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加藤和彦 アルバムの検索結果1 - 40 件 / 58件

  • 高橋幸宏 音楽の歴史 | ele-king

    高橋幸宏は1952年6月6日、東京で生まれた。父は会社経営をしており、自宅は200坪の敷地に建ち(もともとは天皇の運転手が建てた家だそうだ)、軽井沢には別荘を持っていた。 後に音楽プロデューサーとなる兄に感化され、早くから音楽に親しみ、小学生のときにはドラムを始めている。このドラムという楽器を選んだ理由にはドラムの練習ができるほど広い家に住む子がなかなかいないからだったと後年明かしている。 中学生のときにはユーミンが参加することもあったバンドを組み、高校生のときにはもうセッション・ミュージシャンの仕事を始めていたのだから早熟と言うほかないだろう。ドラムのうまい高校生がいるという噂を聞きつけて大学生だった細野晴臣が会いに来たのも高橋幸宏の高校時代のこと。大学に入るとガロに一時在籍するなど、すでにプロのミュージシャンとしての道も歩き始めていた。 そんな高橋幸宏の転機となったのは、旧知の加藤和彦

      高橋幸宏 音楽の歴史 | ele-king
    • 幸宏さんについて私が思っている二、三の事柄|佐々木敦|note

      初出は「ユリイカ」。『批評王』に収録されているテクストです。 私は音楽ライター稼業が長かったので、YMOのお三方とは過去何度かお話させていただいたことがある。それぞれのソロ活動にかんして折々の機会にインタビューすることもあったし、YMOとして、あるいはまだそう名乗ることをしていなかった、まだYMOとは名乗れなかった頃に(最初にそう名乗っていた頃には勿論会っていない。私はまだ高校生だった)、三人全員に取材ということもあった。それは比較的最近のことだが(それでも五、六年くらい昔だ)、そのときの話をしたいと思う。でもまずは別のことから始める。 編集部からの依頼はニューアルバムをきっかけに、ということだった。『LIFE ANEW』だ。とても素敵な作品で、入手してから何度も聴いた。この作品のレコーディングに当たって、幸宏さんは Yukihiro Takahashi with In Phaseというバ

        幸宏さんについて私が思っている二、三の事柄|佐々木敦|note
      • 邦楽ロックの名盤ベスト100

        以前お送りした、ロックに限定したオールタイムベストアルバムの邦楽版企画です。 基本的にはレギュレーションは前と同じですが、地域を限定したことで、前回のロックの名盤ベスト100では取りこぼした範疇のものも入っていたりします。 一方、たとえ代表作であっても、ロックよりは他のジャンルに入れたほうがふさわしかろうというものは除外しました。 たとえばコーネリアスは代表作の『ファンタズマ』や『Point』ではなく『69/96』を選出しています。 YMO、電気グルーヴなどのテクノポップ、エレクトロニカ勢も入っていないし、やや極端な例ですが、たまもロックという狭い枠組みに入れてしまってよいのかということで除外しています。 ということで前回のおさらいもかねて選出基準です。 ・ギターを中心としたバンドミュージックを中心に選出しました。よってシンセなどの電子楽器や打ち込みなどの割合が多いものは除外しています。

          邦楽ロックの名盤ベスト100
        • 日本ロック通史 (1956 年-1990 年代)WEB版 | 批評.COM

          批評.COM Welcome to Hi-hyou.com  時事批評・音楽批評などを掲載するサイトです。2015年4月18日新装開店。Operated by SHINOHARA Akira 1.「進駐軍ポップ」からロカビリーへ 1956-1959年 第二次世界大戦後における日本のポップ・ミュージックの出発点は「進駐軍ポップ」であった。1945年から1950年代前半にかけて、米軍がもちこんだポップの影響を受け、ブルース、ブギウギ、マンボなどの要素が流行歌のなかに入り込み、ハワイアン、カントリー&ウエスタン(C&W)、ジャズなどがちょっとしたブームになった。こうしたポップのうち、“日本ロック”の生い立ちにもっとも深い関係をもったのはC&Wであった。 50年代半ばのアメリカでは、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ヒット(55年)、翌56年にはプレスリーが登場

            日本ロック通史 (1956 年-1990 年代)WEB版 | 批評.COM
          • 韓国のプロデューサー兼DJのNight Tempo、コンピレーション「昭和アイドル・グルーヴ」トラックリストを公開 - Kstyle

            海外で巻き起こっているジャパニーズ・シティ・ポップのブームが日本のメディアでも紹介されている中、その象徴的な「プラスティック・ラブ」現象を巻き起こした立役者の一人、韓国のプロデューサー兼DJのNight Tempo。彼が5月19日(水)に発売するコンピレーション「Night Tempo presentsザ・昭和アイドル・グルーヴ」のトラックリストが解禁となった。 このコンピ用で新たにリエディットしたのは、Night Tempoがお気に入りの新田恵利、西田ひかる、森尾由美、そして、ゆうゆの楽曲。いずれも80年代にアイドルとして活躍した彼女達の楽曲から、彼がフューチャー・ファンクに合うと自信を持ってチョイスした、彼しか出来ない選曲となっている。 ◆新田恵利「Déjà vu (Night Tempo Showa Groove Mix)」1985年におニャン子クラブの会員番号4番としてデビューし、

              韓国のプロデューサー兼DJのNight Tempo、コンピレーション「昭和アイドル・グルーヴ」トラックリストを公開 - Kstyle
            • 「京都タワーを見て育ったんです」。伝説の歌姫アリスセイラーが愛した「京都」駅【関西 私の好きな街】 - SUUMOタウン

