鎌倉時代の歌人・藤原定家が1221(承久3)年に記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本2冊が、子孫に当たる冷泉家の時雨亭文庫(京都市上京区)で見つかった。同文庫が18日、発表した。これを基にした鎌倉中期と考えられる写本が、国の重要文化財に指定されている。調査に携わった専門家は「和歌研究史における重要資料の原本。『国宝級』の発見だ」と評価している。
鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が手がけた源氏物語の注釈書「定家筆源氏物語奥入(おくいり)」の一部が見つかった。注釈書は国宝に指定されているが、少なくとも10ページ以上が欠損しており、今回見つかったのはそのうちの1ページ。池田和臣・中央大名誉教授が東京都内の古美術商から掛け軸に貼られた状態で購入し、定家筆源氏物語奥入の一部と確認した。 定家筆源氏物語奥入は、定家が家中の女性たちに源氏物語全54帖(じょう)を写させ、その際に各巻末に記した注釈部分だけを後に切り出して1冊にまとめたもの。今回発見されたページは縦16・7センチ、横14・9センチで、池田名誉教授が2年前、古美術商から「定家筆かもしれない」と聞いて掛け軸ごと購入した。調査すると、現存する奥入原本の近接ページにも、このページと同じ形の虫食い痕があったことや、書体も定家独特のものであることなどが分かり、定家筆と確
オーロラ、鎌倉時代に最接近 藤原定家の「赤気」裏付け―地磁気データ基に再現 2021年10月04日05時33分 北海道の北の空に現れた赤いオーロラ=2001年11月24日、北海道陸別町で撮影(銀河の森天文台提供) オーロラが見えやすい地域「オーロラ帯」の過去3000年間の変化を再現した結果、日本からの距離は鎌倉時代の1200年ごろに最も近かったと、国立極地研究所などが発表した。当時の歌人藤原定家は日記で「赤気」(せっき、赤い光の意味)を京都で目撃したと記しており、研究成果は定家の記述を裏付ける形となった。論文は国際科学誌に掲載された。 〔写真特集〕ウェザーフォト~世界の気象~ オーロラは、宇宙から電子が地磁気(地球の磁場)に沿って地球に入り込む際、大気中の酸素や窒素と衝突して起きる発光現象。北極や南極の近くで現れやすいが、太陽表面の大規模な爆発が起きると北海道などでも観測される。 地磁気が
1982年に日本の天文学者が予測した理論上の「電子捕獲型超新星」の存在が観測によって裏付けられた。太陽の8~10倍の質量を持つ恒星に起きる現象で、これまでシミュレーションでは確認されていたものの、その特徴を示す超新星は観測されていなかった。カリフォルニア大学サンタバーバラ校博士課程学生の平松大地氏ら国際研究グループは、2018年に日本の超新星ハンターが発見した「SN 2018zd」の観測結果からその特徴を確認した。成果は英国の国際学術誌『Nature Astronomy』にオンライン掲載された。 棒渦巻銀河「NGC2146」(中央)と超新星2018zd(右側白い円)。ハッブル宇宙望遠鏡とラスクンブレス天文台の観測からの合成画像。Credit: Joseph Depasquale, STScI 恒星の終焉の際、太陽の8倍程度までの質量の小さな恒星は白色矮星となって静かにその生涯を終え、太陽の
鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家が古今和歌集の歌の解釈を記した書物「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本が京都で発見され、調査した専門家は「国宝級の発見で定家と古今和歌集の研究を進めるための貴重な資料になる」としています。 新たに見つかったのは、藤原定家が古今和歌集の歌の解釈を記した注釈書で、鎌倉時代に書かれた「顕注密勘」の上、中、下の3冊です。 定家の子孫にあたる京都市上京区の冷泉家(れいぜいけ)で行われた調査で見つかり、このうち「上」は複製された写本ですが、ほかの2冊は自筆の原本です。 定家様(ていかよう)と呼ばれる独特の書体で書かれ、「八座沈老(はちざちんろう)」という定家の署名も記されています。 「顕注密勘」は古今和歌集の歌について平安時代末期の学僧が記した注釈に定家がみずからの考えを付け加える形で構成されていて、見つかった原本には余白が足りず紙を貼り付けて書き足している部分もあ
