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2020年11月30日のブックマーク (4件)

  • ギャラリー:ヨーロッパ人の3分の1を死なせた黒死病の歴史 画像10点

    王族の犠牲者は少なかった ヨーロッパでは膨大な人が黒死病で死亡したが、王族の犠牲者は比較的少なかった。1348年にアラゴン王ペドロ4世の妃レオノールが、1350年にはカスティーリャ王アルフォンソ11世がジブラルタル攻略中にペストの犠牲となった。(PHOTOGRAPH BY ORONOZ/ALBUM) ユダヤ人の迫害 1348年5月14日、バルセロナのキリスト教徒が行っていた行進は、ユダヤ人居住区域の襲撃に変わった。虐殺のきっかけは、司祭がユダヤ人を非難し、水と物に毒を混入して黒死病を引き起こしたと主張したことだった。ペストを口実に、ヨーロッパ各地のユダヤ人はしばしば激しい迫害を受けた。(PHOTOGRAPH BY AKG/ALBUM) 信仰心の高まり 地獄の業火に永遠に焼かれることを恐れ、多くの人が教会に寄付をするようになった。神の怒りを和らげようとする人々のおかげで教会の金庫は大いに潤

    ギャラリー:ヨーロッパ人の3分の1を死なせた黒死病の歴史 画像10点
  • 歴史が示唆する新型コロナの意外な「終わり方」

    「このインフルエンザはたとえば火事のようなもので、燃やせるものや近くにある木々などを燃やし尽くして、鎮火したのかもしれない」とスノーデンは言う。 社会的にも終息した。第1次世界大戦が終わったあと、人々は再出発や新たな時代に意識を向けており、病気や戦争の悪夢を忘れ去ろうとしていた。最近まで、1918年のインフルエンザはほとんど忘れられていた。 しかしその後も、ほかのインフルエンザによるパンデミックが起こった。「スペインかぜ」ほどひどくはなかったが、どれも衝撃的だった。1968年の香港インフルエンザでは、世界で100万人が死亡し、アメリカでの死者は10万人で、大半が65歳以上だった。香港インフルエンザのウイルスは、現在も季節性のインフルエンザを発生させているが、その最初の被害や、香港インフルエンザが引き起こした恐怖は、ほとんど思い出されることがない。 ワクチンがなくても終息する可能性 新型コロ

    歴史が示唆する新型コロナの意外な「終わり方」
  • 【100年前のスペイン風邪】海を渡った「悪魔」 離島の医療崩壊「空しく死待つだけ」 得体知れず、飛び交う流言 | 鹿児島のニュース | 南日本新聞

    〈忘れられた厄災・スペイン風邪 鹿児島の新聞から ②〉 1918(大正7)年12月に入り、県土で収束しつつあった「流行性感冒」は海を渡り、南の島々にも到達していた。大島警察署からの要請で奄美大島に渡った医師は12月6日、いよいよ大和村の現地に入ることになった。そして、驚くような光景を目にする。 老医師がタッタ1名いるのですがこの御医者さんも7、8日前から流感に罹(かか)って、当時までの約一週日の内というものは全く医師が無く、罹病(りびょう)者はいずれも床上に呻吟(しんぎん)して空しく死を待つという悲惨な状態であったのです (12月20日、鹿児島新聞) 医師は役場に臨時の診察室をつくり、午前8時から午後10時まで毎日診察した。300人の患者のうち2人が死亡した。住用村では住民5300人のうち1700人が感染していた。ここも無医村で、名瀬から警察医が派遣された。 このような実態は県内どこでも

    【100年前のスペイン風邪】海を渡った「悪魔」 離島の医療崩壊「空しく死待つだけ」 得体知れず、飛び交う流言 | 鹿児島のニュース | 南日本新聞
  • 渋谷・宮下公園跡地に「ミヤシタパーク」開業 —— 10年に及ぶ“ホームレス排除”の歴史を振り返る

    7月28日、渋谷・宮下公園に新たな商業施設「MIYASHITA PARK(ミヤシタパーク)」が、新型コロナウイルスの影響による延期を経て、ようやくオープンする。 同公園は、「ホームレス(野宿者)排除」をめぐる歴史の地でもあり、街の多様性について物議を醸してきたことでも知られる。過去の経緯やそこで積み残された課題は、その後どうなったのか。 ルイ・ヴィトンの巨大な看板が掲げられた「宮下公園」。足を踏み入れようとすると、手のアルコール除菌を求められた。警備員によるチェックを受けて検温をし、エスカレーターを上りながらふと後ろを振り返ると、渋谷のスクランブルスクエアが、鈍く光って見えた。 7月28日にオープンしたミヤシタパークは、JR渋谷駅から原宿駅に向かう山手線沿いに位置する、旧・宮下公園の跡地にある。公園・駐車場・商業施設・ホテルが一体となった複合商業施設だ。 開業はもともと東京オリンピック・パ

    渋谷・宮下公園跡地に「ミヤシタパーク」開業 —— 10年に及ぶ“ホームレス排除”の歴史を振り返る