学童疎開中に親を奪われ、親戚に引き取られていった戦争孤児たち。極端な食糧難のなかで、多くの子が心を押し殺して生きていかなければならなかった。 草野和子さん(80)=東京都八王子市=は、1945年3月10日の東京大空襲で39歳だった父と母を奪われた。当時9歳。6歳の弟と、茨城県の親戚を頼って疎開中だった。 一緒に疎開していた母は大空襲の日、現在の東京都墨田区にあった自宅に戻っていた。やっとの思いで父が見つけてきた1年生になる弟のランドセルを受け取るためだった。「10日の夕方には必ず戻るからね」という約束を信じ、弟は戻らぬ母を迎えに毎日バス停に向かった。母に会えず肩を落とす弟の手を握り、涙をこらえて薄暗くなった田んぼの道を歩いた。 弟と草野さんは、同じく孤児となったいとこと3人で東京の親戚宅に引き取られた。暮らしは厳しく、質屋通いで賄っていた。学校で「くさくなっているから体をふきなさいね」と先