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美醜に関するsemisのブックマーク (8)

  • ブスについて

    ブスについての日記が思いのほか面白かったので なんとなく思うところを書いてみたりする。 私はブスが嫌いだった。自分自身もきれいな方ではないが それを棚上げして、小さな頃からブスには近寄らなかった。 いじめるつもりはなかったが、美しくない女の子や男の子の隣にいるのは なぜか苦痛だった。 逆に美しい女の子や男の子のそばにいると、それだけで幸せで 時に興奮した。 たぶん、変態だったんだと思う。 ただ、それも幼稚園、小学校、中学校くらいまでで DQNのいない高校に行くと、ブスの友達も増えるようになった。 彼女らは美しくなかったが、何らかの能力に秀でていた。 話も面白かったし、彼女らのことが好きにもなった。 しかし、なんとなく心の中で彼女らを差別している自分がいることも感じてはいた。 大学に入って以降も表面的には当たり障りなく接したり、 仲良くすることも多かったと思うが、 ブスへ密着するような機会は

    ブスについて
    semis
    semis 2008/06/26
    ブスって言葉自体にマイナス評価があるんだから、ブスであることそのものを好きにはなれないんじゃないか。からかったりいじめたりとは別。美しさに惹かれるのも仕方のないこと、と思う。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

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    semis
    semis 2008/06/22
    期待されるものとか自己イメージとかそういうのがこじれた結果なのかな
  • Mathematical beauty - Wikipedia

  • 美醜の感覚の違いに見る日米差

    Beauty is but a skin deep(美しさはほんの皮一重に過ぎない)といいますが。前々回日に行ったとき、何かの雑誌に 「日ではごく平凡な外見だが、ハワイに短期留学に行ったら、『かわいい』と男の子たちに囲まれモテモテだった」 という女の子の手紙が載っていた。20才前後ぐらいの人みたい。ご人いわく「目は大きいけど、鼻は無いも同然」だそうです。これを読んで、白人(や中東の人)の「鼻大きいコンプレックス」を思い出しました。 アメリカでは、「鼻が大きい」(she/he has a big nose)というのが、致命的なんですね。横に広がった鼻もbig noseにはいりますが、日語で言うところの「高い鼻」もbig nose。特に鉤鼻で大きいのがダメらしいんですが、形が普通でも高過ぎる鼻はダメ。(普通の日人の「だんご鼻」程度だったら高さが足りないのでbig noseには入らず。

    美醜の感覚の違いに見る日米差
  • 「美には生物学的な根拠」彫刻作品と脳の働きを実験 | WIRED VISION

    「美には生物学的な根拠」彫刻作品と脳の働きを実験 2007年11月26日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) Brandon Keim Image: PLoS One 古代ギリシャやローマの彫刻を一度も見たことがなくても、『ミロのビーナス』の美しさは能的にわかるのだろうか? ミケランジェロよりもビール『Michelob』(ミケロブ)に馴染みが深い場合でも、缶ビールをお腹に突っ込んだチキンより『ピエタ』に、より喜びを感じるのだろうか? その答えは「イエス」だと、Emiliano Macaluso氏、Cinzia Di Dio氏、Giacomo Rizzolatti氏の3人は主張している。 Public Library of Science(PLoS)が出版する『PLoS One』誌に11月21日(米国時間)発表された研究の中で、イタリアのパルマ大学所属の神経科学者

    semis
    semis 2007/11/27
    ピエタきれい
  • http://www.phenomenology-japan.com/takeda/koenroku01.htm

  • 好みと人気と優劣 - 一本足の蛸

    あなたが良いと思うものが良いものなのだ、という考えは、こうした感受性や直観に支えられていれば妥当でしょうが、そうでなければ単なる個人の好みでしかない。好みと人気と優劣は、すべて別々の要素です。好みはその人自身が判断するだけだし、人気は客観的に言えるでしょうが、優劣はそうはいかない。にもかかわらず、優劣を理解する人にとっては、それは実に歴然としているのです。趣味のない人には優劣はわからないが、わかる人には歴然とわかる。あれこれ理由を述べることはできるかもしれないけど、そんな説明で趣味のない人に優劣を納得させることはできない。批評というのは、趣味のある人のあいだでしか機能しない。 「売れる作品が良い作品だ」などと訳知り顔で言う人がいますが、商売としては正しいかもしれませんが、当にそれが優劣だと思っているならば、その人は単に趣味がないのです。自分では何が優れているか判断できないので、人気という

    好みと人気と優劣 - 一本足の蛸
  • 趣味の悪さというもの - good2nd

    女の子の部屋に行って壁に架けてあるのが動物写真のカレンダーなんかだったら害がなくていいのですが、ラッセンの絵が貼ってあったら僕は「うわ、趣味悪いな」と思わずにはおれないでしょう。決して「この子は自分とは好みが違うんだな」ではない。口では「僕とは好みが違うかなぁ」と言うかもしれないけど、実際には「趣味が悪い」と思うのであって「自分と違う」と思うのでは絶対にない。 ある作品なり何なりを良いと思うかどうかは人によって違いますが、それが人気があるかどうかということと同様に、それが優れたものであるかどうかということもまた別の話です。「優れているかどうか」という評価も人によって差があることは確かですが、それはある程度までであって、完全に相対的ではありません。つまり、駄目なものがあり、駄目なものを好む人がいる。 趣味の悪さを指摘されると「自分の価値観を押しつけるな」などと言う人がいるわけですが、そうでは

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