twitterでスクールカースト問題について海老原豊氏と議論していた。「スクールカースト」とは言うが、それが従来の「カースト」であれば、「アウトカースト」(カーストに属さない者)が存在するはずである。アウトカーストは、一般的にはカーストの外部に存在し、「不可触民」とされている。それは貧困などの問題に晒されているかもしれないが、基本的にカーストの「外部」であり「最下層」ではない。日本でも伝統的に芸能や宗教を担っていた人間たちはここに属していたのではないかと思われる。あるいは「道化」や「王」もアウトカーストに入れてもいいのかもしれない。道化はカーストに属さずに好き勝手を言える人間として、王の傍にいる。そして王はその「カースト」に正当性を与える規準なのだから、それ自体はカーストには属していない。ざっと見て、このように、カーストの「外部」というものは歴史上は存在していたように思う。それは「聖」や「
http://d.hatena.ne.jp/walwal/20091205/1260013392経由http://www.j-cast.com/tv/2009/12/05055498.html「働かざるもの食うべからず」 この経験から、社長は日本人に見切りをつけたくなったと話す。「失業者は甘えすぎだよ!昔は働かざるもの食うべからずで、働かなくちゃ生きていけなかったのに、今は働かなくてもいろいろと助けてもらえるからね」と、かなり熱っぽくまくし立てる社長。昔々と言い過ぎていると自覚していても、どうしても言いたい! 働きたいなら、ウチに来てよ! と。しかし雇用してもすぐに辞めてしまう人々。理解に苦しみながらも社長はこの状態がいつまで続くのか、についてこう答えてくれた。「もうさ、今の日本は違う国みたいな感じになっちゃったよね。価値観が全くちがうもの。日本人をあてにするのはイヤになっちゃうよね」 そ
活字中毒R。2009-08-13 - ○内○外日記 最近の若いお嬢さんたちはたくさん野菜を食べるし、盛り付けもきれいにするし、こまめに料理をするし、バカ食いしない。そういう様子を見ていると、日本人はもう一回、新しいレベルでの和食を作り出したんだな、と感じることが多い。もちろんそういう時代を作り上げてきたのは、食べ物をおろそかにしたり、ただ早かったり多かったりすることに抵抗を感じた料理人や研究家たちの熱心な活動だと思う。 書店に行っても、主婦向けの本だけではなくて、若い人やひとり暮らしの人に向けて書かれた料理の本がたくさん並んでいるし、よく売れている。日本人的な細やかさをもう一度取り戻した形にアレンジされて、ちゃんといろいろな国の洋食も取り入れられていて、季節の野菜がいっぱいで、体にいいものという感じだ。若者がやっているカフェに行くと、私には物足りないくらいに健康的できちんとした食事をとっ
本サイトは自殺に関する予防的情報提供,自殺サイトについての情報伝達を目的として作られたサイトです.はじめていらした方はこちらをお読み下さい. 目次自殺について人はなぜ自殺をするのか?自殺とは何か?自殺者の特徴自殺と精神障害自殺したいと言われたら自殺予防の根拠とは?自殺サイトについてインターネットと自殺予防自殺サイトに関する研究自殺サイトと臨床心理学自殺サイト管理人インタビュー
ロールズの正義論に関する簡単なまとめ。学生時代に書いたものだから、内容が間違ってるかもしれないけどとりあえずエントリを作成。底本は法哲学 (有斐閣アルマ)のp10-21およびp116-176。 ロールズの正義論はそれまでの正義論議と一線を画していた。1970年代初頭まで、社会科学における価値の議論は、倫理的概念の分析や価値判断の正当化の構造の追及といったメタ倫理学と、価値相対主義の台頭により、そもそも社会科学が実質的な価値判断を行なえるのかという疑問があった。社会科学が真偽を問えるのはあくまで経験的なものと論理的なものに限られており、正義のような社会的価値を社会科学の学問の下で語ることはできない、というのが当時の趨勢だった。 ロールズの正義論は、社会契約説を元に、自由で平等な道徳的人格が自分たちの社会の基本構造を規定する根本ルールを合意の上で選択する、という建設的ビジョンを、さまざまな理論
「“アスペルガー症候群”診断」有害無益説(id:umeten:20090326:p1)によると、精神障害と「いわゆる発達障害」は別だと思っている人がちらほらいるらしい。恐らく、(統合失調症を中心とした)精神病 psychosis と精神障害 mental disorder を混同しているのだろう。精神病と「いわゆる発達障害」は、どちらも精神障害のサブカテゴリであると言うのが主流の疾患分類学の考え方である*1。例えば、特定不能の広汎性発達障害(PDDNOS)やアスペルガー障害であっても、精神障害には違いないので、(1)精神科の初診から6ヶ月を経過し、(2)本人または本人を代行する家族等が申請し、(3)3年以上精神医療に従事した精神科医が書類を書き、それが当局に認められれば精神保健福祉手帳を取得できる。手帳を取得するメリットはいくつかある。精神保健福祉手帳の取得により、下記の福祉サービス(全国