              取材・執筆: 吉村 智樹 関西に住み、住んでいる街のことが好きだという方々にその街の魅力を伺うインタビュー企画「関西 私の好きな街」をお届けします。◆◆◆ 「生まれたときから最寄りは京都駅。京都タワーを見て育ったんです。京都駅周辺は、ほんまにおしゃれでした。ファッショナブルで素敵なお姉さん、お兄さんが歩いてはる。『なんてカッコいいんやろ。私もいつか、あんなおしゃれな服を着て歩いてみたい』って、子ども心に憧れていました」 中学時代まで京都駅周辺に住んでいたアリスセイラーさん(58)は、そう語ります。 京都在住のアーティスト、アリスセイラーさん アンダーグラウンドロック伝説の歌姫が登場!アリスセイラーさんは1981年に結成したバンド「アマリリス」のリーダー。孤高にして伝説にして現役バリバリのアーティストです。 1981年、結成当時のアマリリス 数々のリリース作品 これまで彼女が生みだしてきた音

                「京都タワーを見て育ったんです」。伝説の歌姫アリスセイラーが愛した「京都」駅【関西 私の好きな街】 - SUUMOタウン
              • R.I.P. Yukihiro Takahashi | ele-king

                MOST READ interview with Sleaford Mods 賢くて笑える、つまり最悪だけど最高 | スリーフォード・モッズ、インタヴュー (interviews)Columns 創造の生命体 〜 KPTMとBZDとアートのはなし ①アーティストと薬 (columns)Gina Birch - I Play My Bass Loud | ジーナ・バーチ (review)OZmotic & Fennesz - Senzatempo | オズモティック (review)interview with Kid Koala カナダのベテラン・スクラッチDJ、久びさにターンテーブルが主役のアルバム | キッド・コアラ、インタヴュー (interviews)Cornelius ──2023年、私たちはあらためてコーネリアスと出会い直す。6年ぶりのニュー・アルバムとともに (news)R.

                  R.I.P. Yukihiro Takahashi | ele-king
                • 坂本龍一「B-2ユニット」極限状態の1980年に制作された “神領域” のアルバム

                  リ・リ・リリッスン・エイティーズ〜80年代を聴き返す〜 Vol.39 坂本龍一 / B-2 UNIT 坂本龍一が、どんなに忙しくてもどうしてもつくりたかったソロアルバム 以前、大貫妙子の『ROMANTIQUE』について書いた時にもちょっと触れましたが、坂本龍一 “教授” の1980年は(その前後もそうなんですが)、信じられないくらいの過密スケジュールでした。列記してみます。 1979年 12月19日、“Yellow Magic Orchestra” の最初のワールドツアー「TRANS ATLANTIC TOUR」 最終日(東京・中野サンプラザ) 1980年 2月1日、YMOライブアルバム『パブリック・プレッシャー/公的抑圧』リリース 3月21日→4月15日、YMO最初の国内ツアー「TECHNOPOLIS 2000-20」 3月25日、Phew1stシングル「終曲(フィナーレ)/うらはら」リ

                    坂本龍一「B-2ユニット」極限状態の1980年に制作された “神領域” のアルバム
                  • 「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ | 文春オンライン

                    ◆◆◆ 「高校の頃、家に帰ると母と同級生が麻雀していてなぜかユーミンもいて…」 1952年6月6日、東京に生まれた高橋幸宏の父は会社経営者で、軽井沢に別荘を持ち、長じると一家は夏には軽井沢という生活を送っていた。後に音楽プロデューサーとなる兄の高橋信之は高校生のときにバンドを組み、高橋幸宏も小学生の頃からドラムを始めた。ドラムを選んだ理由は<ドラムを練習できる家に住んでいる子どもがそうはいなかった>のも理由のひとつだと後年のインタビュー(ユリイカ2013年10月臨時増刊号/インタビュアー:青野賢一)で話している。 中学生になると自分のバンドも始めた。メンバーは後にバズを結成する東郷昌和ら。荒井由実もメンバーに加わることがあった。のちのユーミンである。当時、高橋幸宏は15、16歳、ユーミンは14歳。当時の高橋幸宏の実家は200坪を超える大きな日本家屋で、そこには多くの人が集まった。 立教高校

                      「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ | 文春オンライン
                    • 【R.I.P.】現代に通じる新たなドラマー像を確立した世界的なアーティスト、高橋幸宏急逝 | ドラマガWeb

                      Photo:Taichi Nishimaki Text:Satoshi Kishida/Rhythm & Drums Magazine サディスティック・ミカ・バンド、Yellow Magic Orchestraのメンバーで、世界にその名を轟かせた日本を代表するドラマー、高橋幸宏氏が誤嚥性肺炎のため1月11日に死去していたことが発表された。 幸宏氏は1952年6月6日、東京都出身。成毛 滋らとザ・フィンガーズというバンドを組んでいた兄・高橋信之の影響で音楽に目覚め、12歳でドラムを始める。好きなドラマーはメル・テイラー(ザ・ベンチャーズ)、リンゴ・スター(ザ・ビートルズ)、アル・ジャクソン(ブッカーT&ザMG’s)バーナード・パーディ、スティーヴ・ガッド、カーマイン・アピスなど。 立教高校時代からスタジオ・ミュージシャンとして活動開始。69年、フォーク・グループ、ガロのバック・バンドに加入

                      • Perfume、BABYMETAL、ももクロ、ZOC……アイドル×ミュージシャンによる“クロスオーバー”の歴史

                        先日、「『楽曲派』アイドル誕生から現在に至るまで」と題して、「楽曲派」と呼ばれるアイドルグループの歴史と現状について書きました(Perfumeの登場、BABYMETAL世界的ヒット……「楽曲派」アイドル誕生から現在に至るまで)。書くにあたって様々なアイドルや楽曲を挙げていった際に「楽曲派」という切り口以外で気になったのが、その「楽曲派」アイドルの多くが、専業の作詞家作曲家のみでなく、現役のミュージシャンから楽曲の提供を受けているという点でした。 BABYMETAL『METAL GALAXY』(通常盤 – Japan Complete Edition -) しかし考えてみると、一般的に「楽曲派」と呼ばれるグループ以外でも、現役ミュージシャンの楽曲提供を受けているアイドルもいますし、「楽曲派」の話とは異なる部分は多分にあるため、登場するアイドルグループは近しくてもこの切り口で改めて考えてみたい

