タグ

ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (34)

  • 荒野の端のキャッチャー - 傘をひらいて、空を

    空いてないかなと友だちが訊く。空いてると私はこたえる。空いてるけど、勉強会かあ。小説読書会とか、美術館ツアーとか、ホームパーティとか、トレッキングとか、そんなだったら、行くんだけど。サヤカには向上心というものがない、と友だちが言い、どうもこの人は向上心がありすぎていけない、と私は思う。 友人の会社に川口さんという人がいる。川口さんは難しい問い合わせへの対処を担当している。社長を出せと要求していた人も、なぜだかずっと泣いていた人も、十数分ないし数十分ののちには、ある程度納得して電話を切る。その実績があんまり抜きん出ているので、社外の知りあいも呼んで川口さんをかこんで話をしようと、友人は考えた。私はそこに出かけることにした。暇だったのだ。 川口さんは四十代とおぼしき、華やかな格好をした女性だった。話す前に誰かが配った資料を見てふむふむとうなずいていた。なんだか川口さんが勉強する側みたいだ。私

    荒野の端のキャッチャー - 傘をひらいて、空を
  • 被初恋の人 - 傘をひらいて、空を

    あんまり知らない人から、それもちょっと悪くない感じの人から好きですって言われたら、マキノどう思う。彼がそう訊くので私は少し考える。どうって、相手によるけど、嬉しいかな。でも相手のことよく知らないんだよね、それならまずはお話をしなくてはね。事に行きましょうと言うよ。あるいはお茶、お酒など。 僕もそう思った、と彼は言った。でもずいぶん勝手が違ったんだ。それからなぜか携帯電話を一度手に取り、操作せず鞄に戻し、話しはじめた。 彼はよく知らない女性から好きですと言われ、持ち帰って検討した。まずは話そうと思って受けとった電話番号にかけると、彼女は出なかった。折り返しもなかった。半月ばかり経ってから突然電話があった。ごめん仕事が忙しくて、と彼女は言った。それで、なんの用だったの? あなたが僕に用事があると思って、と彼は言った。だからかけたんだ。そうなんだ、と彼女は言った。彼らは少しのあいだ沈黙した。彼

    被初恋の人 - 傘をひらいて、空を
  • 僕は忙しくない - 傘をひらいて、空を

    久しぶりに彼が参加するというので楽しみにしていた。その会合は仕事がらみで成立した集まりではあるけれど、参加者の年齢が近くて直接的な利害関係が薄いので、行って話すとなんとなく元気になる。 彼はずいぶんと多忙な職場にいて、子どもが生まれて一年くらいで、それだから、まだ来られないかと思っていた。彼は頭の回転が速く私の毛嫌いするたぐいの偏見を持たず言葉遣いが快く、時おり抑制された毒気を含み、話していてたのしい。 今日はカナツさんが来るって聞いたから来ましたと言うと彼は衒いなくほほえみ、どうもありがとうとこたえた。もてるねえと誰かが言い彼は苦笑してマキノさんは僕と話すのが好きなだけですよと説明する。色恋沙汰じゃなくってももてるって言う用法が広がればいいのになと私は思う。 ひとしきり互いの近況を話して、カナツさん忙しいですねえと私は言った。彼は視線を落としてから、持ち時間はあまり多くないですね、とこた

    僕は忙しくない - 傘をひらいて、空を
    rumbaba
    rumbaba 2011/07/27
    "忙しいというのはつまり、おまえは それに優先しないという宣言です よ。"
  • 二重写しの視界 - 傘をひらいて、空を

    彼のあいさつを聞いて、堂々としている、と私は思った。とても、堂々としている、このひとはまるで、失敗したことがないみたいだ。 彼はずいぶんと名のある企業から、若いうちに裁量を与えられたくて転職してきたというのだった。いかにもさわやかな様子だったので、お酒の席で、久々のヒット、などという女性たちもいた。マキノさんはどう、と訊かれて私はあいまいに笑い、首を横に振った。どうしてと訊かれて、私は、はじらいのない 人は、なんだかいやだ、と思って、でも言えないから、だって、年下でしょう、とこたえた。いくつも変わらないじゃない、マキノさん古いんだから。そう言われて私はもう一度、あいまいに笑った。 ほどなく、彼に関する噂を聞かなくなった。みんなそれに飽きたのだ。でも私は飽きなかった。彼のたたずまいはどこか奇妙な余韻を感じさせた。それは決して快い感覚ではなかった。彼は相変わらず、ひどく堂々としていた。 彼は七

