい「アントニオ猪木家」の墓は蔦温泉の近くに建立された。渓流沿いの小路から少し歩いて20メートルほど続く不規則な階段を上がると、正面には愛する蔦温泉で56歳の生涯を終えた明治~大正期の文豪・大町桂月の墓がある。隣にはこの健脚の「酒仙」大町と共に十和

      アントニオ猪木79歳はなぜ青森に「墓」を建立したのか? 病との闘いと亡き“ズッコさん”への思い「まだ、お迎えが来てくれないよ」(原悦生)
    • “アントニオ猪木とは何者だったのか!?” 藤波・ハンセン・新間・古舘が激白 - クローズアップ現代

      https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pBe2a19gzN/ プロレスの黄金時代を築き上げ、人々を熱狂させた“燃える闘魂”アントニオ猪木。 アントニオ猪木とはいったい何者だったのか? “一番弟子” 藤波辰爾 “ライバル” スタン・ハンセン “過激な仕掛け人” 新間寿 “名勝負実況” 古舘伊知郎 アントニオ猪木の人生を彩った男たちが、激白した。 (クローズアップ現代 取材班) “一番弟子” 藤波辰爾さん 「僕は猪木になりたかった」 藤波辰爾(ふじなみ・たつみ)さん(68) 幼いころから猪木さんに憧れ、1970年に日本プロレスに入門し、付け人を務めた。1972年に猪木さんが旗揚げした新日本プロレスに参加。50年以上、師弟関係を続けてきた。 -藤波さんにとって猪木さんはどんな存在なのでしょうか。 藤波さん:

        “アントニオ猪木とは何者だったのか!?” 藤波・ハンセン・新間・古舘が激白 - クローズアップ現代
      • 『凄みすら感じた最後までファンを喜ばせようとしたアントニオ猪木さんの魂』

        アントニオ猪木さんが、 お亡くなりになりましたね。 ぼくのような40代の男たちにとって、 アントニオ猪木さんこそカリスマで、 唯一無二のスーパーヒーローです。 なんか、別格。 だれかと比べるのはナンセンス。 そういう存在でした。 週刊プロレス、 すぐに買いに行きました。 この数年は難病と闘われていましたね。 その姿もYouTubeで公開されていましたが、 すっかり変わってしまった姿でも、 不思議なほど、がんばろう! と元気な気持ちをいただけたんですよね。 猪木さんの思い出 ぼくの猪木さんの思い出といえば、 新日本の名古屋大会を観に行ったことです。 当時はたしか、 引退前のファイナルカウントダウンの時で、 名古屋の大会では試合がなかったんです。 それなのに、 大会の合間の休憩時間に、 そろそろ試合が始まるからと席に戻ると、 不意に、猪木ボンバイエが流れだし、 猪木さんが入場してきたんです!

          『凄みすら感じた最後までファンを喜ばせようとしたアントニオ猪木さんの魂』
        • アントニオ猪木さん死去 79歳 - Yahoo!ニュース

          アントニオ猪木さん 自宅で死去 79歳 燃える闘魂 プロレス黄金期けん引 スポニチアネックス7547 元プロレスラーで、参議院議員を2期務めたアントニオ猪木(アントニオいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、自宅で死去した。79歳だった。横浜市出身。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中だった。

            アントニオ猪木さん死去 79歳 - Yahoo!ニュース
          • 燃える闘魂、アントニオ猪木よ永遠なれ - 短い雑記

            燃える闘魂アントニオ猪木さんがついに亡くなりました。 最近の闘病の様子、24時間テレビで見たときなど、覚悟をしなければならないと感じた。 覚悟はしていたが、やはりその知らせには喪失感半端ないって感じです。 どんだけアントニオ猪木さんには勇気をいただいたことか。 その人生哲学に共感し憧れたものです。 アントニオ猪木は全ての常識を覆し、不可能を可能にしたスーパースターです。 あの伝説のアリ戦は猪木でなければ誰も実現できなかった奇跡なんですよ。 あの当時、世界中が注目した正真正銘の「世紀の一戦」だった。 猪木さんのすごさは自身の強さだけじゃないんです。どんな相手でも相手の能力や魅力を引き出す力です。 ストロング小林、タイガージェットシン、スタンハンセン、アンドレザジャイアント、ハルクホーガン、誰でも名勝負にするプロフェッショナルさは唯一無二です。 昭和の大スターの頂点にいたひとりです。 国会議員

              燃える闘魂、アントニオ猪木よ永遠なれ - 短い雑記
            • ビッグバン・ベイダーが語ったアントニオ猪木とのファイナルマッチの壮絶秘話。滴る血と汗に涙も混じった

              1996年1月4日、東京ドームで行なわれたアントニオ猪木vsビッグバン・ベイダー戦は、アントニオ猪木の数多ある試合の中でも衝撃的な一戦となっている。 アントニオ猪木の引退ロードでの1戦であるにも関わらず、容赦なく襲い掛かるビッグバン・ベイダー。1987年12月の両国国技館大会にて、3分弱でアントニオ猪木からフォールを奪ってしまった衝撃的な日本デビュー戦を彷彿とさせるものがあった。 2018年6月に逝去したベイダーは、この試合について自伝『VADER TIME ベイダータイム 皇帝戦士の真実』(徳間書店)の中で、秘めた想いを語っていた。最大のライバルであり、恩人でもあったアントニオ猪木と交わした"約束"とはーー。 ※本稿は、ビッグバン・ベイダーの自伝『VADER TIME ベイダータイム 皇帝戦士の真実』(徳間書店)の一部を再編集したものです。 【レジェンドから無謀な要求】 ビッグバン・ベイ

                ビッグバン・ベイダーが語ったアントニオ猪木とのファイナルマッチの壮絶秘話。滴る血と汗に涙も混じった
              • アントニオ猪木さん、追悼番組延期の背景に“圧力”か 「放送すれば法的措置も辞さない」(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

