まず、ここにいる社員たちに ちょっと質問してみたいと思います。 「日本の魚が、いちばん品質が高い」 と思っている人‥‥?
まず、ここにいる社員たちに ちょっと質問してみたいと思います。 「日本の魚が、いちばん品質が高い」 と思っている人‥‥?
「ほぼ日」は、16回目の誕生日を迎えました。 ひとりで大きくなったような顔はしません。 もうこどもじゃないと言われそうな年なので、 たくさんの人たちに感謝すること忘れてはいません。 そうかといって、ただただ謙遜に、 皆さまのおかげです、とお辞儀をしてるのもへんです。 内心うれしかったり、感謝していたりするのに、 ちょっとなんでもないふうを装ってみたり、 いわゆるその、「ツンデレ」ですか、 まことにシックスティーンらしい心境であります。 背丈も大人のようになってきて、 多少なりとも周囲も大人の扱いをしてくれたりもして、 半端な知識やら方法なんかも身につけてもきて、 このまま適当なサイズに収まってしまうことも、 なんとなく想像できるような16歳です。 大人になっているということを、 ただただ「しっかりしなきゃ」と考えてはいけない。 大人っていうのは、こどもたち諸君に、 「おとなになったら、あん
<ある没になったコピーの思い出> 『人材、嫁ぐ。』 これは、昔、ぼくが書いて没になったコピーだ。 当時の西武百貨店を中心にした 西武流通グループの企業広告のために書いたものだ。 そのころの一般的な企業では、 女性の働く機会というのは、 かなり限られた条件のなかにあった。 仕事を持った女性でも結婚すると 「寿退社」などと呼ばれて、 退職するのが常識のようになっていた。 企業のそういう現状があるなかで、 西武流通グループは、 結婚をして出産した女性が、 子どもに手がかからなくなってから 「再就職」のかたちで職場に復帰しやすいような 新しい人事システムを、つくりはじめていた。 このことを新聞媒体を使った 企業広告シリーズの 次のテーマにしようということで、 ぼくらの仕事はあった。 西武百貨店宣伝部の人たちと、 ぼくら制作者チームとで、何度かの打ち合わせを持ち、 ある程度表現の方向が決まってから、
ボーッと見えることは見えるんでね、 このくらい大きく描いて、それを縮小して、 渡してるんです。 今日の仕事も、石ノ森章太郎と手塚治虫の 追悼のために、両方の絵を描く、 という依頼だったんですけど、 デカく描いて、縮小させました。 ぼくは理事長とか、いろんな選考委員、 全部降りたんですよ。 そしてもう引退するって言ったときに、 東日本大震災が起きた。 その時に引退なんて甘いことは言ってられない。 あの人たちに比べれば、 自分のほうがよほどまだ元気だからっていうことで、 引退は撤回したんです。 撤回して、向こうへ、うちの声優たちを慰問にやったり、 向こうでコンサートをやったり、現物を寄付したり、 いろいろしてたんです。 だから、まだ、引退はしてないんですけどね、 現実はもうダメなの。
さて本日最後に登場くださるのは プレジデント社の斉藤賢太郎さん。 斉藤さんは上智大学経済学部に現役入学。 現在は食いしん坊雑誌「dancyu」編集部に 所属していますが、 以前は「プレジデント・ファミリー」という 小中学生のこどもを持つ親を対象にした 子育て・教育・受験雑誌の編集者を 3年半つとめていらっしゃいました。 「プレジデント・ファミリー」は 都内在住のビジネスマンの読者が多く、 大人の仕事術でよく特集されるような “時間管理術”や“意欲が燃え上がる方法”などを 受験にも応用するような考え方の記事も 多かったそう。 その“意欲が燃え上がる”って まず興味があるんですけど‥‥。 「はい。いまだに、自分の仕事で使っている 人生が変わったメソッドがあるんですよ」 えっ。人生が変わったメソッド? それをまず教えてください! 「4分間勉強法っていうんですけど」 4分間? 4分間だけ? 「そう
そもそも、ぼくが早野さんのやってることに なぜ注目していたかというと、 「この人は、ただただ観察をしている」 というふうに感じて、それがとっても 信頼すべき姿として映ったんです。 ほかの方々が、さまざまな「考え」を たくさん述べてらっしゃるときに、 早野さんはさまざまなデータを 自分の考えを大きく添えることなく発信していた。 これはぼくの素人考えですけど、 「とにかく事実を知らせなきゃね」 っていうことをやっているように思えたんです。 だから、いろんな立場の人を含めて、 震災後のかなり早い段階で、 この人は絶対に見ておかなきゃいけないなと思って フォローさせていただいたんです。
じつはぼく、震災の直後から、 ずっと早野さんのツイッターを追っかけてまして。 いつかお会いするっていうのを、 自分で勝手に決めてたみたいなところがあるんです。 でも、お会いするタイミングを選ばないと、 なんか、もみくちゃになっちゃうというか、 落ち着いて話もできないままに おしまいになっちゃうような気がして。
今までおうかがいしてきたように、 デジカメ全盛の時代でも まだまだフィルムを楽しんでいる人たちが たしかにいる一方で、 「デジタル化の波」というのは やっぱり押しとどめられないと思うんです。
#hobo_soudan ~はじめに、お読みください~ だいたいのやりかたと、ご注意など。 「リアルタイムお客様相談室」というと なんだかすごいことのようですが、 要するに、ツイッターを使ったやり取りです。 「ほぼ日」の乗組員が数名、 ツイッターのアカウントをつかって参加します。 相談のある方は、ご自身のツイッターの アカウントからツイートしてください。 (※ツイッターのアカウントがないと 相談することはできません。 読むことは、問題なくできます) やり方はたいへんシンプルで 「ハッシュタグ: #hobo_soudan 」 をつかってツイートするだけ。 「ほぼ日ツイッターお客様相談室」の ページのウィンドウには、 そのハッシュタグをつかったツイートだけが 表示されるようになってますので、 相談役の乗組員数名と、お客様のやり取りを リアルタイムに読むことができます。 また、それぞれのやり取り
震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ
でも使い方はよく知らない。 写真が撮れる仕掛けの携帯を持ってるんだけど、 どうやったら写真が撮れるかっていったら、 ぜんぜんわかんない。
その5人のなかで、 勤務中に亡くなられたのは1名でした。 あとの4人は、 勤務時間外で自宅にいらしたときなどに 亡くなられています。 つまり、 ヤマトの制服を着たドライバーが 現場で亡くなったのは、1名なんです。
2011年7月某日、 『ヤマトホールディングス』本社の 応接室をおとずれた糸井重里の目に、 1枚の写真が飛び込んできました。
走るのと自転車。 あと有酸素運動だけだと 脂肪といっしょに筋肉も落ちちゃうから 1年くらい筋トレもいっしょにやってます。 そのまえまで「やっちまった」っていう 太りかたをしていたんですよ。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く