タグ

2008年7月19日のブックマーク (10件)

  • 純粋まっすぐ非モテ君に恋愛が不可能であることの証明|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    人間関係というのは恐ろしく複雑でマージナルなものだ。 ・純粋まっすぐ非モテ君 - E.L.H. Electric Lover Hinagiku ここでいう「純粋まっすぐ非モテ君」の悲劇は、理想の前提となる「1bitな世界観」が現実には成立し得ないという事実にある。これは、妥協して現実と折り合うべきだとかそういう次元の問題ではない。おそらくは現実の誤認、或いは、現実に対する無知によって理想の構築に失敗しているだけの話である。「鳥のように空を飛べたらなぁ」というのは、夢想であって理想ではない。つまり、純粋まっすぐ非モテ君が考えるような「理想の恋愛」はただの「夢想の恋愛」である。「おれは目を見詰めるだけで、相手のすべてが分かるんだぜ」という人にしか実現し得ない。 たとえば、純粋まっすぐ非モテ君が女性を口説くには、その相手のことを「当に好き」である必要があるという。いきなりの難問である。ぼくは女

    sarabanda
    sarabanda 2008/07/19
    「彼ら(普通に恋愛をしている人たち)は決して理想を諦めて現実的な対処法を探しているわけではない。そもそも『理想的な関係』とは何かというところから迷い、悩んでいるのである。全員がとはいわないけれど」
  • ひさびさに出会い系の歴史についてコメントしました - MIYADAI.com Blog

    ──────────────────────── 現実の性愛の貧困化が、出会い系にモロに反映する ──────────────────────── 【彼女がいないという問題の浮上】 ■今年6月8日の秋葉原の通り魔事件から語り始めることをお許し願いたい。容疑者がネット掲示板に多数の書き込みを残していた。極めて印象的なのが、「彼女がいない」ことを過剰に気にしていることだ。事件の直前に出会い系での失恋があったらしいこともうかがえる。 ■「彼女がいない」ことを過剰に気にする作法は古くさい。フィールドワーカーだった経験からいうと96年を境に薄れていく作法だ。96年は援助交際が下り坂に向かう折り返し点。平行してナンパ系が下り坂に向かう折り返し点でもある。ナンパ系がカッコよくなくなるのだ。 ■若者のデートカルチャー――別名「ナンパ・コンパ・紹介の時代」「性と舞台装置の時代」――の始まりは77年。サーファ

    sarabanda
    sarabanda 2008/07/19
    「こうしたナンパ系の地位低下とは別に、ネットを通じてコミュニケーション回路がオタクに開かれたことも手伝って、オタクは楽になった」/オタクの地位向上はあっても非モテの地位向上は起こらなかった。
  • 非モテとは男女関係のルールを勘違いしている男たちのことだった - ハックルベリーに会いに行く

    はてなでは相変わらず非モテ談義が喧しいが、http://anond.hatelabo.jp/20080714212232を見て思ったこと。 この増田は「男女交際」がどういうものなのか知らないみたいだね。「好きでもない女の子を口説くこと」を嘘つきだとか不誠実だとか人の道にもとるとか言って糾弾してるけど、男と女というのは、そういうのを超越したところにある。恋とは結局ゲームなのだよ。狐と狸の化かし合いなのだ。嘘をつくのがルールなのだ。そういうルールのゲームに対して「嘘をつくのはおかしい」と糾弾するのは、ナイーブ以前にとんちんかんだ。 上に引いた増田は、なんでも一人の女性に未練を引きずっているらしい。何度断られても口説いてしまうのだそうだ。そんな自分を「キモいストーカーと思われても仕方ない」と自省してる。「人の道を外れたことはしていない」としながらも、自分を「時代遅れのバカ」と言って苦しそうだ。だ

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    sarabanda
    sarabanda 2008/07/19
    「人に『やろう』と言わせることは難しい。・・・そのための入り口は、まず膝をついた人が、なぜ膝をつくに至ったかへの共感からでなくては、難しいと思います」
  • livedoor ニュース - 【オトコ魂】華麗なる?「ヒモ」の生活

    【オトコ魂】華麗なる?「ヒモ」の生活 2008年07月14日20時00分 / 提供:オトコ魂 昔から「髪結いの亭主」はオトコの理想と言われているが、「髪結いの亭主」とは「女房が働くからオレは働かなくていい」といういわゆるヒモ状態だ。 「ヒモ」というと一般的には女を働かせてオノレはのうのうと遊んでいるひどいオトコというイメージだが、「実際にはそういうダメ男に貢ぎたい女性が世の中にはおおぜいいます」と言い切るのはプロの「ヒモ」の鍵 英之氏(43歳)。 彼は、早稲田大学を卒業後、世界に名だたる一流企業に就職しながらも「自分の人生の目的は女性経験の生涯人数を増やすことにあり」と悟り、エリートコースを捨て、以来専業「ヒモ」として女性たちにべさせてもらっている。 この10数年に及ぶ彼の華麗なるヒモ生活はその著書「完全 ヒモマニュアル」に詳しいが、そのテクニックを真似たい熱烈な支持者も多く(支持者はオ

    sarabanda
    sarabanda 2008/07/19
    「一生懸命勉強して早稲田に入学できたのに、母親の言うようにはモテず、自分の努力はいったいなんだったのか?と疑問を持ったと言う」/ここだけ聞いたら典型的な非モテ(理系に多いタイプ)
  • なぜ「秋葉原」なのか―スペクタクル化という逆流 - 絶倫ファクトリー