                釈迦の仏舎利が信仰のよすがとなったように、昭和の興行界に名を刻むカリスマもまたその遺骨は特段の存在である。ならば埋葬先に関連してひと悶着起きるのも必然。だが、故人もよもや、自身の追悼番組が放送延期に追い込まれるとは思わなかったことだろう。 【写真を見る】猪木さんの4番目の妻・田鶴子さん *** 青森県南部の十和田市。八甲田山の山間にある一軒宿の「蔦温泉」は湯船の底から直に湧き出る湯とヒバ造りの浴槽で知られる、マニア垂涎の秘湯である。 この蔦温泉の目と鼻の先、ブナの原生林に囲まれた静寂の支配する場所に、明治大正期の詩人・大町桂月の墓などと並んで鎮座するのがアントニオ猪木家の墓だ。 今月1日に79歳で世を去った猪木をしのび、県内外からファンが連日訪れる。広島から来た男性に聞くと、 「青森にお墓があるというから手を合わせに来たんだけど、ここじゃない場所に遺骨が埋葬されるという報道もありますよね」

                  アントニオ猪木さん、追悼番組延期の背景に“圧力”か 「放送すれば法的措置も辞さない」(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
                • 《猪木の願い虚しく》プロレスファンは知っている山田邦子の真実…M-1採点騒動で思い出す、35年前の新日・馳浩がキレた日(プチ鹿島)

                  『毒舌漫才ウエストランド18代目M-1王者』(サンケイスポーツ) 「おっ」と思ったのは火曜のデイリースポーツ(12月20日)。 『“独自採点”大反響 語ったM-1初審査員の舞台裏 山田邦子 「ブレ過ぎ」批判にあっけらかん「的確にやった」』 審査員を務めた山田邦子のインタビューがドーンと載っていたのである。そりゃ読みますよね。“山田邦子の審査”にどれだけ反響があったのか? M-1終了後のネットニュースのタイトルをいくつか並べてみる。 ・「ブレっブレで最悪」「2度と審査員しないで」 山田邦子、激怒のM-1ファンに真意説明「公正な審査した」 ・山田邦子、M-1での低点数審査に「決勝戦で甘口ばかりもどうかと」 “コメント薄すぎ”の指摘へ「悪いところは言う必要がない」 ・『M-1』山田邦子の審査に賛否…300人に聞いた「見てみたい審査員」お笑いがわかると高評価の女性現役漫才師は? などなどたくさん。

                    《猪木の願い虚しく》プロレスファンは知っている山田邦子の真実…M-1採点騒動で思い出す、35年前の新日・馳浩がキレた日(プチ鹿島)
                  • 10月1日は永遠の愛を繋ぐ婚約指輪の日 、1on1記念日、闘魂アントニオ猪木の日 、衣替え、服部製紙アルカリ電解水の日、モビリティメディアの日、芦屋のフィナンシェ世界一の日、大切な問いに向き合う日、和の日、法の日、印章の日、浄化槽の日、確定拠出年金の日、福祉用具の日、国際高齢者の日、国際音楽の日、世界ベジタリアンデー、消費税10%開始の日、等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

                    おこしやす♪~ 10月1日は何の日? その時そして今日何してた? 2023年(令和5年) 10月1日は永遠の愛を繋ぐ婚約指輪の日 、1on1記念日、闘魂アントニオ猪木の日 、衣替え、服部製紙アルカリ電解水の日、モビリティメディアの日、芦屋のフィナンシェ世界一の日、大切な問いに向き合う日、和の日、法の日、印章の日、浄化槽の日、確定拠出年金の日、福祉用具の日、国際高齢者の日、国際音楽の日、世界ベジタリアンデー、消費税10%開始の日、等の日です。 ●永遠の愛を繋ぐ婚約指輪の日 ※Surprise proposals 2023  compilation www.youtube.com 岐阜県関市の結婚指輪・婚約指輪専門店で、1級ジュエリーコーディネーターの指輪店として知られる「株式会社ビジュトリーヨシダ」が制定。愛を永遠へと繋ぐ証としての婚約指輪。二人で愛を本物にする婚約指輪の価値を広め、結婚への

                      10月1日は永遠の愛を繋ぐ婚約指輪の日 、1on1記念日、闘魂アントニオ猪木の日 、衣替え、服部製紙アルカリ電解水の日、モビリティメディアの日、芦屋のフィナンシェ世界一の日、大切な問いに向き合う日、和の日、法の日、印章の日、浄化槽の日、確定拠出年金の日、福祉用具の日、国際高齢者の日、国際音楽の日、世界ベジタリアンデー、消費税10%開始の日、等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)
                    • 藤原喜明が猪木に「永久電池なんてアルキメデスの時代から、あり得ないんです!」と言ったという話はやっぱり面白い - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                      何度か書いた話だけど、偶然、蔵書の中から目にしたので。 藤原喜明、アルキメデスを持ち出して猪木に「永久電池なんてない」と説得 藤原  ((略)…猪木さんは凄い人だけれども)もちろん、たまにおかしなことも言うよ? 永久電池だとか。 ガンツ  ガハハハハハ! 発明関係の発言はぶっ飛んでますからね(笑)。 藤原  俺、一度直接言ったことがあるからね。「永久機関ってのはないんです。いまから何千年前、アルキメデスの時代からあり得ないことなんで、騙されちゃダメです」って。そうしたら猪木さんが俺に言うんだよ。「おい、おまえ盆栽好きだろ?」「ボク、27からやってます」「盆栽がおまえの趣味なように、宝探しとか発明っていうのは、俺の夢なんだよ」って。そう言われたら、何も言えねえよな。 ガンツ  ダハハハハ! 玉袋  組長の盆栽と、猪木さんの財宝船探しは一緒なのか(笑)。 ガンツ  どちらも生涯をかけたライフワ

