静岡県焼津市出身。父親は元焼津市議会議員。4人兄弟の末子。3人の兄は、長男が一級建築士、次男が銀行員、三男が服飾デザイナーである。 焼津市立小川小学校、焼津市立小川中学校、静岡県立焼津中央高等学校を経て、1996年、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業[1]。元々高校は美術系を希望していたが、親からの強い要望で普通高校に入る。本人は苦痛を感じていたという。大学時代の友人に映画監督の平林勇がおり、共同で作品を製作していた。就職活動中に1社だけデザイン会社に行ったが、採用されず、画家として活動する。 蒸気機関車やビニール袋、便器などといった日常生活で使用するものと一体化した青年を題材とすることが多い。題材としている青年はほとんどが同じような顔をしており、作家本人と似ているが本人は否定している[2]。後期作品ではメッセージ性を抑制し、より抽象的な作風になっていくが、これにはテーマは押し付けるも