角界入り[編集] 幼少期に父親の影響で柔道を始めたが、津市立敬和小学校に土俵が完成してからは毎日のように相撲を取って相撲が徐々に好きになり、地元の商店街で出場を勧められた相撲大会で優勝してからはさらに好きになった[注 1][4]。次第に対戦相手に困るようになると、立浪部屋後援会会員の中にアマチュア相撲三段の腕を持ち、「津相撲クラブ」の責任者を務める人物から指導を受け、津市立東橋内中学校へ入学して以降は立合いの当たりで対戦相手を土俵下まで吹っ飛ばすほどの実力を付けた。指導者の協力で、毎年の夏休みには立浪部屋へ泊まり込みで稽古し、6時に起きて周辺を5km走るのも絶対に欠かさなかった[4]。中学入学後は同じ中学生に十分な相手がいなかったために三重高等学校へ出稽古に出かけたが、高校生を相手に全く負けず、3年生の夏休みに相撲教習所で行われた日本相撲協会指導普及部の進級試験兼各支部対抗試合でも優勝した