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思想に関するsphynxのブックマーク (5)

  • 立腹などしていませんが、何か? - 梶ピエールのブログ

    http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080715/p2 断っておくと僕が「立腹」しているというのは厨先生の勝手な判断であって、こちらはどちらかというと穏便にスルーしようと思っていたわけで、だからこそ「体制サイド」の考えを直接知る上でより有用だと思う費孝通のを推薦したりしたわけである。「ケツを舐める」云々のお上品な表現も厨先生が勝手に使っただけで、僕自身には「ケツを舐める」こと自体をどうのこうの言おうという意図はない。そもそも以前書いたように、僕は当事者でもない人間が中国政府を告発するという行為に対しては極めて懐疑的なのだ。むしろ引っかかっているのはそこからちょっとずれたところにある。 ・・というわけで結局のところまんまと乗せられた感が無きにしもあらずだが、この機会に思ったことを少し整理してみよう。 例えば、モンゴル人の研究者・楊海英氏が著書の中

    立腹などしていませんが、何か? - 梶ピエールのブログ
  • なぜ「本当のことを言ってはいけない」と言ってはいけないのか? - (元)登校拒否系

    反自由党 |  全国津々浦々の皆さん、反自由党は、当のことだけを言います。なぜ「当のことを言ってはいけない」のか(id:biscuit855さん) (前略) この劇を見たとき、ご多分にもれず僕は「つまらない」と思い、大あくびをかき、寝ぼけ眼でその劇を見つめていた。暗い照明と相まって、非常に寝たい気分だった。 やっと劇が終わり、照明が明るくなると、今度はプリントをもらって、感想を書かなくてはならなかった。その頃はやんちゃ盛りであったので、何か他とは違う文を書きたいと思った。教訓めいたことを書こうとしている真面目な子を尻目に、僕はわざと素直に「この劇から学んだことは何もありませんでした。面白くないです」みたいなことを書いた。 そうして一週間ぐらいたったホームルームの時間に、その感想を書いた紙を赤ペン付きで返された。正直説教めいたことが書いてあるんだろうと、ちょっと覚悟はしていた。しかし、よ

  • 「逃げよ。しかし逃げながら武器をつかめ」 - 登校拒否への道(とうこうきょひへの みち)

    逃げ方、避け方、守り方 (id:reponさん) いじめに耐える必要なんか無い。 学校なんか行かなくていい。 嫌な集団に取り入る必要はない。 そんな集団に属さなくても、その子が生きられる集団はいくらでもある。 それが、今のその子には見えていないだけなんだ。 http://d.hatena.ne.jp/repon/20080407#p1 逃げ上手は生き上手 (小飼弾さん) まずは逃げろ。追っ手の手の届かぬところまで。 そして自分を変えろ。強くたくましく。 順番を違えてはならない。つらい現実にいても、それに耐えているだけで自分を変える余裕はなくなる。そうしているうちに、逃げる余力さえなくなってしまう。 かっこ悪くてもいい。卑怯者でもいい。 まずは、逃げろ。 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51031057.html けれども問題は、逃げた先に

    「逃げよ。しかし逃げながら武器をつかめ」 - 登校拒否への道(とうこうきょひへの みち)
    sphynx
    sphynx 2008/04/08
    むむむ。
  • 刑務所、学校、会社、病院が似てる件:アルファルファモザイク

    の精神病院の起源は京都近郊の寺とその周辺の宿坊。 一般の寺院の宿坊は旅館になったところも多いけど、この辺の 宿坊は精神病院もしくは精神科医に発展した珍しい例。 >>5 そうか宿坊がその役割だったのか。 精神病院より上手く機能してたっぽいな。 ラブホテルがカラオケボックスになったり。 立地条件などの複合条件でやっぱり親和性がでてくるんだよな。 逆に不吉な土地を思いっきり塗りつぶそうみたいなサンシャインがあったり。 現代人は自分の墓穴を掘ることに成功しすぎている。 几帳面に棺おけの寸法なんか測るな。 西洋の教会を見よ。いったい誰がくぐるんだという尖塔アーチ。 人間の尺度ではない。 日の家は棺おけのようだ。ギリギリの機能ならそれこそ刑務所にだってある。

  • 「自由」への想い - 雪斎の随想録

    ■ 雪斎にとっては、「自由」が至上の価値である。 雪斎は、六歳から九歳までの頃、障害児施設で暮らしていた。その時期、何が憂であったかといえば、「いたいものがいたいときにえない」ということである。アイスクリームがべたいな思ったときに、駄賃をもらって店で好きなものを選んで買うというわけにはいかないのである。加えて、万事、規則ずくめの暮らしだから、息苦しいこと、この上ないのである。「こういうところからは早く出たい」と思っていた。 だから、後年、社会主義体制の実態を知るようになったときに、「昔のこと、そのままだ」と思ったものである。 「自由」とは「独立自尊」の同義である。 そして、雪斎は、二十数年かけて、「自由」を手に入れた。カネは何のためにあるのか。それは、自分の「自由」を担保するためのものである。生きていく上での「不自由」は、カネがあれば減らすことができる。元々、物欲にも淡白な雪斎が

    「自由」への想い - 雪斎の随想録
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