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ブックマーク / emiyosiki.hatenablog.com (4)

  • オリーブオイル1本分で8歳男児が海外へ売られた一方で、うどん県の夫婦が8歳の子を4万円で売っていた - 歴史ニュースウォーカー

    きのう(2013年5月13日)の読売新聞で、「『日人奴隷』3人、メキシコに…安土桃山時代」という記事がでて話題になっていました。 ガスパールは豊後(大分県)生まれ。8歳だった1585年、長崎で日人商人からポルトガル商人のペレスに、奴隷として3年契約7ペソで売られた。その後の詳細は不明だが、引き続きペレスのもとで、料理などの家事労働をしていたとみられる。当時のスペインで、高級オリーブオイル1が8ペソだった。 8歳の人間がオリーブオイル1分。。。 では、日ではいくらくらいで売られていたのでしょう。 14世紀の売買された人間の値段について、国立歴史民俗博物館の研究から拾ってきました。 1324年 娘 2200文(2貫200文)  志ん二郎とい男が「いぬまさ」という名前の女の子を買った値段 1330年 童(わらし) 500文 うどん県の夫婦が自分たちの子ども(8歳)を売った値段 1390

    オリーブオイル1本分で8歳男児が海外へ売られた一方で、うどん県の夫婦が8歳の子を4万円で売っていた - 歴史ニュースウォーカー
    skam666
    skam666 2015/05/26
    “14世紀の売買された人間の値段について、国立歴史民俗博物館の研究から拾ってきました”
  • 「沼なんとかならアウト!?緑が丘は安全?!」地名と災害に相関性はどの程度あるのか - 歴史ニュースウォーカー

    きのう(2013年6月29日)の新聞で、くしくも産経新聞と朝日新聞が「地名」と「被災」の関係についての記事を載せていました。 産経新聞はWEBで見ることができます。 筑波大名誉教授(教育学)でノンフィクション作家の谷川彰英氏は「隠れた危険エリア」を指摘する。 同氏は震災後、半年間をかけて東北から九州の太平洋岸約4000キロメートルを歩き、津波と地名の関係を調査。それを基に、南海トラフの連動地震による水害にさらされかねないエリアを『地名に隠された「南海津波」』(講談社)にまとめ、この度、上梓した。 地名に隠された「南海津波」 (講談社プラスアルファ新書)posted with ヨメレバ谷川 彰英 講談社 2013-03-20 Amazon楽天ブックス7net 上の一覧にあるような川や津や谷や池などといった地名が災害時に危険性が高いことは言われなくとも分かると思います。記事でも、あまり踏み込ん

    「沼なんとかならアウト!?緑が丘は安全?!」地名と災害に相関性はどの程度あるのか - 歴史ニュースウォーカー
    skam666
    skam666 2013/07/01
    “災害を示唆する地名は50%ほど危険性が高いと言えます。地名にそのまま災害危険性を頼るのもあれですが、まんざら無視はできないということですね”
  • 9世紀(平安時代)の岩手県で、はじめて馬をかいた土器が見つかる!【画像あり】 - 歴史ニュースウォーカー

    北上市の八幡遺跡という村落跡から岩手県でははじめて馬を描いた土器がみつかった、このニュースはちょっと前からネットで流れていて、なんどかツイートもしているのですが、ずっと画像がありませんでした。それがようやく出ました。 奈良〜平安時代に東北を舞台にした「三十八年戦争」というのがあります。阿弖流為や坂上田村麻呂が活躍する戦いです。 東北の現地勢力の「蝦夷」は、イメージとして馬に乗っているわけです。 平泉も馬を献上するし、伊達政宗も東北の馬をいばる・・・東北といえば、馬の名産地。 でも、三内丸山遺跡の縄文人は馬に乗っていないです。 馬はもともと日列島にはおらず、朝鮮半島から5世紀頃に渡来したと言われているので、九州から延々と人が放牧地を求めて移動してきて、「適地だ」となったのです。 古代の近畿で牧場があったのは淀川沿いで、渡来系の集落が多い場所。 関東で牧場があったのは群馬県で、渡来系の移住

    9世紀(平安時代)の岩手県で、はじめて馬をかいた土器が見つかる!【画像あり】 - 歴史ニュースウォーカー
    skam666
    skam666 2013/06/25
    “古代の近畿で牧場があったのは淀川沿いで、渡来系の集落が多い場所。関東で牧場があったのは群馬県で、渡来系の移住地。となると、東北にも馬にともなって渡来人がだいぶ移住しているはず”
  • 憂鬱でなければ、書聖じゃない。王羲之は鬱の上にジャンキーだった - 歴史ニュースウォーカー

    photo by Stanley_Hsu 「憂でなければ、仕事じゃない」というビジネス書がありましたが、「これは!」という仕事を残す人はやっぱり平凡ではありえません。 それも「立派な人だった」という方向ではなく、どちらかというと「奇人変人」のたぐい。 4世紀の中国で活躍した「書聖」王羲之といえば、書をしている人はご存じでしょうが、一般人にとっては、ぶっちゃけすぎていうと「明朝体」の産みの親ということでOK。 より専門的にいえば、今ある字の書き方の、楷書、草書、行書のスタンダードを作った人です。 日を含む東アジアは、漢字の文明。その書を「整えた」のは、隷書を決めた始皇帝と、楷書その他を定めた王羲之の2人といっても過言ではありません。 それだけ伝説の人物なので、さぞかし立派な方だと思われがちですが、端的にいって 「暗い」そして「うざい人」です。 さらに麻薬の「五石散」をやっているジャンキー

    skam666
    skam666 2013/02/25
    “書を「整えた」のは、隷書を決めた始皇帝と、楷書その他を定めた王羲之の2人(略)それだけ伝説の人物なので、さぞかし立派な方だと思われがちですが(略)麻薬の「五石散」をやっているジャンキーです”
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