    二重写しの視界 - 傘をひらいて、空を
  • 遭難のあと - 傘をひらいて、空を

    夜中まで仕事をしていて手洗いに立ち眠気覚ましに歯を磨いてると、顔見知りの別の部署の社員が入ってきた。彼女はぱっと顔を輝かせて私の使っていた電動歯磨きの商品名を宣言した。うれしそうだった。かわいい人だなと私は思う。中年にさしかかった私よりさらにひとまわり年かさだけれども、でも、ずいぶんと無防備に見える。 彼女が自動販売機の前で立ち止まったので、コーヒーか日茶でよければ淹れますよと私は言う。彼女はふたたび、見ていて不安になるような邪気のない笑いかたをして、コーヒー、と発音する。 私のセクションにはもう誰もいなかった。彼女は私の出したカップをうれしそうに両手で包んだ。私がうつむいて笑うとどうしましたと訊くので、だってあんまりうれしそうだから、と私は言った。彼女は左手の親指でこめかみを二度三度と押さえ、それからひっそりとほほえんで言う。私は今なんでもうれしいんですよ。どうしてかっていうと、遭難の

    遭難のあと - 傘をひらいて、空を
    rumbaba
    rumbaba 2011/06/15
    よんでる
  • 彼の優等生 - 傘をひらいて、空を

    はどうですかと彼が訊くので、私は心底から絶賛した。あんなに有能な人はそういません、彼女はうちの部署のエースです、準備は周到で進行は計画的、アウトプットにムラがない、もう完璧です。 彼ははずかしそうに、いやあ家ではぜんぜんそんなことないんですけどね、家事は手抜きですしね、子どもだってよくおばあちゃんに預けてますよ、と言う。フルタイムの仕事で優秀な成果をあげてなおかつ家のこともきっちりこなしている段階でものすごい、と私は思う。 私など子どもも育てていないし、休日に有意義なことをしているわけでもない。どうかすると家から出ない。掃除が面倒なあまり、部屋に物がない(なければ散らからないから)。料理は嫌いではないけれども、面倒になるとしない。大鍋にいっぱいのカレーやおでんをつくって三日三晩べ続けたりもする。彼女は絶対にそんなことしないと思う。 私は初対面の男性が気を悪くしないことばを選んでその思い

    彼の優等生 - 傘をひらいて、空を
    rumbaba
    rumbaba 2011/04/13
    よんでる
  • 大丈夫って言いたくなかった - 傘をひらいて、空を

    ゆうべも揺れたねと彼女は言った。ねー、怖かったあ、と私はこたえた。眠ってても揺れた気がして起きちゃうし、ほんと、つらい。 彼女は一瞬の、ずいぶんと重量のある沈黙ののち、表情のない声を出した。サヤカあなたなんでそんな簡単につらいって言えるの。私はいささか仰天してとりあえず謝った。彼女はひゅっと音をたてて息を吸い、無表情のままそれを少しずつ吐き、ううん、謝ることないの、と言った。 大丈夫ってみんな訊くでしょう。彼女は言う。地震直後は、それがうれしかった。会社から歩いて家に着いて、家族もけがしてなくて、とてもほっとして、よろこんで返事した。でも地震が続いて、電気が止まって、仕事にも少しずつ支障が出てきて、買いにくいものがあって、みんな、また訊いてくれるの。心配して声かけて、メールをくれる。大丈夫って私、言う、メールを書く、大丈夫平気大丈夫です大丈夫です大丈夫です、 私はおろおろしてカフェの椅子を

    大丈夫って言いたくなかった - 傘をひらいて、空を
    rumbaba
    rumbaba 2011/03/28
    "表現された感情を自分で認識すると、その感情は強く感じられて、その人の中で意味づけされるの"
  • おしらせ iPhoneアプリの売上を寄付します - 傘をひらいて、空を

