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2019年10月3日のブックマーク (2件)

  • 父の鶏がゆと、スクラップブック|有賀 薫

    父が亡くなった後で、一冊のスクラップブックが出てきた。 几帳面な父は雑誌や新聞から料理の記事を切り抜いて貼り付けていた。そこには料理も多少やる父が作っていた料理がいくつもあった。雑煮、豆のスープ、味噌汁の基。やはり汁物が多い。 そう、父はスープをこよなく愛していた。「好きだった」ではなく「愛していた」のほうに近い気がする。私のスープ好きは完全に父譲りなのだ。 料理人でもないのに築地まで足を運んで鰹節や昆布を買ってくるほどのだし好きで、晩年は自分で味噌汁のだしをとっていたし「おでんは大根でもさつま揚げでもなくて、だしを味わう料理だ」などと子供たちに言い聞かせていた。ポトフもロールキャベツもビーフシチューも「具は少なくていいから、汁をたっぷり」と、母によくせがんでいたのを覚えている。うちのシチューが汁多めでスープに近かったのは、間違いなく父のせいだった。 そんな父が作っていたお気に入り料理

    父の鶏がゆと、スクラップブック|有賀 薫
  • 返信は、いりません。|井上不二子

    「群像」2019年1月号に掲載された作家・笙野頼子の小説「返信を、待っていた」について、2018年12月22日の私の投稿をきっかけにツイッターで議論が起きた。火付け役であり、作中で「最も私にきついアカウント」と表現された者として、見解をまとめておく。 0.何を問うのかまず、文学を読まない私がこの文芸誌の小説に気づいた経緯について。 2018年9~10月の「ベルク騒動」(後述)のときに、私は「アホフェミ」という言葉を積極的に使うように呼び掛けていた。このとき「アホフェミ」という言葉が、使っている人たちの意図を離れていく可能性が、アホフェミを批判する側からも懸念されていた。そこで私はその後も時々ツイッターで「アホフェミ」を検索して、その用法がどうなっていくのか観察している。そこで引っかかってきたのが文芸評論家、岡和田晃の↓のツイートだった。 つまり私が「群像」を読んだのは、「アホフェミ」につい

    返信は、いりません。|井上不二子