下関と言えば、今から千年前に源氏と平氏が戦った「源平の戦い」のハイライト、「壇ノ浦の戦い」の地でもあります。 学校で習った通り、この戦いで一時の栄華を誇った平氏は正式に滅び、源氏の天下が確定したんやけど、平氏が連れてきた数多くの女官が戦いの後で残りました。 男が海の藻屑と化して残された女官たちは、貴族的生活をしていたために技能なんてものはなく、生きる糧のために「春を売る」こととなりました。下関は、そんな女たちの起源の地とも伝えられ、ここが「遊女発祥の地」と言う人もいます。 今回の稲荷・裏町遊郭は、そんな遊女たちをルーツに持つとされる遊里でした。 近代以降の遊郭の遊女は、公の娼婦ということで公式には「公娼」「娼妓」と言われていました。が、世間一般には女郎(じょろう)でした。 平安時代、高級の女官のことを上臈(じょうろう)と呼ばれていました。壇ノ浦で庇護者を失って浮浪者同然になった平家の高級女