                          Perfume、BABYMETAL、ももクロ、ZOC……アイドル×ミュージシャンによる“クロスオーバー”の歴史
                        • 「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

                          ミュージシャン、そしてファッションデザイナーとしても活躍した高橋幸宏が誤嚥性肺炎のため1月11日に亡くなった。享年70。「ライディーン」など数々の名曲を世に送り出した彼の足跡を、公私ともに親交の深いライターが振り返った。 【画像】高橋幸宏が遺した数々の作品を見る ◆◆◆ 「高校の頃、家に帰ると母と同級生が麻雀していてなぜかユーミンもいて…」 1952年6月6日、東京に生まれた高橋幸宏の父は会社経営者で、軽井沢に別荘を持ち、長じると一家は夏には軽井沢という生活を送っていた。後に音楽プロデューサーとなる兄の高橋信之は高校生のときにバンドを組み、高橋幸宏も小学生の頃からドラムを始めた。ドラムを選んだ理由は<ドラムを練習できる家に住んでいる子どもがそうはいなかった>のも理由のひとつだと後年のインタビュー(ユリイカ2013年10月臨時増刊号/インタビュアー:青野賢一)で話している。 中学生になると自

                            「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
                          • 第75回 石田 弘 氏 (株)フジテレビジョン エグゼクティブ・プロデューサー | Musicman

                            (株)フジテレビジョン エグゼクティブ・プロデューサー / (株)フジパシフィック音楽出版 取締役 今回の「Musicman’s RELAY」は寺林 晁さんからのご紹介で、(株)フジテレビジョン エグゼクティブ・プロデューサー 石田 弘さんです。幼い頃から映画・音楽に夢中になり、特にエルヴィス・プレスリーとの衝撃の出会いを体験されて以降はプレスリー道まっしぐら! の石田さん。そこで培われた幅広い音楽知識をバックボーンに、フジテレビ入社後は『リブ・ヤング!』や『ミュージックフェア』、『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』、『とんねるずのみなさんのおかげです』など数々の音楽番組やバラエティー番組を手掛けられ、どの番組もテレビの枠を越えて一大センセーションを巻き起こしました。現在もエグゼクティブ・プロデューサーとして現場の第一線でご活躍中の石田さんにキャリアを振り返っていただきつつ、たっぷ

                              第75回 石田 弘 氏 (株)フジテレビジョン エグゼクティブ・プロデューサー | Musicman
                            • Kenrocks Nite - Ver. 2 2021年12月10日(スカイ、ティン・パン・アレー、サディスティック・ミカ・バンド) - ラジオと音楽

                              ゲスト:小原礼&林立夫 (SKYE) 今回のゲストは最近SKYEというバンドをスタートしたベースの小原礼さんとドラムスの林立夫さんでした。今回はお越しになりませんでしたが、ギターは鈴木茂さん、キーボードは松任谷正隆さんというスーパーバンドです。 佐野史郎さんのバックバンドを小原さん、林さん、鈴木さんの三人でされており、そこに林さんがキーボードの松任谷さんを呼んで今回の姿となったそうです。「SKYE」というバンドは1968年の皆さんが学生の時からあったバンドだそうです。 SKYE『SKYE』 SKYE Nippon Columbia Co., Ltd./NIPPONOPHONE Amazon ISOLATION Daydream Dear M Reach Out To The Sky コロナに負けないぞ!という歌だそうです。 Tin Pan Alley「ポケットいっぱいの秘密」 林さんの所属

                                Kenrocks Nite - Ver. 2 2021年12月10日(スカイ、ティン・パン・アレー、サディスティック・ミカ・バンド) - ラジオと音楽
                              • 第5回 「教授」以前の彼(その4)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま

                                比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂本龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの好評連載、第5回の公開です! 1 「THOUSAND KNIVES」と「ISLAND OF WOODS」 それではいよいよ『千のナイフ』を聴いてみよう。 1曲目はアルバム・タイトル曲「THOUSAND KNIVES」。曲名はベルギーの画家・詩人アンリ・ミショーの詩集『みじめな奇蹟』の冒頭の一節より。曲の始まりは毛沢東の詩を収録したレコードの(今で言う)サンプリングで、「水調歌頭 重上井岡山(水調歌頭・ふたたび井岡山に登る)」という詩の朗読をヴォコーダーに通したもの。1927年10月、毛沢東は自ら率いる蜂起軍(ゲリラ)とともに井岡山に辿り着き、農村革命の根拠地を立ち上げた(このことから井岡山は「武装闘争発祥の地」と呼ばれる)。

                                  第5回 「教授」以前の彼(その4)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま
                                • 激動の70年代を共に過ごした旧友、高橋幸宏に捧ぐ〝ユキヒロのこと〟 | 連載『松山猛の 70年代日記』vol.4|ぼくのおじさん

                                  2023年1月11日、高橋幸宏さんが亡くなった。なんと50年以上にわたってシーンの最先端であり続け、その穏やかな人柄で後進のミュージシャンたちに慕われた、まさに音楽界における〝ぼくのおじさん〟。また、加藤和彦さんと並び世界で最もお洒落なミュージシャンとしても有名な彼は、どんな熱気を帯びたステージでも涼しい顔をして、トム・ブラウンやプラダのスーツを颯爽と着こなし、正確無比なドラムを叩いた。実は本誌でおなじみの松山猛さんは、1970年代前半にはサディスティック・ミカ・バンドの作詞を手がけており、当時の高橋幸宏さんと深く親交をもったひとりだ。今回はそんな松山さんに、高橋幸宏さんへの追悼の言葉を綴ってもらった。 ユキヒロとぼくはサディスティック・ミカ・バンドを通じて出会った。 バンドの初期メンバーだった角田ヒロ(つのだ★ひろ)が自分のバンドを始めるために抜けたあと、新しいメンバーとして小原礼ととも

