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教養論に関するsarabandaのブックマーク (7)

  • あなたは森毅を読めていない(同じく元・ダメ学生より)

    私も森毅のが好きだった立場だが、一言いわせてもらう。 確かに怠惰を奨励するような言説が世に跋扈していて、それに惑わされる若者がいることは認めよう。そういう人たちを批判すること自体は構わないと思う。しかし森毅をそこで非難するのは誤爆と言わざるを得ない。 そんなときに、森が著書の中で 「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリートは勝手に育つもんだ」 と主張していたのに、救われた気がした。 いったい森毅がどこでそんなことを言っていたのだろうか。 森毅が言っていたことは、私の解釈では、 「こうあるべきだ、という型に囚われる必要はないし、『エリートたるものかくあるべき』という型に学生をはめるのも馬鹿らしい」 「人に言われたことやイデオロギーを何でもかんでも真に受けて生きるのは痛々しいし危ない」 というそれだけのことに尽きる。ただ、これらの命題は自家撞着と紙一重(「俺の言うことを

    あなたは森毅を読めていない(同じく元・ダメ学生より)
    sarabanda
    sarabanda 2010/03/09
    「『青春』をエンジョイすることを放棄して人よりも多くの勉強時間を使っていたのに、人より飛び抜けて優秀でもない自分に嫌気がさしつつ、どうしてよいか全然わからなかった」
  • 「わたし」が人をフィルタリングする、こと

    http://anond.hatelabo.jp/20100129222703 最悪な夕だった いつもは自炊しているんだけど今日は面倒になったので途中駅で降りてご飯をべてきた。そしたら隣の席に座ってた女性2人の会話がクソ過ぎて引いた。 彼女たちは最近行った合コンが最悪だったって振り返っているみたいだった。男性側幹事が高学歴を連れてくるとか言ってたから、2人はすごく期待して参加したのに、来た男性陣がぜんぜん高学歴じゃなくて、これじゃ詐欺だったと嘆いてた。彼女ら曰く「○○大って言っても○○学部だったらエア○○大卒じゃん。その学部で○○大卒とか言うなってのwww」とギャハギャハ笑ってた。こう書くとネタくさいけど、でもギャハギャハとしか表現できない笑い方だった。 なんていうか、合コンが残念な結果だったって話は良くあることだし愚痴ったっていいと思うけど、レストランとかで大声でする話じゃない。席変

    「わたし」が人をフィルタリングする、こと
    sarabanda
    sarabanda 2010/01/30
    「『あたまがいい』とされている人が会話して『あ、こいつ、ちゃんと、あたまいいじゃん。』と思われた人しか、救われない」
  • 54. 「そんなの知らない」と誇らしげに言う人たち。 ~「下から目線」と「負の教養主義」(2):日経ビジネスオンライン

    日直のチノボーシカです。 前回、下から目線の人たちの「負の教養主義」について予告しておいたとおり、その話をさせてもらおう。 ドイツ哲学やクラシック音楽や世界文学の名作や近代美術といったものを背負った「旧・教養主義」は、大正時代に誕生し、その後少しずつ性格を変えながら昭和初期に拡大、第2次世界大戦後も昭和30年代までは元気だった。1960年代の学生運動の盛り上がりと終焉は、いわば教養主義の自己解体作業だった。1980年代半ばの「ニューアカデミズム」を、旧・教養主義の最後の輝きと位置づける論者もいる。 旧・教養主義が退潮すると、1970年代には「サブカルチャー教養主義」と「負の教養主義」が若者の文化を牽引する。

    54. 「そんなの知らない」と誇らしげに言う人たち。 ~「下から目線」と「負の教養主義」(2):日経ビジネスオンライン
    sarabanda
    sarabanda 2009/12/21
    「『負の教養主義』の主語はおそらく、『私たち大衆』なのだと思う」/日本大衆社会には、「オタク」(=マスカルチャーに対するサブカルチャー)と「ガリ勉」(=教養主義)に対する根強い蔑視がある。
  • 輸入学問の功罪 - まとまり日記

    輸入学問の功罪―この翻訳わかりますか? (ちくま新書) 作者: 鈴木直出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2007/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 51回この商品を含むブログ (51件) を見るを読んだ。 このは、カントやマルクスといったドイツ系の哲学書の翻訳が一般読者にまったく理解できないものになっていることを告発しつつ、その背景を、市場から乖離した教養主義に求めたもの。 著者は第一章で、哲学書の翻訳が一般読者にきわめて読みにくいものになっていることを、『資論』の翻訳を例にして示す。著者は、1924年に刊行された高畠素之の翻訳とそれより二十年遅れて出版された向坂逸郎の翻訳(岩波文庫)を比較し、向坂訳が一般読者にとってきわめて読みにくいものになっているのにたいし、それより二十年前に出された高畠訳のほうが読みやすさという点では上回っていることを例示する。この可読性の低さ

  • 请稍等,正在进入...

    sarabanda
    sarabanda 2008/05/31
    「『お勉強』をした結果『お勉強だけでは世間で通用しない』と考える発想と、最初から『お勉強』をサボった上で『お勉強だけでは世間で通用しない』と考える発想とでは、差異がある」
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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    sarabanda
    sarabanda 2008/05/12
    「世情が厳しくなって、『適応』が困難にして重大な課題となった今では、むしろ大学生にとって読書は避けられるべきものとすらなっているのかもしれない」/「学者先生や院生さん」という閉じたサークル
  • 補足。美術館にしろ古典文学にしろ、それが保存されるのは、何らかの国益..

    補足。美術館にしろ古典文学にしろ、それが保存されるのは、何らかの国益なり経済的利益なりに結びついているから、ではない。 いや実際にはそう考えてる下種な政治家も多いだろうけど、芸術的にはそうあるべきではない。 芸術作品それ自体に芸術的価値を認め、市民がそれを保護することを支持し合意しているからだ。ようは「楽しまれている」「愛されている」からなんだ。 「なるほど古典教育は無駄だろう。しかし、このくらいの無駄遣いしたっていいじゃないか、みんなが望んでいるのだから」 この程度の主張にしておけばいいんじゃないか? 文芸作品は心を豊かにはするだろうからな。 それを世俗的な出世や経済的利益のために必要な教養だ、とやるからひどい主張になるわけで。 これ以外の何らかの価値を、まして「必要性」などというおこがましいものを、たかが道楽にこじつけたいのであれば、まあ勝手にやればいいとは思うが、証明もなしに天下りに

    補足。美術館にしろ古典文学にしろ、それが保存されるのは、何らかの国益..
    sarabanda
    sarabanda 2008/04/16
    「この程度の主張にしておけばいいんじゃないか? 文芸作品は心を豊かにはするだろうからな。それを世俗的な出世や経済的利益のために必要な教養だ、とやるからひどい主張になるわけで」
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