    <ユートピア>の脱走者/破壊者 朝日新聞デジタル:どんなコンテンツをお探しですか? 8日午後0時30分ごろ、東京都千代田区外神田3丁目の路上で、車が通行人らをはねた後、車から降りてきた男1人が通行人らに刃物で次々に切りつけた。東京消防庁によるとけが人が17人(男性14人、女性3人)おり、警視庁によるとけが人には警察官(53)も含まれる。このうち心肺停止状態の人も5人程度いるという。 現時点で6人の死亡が確認されている。(書き始めたときは3人だったのだが、次第に増えた。ご冥福をお祈りいたします。) 犯人は逮捕されたが詳細な動機は分かっていない。当初暴力団員と名乗っていたらしいが、後に撤回された。一部報道では「生活に疲れてやった」と述べているらしい。奇しくも今日は7年前、付属池田小で宅間守が起こした事件を起こした日のようだ。 宅間守についてはこのエントリの後半に書いたのだが、今回の犯人も似たよ

    なぜ「秋葉原」なのか―スペクタクル化という逆流 - 絶倫ファクトリー
    sarabanda
    sarabanda 2008/07/19
    「よくオタクが『俺たちの知っている秋葉原は死んだ…!』と嘆くのは、こうしたコミュニケーション志向空間から、メディアを通じて喚起されるスペクタクル志向空間に変わったことを指すのではないか」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    台湾ひとり事旅(前編) 台湾へ行ってきた。チケットと宿を予めおさえていたものの、台湾地震の発生で予約を一度はキャンセル。その後の台湾観光庁の旅行に来て大丈夫だよ、という声明を確認してやはり行くことに。 目的はシンプルで、台北周辺で美味しい事をたくさんべること。そして自宅…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    sarabanda
    sarabanda 2008/07/19
    「『成熟』とは『理想に合わないノイズ部分の容認』と『相手の理想に合わせた演技能力の獲得』」「成熟してない他者への適応とは他者にあわせる事だけであって他者は絶対に自分を受け入れてくれない」
  • 「空気なんか読めなくて良い」が欺瞞に見えるレトリック|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    過剰なレトリックは質的なところを見失わせるのかもしれない。 ・MORI LOG ACADEMY: 空気なんか読めなくて良い このエントリの筆者は作家なのだから、ある程度レトリックについて自覚的なはずだ。「僕は、生きるということは、そういうものだと感じている」という一文までは、表題と無関係ながらまあ分かりやすい話だと思って読んでいた。問題はその先だ。表題の「空気なんか読めなくて良い」にはまったく同意する。だから読んだ。どんな書かれ方をしているのか興味を持ったからだ。率直にいうと、失望した。こんなことを書くとファンの人は気を悪くするかもしれない。人を不快な気持ちにさせるのは意ではないけれど、この引っかかりはちょっと看過できない。 空気を読め、という言葉が些か暴力的に乱用されることをぼくは好まない。けれども、これは程度の問題だとも思っている。空気を読め、が尤もだと思える場合だってやっぱりある

    sarabanda
    sarabanda 2008/07/19
    「過剰に自分を殺して人に合わせることと、周囲の状況に鑑みて適切に行動することとは同じではない。それをどちらも『空気読め』で済ませるからややこしくなる」
  • 承認という幻想をシェアするために|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    承認欲求の不幸はその強さと承認可能性が反比例するところにあるのかもしれない。 ・非承認型社会「日」へようこそ - Thirのはてな日記 ・承認なんて自分でしろよ。 - 飽きたら消すよ。 ・「承認」はどのようにして得られるのか? - Thirのはてな日記 ・承認ほにゃらら - 飽きたら消すよ。 ひとつ目のリンク先でいう承認の壁は相当に厚い。件の仮説が当たっているなら、人はあるがままの自分を誰かに受け入れてもらえない限り生きてはいけないということになる。これはいくらなんでもハードルが高すぎる。人は絶望的なディスコミュニケーションを前提に、何とか互いを認識し合うための方法を発達させてきた。少なくともぼくはそう認識している。だから、あらゆるコミュニケーションが不完全なのは当たり前だ。自分自身のことですら、仮想の自分とコミュニケートすることでしか認識できない。自分が認識できる自分というのは、その意

    sarabanda
    sarabanda 2008/07/19
    「恋人ができることは承認されることなんかではない。・・・/承認欲求が満たされているように見える人たちは、この程度のことで自己信頼を高めることができ、承認されているという幻想に浸れる人たちなのである」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ビールとポップコーンと映画 ラストマイルを見た。良い映画だった。 映画館でべそべそ泣いて、鼻を啜りながら車で帰った。感想はこのブログでは書かない。みんな映画館に行って感じてみてほしい。 帰ってからツイッターで感想を漁り、うんうん、わかるわかる、そうだよね、とまた映画を思い出して…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    sarabanda
    sarabanda 2008/07/19
    「いっぽう現実主義は、マヌーバに耽溺して確固たる目標を見失いかねない。ややっこしい状況を、ひょいひょいっとやりくりしていくことを自己目的化してしまい、結果的に無定見の日和見主義に陥る可能性がある」