book, economy | 01:10 | Two-Sided Matching: A Study in Game-Theoretic Modeling and Analysis (Econometric Society Monographs, No 18)作者: Alvin E. Roth, Marilda A. Oliveira Sotomayor出版社/メーカー: Cambridge University Press発売日: 1992/07メディア: ペーパーバックRoth and SotomayorのTwo-Sided Matching: A study in Game-Theoretic Modeling and Analysisというマッチング理論の教科書をよんでいたら、いろいろと興味深い結果が数学的に証明されていて、ものすごくおもしろかった。そのステートメントというのはた
何しようが自由だけど趣旨は一貫させようね、嘘やデマに流されちゃだめだよ、的な。そう、別にサイトにきたらカキコしないとダメだとか感想必須とか辟易するサイトを作ろうが別に法律を逸脱しないなら自由だと思います。ただ個人的に言ってることとやってることは一致させようぜ!と。あとはこういうの心がけた方が問題おきにくいかもね。イライラしたくないなら気にしてみるといいよ。イライラしたいなら守る必要ないけど。そんな話です。ちなみに逸脱、なのは二次創作は厳密にはそれ自体が違法性を孕んでいたりするからです。ときどき違法なサイトからのリンク禁止!とかあるけど、それ公式が二次創作を正式に許可してない二次(黙認含む)からのリンクもしちゃいけないってことだよね、とか。どこから逸脱なのかは個人で違うだろうけど、そのへんのあいまいさもまた二次界隈っぽくていいかなあとか。関係ないですね。(追記:後ろの話といたりする、という言
ぼくは友だちがとても少ないのだが、それでもいないわけではない。ほんの数人、親しい友だちがいて、時々一緒にご飯を食べたり、お茶を飲んだりする。 その友だちの一人にMという男がいる。Mはぼくの後輩なのだが、今ではもう友だちのような関係だ。Mもぼくも渋谷の近くに住んでいるので、会う時は渋谷が多い。電話をして、ちょっとお茶でも飲もうよという感じになり、カフェでよくお茶をしたりする。カフェに行く時、ぼくはスターバックスが好きなのだが、Mはタバコを吸いたいので、他の店に行くことになる。スターバックスは禁煙でタバコが吸えないのだ。ぼくはタバコを吸わないのだが、Mと一緒の時は、Mに合わせてタバコの吸える店に行く。ぼくは、近くにタバコを吸う人が多かったので、タバコを吸える店に行ってもそう苦にすることはない。 ある時、それは夜の9時頃だったのだけれど、渋谷で会っていたぼくらは、じゃあお茶でも飲もうかということ
原爆で家族を失いながらもたくましく生きる少年の姿を描いた(以上、ほぼ棒読み)、中沢啓治の名作マンガ『はだしのゲン』。しかし、親に勧められてこの作品を読んだ小学生当時の僕にとって、『はだしのゲン』は、かーなーりエロかった、のです(笑)。中沢氏の、太く、どちらかといえば不器用な描線がナニゲに肉感的に見えたことに加え、降りかかる試練の数々に耐えるゲン一家のすがたに、どこかサドマゾ的な感覚をくすぐられもしたのです。その極めつけは、なんといっても、原爆投下直後の悲劇でした。ゲンの父が、弟が、そして姉が、倒壊した家の下敷きになって生きながら焼き殺されていく場面に、当時の僕は、のちに知ることになる絵金の無惨絵を前にした時の感覚を先取りするかのように、昏い昂奮を喚び起されていました。 ところで、『はだしのゲン』はアニメ映画化もされています。監督は、マンガ家でもある虫プロ出身の真崎守。僕はこのアニメ版のごく
身体性という言葉を見かけたので、それに言及した本について2003年7月26日に作成した読書録をリサイクル。再読する余裕が今はないので、とりあえずそのままのかたちで残しておく。今読んだら感想もだいぶ変わるのだろうな……。 序論 ドレイファスのこの本での一貫した見方は、「身体性」という言葉に要約できる。 私は哲学者なので、インターネットの具体的な使用法の良し悪しを論じる立場にはない。私の問いはもっと思弁的な、次のような問いである。もしネットがわれわれの生活の中心となったとしたら、つまり、ハーバード大学ケネディ・スクール学長のジョセフ・ナイが「魅力的な新たな文化」と呼ぶものが実現するとしたら、どうなるのだろうか。生活のかなりの部分をサイバースペースで送るようになるにつれて、われわれは、人間を超えることになるのだろうか、それとも人間以下になるのだろうか。 これらの問いを考える際、次のような可能性が
■[雑記][本]『差別論』 差別に関する本(当たり前だ)。「差別する側」に注目しながら、差別が起こるメカニズムと差別をなくす方法を導くための理論を構想しようとするもの。 著者自身が述べる、著者の問題意識や本書の目的は以下のような感じ。 大雑把にいえば、さまざまな差別問題の共通性は「差別する側」にあります。人はどうして差別をするのか。あるいは特定の人々を排除したり攻撃したりおとしめたりする理由は何か。このような問題は、さまざまな差別の問題に共通のテーマとして設定することが可能だし、現に特定の差別問題に依拠しない理論が作られてきています。その代表格が、本書が批判の対象とする偏見や差別意識に関する理論です。 本書のタイトルである「差別論」という言葉は、個別の差別問題について論じるのではなく、さまざまな差別問題の共通点を扱うのだということ、そして、「差別する側」に着目して考えていこうとしているのだ
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