    「傘をひらいて、空を」iPhoneアプリについて、アプリ開発者の@kataxさん、デザイナの@t_ayayayaさんと相談し、リリース以降の蓄積と今後一週間までの売上からAppleの手数料を除いた全額を、東日大震災救援金として寄付することにしました。 今までお買い上げいただいた方に、改めてお礼申し上げます。いつか買おうと思っていらした方は、寄付として有効な期間にお買い求めくださるとうれしいです。 寄付する機関などは、このブログとtwitterで追ってご報告します。 - 二〇一一年三月十四日 追記 日赤十字社が義援金・救援金の受付を開始しました。iPhoneアプリの売上はこちらに寄付します。 また、昨日は一昨日以前よりずっと多くの方にアプリをダウンロードしていただきました。ありがとうございます。 なお、地震の名称は報道等の変更にあわせ、「東日大震災」と修正しました。

    おしらせ iPhoneアプリの売上を寄付します - 傘をひらいて、空を
    rumbaba
    rumbaba 2011/03/13
    いいアプリを買ったな。と改めて思った。
  • 前半だけのサマー - 傘をひらいて、空を

    誰かと映画にいきたい、というメールを受けとって、『(500)日のサマー』を観にいった。彼女と会うのは五年ぶりで、もともとそれほど親しいわけでもない。なんで私と映画に行くんだろうと思って、家族と出かけたりしないのと訊いた。 あんまり、と彼女は言う。夫は長期出張中、私は育児休暇中、赤ちゃんとふたりっきりで、それがずーっと続くのもなんだか良くない感じでね。母が来てくれたから娘を預けたの。 ママ友とかいないのと訊くと、いない、もともと友だちが少ない、と彼女は言う。あなたもあんまり友だちいないでしょ、だから映画くらいつきあってくれると思って。独身で暇そうだし。 まあね、と私は言う。彼女は正しいことをあっさりと口にするたちで、お愛想ということばを知らず、おおかた仏頂面でいる。私はそれが嫌いではない。真顔だから一見不機嫌にも見えるんだけれど、中身はそれほど不機嫌な人ではない。彼女の無表情は、生来の正直さ

    前半だけのサマー - 傘をひらいて、空を
    rumbaba
    rumbaba 2011/01/10
    大事に読んでいこうと思います。 "前半だけのサマー"
  • とっとーの時間 - 傘をひらいて、空を

    扉のひらく音がした。集中していなかった証拠だ。完全に没入しているとき、その音は聞こえない。いきなり家族が視界に入ってくる。こんな夜中には、はまず来ない。来るのは彼に似て宵っ張りな娘だけだ。 とっとー、とっとーと彼女は言い、椅子によじのぼる。彼はや娘が仕事部屋に入ってきたときのために、デスクの横に椅子を置いている。彼女たちはそれに座る。娘は彼の膝の上に置かれるより、大人のように椅子に座るほうが好きだ。 彼は自分の椅子のレバーを引く。視界が十センチ下降する。彼女はうれしそうにぷしゅうと言う。椅子を低くするのは最初、視線の高さを娘のそれに近づけるためだったのに、今ではどちらかというと彼の芸みたいになっている。円滑に親をやるにはちょっとした芸が必要だ、と彼は思う。フリスビーを取ってくる犬みたいな。わんわん。 わんわん、と彼女は返す。そうして犬の人形を彼のシャツにごしごしとこすりつける。犬はひし

    とっとーの時間 - 傘をひらいて、空を
    rumbaba
    rumbaba 2010/11/10
    "円滑に親をやるにはちょっとした芸が必要だ、と彼は思う。フリスビーを取ってくる犬みたいな。わんわん。"
  • 涙袋 - 傘をひらいて、空を

    カフェでを読んでいて、隣のテーブルの女性が落ちつかない様子をしていることに気づいた。 彼女はおずおずとあたりを見回し、ウェイトレスを目で追い、でも声はかけずに、窓の外を見たりうつむいたりしていた。見たところ四十代半ば、少し面やつれしているけれども、ごく清潔な印象の、端正な人だった。私と同じように、彼女もひとりだった。 またしばらくを読んでいると、隣のテーブルから、あの、と声が聞こえた。隣の女性が立ちあがってウェイトレスを呼びとめたのだ。ウェイトレスははたちくらいの女の子で、とても愛想よく、はい、と彼女を見あげた。ずいぶんと小柄な人だった。 コーヒーはまだでしょうか、と彼女は言った。ひどく遠慮がちな、ほとんどおびえているような口調だった。ウェイトレスは、は、というような音声を発し、目をくるりと動かし、一度息を吸ってから頭をさげた。 私はさきほどべつの店員と交代したのです。私たちはお客さま