                        藤原喜明が猪木に「永久電池なんてアルキメデスの時代から、あり得ないんです!」と言ったという話はやっぱり面白い - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                      • アントニオ猪木最後の著書?「生きるために闘う」〜「40人の対戦相手」への論評で浮かぶ、猪木プロレスとは - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                        アントニオ猪木が亡くなり約1ヶ月…当然のことだが、本当にたくさんの追悼特集記事、特集番組があり、さらに彼にまつわる単行本も、過去のものも含めて注目されました。 この10月に急逝するとはやはり予想外のことであり、その直前のインタビュー記事などを収録した本(この前紹介した堀江ガンツ「闘魂と王道」だ)もあるが、まさに「アントニオ猪木」名義で、逝去の直前に出された本もある。 おそらく、この本がアントニオ猪木の名前で刊行された本では最後ということになるんじゃなかろうか… 初版奥付の日付が7月30日のアントニオ猪木「生きるために闘う」がそれだ。 生きるために闘う NFT特典付 作者:アントニオ猪木株式会社 双葉社Amazon元気ですよ! 幾多の名勝負を繰り広げ、ファンを熱狂させた"燃える闘魂"。現在もまた、難病の「全身性トランスサイレンチンアミロイドーシス」と闘う姿を公表し、多くの人に生きる勇気を与え

                          アントニオ猪木最後の著書?「生きるために闘う」〜「40人の対戦相手」への論評で浮かぶ、猪木プロレスとは - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                        • 元新日プロ取締役・上井文彦氏 「猪木さんの盗作です!」 87年巌流島決戦の衝撃真相を告白 | 東スポWEB

                          元新日本プロレス取締役の上井文彦氏(66)はパーキンソン病と闘っていたマサ斎藤(故人)をリングに上げるなど、長きにわたって日本のプロレス界に話題を振りまいてきた。しかし、昨年2月に大阪市城東区で開催したマサ斎藤追悼興行を最後に表舞台から姿を消している。いったい、どこでどうしているのか。本紙は潜伏中(⁉)の上井氏を引きずり出して、話を聞いた。 ——あれからどうしていた 上井 どうしてたって…働いてましたよ(笑い)。昨年2月のマサさんの追悼興行の後始末も終わって、何をやるか決めていなかったんですが、滋賀の生ごみ処理の機械を販売する会社の社長に誘われて、そこでお世話になってます。 ——もうプロレスの興行は打たないのか 上井 2007年にディファ有明で「UWAI STATION」の最後の興行をやって大阪に帰ってきて、翌年に西口プロレスを大阪でやった後「もうプロレスの興行はやらない」と。もう自分のや

                            元新日プロ取締役・上井文彦氏 「猪木さんの盗作です!」 87年巌流島決戦の衝撃真相を告白 | 東スポWEB
                          • 【追悼】かつて「アントニオ猪木」が大嫌いでした

                            2022年10月1日、元プロレスラーのアントニオ猪木が心不全のため死去した。79歳だった。近年は難病を患い「かなり体調が悪いらしい」とウワサされていた一方で「猪木なら大丈夫」と考えていたファンも少なくないハズだ。 かくいう私、P.K.サンジュンもその1人で「まさか猪木が」とそれなりにショックを受けている。燃える闘魂、アントニオ猪木──。プロレスファンになったおよそ30年前、私はあなたのことが大嫌いでした──。 ・猪木との出会い 中学1年生だった私がプロレスにハマったのは、ちょうど第1回のG1クライマックスが開催された頃。すでに猪木は政界に進出しており、私にとってアントニオ猪木は「新日本プロレスの創始者だけど、たまにしか試合をしない昔の人」といった印象であった。 当時の新日本プロレスは藤波辰爾と長州力の2大エースに加え、武藤敬司・橋本真也・蝶野正洋の “闘魂三銃士” の時代。その他にも馳浩、

                              【追悼】かつて「アントニオ猪木」が大嫌いでした
                            • “地獄の墓掘人”伝説のプロレスラー:ローラン・ボックからのメッセージとロック。アントニオ猪木を悼む(山崎智之) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                              伝説のプロレスラー:ローラン・ボックの評伝『Bock! Im Kampf Gegen Stiere & Sich Selbst』は、闘いの書だ。 ドイツ人ジャーナリストのアンドレアス・マトレによる本書は、“地獄の墓掘人”と呼ばれたボックの軌跡を小説仕立てで構成した作品。初めて明かされるその幼少期、アマチュア・レスラーとしての五輪出場、プロレスラーへの転向、ビジネス・ベンチャーへの挑戦までが描かれている。刊行されたのは2021年だが、オーストリアのインディペンデント系の出版社から刊行されたこと、図版なしで300ページ以上全編ドイツ語というハードルの高さなどがあり、ようやくその全貌が明らかになってきた。邦訳が待たれるところだが、この記事ではマトレとのロング・インタビューと78歳となるボック本人とのメールのやり取りで得た情報を交えながら、その知られざるロックな側面を明かしていきたい。 (全2回記

                                “地獄の墓掘人”伝説のプロレスラー:ローラン・ボックからのメッセージとロック。アントニオ猪木を悼む(山崎智之) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                              • アントニオ猪木が最後に食べた料理は「オークラのヴィシソワーズ」だった…盟友が明かす“猪木の愛した逸品”「オニオンリング、できる?」(原悦生)

                                2023年2月20日に生誕80周年を迎えた故・アントニオ猪木さん。昨年10月1日に79歳でこの世を去った燃える闘魂は、世界中の“うまいもの”を味わい尽くした美食家でもあった。50年間にわたって猪木さんを撮り続けたカメラマン・原悦生氏が、「アントニオ猪木が愛した味」をNumberWebで紹介する。(全5回の5回目/#1、#2、#3、#4へ) ◆◆◆ 都内有数のラグジュアリーホテルであるオークラ東京(The Okura Tokyo)。かつてアントニオ猪木は前身のホテルオークラ東京の別館(現在は営業終了)を定宿とし、10年ほど住んでいた。アメリカと日本を往復しながら、1年の約3分の1はオークラに泊まっていたので、「住んでいた」という表現が適切だろう。 猪木は当時、かなり長い時間をホテル内の『バー ハイランダー』で過ごしていた。「猪木に会いたければ、ハイランダーに行けばいい」と言ってもいいくらいだ

