元和十年二月三十日(グレゴリオ暦1624年4月17日) 『元和』の元号は、讖緯(しんい)説にもとづき改元されることとなり、新将軍のもと『寛永』時代がスタートした。 ちなみに、讖緯説とは、古代中国の予言思想で、六十年ごとにめぐってくる『甲子(きのえね)』の年には大変革が起きやすいと説き、中国やその影響を受けた諸国では、動乱を未然に防ぐために、古来より甲子の年には改元されることが多い。 わが国では、平安時代以降、甲子の年に改元されなかったのは、足利義輝と三好長慶の対立で京都が緊張状態におちいっていた永禄七年だけだった。 ――その改元から二年目の冬。 長期出張を終え、三カ月ぶりにわが家に帰ったおれは、仏頂面の少年に出迎えられた。 「また来てるぞ」 式台の上の従弟は、ねぎらいの言葉もなく、いきなり不満をぶちまけた。 「またか。で、今日は何人だ?」 「三十。たぶん、青山のジジイが、おまえが帰府する日