タグ

大変興味深いと労働に関するsarutoraのブックマーク (3)

  • サッカー選手の言葉を借りて、村上龍を馬鹿にしてみよう。(2行で) - 想像力はベッドルームと路上から

    限りなく透明に近いサムライ・ブルー‐偉愚庵亭憮録 村上龍と中田英寿引退と目玉焼き‐犬にかぶらせろ! 小田嶋隆とgotanda6両氏の見る中田引退‐さて次の企画は ・文体とパスの精度(笑)。 ・プギャーだよな、今となっては。噴飯へそ茶だよ畜生。 ・あのあたりが発端だったろうな。 ・だって、「文体」と「パスの精度」は、並立させるべき概念じゃないし、作家とサッカー選手は同じ高みからオレらパンピーを見下ろして良い関係ではないはずだから。 ・百歩譲って見下ろすのはアリでも、同じ高みにいるのはヘン。絶対に変だ。 小田嶋さんの表現が見事すぎる。 しかしここはサッカーファンらしく、『中田英寿を取り巻く愉快な仲間達』を偉大な選手の名言を借りながら馬鹿にしてみよう。 『野球は格闘技だ。サッカー戦争だ。』村上龍(作家) 『サッカー戦争だなどというやつは、当の戦争を知らないんだ。』ズヴォニミール・ボバン(元

    サッカー選手の言葉を借りて、村上龍を馬鹿にしてみよう。(2行で) - 想像力はベッドルームと路上から
    sarutora
    sarutora 2006/07/10
    ただサッカー選手として活躍するだけでは、十分な尊敬を得ることができないってことなんじゃなのかな
  • 自己差別と自己変化 - heuristic ways

    『知識人と社会』の著者・三宅芳夫氏のプロフィールを見て、氏が『批評空間』第Ⅱ期19号(1998年)に、「留保なき否定性――二つの京都学派批判」という論文を寄せていることに初めて気づいた。マイケル・ハートの「監獄の時間」も載っている号だが、どうやら私は三宅氏の論文を読んでいなかった。ざっと目を通すと、これは、竹内好と武田泰淳(二人は戦時期、ともに「中国文学研究会」のメンバーであった)が京都学派(高山岩男や高坂正顕)の「世界史の哲学」(「大東亜戦争」を正当化するイデオロギーであったとされる)に対してどういうスタンスを取り、いかに批判的な視座を獲得していったかを論じたもので、私が面白いと思ったのは、フランス第三共和制の下で「人間主義」「権利」「市民」といった普遍的概念に(人種差別的な帝国主義=植民地主義の)抑圧と隠蔽を見出したサルトルを論じている著者が、日の文脈では、竹内好と武田泰淳という二人

    sarutora
    sarutora 2006/02/27
    >「ネグリチュード」を「フリーター」「ひきこもり」と読み換え「黒人性」を「非正規(労働者)性」あるいは「無職(無力)」と置き換えるならば、この一節はほとんど今日の日本の状況を物語っている
  • heuristic ways - 断想 怠惰な人間/「非人間化」のイデオロギー的前提条件

    ■スチューデント・アパシー 斎藤環氏の『社会的ひきこもり』(1998年)を読んでいたら、「一九六一年にスチューデント・アパシーを初めて記載したP・A・ウォルターズ」という記述があって、「!」と思った。ベティ・フリーダンが報告していた「大学を退学したある青年」の事例は、年代的に言っても「スチューデント・アパシー」に近いケースだったのではないかと。ウォルターズはハーバード大学保健センターの精神科医であり、1961年にアパシー学生の4症例を報告しているらしい。私が注目したのは、この「スチューデント・アパシー」が、「男らしさ」の問題と「競争の回避」に関わっているということ。 スチューデント・アパシーは男性にしばしばみられ、テストなどの競争的場面を避ける傾向があります。このため男性としてのアイデンティティが発達しにくくなり、これが主な原因となってアパシー状態が続きます。また、「競争の回避」は一種の攻

    sarutora
    sarutora 2006/02/18
    書こうと思ってたこととすごく関連します
  • 1