                                  アントニオ猪木が最後に食べた料理は「オークラのヴィシソワーズ」だった…盟友が明かす“猪木の愛した逸品”「オニオンリング、できる?」(原悦生)
                                • 獣神サンダー・ライガー涙なしの引退。「猪木の家」に30年以上住みついた男。(原悦生)

                                  プロレス史に刻み込まれた獣神サンダー・ライガー。現役引退後も、プロレス界の御意見番としてますますの活躍を期待したい! 獣神サンダー・ライガーは1月5日東京ドームで、佐野直喜と組んで、高橋ヒロム、リュー・リー(ドラゴン・リー)組との引退試合を終えた。6日には大田区総合体育館で引退セレモニーを行った。そして、プロレスラーとして最後の10カウントを聞いた後、棚橋弘至らとテーマ曲『怒りの獣神』を熱唱した。 明るい引退試合、絶対に泣かない引退試合をテーマに掲げていたライガーだったが、妻子のリング登場の際には長男が涙したことで、ぐっと来たようだった。それでも「バカやってんじゃないよ」と互いに小突きあって、場内の笑いを誘った。 「ボクはアントニオ猪木の教え子としては落第生だったので、よく怒られました。ろくなことしていませんでしたから」 2階の畳の部屋で長く暮らしてきた。 多摩川の土手沿いにある野毛の新日

                                    獣神サンダー・ライガー涙なしの引退。「猪木の家」に30年以上住みついた男。(原悦生)
                                  • 【闘魂グルメ】アントニオ猪木が最後の最後まで食べていた「豚足」を食す / 麻布十番『焼肉 一番館』

                                    【闘魂グルメ】アントニオ猪木が最後の最後まで食べていた「豚足」を食す / 麻布十番『焼肉 一番館』 P.K.サンジュン 2022年10月20日 2022年10月1日にこの世を去ったアントニオ猪木。まさか自分がこうなると思っていなかったが、あれ以来、私、P.K.サンジュンは “猪木ロス” に陥っている。決して猪木信者ではなく、むしろ嫌いな時期もかなりあったのだが、この喪失感はなんなのだろう? 来る日も来る日も猪木関連のネット記事を読み漁っており、その中で「猪木さんが病床にあっても取り寄せていた豚足」という記事を発見した。猪木と豚足──。気付けば私は麻布十番の『焼肉 一番館』へ向かっていた。 ・日刊スポーツに掲載されていた 該当の記事はニッカンスポーツ・コムの芸能番記者コラムにて公開されていたものである。執筆者は小谷野俊哉氏。猪木との関係は深いようで「亡くなって10日で半分の5日は献杯している

                                      【闘魂グルメ】アントニオ猪木が最後の最後まで食べていた「豚足」を食す / 麻布十番『焼肉 一番館』
                                    • 「小鹿さんが日本刀をコートの懐に忍ばせて…」アントニオ猪木の付き人だった藤波辰爾が明かした、新日本旗揚げの“壮絶な舞台裏”(堀江ガンツ)

                                      新日本プロレス創立50周年を記念して行われる3・1『旗揚げ記念日』日本武道館大会。メインイベントはNJPW旗揚げ50周年記念試合として、オカダ・カズチカ&棚橋弘至&藤波辰爾の歴代IWGP王者トリオが、ザック・セイバーJr.&鈴木みのる&藤原喜明という新旧サブミッションマスターと対戦することが発表された。 新日本の歴史を感じさせる豪華6人タッグマッチ。キャリアの長いファンにとっての注目はやはり、新日本の黎明期を知る大ベテラン藤波と藤原の出場だろう。とくに藤波は今から50年前の1972年3月6日、大田区体育館で行われた旗揚げ戦にも出場したオリジナルメンバー。旗揚げ当時の新日本を知っているということは、新日本がもっとも苦しかった時代を知っているということでもある。 今でこそ業界ナンバーワンの地位を確固たるものにして久しい新日本だが、旗揚げ当時はアントニオ猪木という金看板があるとはいえ、いつ潰れて

                                        「小鹿さんが日本刀をコートの懐に忍ばせて…」アントニオ猪木の付き人だった藤波辰爾が明かした、新日本旗揚げの“壮絶な舞台裏”(堀江ガンツ)
                                      • アントニオ猪木が当選した日──ジャイアント馬場と複雑に絡まった強靭な糸 - 市瀬英俊|論座アーカイブ

                                        テレビ画面を凝視するスーツ姿のアントニオ猪木がそこにいた。 普段はショートタイツ姿の「燃える闘魂」としてテレビに映し出される側の男が身なりと立場を変え、胸の前で両腕を組み、口を真一文字に結び、数メートル先にあるブラウン管テレビをただ見つめていた。 1989年7月24日、午後4時30分。第15回参議院議員選挙比例区の開票作業は大詰めを迎えていた──。 当時46歳の猪木。6月の時点で、自身が創設した『新日本プロレス』の社長の座から退き、一方で政界進出を表明。新たに立ち上げた『スポーツ平和党』の党首として参院選に打って出たのである。 知名度の高さは申し分なく、早い段階で当確ランプが灯るのではとも思われた。事実、投票日(7月23日)の夜11時に開票状況が明らかになると、スポーツ平和党は開票率7%にして7万票あまりを獲得。100万票が当確ラインと言われる中、まずは順調な出だしだった。 ところが、そこ

                                          アントニオ猪木が当選した日──ジャイアント馬場と複雑に絡まった強靭な糸 - 市瀬英俊|論座アーカイブ
                                        • アントニオ猪木さん 日本レスラー初「従四位」「旭日中綬章」授与 伝達の1・23には特別な意味 | 東スポWEB