    涙袋 - 傘をひらいて、空を
  • 感情とその器 - 傘をひらいて、空を

    今なにしてた、というメールが入ったので、返信を書いた。半身浴をしてから、がんがんに冷やしておいた部屋に出て、あまりにいい気持ちなので叫んだところ。ぽぅ! 数分後にメールが来た。ぽぅってなに。私は携帯電話を操作する。マイケル・ジャクソンがやってたようなやつ。これでお風呂上がりの喜びが十全に表現されると私は思うね。ぽぅと叫ぶと充実感がからだに満ちるよ。送信。 着信。それ一人でやってるの。ばかすぎる。でもなんかこう、ぴったりの感情表現を見つけるとすっきりするよね。それはたしか。笑わないとうれしい感じって出ない。笑って足りなかったらマイケル化するのも、まあわかる。 私は髪を乾かしてからそのメールを読み、そうでしょそうでしょ、と書く。こないだ一緒に買ったサンダル、あれ家で見てたらほんとにかわいくてまたテンションあがっちゃってさあ、でもそれはマイケル化する感じじゃないんだよね。ブブゼラがほしい。ブブゼ

    感情とその器 - 傘をひらいて、空を
    rumbaba
    rumbaba 2010/07/22
    ぽぅ
  • 間がもたないデートと精神的な内臓 - 傘をひらいて、空を

    私が電話に出るなり、あのさ、彼氏とどんな会話する、と彼は訊いた。彼氏によると私はこたえた。相手によって話題は変わる、友だちと何しゃべってんのって訊くのと同じで、具体的な内容を答えられる質問じゃないね。 めんどくせえ女だなあ、今までの誰かひとり適当に見繕って答えてくれってことだよ、空気読め、と彼は言った。なんで私があなたの吐いた空気を読む義務があるのと私は訊いた。彼は楽しそうに笑った。彼は会話の中で軽くやりこめられるのが好きだ。 私は携帯電話を耳に当てたままベッドに寝そべって話す。まずは好きって言うよね。そんなん一秒で終わるだろと彼は言う。二文字じゃん。わかってないなと私は言う。好きにもいろいろバリエーションがあるの。褒めるとか。人によってはなに着ててもまずは褒めてくれる。なにも着てなくても褒める。どうかすると電話に出ただけで「相変わらずかわいいねえ、声がとても」とか言う。 狂ってると彼は言

    間がもたないデートと精神的な内臓 - 傘をひらいて、空を
    rumbaba
    rumbaba 2010/07/19
    [読み物] RT: 間がもたないデートと精神的な内臓
  • 新しいから傷つける - 傘をひらいて、空を

    友だちの家のPCの動作がおかしいというので見にいった。だいぶ古くて起動に十分もかかる状態だったので、さしあたり彼女が必要としているDVDの再生ができるようにクリーンインストールすることにした。 彼女の仕事用の携帯電話が鳴り、彼女は私にことわって出た。はい、いつもお世話になっております。いえいえ、はい、なるほど、担当がそのようなことを申しましたか。 彼女は五分ほど電話で話しつづけた。ほとんどは相槌だった。いろいろな種類の、さまざまな重さの、一定以上の温度を保った相槌だ。彼女はそのあと、仕事にしてはいささか親しげに短く笑って、いいえ、いいんですよ、と言ってから電話を切った。 私はBIOSを確認し、それを覗いた彼女はなんだか怖そうな画面、とつぶやく。怖くないよ、これはWindowsの下に入っているソフトなんだよと私は説明する。 ディスクがかりかりと音をたてて書きこみをはじめる。私は彼女の出してく

    新しいから傷つける - 傘をひらいて、空を
    rumbaba
    rumbaba 2010/06/28
    きれいな文章。