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ブックマーク / www.h-yamaguchi.net (3)

  • 岡田斗司夫氏の定義により晴れて「非モテ」と認定された件 - H-Yamaguchi.net

    しばらく前に「モテ・非モテ」みたいな議論がネットでさかんに行われていたように思う。その当時は議論に参加しようとはあまり思わなかったのだが、その大きな理由の1つは「何がモテ・非モテなのかわからない」だった。いろいろな人がそれぞれに定義をしていて、その定義の混乱が白熱する議論のほとんどを作り出しているように見えたので、それに参加するのはあまりに不毛だと思ったわけだ。「非モテ」の人が集っているらしい「非モテSNS」を見ても、「非モテとは=モテない人たち」としか書いてなくて、これじゃ何もわからない。そうこうするうちに時間もたち、すっかり忘れていたのだが、久しぶりに思い出した。岡田斗司夫氏が2010年1月23日付朝日新聞「be」の「悩みのるつぼ」欄で「モテ」に関するきわめて明快な定義を示していたからだ。 この件については、それより前に「岡田斗司夫のゼネラル・プロダクツ」で紹介されていて、それで読んで

    岡田斗司夫氏の定義により晴れて「非モテ」と認定された件 - H-Yamaguchi.net
  • 希望格差社会と不幸の「発見」 - H-Yamaguchi.net

    「幸福な家庭はみな似通っているが、不幸な家庭は不幸の相もさまざまである」。トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」冒頭の一文だ。白状すればこの小説を読んだことはないのだが、有名なことばだから知ってはいた。名言とされているわけだし、ひとつの真実をとらえたものなのだろうが、どこかに違和感を感じていた。(この小説を読まずにこんなことを書くのはあまりに無謀なのだが、小説に文句をつけるつもりはないということだけはことわっておく。) 「希望格差社会」というが注目を集めている。まだ読んでいない(これもかよ)ので書評ではないが、このタイトルを聞いて上記のことばを思い出した。家庭の話と個人の話はちがうのかもしれないが、「家庭」を「人」に言い換えたら、けっこう似ているのではないか、と思ったのだ。以下、ついでに頭をよぎった思いつきを記録しておく。 トルストイの名言に戻ると、あのことばは、おそらく次の2つのどちら

    希望格差社会と不幸の「発見」 - H-Yamaguchi.net
    sarabanda
    sarabanda 2009/01/11
    「幸福な家庭はみな似通っているが、不幸な家庭は不幸の相もさまざまである」「家庭の話と個人の話はちがうのかもしれないが、『家庭』を『人』に言い換えたら、けっこう似ているのではないか、と思ったのだ」
  • 「道路が必要でない」なんて誰も言ってない - H-Yamaguchi.net

    今国会で話題になってるガソリン税と道路特定財源の問題は、人によって、というかその人の置かれた立場によって意見が異なるテーマだろう。以下は自分の意見で、反対の人も多いと思うが、近い考えの人もけっこういるのではないかと思うので、あくまで一市民の実感として書いてみる。国会とかテレビとかでの政治家の皆さんの「論戦」はどれもポジショントーク色が強くて、結果としてなんか争点がずれちゃってるように思うので。 以下手短に。国民生活上必要な道路がまだ充分整備されていないという点に関して争う気はない。じゃああの、地方でよく見る、いつ通っても前後見渡す限り他の車が見えない有料道路とか、ガラガラの国道のすぐ横を通るバイパスとかは国民生活上必要だったのかなんで必要な道路を先に作らなかったのか小一時間しかるべき方々に問い詰めたい気持ちもなくはないが、その地方なりの事情があるんだろうし、もう作っちゃった道路を元に戻すこ

    「道路が必要でない」なんて誰も言ってない - H-Yamaguchi.net
    sarabanda
    sarabanda 2008/01/28
    「当面のところ、道路建設とその他を同列に考えるということは、一般財源化するってことになる」「個人的には、『政治家』ではなくて『政策』に投票できるしくみとかがあったらいいのに、と思う」
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