                                          〝燃える闘魂〟に勲章ダーッ! 昨年10月1日に死去したプロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(享年79)が叙位・叙勲を受けたことが、15日までに明らかになった。生前最後の日にさかのぼって、位階「従四位」、勲章「旭日中綬章」が授与された。日本のプロレスラーとしては初の快挙。プロレス・格闘技界やスポーツ界に残した多大な功績は誰しもが知るところだが、社会の発展にも広く貢献したことが認められた。 叙位・叙勲は、国や公共に対し功績があった人が死去した際に、その生前最後の日にさかのぼり授与される。昨年に閣議決定され、猪木さんに従四位(じゅしい)と旭日中綬章(きょくじつちゅうじゅしょう)の授与が決まった。 プロレス・格闘技界での活躍はもちろんのこと、参議院議員を2期務めて政治家としても奮闘。参院議員1期目の1990年には湾岸危機が起こったが、猪木さんはイラクに乗り込み、プロレス大会「平和の祭典」

                                            アントニオ猪木さん 日本レスラー初「従四位」「旭日中綬章」授与 伝達の1・23には特別な意味 | 東スポWEB
                                          • アントニオ猪木 - 還暦 ~精神年齢40歳~

                                            おはようございます。 『道』  アントニオ猪木 この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ ※退社して、個人タクシーを開業を控える私にはとても沁みます。

                                              アントニオ猪木 - 還暦 ~精神年齢40歳~
                                            • アントニオ猪木さん、死去10日前に“最期の言葉” 起床困難なほど衰弱した姿で激励に「この声が一番俺の敵なの」

                                              アントニオ猪木さんのYouTubeチャンネルで10月1日、「最期の言葉」と題された動画が公開されました。猪木さんは10月1日に79歳で死去。動画はその10日前の9月21日に撮影されたものとなります。 動画が取得できませんでした |アントニオ猪木「最期の言葉」 動画は、衰弱した様子でベッドへ横たわる猪木さんの姿でスタート。助け上げられて何とか上体を起こした猪木さんの滑舌がはっきりせず、意味を把握しにくい場面も多々ありましたが、そうした箇所もカットせずそのまま収録。 衰弱した様子の猪木さん(画像はYouTubeから) 猪木さんは「別にやりたくないよ。やりたくないけどみんなやればいいじゃん」と、YouTubeの活動を本格的に再開したいというスタッフの希望に病状もあってか消極的に返答。「何もない」「何の欲もない。金銭欲なのか女なのか、いろいろ。そういう生きてること自体が何であるか」「毎日毎日この3

                                                アントニオ猪木さん、死去10日前に“最期の言葉” 起床困難なほど衰弱した姿で激励に「この声が一番俺の敵なの」
                                              • アントニオ猪木氏、腸捻転で手術 退院に向け「もうちょっとで俺も元気になる」(ENCOUNT) - Yahoo!ニュース

                                                長期入院中の“燃える闘魂”アントニオ猪木氏(78)が腸捻転で緊急手術を受けていたことが11日、分かった。腰のリハビリを続けていたものの、体調が悪化し、5月中旬に都内の病院で手術を受けた。現在は回復傾向にあり、この日、猪木氏は電話でコメントを寄せ、復活への意欲をにじませた。体重は激減しているが、「もうちょっとで俺も元気になる」と退院を目標に前を向いた。 【動画】ほっそりするも元気な表情…5月に撮影されたアントニオ猪木氏の姿 かつて手術した腰の悪化で、1月から入院している猪木氏が、大きな試練を乗り越えていた。関係者によると、猪木氏は腸捻転を起こし、都内の病院で緊急手術を行った。手術は無事に成功し、現在の容態は安定しているという。 1月からの入院期間は途中、転院を挟みながら、半年に及ぶ。自身のYouTube「アントニオ猪木『最後の闘魂』」は更新を継続し、ベッドの上からパジャマ姿で近況を報告してい

                                                  アントニオ猪木氏、腸捻転で手術 退院に向け「もうちょっとで俺も元気になる」(ENCOUNT) - Yahoo!ニュース
                                                • アントニオ猪木「ソ連に仕掛けた闘魂外交」の裏側

                                                  「モハメド・アリとの世紀の一戦」「BI砲が復活した夢のオールスター戦」「第1回IWGPで起きた舌出し失神事件」「マサ斎藤との巌流島決戦」「キューバのカストロ議長との会談」「イラクの邦人人質解放」「北朝鮮で開催された平和の祭典」――。アントニオ猪木氏を50年間撮り続けたカメラマン・原悦生さんの著書『「猪木」』から一部抜粋し、プロレスを通じた平和活動に挑んできた猪木氏がソ連の柔道家やアマレス選手を東京ドームのリングに上げ、日米ソ3カ国対抗戦を実現させるまでの経緯を紹介します。 ソ連にプロレスラーを誕生させるプラン この頃、ソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ書記長はペレストロイカやグラスノスチといった政策を掲げて、民主主義への移行、情報公開を推し進めていた。 そんな中、1988年に猪木はソ連にプロレスラーを誕生させて、日・米・ソで戦うというプランを思いつく。また、映画『ロッキー』のストーリーの

                                                    アントニオ猪木「ソ連に仕掛けた闘魂外交」の裏側
                                                  • 【アントニオ猪木という名のパチスロ機】4号機の思い出「道演出だけは見れませんでした」【まよわず打てよ、打てばわかるさ!】 - パチスロ日記

                                                    おはようございます 前回の記事も沢山の方に見てもらえて嬉しかったです 演出と出目の関係で1確などの面白い面もあったのですが、機械割が高いからと言ってすべての台が、面白いとは限りませんね;; 今回紹介する台は、 4号機の思い出「アントニオ猪木という名のパチスロ機」 ここから思い出 4号機の思い出「アントニオ猪木という名のパチスロ機」 アントニオ猪木という名のパチスロ機は、2002年に平和から発売されました 今でも沢山のファンがいる元プロレスラーアントニオ猪木さんのパチスロ機ですね キャッチコピーの「まよわず打てよ、打てばわかるさ!」は、かなりインパクトがありました! ボーナス(BIG+REG)とAT闘魂チャンスで出玉を増やしていくタイプの台でしたが、その性能はかなり尖ったものとなってましたね AT闘魂チャンスの突入条件として通常時の純ハズレ・天井・BIG中の強チャンス目・シングルボーナスの押

