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三宅サルトルに関するsarutoraのブックマーク (2)

  • 自己差別と自己変化 - heuristic ways

    『知識人と社会』の著者・三宅芳夫氏のプロフィールを見て、氏が『批評空間』第Ⅱ期19号(1998年)に、「留保なき否定性――二つの京都学派批判」という論文を寄せていることに初めて気づいた。マイケル・ハートの「監獄の時間」も載っている号だが、どうやら私は三宅氏の論文を読んでいなかった。ざっと目を通すと、これは、竹内好と武田泰淳(二人は戦時期、ともに「中国文学研究会」のメンバーであった)が京都学派(高山岩男や高坂正顕)の「世界史の哲学」(「大東亜戦争」を正当化するイデオロギーであったとされる)に対してどういうスタンスを取り、いかに批判的な視座を獲得していったかを論じたもので、私が面白いと思ったのは、フランス第三共和制の下で「人間主義」「権利」「市民」といった普遍的概念に(人種差別的な帝国主義=植民地主義の)抑圧と隠蔽を見出したサルトルを論じている著者が、日の文脈では、竹内好と武田泰淳という二人

    sarutora
    sarutora 2006/02/27
    >「ネグリチュード」を「フリーター」「ひきこもり」と読み換え「黒人性」を「非正規(労働者)性」あるいは「無職(無力)」と置き換えるならば、この一節はほとんど今日の日本の状況を物語っている
  • 共和制をめぐって(3) - heuristic ways

    ■天皇抜きのナショナリズム 1989年に昭和天皇が亡くなった日、私はたしか映画館に行ったと記憶する。何の映画を見たかは覚えていない。天皇の死に特に関心がなかった、というより、むしろ「無関心であるべき」というのが当時の私の考えだったように思う。*1 笙野頼子氏の『なにもしてない』(1991年)という小説は、「天皇即位式の前後」に「接触性湿疹をこじらせた」「私」が部屋に閉じこもって、いろいろ想像や妄想を巡らせたり、記憶や感覚を探ったりする日々を物語っているが、皇室報道や沿道の厳重な警備の様子が時折点描されて、「私」が「この国の無力な小市民」であることを対照的に浮かび上がらせると同時に、しかしその「私」のリアリティ(たとえば皮膚の「痒み」)こそが目下の関心事なのだという風に書かれていると思う。少なくともそこには、「私」の「密室空間」を、「皇室」の儀式や社会の「警備」状況に対置させるという意志があ

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