                                    激動の70年代を共に過ごした旧友、高橋幸宏に捧ぐ〝ユキヒロのこと〟 | 連載『松山猛の 70年代日記』vol.4|ぼくのおじさん
                                  • 吉田豪と松永天馬 渋谷系とエイジングを語る

                                    アーバンギャルドの松永天馬さんが『猫舌SHOWROOM 豪の部屋』に出演。吉田豪さんと渋谷系やエイジングについて話していました。 #猫舌SHOWROOM #豪の部屋 ありがとうございました。 自分の話をしないことで有名な僕ですが、時代の話に終始するなかで、ようやく自分の感情が見えてくる所もあり。あの人やあいつに対してもそうだ。 自分を客体化してしまう人間は総じて冷たく、しかし映画のラストで泣く。豪さんもそのタイプだと思う pic.twitter.com/14Xx5pADfv — 松永天馬(アーバンギャルド)?TOKYOPOP? (@urbangarde) December 10, 2019 (松永天馬)まあ、そんな感じで一通り僕が言いたいことは……まあ、自分の話をあんまりしていないですけどね。アーバンギャルドというバンドをやっておりますよ。 (吉田豪)ねえ(笑)。僕もずっと好きなバンドです

                                      吉田豪と松永天馬 渋谷系とエイジングを語る
                                    • 吉田拓郎 『LIFE』1995年 「イメージの詩」「結婚しようよ」ほか名曲のオンパレード なつかしさが詰まりすぎ - 時の化石

                                      どーも、ShinShaです。 今日は吉田拓郎ベストアルバムの記事です。 このアルバムには、デビュー曲「イメージの詩」「夏休み」「結婚しようよ」など初期の名曲、「流星」「唇をかみしめて」など中期の名曲がずらり。 数々の青春の思い出が、こみ上げてきます。 2021年5月上旬、明石家さんまプロデュースのアニメ映画主題歌に「イメージの詩」カバー曲のニュース。 拓郎は、最近引退を口にしていますが、 まだまだ風は吹いていますね。 吉田拓郎『LIFE』1995年 「イメージの詩」 「夏休み」 「結婚しようよ」 「外は白い雪の夜」 「流星」 「唇をかみしめて」 アフィリエイトリンク Apple Music おすすめです! amazon商品リンク あとがき 吉田拓郎『LIFE』1995年 吉田拓郎。 1970年代初頭にフォークシーンに現れ、一世を風靡した大スター。 若者から絶大な支持を受け、音楽と型破りな言

                                        吉田拓郎 『LIFE』1995年 「イメージの詩」「結婚しようよ」ほか名曲のオンパレード なつかしさが詰まりすぎ - 時の化石
                                      • YMOドラマー高橋幸宏さん死去 70歳 誤嚥性肺炎で「年末から容態が悪化し」妻喜代美さんコメント - おくやみ : 日刊スポーツ

                                        「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のドラマーとして活躍したミュージシャン高橋幸宏さんが1月11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥(ごえん)性肺炎により70歳で死去したことが15日、所属事務所から発表された。後日、お別れの会を執り行う予定だという。 喪主で妻の高橋喜代美さんがコメントを発表した。「2020年夏に判明した脳腫瘍の摘出手術は成功裡に終わり、その後は復帰に向け度重なる治療と入退院を繰り返しながらリハビリに真摯に向き合ってきました」。そして「昨年11月よりは自宅にて療養しておりましたが、年末から容態が悪化し帰らぬ身となりました。 本人は元より家族親族と最善を尽くしてまいりました。なによりも携わっていただいた医療関係者の皆様に深く感謝致します」とした。 ここ数年は、病気との闘いが続いていた。20年の初夏を迎える頃から頭痛が続き、検査を受けたところ脳腫瘍の疑いと診断さ

                                          YMOドラマー高橋幸宏さん死去 70歳 誤嚥性肺炎で「年末から容態が悪化し」妻喜代美さんコメント - おくやみ : 日刊スポーツ
                                        • 高橋幸宏 追悼――世界一スマートでビター・スウィートなアーティスト | Mikiki by TOWER RECORDS

                                          THE BEATNIKS『Exitemnetialist A Xie Xie』の頃の取材時に。撮影:村尾泰郎 世界一スマートでビター・スウィートなアーティスト 「高橋幸宏が宇宙に帰ってしまいました」 ラジオ番組「Daisy Holiday!」で、細野晴臣はそんな風にリスナーに語りかけた。その落ち着いた声を聞くと、ああ、そうなのか、と素直に納得した。番組内で細野晴臣は高橋幸宏のことを「世界一スマートなアーティスト」と語ったが、高橋幸宏は人生を通して自分のスタイルを貫き通した。シャープでしなやかなドラムの演奏、ダンディさと甘酸っぱさが入り混じった〈フーマンチュー唱法〉にも美意識を感じさせた。 小学生の頃からドラムを始め、高校生の頃にはスタジオ・ミュージシャンとして活動していた高橋幸宏は、加藤和彦に誘われて72年にサディスティック・ミカ・バンドに加入。イギリスでツアーを行うなど海外でセンスを磨い

                                            高橋幸宏 追悼――世界一スマートでビター・スウィートなアーティスト | Mikiki by TOWER RECORDS
                                          • 玉置浩二『群像の星』 ひたすら心に染みるカバーソングたち - 時の化石

                                            どーもShinShaです。 今回は久しぶりにJPOP作品のご紹介です。 このアルバム、玉置浩二が歌うカバーソング集なのです。 越路吹雪、やしきたかじん、村下孝蔵、尾崎 豊・・・ 彼が選曲したのは、亡くなった歌手たちの代表曲でした。 玉置さんは、同時代の歌手たちへのレクイエムとして、このアルバムを作ったのでしょう。 仕事の合間に聴いていたら、もうダメでした。 このアルバム、心にひたすら染みてくる。 玉置浩二『群像の星』2014年 愛の讃歌 時代おくれ あの素晴らしい愛をもう一度 男はつらいよ あとがき 玉置浩二『群像の星』2014年 『群像の星』 \1. みんな夢の中(浜口庫之助 ) \2. 愛の讃歌 (越路吹雪 ) \3. 圭子の夢は夜ひらく (藤 圭子 ) \4. やっぱ好きやねん (やしきたかじん) \5. I LOVE YOU (尾崎豊 ) \6. 月のあかり (桑名正博 ) \7.