                                                      【アントニオ猪木という名のパチスロ機】4号機の思い出「道演出だけは見れませんでした」【まよわず打てよ、打てばわかるさ!】 - パチスロ日記
                                                    • アントニオ猪木さんが明かした「アリ戦の真実」 - Plenty of quality

                                                      アントニオ猪木さんが明かした「アリ戦の真実」― スポニチ Sponichi Annex 格闘技 [http://www..com/ 完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫):title]

                                                        アントニオ猪木さんが明かした「アリ戦の真実」 - Plenty of quality 
                                                      • 猪木戦からバイオマンの敵役まで……「怪力無双」ストロング小林さんが逝去 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                                                        アントニオ猪木氏と「昭和の巌流島」と呼ばれる名勝負を繰り広げたことで知られる元プロレスラーのストロング小林こと小林省三さんが死去していたことが分かった。81歳だった。 近しい関係者によれば小林さんは昨年末に都内の病院で亡くなった。死因は不明だという。 (略) …新日本プロレス、WWWFなどで活躍し84年に引退。引退後は「ストロング金剛」の芸名でタレントとしても活躍。芸能活動引退後は脊髄損傷の重傷を負い、数年前から寝たきりの生活を送って www.tokyo-sports.co.jp 意外と言えば意外なのかもしれないけど、自分はストロング小林の戦う姿を実際に見たという記憶がない。 ちょっと自分でも不思議に思って再確認してみたけど、なるほどブッチャーの移籍やタイガーマスク登場、維新軍の叛逆、国際はぐれ軍団の悪役人気、 IWGP創設…… などで盛り上がり、新しいちびっこ視聴者がついたあのボリューム

                                                          猪木戦からバイオマンの敵役まで……「怪力無双」ストロング小林さんが逝去 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                                                        • アントニオ猪木vs“熊殺し”ウィリーの異種格闘技戦は“大乱闘寸前”の決闘に…舞台裏では「反則負けでいいから、腕でもヘシ折ってやれ!」(堀江ガンツ)

                                                          10月1日に逝去した名レスラー、アントニオ猪木。1970年代、新日本プロレスと空手の極真会館の“二大勢力”によって牽引された格闘技ブームは、猪木出場の“ある試合”によってフィナーレを迎えた。『闘魂と王道 昭和プロレスの16年戦争』(ワニブックス刊)より、「1980 昭和格闘技ブームのクライマックス 殺気に満ちた猪木vs熊殺しウィリー」の章を抜粋して掲載する。“最強”同士が激突した一戦は、いかにして実現したのか――。《全2回の前編/後編につづく》 2000年代、日本で格闘技ブームが巻き起こった。K-1やPRIDEが人気を博し、大晦日には紅白の向こうを張って、民放テレビ局がこぞって格闘技番組を放送していた。しかし70年代後半、それよりも遥かに殺気に満ちた格闘技ブームがあったことを、昭和のプロレスファンなら覚えていることだろう。 その70年代格闘技ブームの牽引したのが、“燃える闘魂”アントニオ猪

                                                            アントニオ猪木vs“熊殺し”ウィリーの異種格闘技戦は“大乱闘寸前”の決闘に…舞台裏では「反則負けでいいから、腕でもヘシ折ってやれ!」(堀江ガンツ)
                                                          • パパは“最低”だけど“最高”「誰かの ために全力投球」という“猪木イズム” を受け継ぎ、看護師を志した娘・寛子

                                                            日本を代表するプロレス界のスターでありながら、プロレスというリングの外でも国会議員などとして活躍をしたアントニオ猪木さんが2022年10月1日に亡くなっておよそ半年。 アントニオ猪木さんと倍賞美津子さんとの娘として生まれた猪木寛子さんが、初めてロングインタビューに応じてくれました。娘の寛子さんから見た、偉大なるアントニオ猪木、そして素顔の父・猪木寛至さんについて語ります。 》アントニオ猪木さんの秘蔵写真をすべて見る アントニオ猪木の技とかは全然わからない 寛子さんの長男である寛太くんとアントニオ猪木さん。 ――寛子さんは、レスラーとしてのお父さまの姿をどうご覧になっていましたか。 私、試合をほとんど見たことがないんです。格闘技に興味もなかったし、あまり見たいとも思わなかった。 ――では、アントニオ猪木の技で何が一番好きかと訊かれても……。 はい、わからないんです。 ――リング上は、ある意味

                                                              パパは“最低”だけど“最高”「誰かの ために全力投球」という“猪木イズム” を受け継ぎ、看護師を志した娘・寛子
                                                            • 【京王百貨店新宿店】『超・燃える闘魂 アントニオ猪木展』が6月7日より開催!「復活!アントニオ猪木酒場」も期間限定で営業!

                                                              「復活!アントニオ猪木酒場」には、豪華ゲストも来場予定! 「京王百貨店新宿店」にて開催される『超・燃える闘魂 アントニオ猪木展』は、2023年8月に初開催され、大好評のうちに終了したイベントを規模・内容ともに大幅に拡大したもの。 アントニオ猪木氏の戦績の記録や当時のライバルにまつわる貴重な品々、アントニオ猪木氏が「イノキ・ゲノム・フェデレーション」の社長を務めていた当時の社長室を再現した特別展示が行われる他、アパレルやグッズを150種以上が販売されます。 また、豪華ゲストが来場する「復活!アントニオ猪木酒場」を予約定員制で期間限定営業(6月21日(金)~25日(火)します。 「復活!アントニオ猪木酒場」概要 ■場所:京王百貨店 新宿店 8階レストラン街 新宿Keioダイニング「お好みダイニング 八寸八卓」 ■日時・ゲスト・試合映像: (1)6月21日 ゲスト:藤波辰爾氏 試合映像:1988

                                                                【京王百貨店新宿店】『超・燃える闘魂 アントニオ猪木展』が6月7日より開催!「復活!アントニオ猪木酒場」も期間限定で営業!
                                                              • 吉田豪 アントニオ猪木を追悼する

