性暴力を生き抜いた人たちやセックスワーカー、LGBTIQA、社会の中で差別や偏見に晒されがちな人たちの隣にいつもいようとしたのが宇佐美翔子という人間でした。そして、彼女が亡くなるまでの10年ちょっとをいつも一緒にいた私(岡田実穂)から見た最期の翔子をここに書き遺したいと思います。 いろんなこと、乗り越えたりずっこけたりしながら、それでも生きることを楽しもうとしていた彼女の言いたかったことって何かなって考えながら、書きました。 岡田実穂 「可愛いおっぱいが、”胸部”に変わったのが乳がんになった時だった。今度はまんこが、ただただ”膣”と呼ばれるようになったね」 彼女は涙を見せはしなかった。何度も膣がおかしい、穴が空いている気がする、腸から漏れている感じがする、と医者に訴えても、酷い時には「年を取ると肛門からの空気か膣からか分からなくなるから」と笑い話のように医者に言われていた。 信頼していた医
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