                                              玉置浩二『群像の星』 ひたすら心に染みるカバーソングたち - 時の化石
                                            • 音楽家・加藤和彦は知性の人か、感性の人か? 元サディスティック・ミカ・バンドの今井裕が語る | Mikiki by TOWER RECORDS

                                              加藤和彦という人は果たして、知性の人なのか、感性の人なのか? 今井裕が語る音楽家・加藤和彦 「SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬」、「音響ハウス Melody-Go-Round」などのドキュメンタリー作品を手掛けた相原裕美監督の作品、「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」をいち早く見せてもらった。以前から高橋幸宏の提案で、加藤和彦のドキュメンタリーを作っているらしい、ということは聞いていたが、60年代から加藤和彦の音楽作品の数々を聞いてきた人間にとって、あの多才な加藤和彦を映画にまとめるのは至難の業となるだろう、と危惧していた。しかし、完成した作品は、高橋幸宏を筆頭に、北山修、松山猛から、小原礼、高中正義、つのだ☆ひろなどのバンドメンバー、坂本龍一、清水信之などのミュージシャン、クリス・トーマスや元マネージャー、レコード会社スタッフなど、各時代の関係者や友人たちの証言をもとに、

                                                音楽家・加藤和彦は知性の人か、感性の人か? 元サディスティック・ミカ・バンドの今井裕が語る | Mikiki by TOWER RECORDS
                                              • 「奇跡の世代」と音楽やってきた先に 高橋幸宏(前編) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

                                                世界が認めた伝説のバンドのメンバーとして活躍し、国内外のアーティストに大きな影響を与えた高橋幸宏さん。アメリカ文化の洗礼、ビートルズの衝撃、同世代アーティストたちとの出会い、そしてYMO結成――。1960年代から80年代にかけ、日本の音楽シーンに旋風を巻き起こしながら駆け抜けたあのころを振り返る。(文 中津海麻子) ◇ 音楽をする兄たちが憧れだった ――音楽に出会い、魅せられた体験をお聞かせください。 僕は5人兄弟の末っ子で、音楽に関してはすぐ上の兄の影響を強く受けました。1960年代半ばのエレキブームのころ、兄貴は慶応大学でフィンガーズというバンドを組んでいて。メンバーはブリヂストンの創業者の孫とか、歌人・齋藤茂吉さんの孫とか、いわゆる慶応のぼんぼんバンド。実力はあって、グループサウンズのバンドとしてプロデビューも果たしました。楽しそうに音楽をする兄貴たちの姿は、少年だった僕には憧れでし

                                                  「奇跡の世代」と音楽やってきた先に 高橋幸宏(前編) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
                                                • 青春浪漫 告別演奏會顛末記 11 - 風のかたみの日記

                                                  5.「青山純がいるのに」誰もがそう思った 実質二ヵ月位しかない三学期は瞬く間に過ぎた。その間クマは、オリジナル全8曲からなる一人多重録音のテープ第二弾を、極一部の学友諸君に対し緊急発表し、アグリーも新曲を二つ作った。 アグリーは20世紀最大のメロディーメーカーを目指すと豪語するだけあって、結構キャッチーなメロディーラインを得意としており、それはクマも認めざるを得ないところで、二人の関係は辛うじて「音楽」を通じて繋がっていた、と言っても過言ではないだろう。 一方、アグリーはクマのアレンジセンスや演奏技術に一目置いていた。かって高校1年当初、クマが学校に愛用のギター(S.ヤイリ YD-304)を持って行き、休み時間ケースから取り出すと、すかさず5~6名の男子が集まった。その中でクマがおもむろにP.サイモンの「休戦記念日」というDチューニング(DADF#AD)を使った曲を弾き始めると、一人「サイ

                                                    青春浪漫 告別演奏會顛末記 11 - 風のかたみの日記
                                                  • 『坂本龍一ヒストリー前編 ~ 幕末からのルーツ 誕生からミュージシャンへの軌跡  〜』

                                                    Kou音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。 ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。 自分は四十年ほど前、坂本龍一の存在を知りました。彼がデビューする前、スタジオ・ミュージシャンだったころ、多くのアルバムのクレジットでその名をよく見かけました。ファースト・アルバムも、リアルタイムで買いました。 坂本龍一の音楽としては、ピアノソロや、民族音楽っぽいものが好きでよく聴きます。いまも曲を流しながら書いています。ただテクノ・ポップといわれる、彼を一躍メジャーに押し上げた、YMOのような機械的な音には、正直ついていけませんでした。また難しい音楽論もよくわかりません。興味があるのは坂本龍一という音楽家の、人間的な側面です。 坂本の自伝である『音楽は自由にする』は、その貴重な記録です。もう十年近くも前の本ですが、生い立ちから始まるミュージシャンへの軌跡が克

                                                      『坂本龍一ヒストリー前編 ~ 幕末からのルーツ 誕生からミュージシャンへの軌跡  〜』
                                                    • 夏といえば『サザン』でも『TUBE』でもなく『二名敦子』が好き! - sugarless time