リンク Wikipedia 冷泉家 冷泉家(れいぜいけ)は、藤原北家御子左家(二条家)の流れを汲む公家。家格は羽林家。代々近衛中将に任官された。家名は冷泉小路に由来する。歌道の宗匠家の内の一つで冷泉流歌道を伝承している。 藤原定家の子である御子左家6代・為家の子・冷泉為相から始まる。家名は平安京の冷泉小路に由来する。家業は歌道・蹴鞠。歌風は、同じ御子左流に属する二条家(摂家の二条家とは別)及び京極家(武家の京極氏とは別)に比べるならば、そう特徴的なものはない。 藤原定家の子孫は、定家の孫の代で御子左家(二条家)から京極家・冷泉家が分かれ三家 8 users 8 リンク THE KYOTO Crowdfunding 800年にわたる和歌の家・冷泉家に文化財を保存する土蔵を造りたい | クラウドファンディング - THE KYOTO Crowdfunding クラウドファンディングプロジェクト
百人一首第83番目の歌の作者は皇太后宮大夫俊成こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜいです。 藤原俊成で、百人一首の選者藤原定家の父にあたります。 歌道の大家ですね。 今回は皇太后宮大夫俊成について紹介します。 皇太后宮大夫俊成とは 生年は1114年、没年は1204年。 この人も藤原北家に連なる人。 藤原道長の孫にあたるようです。 平安時代から鎌倉時代にかけて、歌壇で存在感を示します。 後白河院の院宣を受け「千載和歌集」の選者となります。 また後鳥羽院の頃に和歌所寄人となるなど、歌道の大家として活躍します。 勅撰集に選ばれた歌は紀貫之、藤原定家に次ぐ歴代3位(414首)。 数ある歌の中から藤原定家によって選ばれたのがこの歌。 明るくなく、艶っぽさもなく、ユーモアもありません。 この歌から感じられるのは、むしろ諦めとか絶望。 悲しみの境地でもあります。 そんな歌を藤原俊成は27歳の時に詠んでいます
ご高覧いただきまして、ありがとうございます。 岡山ランチ 岡山グルメ 記事の内容は、現在のお店の詳細とは限りませんので、 出かける前にお店に確認してください。 新しいお店情報教えてくださいね。 食べログ https://tabelog.com/rvwr/001238991/ Facebook https://www.facebook.com/artemis.brilliant Twitter https://twitter.com/xxx_artemis_xxx このブログで使用しているアルテミス個人の写真、イラスト、文章の著作権及び肖像権は、全てブログ主(アルテミス)が有します。 このブログに掲載のアルテミス個人の記事、文章、写真、イラスト、図表等の、無断での使用、転載、複製、改変、頒布等を禁止します。 Copyright (C) 2011 Artemis
鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家が古今和歌集についての解釈を書き込んだ注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の自筆の原本が京都で発見され、調査した専門家は国宝級の発見で、定家と古今和歌集の研究が進む重大な資料になるとしています。 「顕注密勘」は、鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家が平安時代の古今和歌集の解釈を記した注釈書で、いくつもの写本の存在は知られていましたが、原本となる自筆の存在は知られていませんでした。 今回発見された「顕注密勘」は上、中、下の3冊で、定家であることを示す「八座沈老(はちざちんろう)」という署名が読み取れますが、1冊は貸し出した先で火事で失われ、改めて写したことが記されていて、定家の自筆は2冊だということです。 内容は、古今和歌集の歌について、平安時代末期の学僧が記した注釈を写させ、そこに定家がみずからの考えを付け加える形で構成されていて、定家様(ていかよう)と呼ば
藤原定家の自筆本見つかる 古今和歌集注釈、冷泉家から―京都 時事通信 社会部2024年04月18日18時10分配信 冷泉家で見つかった藤原定家の自筆による古今和歌集注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」。右上は写本=16日、京都市上京区 鎌倉時代初期の歌人、藤原定家(1162~1241年)の自筆による古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」が見つかったと、公益財団法人「冷泉家時雨亭文庫」(京都市)が18日、発表した。 ミケランジェロ直筆紙片に3100万円 ニューヨークの競売で 顕注密勘は、平安時代末期の僧、顕昭による古今和歌集の注釈に対し、定家が自説の注釈を加えた書物。写本は確認されていたが、自筆本の発見は初めて。久保田淳東京大名誉教授(中世文学)は「写本では分からない定家の思考を知ることができる貴重な史料だ」と話している。 自筆本は、古今和歌集の解釈を伝える「古今伝授(こき
