タグ

2008年4月15日のブックマーク (4件)

  • 無知を武器にバンザイアタックする人たち - Close To The Wall

    見出しは見出しです。 以下の記事にコメントしようとしたらえらく長くなってきたので、独立した記事に変更。 「知らないことに関しては調べてから言いましょう」がなぜか「だまってろ」に変換される問題 - ARTIFACT@ハテナ系 とりあえず、二つ目の例について言うと、手元にある情報、根拠からはどれだけのことが言えるのか、ということをまったく考えないで発言するという問題だと思います。無知ならば、断定的に言えることはきわめて些少のはずなのに、勘違い君と相手の主張を相殺できるものをみつけられるまでなら調べる人が典型的ですが、根拠がわずかなのに何事かを強い調子で断定してしまう(しばしばかなり間違っている)。 当然詳しい人からは厳しく批判されたり、バカにされたりするわけです。調べろ、と。そういうことを言われる、ということは、その主張をするには根拠が足りなさ過ぎる、あるいは少し調べればそれが間違っていること

    無知を武器にバンザイアタックする人たち - Close To The Wall
  • 素人を納得させられる専門家は神か邪神のどちらかです - 見ろ!Zがゴミのようだ!

    はてなブックマーク - 「知らないことに関しては調べてから言いましょう」がなぜか「だまってろ」に変換される問題 - ARTIFACT@はてブロ 上記ブクマコメで「専門家は素人にわかりやすく教えるべき」みたいな話が結構上がってて盛大にもにょる。 普通の専門家は素人にわかりやすく教えられません。特にWWWでは。 人数の非対称性 ブログで専門家が記事を書く場合、送り手は一人だが、受け手は膨大な数になる。 そして、理解できる知識量を持つ人が多いとは限らない。 また、受け手の99%が理解できたとしても、一人が理解できなければ、その人にとって「専門家は俺、つまり素人にわかりやすく教えてくれない」という状況は変わらない。 これが学校なら「理解している人・していない人の割合」が見えやすいため、理解出来ない側も少数派であることを認識しやすいが、Web上ではこの人数比は可視化されづらい。 よって、理解出来ない

    素人を納得させられる専門家は神か邪神のどちらかです - 見ろ!Zがゴミのようだ!
  • 「知らないことに関しては調べてから言いましょう」がなぜか「だまってろ」に変換される問題 - ARTIFACT@はてブロ

    http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20080407#c1207949639 それでも、僕がこうしてネットで発言しているのは、「専門家しか発言の資格が無いんだ」「素人は黙ってろ」というような排他性を超えられるのがネットの醍醐味だと思っているからなんですよ。 よく専門家や詳しい人がアドバイスなどをしても、こんな感じで「素人はだまってろというんですか!」と反撃する光景はよく見かけられる。 今年頭の南京事件論争の時も、こういう発言があった。 専門家の意見に疑問を持つことは許されない - 劇場管理人のコメント - 分裂勘違い君劇場グループ 一般人は、ひたすら専門家の意見をありがたく聞くだけで、 一般人はその意見に疑問を持つことは許されないし、 自分から何かを発言するなどもっての他ということですね。 知らないことに対しては謙虚になればいいだけなのに、専門家相手になぜか「素人は

    「知らないことに関しては調べてから言いましょう」がなぜか「だまってろ」に変換される問題 - ARTIFACT@はてブロ
    so1944
    so1944 2008/04/15
    第二次はてな系南京事件勃発かw
  • 無知・無関心であることが中立という考え/「どっちもどっち」という罠 - ARTIFACT@はてブロ

    南京事件の論争について触れたからには、あの論争に関する自分の見解がわかる記事をアップさせたほうがいい気がしてきたので、アップするタイミングを見失ってお蔵入りさせていた記事をアップする。かなり長いので注意。 以前、知識優越感ゲーム話題でfromdusktildawnさんがこのようなブクマコメントしていた。 はてなブックマーク - 知識を優越感ゲームに使っているかどうかの見分け方 - ARTIFACT@ハテナ系 fromdusktildawn まあ、実際には優越感ゲームはしてもしなくても現実はあまり変わらない。優越感ゲームが云々と言ってる人の横を素通りして具体的なチャンスをつかみ成果を重ねたヤツが充実した人生を送れる、ただそれだけ。 南京事件の議論の時のfromdusktildawnさんの態度って、妙な言い訳して泥沼に陥ってたんじゃ? 「俺は南京事件議論の知識はないけど、(なぜか)議論は俯瞰で

    無知・無関心であることが中立という考え/「どっちもどっち」という罠 - ARTIFACT@はてブロ