                                                      社会人でも早い人はすでに夏休み中の人もいるかもしれませんね。 もう2年前になるんですけど、過去にこんな投稿をしています。 www.sugarless-time.com リンクでは『村田和人』と言ってますが、本当は私にとっての夏は『村田和人』と『二名敦子』の二人がマストであり双璧。 2年前になぜ『村田和人』を好きとしたかといえば世の認知度を考えると『村田和人』>『二名敦子』かなと思って投稿したんですけど、普通に考えたら50歳以下で二人を知ってる人なんて激レアですし、50歳以上でもレアなんですよね。 でも『二名敦子』を好きだったという人はそこそこいます。 だって、ウィキペデイアに名前があるくらいです(内容は薄いですけど)。 ja.wikipedia.org 『二名敦子』との出会いは友人がバイトしてた貸しレコード屋(CDレンタルではない(笑))、友人と仲が良かったのもありますけど、当時は色んなも

                                                        夏といえば『サザン』でも『TUBE』でもなく『二名敦子』が好き! - sugarless time
                                                      • ワタシの本棚📚 CD編!(/ω\) - Good Old Music 、Fantastic高校野球

                                                        今回は『ワタシの本棚📚』の続編です。 ちょっとボリューム多めですが、、、次の更新はまた一週間ほど空きますので、 ごゆっくりお楽しみいただければ幸いです(●´ω`●) ちなみに第1回目は去年の5月末でした(^^) kagenogori.hatenablog.com 今回は封印されていた(笑)CD棚を探索します! このCD棚(元・本棚.笑)は、 前回紹介させていただいた本棚と同じ部屋、書斎にあります(^ω^) CD棚(ほぼ)全景 まずはざっと見ていきましょう。 上段(1-2段目)です。 中段(3-4段目)です。 最下部(5-6段目)です。 手がブレてますね(笑) アルコールが足りない(笑)のでしょうか(^▽^) ここまで大まかに見てきました(^^) ではまず最上段のJAZZコーナーから、やや詳しく見ていきましょう。 右側です。 左側です。 紙ジャケがちょっと見づらいので、近づいてみます。 紙

                                                          ワタシの本棚📚 CD編!(/ω\) - Good Old Music 、Fantastic高校野球
                                                        • 70/80年代シティ・ポップの名曲ベスト100 | 歌謡ポップスチャンネル

                                                          70年代Ranking 70s監修 金澤寿和 50 RAINY WALK山下達郎 山下達郎が「Ride On Time」でブレイクする直前、79年10月に発表した通算4枚目のアルバム『MOONGLOW』の収録曲。達郎お気に入りであるノーザン・ソウルのミディアム・グルーヴを、細野晴臣=高橋ユキヒロのYMOリズム・セクションが軽くハネるように料理している。元々はアン・ルイスに提供するため制作が進められたが、気に入ったので自分で歌うことにしたそうだ。当時の山下達郎の曲作りのパートナー、吉田美奈子の詞にも注目を。 49 City Lights by the Moonlights惣領智子 70年代前半に米国で活動し、ポール・マッカートニーから楽曲提供を受けたグループ:ブラウンライスのシンガーだった惣領智子。そんな彼女のセカンド・ソロ・アルバムのタイトル曲がこれ。作編曲はバンド・リーダーで当時の夫、惣

                                                            70/80年代シティ・ポップの名曲ベスト100 | 歌謡ポップスチャンネル
                                                          • 高橋幸宏さん 10代から貫く自身の美学 世界にテクノブーム巻き起こす(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

                                                            イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)やサディスティック・ミカ・バンドのメンバーとして世界的な名声を集めたドラマーでシンガー・ソングライターの高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんが11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎により死去したことが15日、分かった。70歳。東京都出身。葬儀は家族葬として行われた。 【写真】2022年6月6日の70歳の誕生日に自宅での写真と共に「みんな、本当にありがとう。」と感謝 ◇  ◇ 高橋さんは細身から生み出す正確無比で繊細なビートと卓越したファッション感覚で、ドラマー像、ロックミュージシャン像を革新した。75年、ミカバンドの英国公演ではイブ・サンローランの靴を履いて演奏。「客席から見えるはずはないんだけど、それでいい」と美学を貫いた。 小5でドラムをたたき始め、中学時代に早くも兄・信之のバンド「ザ・フィンガーズ」で代演を務める早熟ぶり。音楽仲間

                                                              高橋幸宏さん 10代から貫く自身の美学 世界にテクノブーム巻き起こす(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
                                                            • 松任谷由実は「いつも新米の船乗りでいたい」と…武部聡志が“1970年代前半の東京”をテーマに語る | J-WAVE NEWS

                                                              作曲家/編曲家/音楽プロデューサーの武部聡志が、「1970年代前半の東京」をテーマに亀田誠治と音楽談議を繰り広げた。 武部が登場したのはJ-WAVEで放送中の『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』(ナビゲーター:亀田誠治)。その時代、その場所で、どんな音楽を聴きたいか──時代を越えて、国境を越えて、ナビゲーターの亀田誠治が旅好き・音楽好きのゲストとともに音楽談議を繰り広げる、空想型ドライブプログラムだ。ここでは12月3日(日)にオンエアした内容をテキストで紹介する。 松任谷由実の、時代の空気をまとったデビュー曲 今回、武部は空想ドライブのテーマとして「1970年代前半の東京」をセレクトした。 武部:自分の音楽の血や肉になっているベースをもう一度検証したいと思って。自分が中学時代、1970年代の東京の学校があった麻布周辺であったり、日比谷野音であったり、その辺りを旅して

                                                                松任谷由実は「いつも新米の船乗りでいたい」と…武部聡志が“1970年代前半の東京”をテーマに語る | J-WAVE NEWS
                                                              • YMOが海外で認められた背景、天才的なドラミング「あのユキヒロのバンドなら」 音楽の達人“秘話”・高橋幸宏(1) - おとなの週末公式|おいしくて、ためになる食のニュースサイト

