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2009年11月21日のブックマーク (2件)

  • 「書類送検」についてまだまだ誤解が多い

    のはマスコミのせいだな半分以上は、と思ってるわけだけど。 「~の容疑で書類送検」みたいなニュースを見て、「何か警察が犯罪と認定したんだな」って受け取ってる人、多いよね。 ときどき、逮捕とごっちゃにしてるコメントすら見かける。 違うよ。全然違うよ。 「書類送検」って、会社でたとえたら、「稟議書を営業部から役員会に回付しました」みたいなのと同類だってば。 しかも、その営業部長は、自分のところで稟議を揉み消す権限がない。 自分が受け取った稟議書は、全件、自分のハンコを押して役員会(の担当役員の秘書)に届けなきゃいけない。 稟議を通すか却下するかは、全部役員会で決める。 警察は、「立件」(うんたら被疑事件、として事件番号をつけてリストに登録すること)したら、全件、検察に「送致」しなきゃいけない。 これ勝手に揉み消せない。だって法律にそう書いてあるから。(刑訴法の条文は各自当たられたし) だから、警

    「書類送検」についてまだまだ誤解が多い
    semis
    semis 2009/11/21
  • pooneilの脳科学論文コメント: グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)の「精神と自然」まとめ

    ■ グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)の「精神と自然」まとめ Chap.2 学校の生徒だったらみんな知ってる 認識論についてのベイトソン流「基礎の基礎」。 科学は何も証明しない。 科学は過程を向上させたり反証を加えることはできるが、それ自身の正しさを証明することは出来ない。これはポパーの考え方と同じ。オッカムの剃刀でより単純な答えを正しいと思っているだけ。原文ではこういってる。"Science probes; it does not prove." 地図は土地は別物。名前と名付けられたものは別物。 記号論。シニファンとシニフィエ。 客観的経験というものはない。 経験とは全て主観的なものである。足を踏まれたときに経験するのは「足を踏まれたこと」そのものではなくて「神経報告を元に再構成された足を踏まれたことに対する私の印象」である。 イメージの形成は無意識過程である。 我

    semis
    semis 2009/11/21