                                                                吉田豪さんが2022年10月17日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中でアントニオ猪木さんを追悼していました。 (宇多丸)この時間のゲストはプロ所評価・プロインタビュアーの吉田豪さんです。ということで今日はアントニオ猪木さんのお話ということで。よろしくします。 (吉田豪)はいはい。お願いします。 (宇多丸)お亡くなりになられて。79歳、まだまだお若い感じだけれども。吉田さんにとって、こんなこんな短い時間に入りきるのかということですけど。ぜひよろしくお願います。 (吉田豪)はい。でも本当に想像以上の喪失感というか。本当、いつでもどんな時でも「こういう時、猪木ならどうするか?」みたいなことを考えて生きてきた気がするんですよね。だから本当、全然関係ない話題をやってる時でも、なにかというと猪木の引用というか、そんなことばっかりやってきたので。ちょっと、ものすごいショックは受けてるんで

                                                                  吉田豪 アントニオ猪木を追悼する
                                                                • 猪木コロナに吠える!東京五輪「やらないよ、アホみたい」 | 東スポWEB

                                                                  新型コロナウイルスに振り回され続ける日本はどうなるのか、燃える闘魂が大放談だ。久々に「キラー」と化したアントニオ猪木氏(77)は、新型コロナの影響により来年夏に延期となった東京五輪や支持率急落中の安倍晋三首相(65)、苦境にあえぐプロレス・格闘技界に、さらには角界を揺るがした幕内阿炎(26=錣山)の「夜の店」問題までぶった斬り。自身が患う難病「心アミロイドーシス」についても口を開いた。 ――新型コロナウイルスの勢いが収まらない 猪木氏(以下猪木):“猪木の環状線理論”の逆で、輪がどんどん小さくなっていますよね。最初は「誰それがかかったらしい」なんて人ごとみたいに言っていたのが、今は身近な人がかかったりするから。どうしたらいいんでしょうかねえ…。 ――来年夏に延期になった東京五輪はどうするべきか。新型コロナウイルス禍が終息せず、開催が危ぶまれているが… 猪木:やらないよ、そんな。アホみたい。

                                                                    猪木コロナに吠える!東京五輪「やらないよ、アホみたい」 | 東スポWEB
                                                                  • アントニオ猪木さんの死去 海外のメディアなども功績たたえる | NHK

                                                                    元プロレスラーのアントニオ猪木さんが亡くなったことについて、海外のメディアも「日本のプロレス界の大物が死去した」などと伝え、功績をたたえています。 このうち、ロイター通信は、アントニオ猪木さんについて、日本のプロレス界の大物だとしたうえで「1976年にボクシングのモハメド・アリと行った試合は『世紀の一戦』と呼ばれ世界的に注目された」などと伝えました。 また、アメリカに拠点を置く国際的なプロレス団体の「ワールド・レスリング・エンターテインメント」は「スポーツエンターテインメントの世界で最も尊敬される人物の1人であり、正真正銘のレジェンドだ」とたたえました。 一方、猪木さんがたびたび訪れていたというパキスタンでは、1976年に国民的英雄のレスラー、アクラム・ペールワンさんと対戦したことでも広く知られています。 シャリフ首相も猪木さんと撮影した写真を自身のSNSに投稿し「伝説的なレスラーの死去を

                                                                      アントニオ猪木さんの死去 海外のメディアなども功績たたえる | NHK
                                                                    • J2・18位の甲府が天皇杯V、猪木の壮絶人生、原vs岡田のドラフト対決、雪辱のオリックス…10月のスポーツ界を表す“ある言葉”とは?(プチ鹿島)

                                                                      『天下獲った!!甲府V』(日刊スポーツ10月17日) 『史上最大の下剋上 甲府 初V』(サンケイスポーツ10月17日) 『甲府下剋上V』(デイリースポーツ10月17日) サッカーの第102回天皇杯全日本選手権で、J2甲府が初優勝。J1広島と延長を終えて1-1で突入したPK戦を5-4で制した。J2勢の優勝は11大会ぶり。 甲府南中元サッカー部・堀内恒夫氏 「J2の18位がJ1の3位をPK戦で撃破」(サンスポ)したのだからこれ以上の下剋上はない。スポーツ報知は「史上最大のジャイキリ(ジャイアントキリング)」と表現。つい熟読してしまったのが報知の野球評論家であり甲府市出身の堀内恒夫氏のコメントだ。巨人のV9時代のエースで「甲府の小天狗」とも呼ばれたレジェンドである。 堀内氏は、 「甲府南中で最初に入部したのがサッカー部。半年で野球部に連れ戻されたけど、俺は元はと言えばサッカー少年だったんだ」 い

                                                                        J2・18位の甲府が天皇杯V、猪木の壮絶人生、原vs岡田のドラフト対決、雪辱のオリックス…10月のスポーツ界を表す“ある言葉”とは?(プチ鹿島)
                                                                      • アントニオ猪木 vs オカダ・カズチカ:Sports Graphic Number 1006 感想

                                                                        こんな表紙見せらたら、そりゃ買わなしゃあないです。 とりあえずアントニオ猪木さんとオカダ・カズチカ選手の対談を読んでから、楽天マガジンでもどんな感じかと思ってみてみたら、肝心の猪木 vs オカダがありません。ビックリしました。 サブスクリプションで読んでても買うべきときは買わなければいけないということです。 ということで、その猪木 vs オカダの感想を書きます。 先に結論から書きますと最高でした。猪木さんと真っ向勝負やれるのは現役ではオカダ選手しかいないとすら思わせるものでした。 全新日ファンは買うべき雑誌です。 出典:Sports Graphic Number 1006「失礼ですけど」で踏み込むオカダオカダ選手は猪木さんの現役時代はもちろん、たぶん練習を見てもらったということもないでしょうから、全然威圧されていないのが面白かったです。 たぶん、いちばん有名な新日のOBくらいの感覚なんじゃ