                                                                【画像ギャラリー】YMOが海外で認められた背景、天才的なドラミング「あのユキヒロのバンドなら」 音楽の達人“秘話”・高橋幸宏(1) の画像をチェック! (全2枚) 国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。今回から始まるのは、高橋幸宏です。1952年、東京都目黒区出身。子供の頃からドラムを始め、高校生でプロに。サディスティック・ミカ・バンドなどを経て、78年に細野晴臣、坂本龍一とともにイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成、海外でも熱狂的な支持を得ました。83年のYMO“散開”後も、音楽活動を精力的に続け、ファッション・デザイナーや文筆の分野、俳優としても活動するなど幅広い分野で活躍してきましたが、2023年1月11日、誤えん性肺炎のため亡くなりました。70歳で

                                                                  YMOが海外で認められた背景、天才的なドラミング「あのユキヒロのバンドなら」 音楽の達人“秘話”・高橋幸宏(1) - おとなの週末公式|おいしくて、ためになる食のニュースサイト
                                                                • 笠井紀美子 代表曲「バイブレイション」名盤は? - あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」

                                                                  ロックアルバム『アンブレラ』 https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/23166/2 笠井紀美子がロックを歌う! プロデュースはかまやつひろし、レコーディングミュージシャンには つのだひろ、細野晴臣、鈴木茂、大野克夫、村井邦彦ら錚々たるメンバーが名を連ねる隠れた名盤だ。 出てくる名前もすごいですね 「バイブレイション」はアルバム『TOKYO SPECIAL』より 思い出すのは、なんといってもこの曲です 笠井紀美子 Kimiko Kasai Vibration 1977 - YouTube コチラですね tower.jp A面「バイブレイション」は安井かずみの作詞、山下達郎の作曲による今やクラブシーンでの定番曲。 安井かずみさん! 10代20代と憧れの人でした ファッション、 パートナーとの料理本もあって、 海外暮らし、海外旅、 ライフスタ

                                                                    笠井紀美子 代表曲「バイブレイション」名盤は? - あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」
                                                                  • 1981,03,23 大滝詠一インタビュー|Nishidate

                                                                    40年前、大滝さんにインタビューしたカセットテープを開封しました。 ロンバケが発売された翌々日のインタビュー。誰もまだあんな大ヒットになるとは思ってもいなかった、その空気感を感じてください。 【今度のレコード、聴かせていただきまして、はっぴいえんどの時出されたソロと音が似てるなって】 ※アルバム「大滝詠一」のこと そうだね。 【何百時間も使ったということですが、これ以上するな、とか制約はあったんですか?】 いやそいういうのはないよ。できるまでやりましたよ。ほんとに。こういうレコーディングは稀有でしょうな。たぶん、あのー、YMOと俺しかできないんじゃない? こういうレコーディングって。 両極だからね、いろんな意味で。そういう感じがするんだけどね。だからものすごく、ほんとに売れてる人でなければそのお、採算、というかビジネス上では考えられないレコーディングを、あえて、音楽的な云々というところで押

                                                                      1981,03,23 大滝詠一インタビュー|Nishidate
                                                                    • 第9回 「イエロー・マジック」との闘い(その4)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま

                                                                      比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂本龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの好評連載、第9回の公開です! 1981年、イエロー・マジック・オーケストラは3月に『BGM』、11月に『テクノデリック』という2枚のフル・アルバムをリリースした。どちらも以前の作品とは一線を画す実験的な内容であり、坂本龍一が「反・YMO」の衝動に突き動かされて作り上げた『B-2ユニット』が、はからずも細野晴臣と高橋幸宏の創作意欲を刺激したのではないかと思われる(二人は「ほとんど何も言わなかった」と坂本は語っているが)。 前年(1980年)の7月、ホライズン・レーベルの倒産のせいで宙に浮いていた『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』と『増殖』からセレクトされた「ベスト盤」の『X∞MULTIPLIES』と、シングル「ビハインド・

                                                                        第9回 「イエロー・マジック」との闘い(その4)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま
                                                                      • 細野晴臣に関するざっくりまとめ - ブンゲイブ・ケイオンガクブ

                                                                        今回は、細野晴臣さんの音楽について記事を書きます。 言わずと知れた日本が誇る大音楽家・細野晴臣。最近はナタリーで連載されてる「細野ゼミ」を興味深く読んでます。 natalie.mu 若手を迎えた実にゆる〜い時にゆるすぎるのでは?とさえ思うほどのトークで、ともすれば”細野史観”ともなりかねないはずの話題をゆるーくかわしていくのが実に細野的に感じられて、個人的には大瀧詠一が晩年にラジオでひとりアメリカンポップス史を延々とディープにやっていた話と、何か凄く対照的なように感じられて、良い悪いとかとは全然別の地点で、印象深く感じます。 それで、そんなゆるいインタビューの狭間に見えてくる細野晴臣という人物のイメージのことも踏まえた上で、彼の50年を超えるその音楽キャリアについて、一回このブログなりに整理をしておこうと思って筆を取った次第です。思ったことを極力書き残しておこうと思うので、中には批判的な内

                                                                          細野晴臣に関するざっくりまとめ - ブンゲイブ・ケイオンガクブ
                                                                        • 山下達郎サンデーソングブック 2021年02月21日「ウォール・オブ・サウンドで棚からひとつかみ2」書き起こし - おとのほそみち