「歌聖」とたたえられた藤原定家による古今和歌集の直筆注釈書「顕注密勘」が、「王朝の和歌守(うたもり)」とされた冷泉家で見つかった。古今集の歌の解釈や言葉の意味を後世に伝えた「古今伝授」に関わる資料の一つとみられ、100点超の冊子・古文書とともに一つの箱に収められていた。専門家は、和歌の家に伝わった古今集や古今伝授の「神髄」を物語る重要な資料群とみなしている。 「冷泉家の古今伝授は藤原俊成、定家から守り伝えられてきた教え。今回、(歴代当主が教えを継承してきた)勉学の跡を示すおびただしい数の資料が見つかった」。冷泉家住宅(京都市上京区)での記者会見で、同家の第25代当主で時雨亭文庫の冷泉為人理事長はそう切り出した。
夢のなかぞら 父藤原定家と後鳥羽院 [ 大垣さなゑ ] 価格: 2933 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 「神器なき即位」。安徳天皇が神器を携えて西国に逃れたため、三種の神器がないまま即位した後鳥羽天皇。これはそのまま後鳥羽帝の心に残る「トゲ」となって生涯に影を落とす。そんな後鳥羽帝は、帝でありながら自らも刀鍛冶を行なうほどの類いまれな才能も有していた。 「日本一の大天狗」と呼ばれた祖父後白河院。今様に狂い帝の器ではないと周囲から見られながらも、即位するや権力を縦横無尽に操って、勝者が入れ替わる源平の争乱を渡り歩く。その姿を学んだ後鳥羽帝は、退位後も治天の君として朝廷、そして自らの権威を高めるにはそうすればよいかを考え続けた。 後鳥羽院の卓越した才能は和歌にも向かった。当時の和歌は「世を治め民を和らぐる道」とされ、和歌の力は平和をもたらすと信じられていた。後鳥羽院は習作を重ね、遂には当代
わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日本近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 国文学研究資料館の創立50周年記念式典の基調講演で、田渕句美子さんは、『百人一首』の撰者が藤原定家ではないという内容の講演をされ、オンラインで公開されていたため、私も興奮しながら拝聴していた。文学史を塗り替えるこの衝撃的な説は、2020年に既に論文として発表されていたようであるが、この基調講演ではじめて知った人も多かっただろう。私も噂には聴いていたが、元の論文を読んでいなかった。しかし、この説はまだまだ知られていないだろう。なにしろ、教科書の文学史を書き換えなければならな
『身もこがれつつ 小倉山の百人一首』(周防柳 著)中央公論新社 百人一首について、どの歌が好きか、や、歌の作者について考えたことはあった。また、百人一首を選んだのが、自らも歌人である藤原定家だということも知識としてあった。しかし定家が、「なぜその百首を選んだのか」ということについては、まるで思いを馳せたことがなかったと、本書を読むにあたって気づかされた。 主人公は、藤原定家、その人だ。章によって年齢は異なり、そのとき抱えている問題や感情も変化しているが、変わらないものもある。彼の、歌に向き合う姿勢だ。いつも誠実で真剣。彼と歌は、もはや一体化しているといっても過言ではない。 当時の主君である後鳥羽院に、歌について問われた際、定家は語る。 「古歌に親しみ古歌を誦(ず)するうちに、おのずとおのれの風(ふう)というものもできあがってまいります」 いわゆる温故知新の精神だ。膨大な古歌を手札に書きつけ
2024年4月12日、冷泉家に代々伝えられながらも、約130年ものあいだ、開けられていなかった「箱」が開けられた。縦約35センチ、横約50センチ、高さ約55センチの木箱である。 【画像】秘伝の箱から見つかった「顕注密勘」 箱からは、『新古今和歌集』の選者であり「歌聖」と仰がれる藤原定家(1162~1241)直筆の書物『顕注密勘』が発見された。『顕注密勘』は日本最初の勅撰和歌集『古今和歌集』の注釈書で、いくつもの写本が伝わっているものの原本は長く失われたとされてきた。 130年ぶりに箱を開けることになった 冷泉家は、藤原俊成・定家父子を祖先に持ち、800年の歴史を持つ。代々宮中で和歌を教えてきた家として知られ、貴重な文書を数多く守ってきたその蔵は「文書の正倉院」とも呼ばれている。 〈昭和55(1980)年から順に蔵書全体を調査するなかで、およそ130年ぶりにその箱を開けることになったものの、
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