                                                                          アントニオ猪木 vs オカダ・カズチカ:Sports Graphic Number 1006 感想
                                                                        • アントニオ猪木はなぜモハメド・アリ戦で“リアルファイト”にこだわったのか? 繰り返したローキック、極限の緊張感「生きるか死ぬかだからね」(堀江ガンツ)

                                                                          6月19日、東京ドームで開催された“キックボクシング史上最大のイベント”『THE MATCH 2022』。メインイベントで那須川天心と武尊というスーパースター同士の対戦がついに実現したインパクトは凄まじく、東京ドームが超満員札止めになっただけでなく、独占ライブ配信された『ABEMA PPV ONLINE LIVE』の視聴チケットは過去最高の50万件を突破。大会翌日に急きょ実施された天心vs武尊のノーカット無料放送もABEMAの1時間番組として過去最高の視聴者数を記録するなど、格闘技の持つポテンシャルの高さと底力を見せつけるかたちとなった。 9月にはRIZINのトップMMAファイター朝倉未来とボクシング元世界5階級制覇王者フロイド・メイウェザーの一戦も決定(ルール他、詳細は後日発表)。格闘技界はメガファイトが続くが、マット界の歴史を振り返ると、世間を巻き込んだ史上最大の一戦と言えば、やはり1

                                                                            アントニオ猪木はなぜモハメド・アリ戦で“リアルファイト”にこだわったのか? 繰り返したローキック、極限の緊張感「生きるか死ぬかだからね」(堀江ガンツ)
                                                                          • 「生き地獄の道を歩んでる」 アントニオ猪木、度重なる療養生活に自嘲 再起の誓いに「闘魂は衰えていない!」

                                                                            元プロレスラーで元参院議員のアントニオ猪木さんが6月19日、YouTubeチャンネル「最後の闘魂」を更新。度重なる身体の不調で長期治療を余儀なくされている状況を「生き地獄」だとしています。 腰の治療で1月から入院している猪木さん。長期化するベッドでの生活に疲れ果て、「もういいだろう、楽にさせてくれよ」とこぼしたこともありましたが、大勢のファンから寄せられる応援に支えられ、治療がもう一歩のところまで完了。 しかし、1週間前となる12日には、腸捻転を引き起こして再入院となってしまったことを告白しつつ、「1日も早く皆さんにまた『元気ですか』を送りたいと思います」と視聴者に約束していました。 再入院時の猪木さん(画像はYouTubeチャンネル「最後の闘魂」から) 猪木さんはこの日のYouTube動画で、軽い屈伸運動とストレッチをリハビリでこなしたと報告。「今回、手も来ちゃったのがちょっとショックだ

                                                                              「生き地獄の道を歩んでる」 アントニオ猪木、度重なる療養生活に自嘲 再起の誓いに「闘魂は衰えていない!」
                                                                            • 映画『アントニオ猪木をさがして』公式サイト

                                                                              2022年10月1日。ひとりの国民的スーパースターがこの世を去った。アントニオ猪木―。プロレスラーの枠にとどまらない、希代のエンターテイナーであった彼の名は、世代の枠を超え、誰しもの耳に轟いていたに違いない。「バカヤロー!」「元気があれば何でもできる」。猪木が放った名言の数々に叱咤され、勇気を貰った人々も多いのではないだろうか? あの日から1年、猪木が波乱万丈の人生を通じて伝えたかったメッセージを「さがす」ための 1本のドキュメンタリーフィルムが誕生した。生前の猪木の雄姿を捉えた貴重なアーカイブ映像やスチールの数々。猪木から多大な影響を受けたプロレスラーや各界の著名人たちが、猪木の偉大な足跡を辿る旅に出るドキュメンタリーパートをメインに、猪木から力を貰った名もなき市井の男の半生をも情感豊かにドラマとして描き出す。さらに、主題歌とナレーションを担当するのは、プロレスファンであり、猪木をリスペ

                                                                                映画『アントニオ猪木をさがして』公式サイト
                                                                              • アントニオ猪木氏が生前「統一教会の集会に参加」の報、3つの論点で背景を考える

                                                                                くぼた・まさき/テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経て現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌へ寄稿する傍ら、報道対策アドバイザーとしても活動。これまで200件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行う。 著書は日本の政治や企業の広報戦略をテーマにした『スピンドクター "モミ消しのプロ"が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)など。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。 新刊『潜入 旧統一教会 「解散命令請求」 取材NG最深部の全貌』が発売中。 情報戦の裏側 できれば起きてほしくない「不祥事」だが、起きてしまった後でも正しい広報戦略さえ取れば、傷を最小限に済ませることができる。企業不祥事はもちろん、政治家の選挙戦略、芸能人の不倫ネタまで、あらゆる事

                                                                                  アントニオ猪木氏が生前「統一教会の集会に参加」の報、3つの論点で背景を考える
                                                                                • 【前田日明氏コラム】生涯最高の左ハイキックを瞬時に首で受けた猪木さんは天才 | 東スポWEB

                                                                                  【前田日明(14)】ユニバーサル(レスリング連盟=UWF)から業務提携という形で新日本プロレスに戻ることになった俺と藤原(喜明)さん、木戸(修)さん、高田(延彦)、山崎(一夫※1)の5人は1985年12月の両国国技館大会に登場した。 事前の打ち合わせでは「UWF軍団として旗を振りながら入ってリング上で乱闘してくれ」と言われたんだけど、変なヒールの色を付けられても嫌だなって全部無視して「1年半、UWFとしてやってきたことが何であるかを確かめに来ました」って勝手にやったんだよ。リングサイドのみんなはポカンとしてたけどね。でもUWFにはフロントや新弟子たちもいたから。あいつらを食わせなきゃいけないんで「新日本に吸収されてたまるか」ってね。 86年1月には(アントニオ)猪木さんへの挑戦権をかけた「UWF代表者決定リーグ戦」が始まった。俺は最後に藤原さんに負けて、やらせてもらえなかった。「なんだよ」

                                                                                    【前田日明氏コラム】生涯最高の左ハイキックを瞬時に首で受けた猪木さんは天才 | 東スポWEB