                                                                          達郎氏による曲の解説部分を書き起こしています。インフォメーションやリスナーからのメッセージは割愛しています。 ネットに楽曲があるものは張り付けていますが、オンエアされた音源とは異なる場合が多々あります。 ------------------------------- 1. JODY / 山下達郎 "ビッグ・ウェイブ" '84 2. DON'T ANSWER ME / THE ALAN PARSONS PROJECT '84 3. OOH I DO / LINSEY DE PAUL '74 4. FOXY, FOXY / MOTT THE HOOPLE '74 5. GIRL COME RUNNNING / THE FOUR SEASONS '65 6. 芽ばえ / 麻丘めぐみ '72 7. DO YOU REMEMBER ME? / YUKI OKAZAKI '80 8. 二人は片想い /

                                                                            山下達郎サンデーソングブック 2021年02月21日「ウォール・オブ・サウンドで棚からひとつかみ2」書き起こし - おとのほそみち
                                                                          • 第8回 「イエロー・マジック」との闘い(その3)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま

                                                                            比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂本龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの好評連載、第8回の公開です! 1 苦肉の策から生まれた『増殖』 1980年6月、イエロー・マジック・オーケストラは通算4枚目に当たるアルバム『増殖 - X∞ Multiplies』をリリースした。収録時間は30分弱、全12曲(トラック)収録だが、そのうちの5曲が後述する「SNAKEMAN SHOW」であり、イントロ/アウトロも加えると、純粋な楽曲は「NICE AGE」「TIGHTEN UP」「CITIZENS OF SCIENCE」「MULTIPLIES」の4曲に過ぎない。「TIGHTEN UP」はカヴァーなので新曲と呼べるのはたったの3曲である。それもそのはずで、「NICE AGE」と「CITIZENS OF SCIENC

                                                                              第8回 「イエロー・マジック」との闘い(その3)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま
                                                                            • 12月2日は秩父夜祭、おしろい祭、INF菱形ラスの日、ジョルテの日、美人証明の日、デーツの日、全国防災デー、原子炉の日、日本人宇宙飛行記念日、安全カミソリの日、日本アルゼンチン修好記念日、ビフィズス菌の日、等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

                                                                              おこしやす♪~ 12月2日は何の日? その時、何してた? 2023年(令和5年) 12月2日は秩父夜祭、おしろい祭、INF菱形ラスの日、ジョルテの日、美人証明の日、デーツの日、全国防災デー、原子炉の日、日本人宇宙飛行記念日、安全カミソリの日、日本アルゼンチン修好記念日、ビフィズス菌の日、等の日です。 ■秩父夜祭(~3日)【埼玉県秩父市、秩父神社】(諸事情要確認) www.youtube.com 2016年12月1日にユネスコの無形文化遺産として『日本の山・鉾・屋台行事(やま・ほこ・やたいぎょうじ)』が登録されました。 元々、秩父夜祭りは国の『重要有形民俗文化財(秩父祭屋台)』および『重要無形民俗文化財(秩父祭屋台の祭り囃子、踊り、秩父神楽)』に登録されており、秩父祭屋台も祭りで行われるパフォーマンスの数々はまさに国宝級です。 今回の世界遺産登録で、秩父夜祭は世界的にも希少で価値の高いもので

                                                                                12月2日は秩父夜祭、おしろい祭、INF菱形ラスの日、ジョルテの日、美人証明の日、デーツの日、全国防災デー、原子炉の日、日本人宇宙飛行記念日、安全カミソリの日、日本アルゼンチン修好記念日、ビフィズス菌の日、等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)
                                                                              • 坂本龍一が携わった後世にも伝えたい音楽作品 日本のポップミュージックを豊かにした偉大なる功績

                                                                                坂本龍一の逝去後、世界中のメディアを介し、音楽家、社会活動家としての軌跡や功績が発信され続けている。坂本の作品と活動は多岐に渡り、仕事量も膨大。今後も様々な角度から光が当てられ、次の世代に受け渡されることになるだろう。 ここではプレイヤー、アレンジャー、プロデューサーとしての坂本の仕事を紹介したい。 ■プレイヤーとしての坂本龍一 ・矢沢永吉「時間よ止まれ」(シングル/1978年) 資生堂のCMソングに起用され、大ヒットを記録。矢沢永吉をロックスターの座に押し上げた名曲のレコーディングセッションに坂本はキーボーディストとして参加している。ドラムは高橋幸宏、ベースは後藤次利。ギターは相沢行夫、木原敏雄と当時のトップミュージシャンが集結。坂本は抑制の効いた演奏で、メロウかつトロピカルな楽曲のムードを際立たせている。 ・山下達郎『IT'S A POPPIN' TIME』(アルバム/1978年) 1

                                                                                  坂本龍一が携わった後世にも伝えたい音楽作品 日本のポップミュージックを豊かにした偉大なる功績
                                                                                • NHK 『あさイチ』が80’s City-Popを特集しやがったぜ!👍 - Good Old Music 、Fantastic高校野球

                                                                                  去る2月27日、、、NHKの朝の情報番組、「あさイチ」。 ご覧になられた方はいらっしゃいますでしょうか、、、、 なんとNHKの朝の情報番組(MC:博多華丸大吉)で、 80年代のシティ・ポップの特集をしたのです! もちろん予約録画して観ましたよ(ΦωΦ)フフフ… www.nhk.jp ゲストの牧瀬里穂さん(JR東海のCMも流れました)も 相変わらずのかわいらしさ(*´▽`*) しかしシティ・ポップの特集となれば、ワタシも黙ってられない(笑)(^▽^) というワケ(笑)で急遽シティ・ポップの記事とさせていただきます! ところで、、、 シティ・ポップ、、、とは、もちろん当時からあった言葉ですが、、、 ワタシの記憶が確かならば(イヤ、、ウロ憶えなのですが.笑)、 特に70年代後半頃は、やはり同じ意味で「シティ・ミュージック」という 呼び方もしていたような気がするのですが、、、どうでしょう・・・?

                                                                                    NHK 『あさイチ』が80’s City-Popを特集しやがったぜ!👍 - Good Old Music 、Fantastic高校野球