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ブックマーク / elmikamino.hatenablog.jp (530)

  • 最も古い次元 - 記憶の彼方へ

    私たちは影でないものなど愛せるのだろうか?------ヘルダーリン(アデライダ・ガルシア・モラレス『エル・スール』) asin:4900997218 なるほど。瞬時に、私たちは影でないものなど撮れるのだろうか? と翻訳していた。しかし、見る目には、影の中に「遠い記憶の階段をずっと下りて行けそうな」無限の色の諧調が見える、、。 私はそういうもの(人間の記憶の古層に化石のように眠っている色)に向かって無意識にシャッターを押しているのかもしれない(藤原新也『名前のない花』68頁) asin:4487802113 よく分かるよ、藤原さん。そして、「内側を見ようとして、いつも外側を見ている」と語ったロバート・フランクのように(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20091024/p2)、 意識の内側にある未踏領域へ注意深く侵入しながら、同時にいまそこにある世界の皮膜の外

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    sphynx 2017/02/25
  • 若空無我常楽我浄 - 記憶の彼方へ

    Memento-Mori 作者: 藤原新也出版社/メーカー: 三五館発売日: 2008/11/28メディア: 単行購入: 1人 クリック: 6回この商品を含むブログ (7件) を見るメメント・モリ 作者: 藤原新也出版社/メーカー: 三五館発売日: 2008/10/21メディア: 単行購入: 14人 クリック: 32回この商品を含むブログ (45件) を見る 今朝、迷った末に選んで歩いた道でアゲハチョウ(swallowtail)に出会った。驚いた。数日前から藤原新也の『メメント・モリ』の中のアゲハチョウの写真になぜか強く惹かれて、机の上にはその見開きを開いたまま置いていたからである。写真には、アゲハチョウとは一見無縁な、この世のいかなる音楽よりも美しく高貴な妙音鳥(Kalavinka)の鳴き声が、「若空無我常楽我浄」(Nya-ku mu-ga jo-raku ga-jo)と聞こえるとい

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    sphynx 2017/02/25
  • あなたは日本人ではありません - 記憶の彼方へ

    asin:4894346737 そうか、森崎和江さんはそんな「旅」を続けてこられたのか、、。 もしもし日人を自称しておいでのあなた。あなたはお気づきではないようですが、あたなは日人ではありません。だって海の匂いがするもの。あなたの骨には貝がらがついているもの。美しいです。すてきだよ、あなたは。あなたの映像だけぬすんでいきます。ごきげんよう。 私はそんなぐあいに旅をしよう。もうとても堪えられないから。 森崎和江「海辺のつばさ(一)」(1976年)、『精神史の旅 4漂泊』13頁 森崎和江さんの旅の記録を追いかけながら、彼女が漢字の「日」とひらがなの「にほん」を意味慎重に使い分けているのが気にかかっていた。「わたし」と口にしたり、書いたりすることにさえ大きな違和感を表明し、しなやかな議論を展開していた人だから、多分そうだろうなと思っていたことが、実際に明晰に書かれているのを読んで、腑に落ち

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    sphynx 2017/02/25
  • 旧道 - 記憶の彼方へ

    旧道 - 記憶の彼方へ
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    sphynx 2015/11/22
  • 遥かに遠い「日本の窓」から - 記憶の彼方へ

    の窓 日の窓 (淡交ムック) 「日の窓」とはいい、普段は目にすることのかなわない窓ばかりである。その「日」はある意味では異国よりも遥かに遠い。しかし、それにしても、美しい窓ばかりだ。固有の風土や時代のなかで要求される複雑な機能が、少なくとも私の想像を越えた意匠(デザイン)にまで昇華されている。なかでも最も強く印象に残ったのは、中部から北陸地方の豪雪地帯の町家に見られる「スムシコ(簀虫籠)」と呼ばれる、雪の吹き込みを防ぐ機能をも備えた美しい格子窓だった。飛騨高山や金沢の町家の多くに見られるという。スムシコについて、日建築史家の大場修氏は次のように述べている。 これは堅子の間に簀の子状の割竹を挟み込んだもので、繊細の極みといった格子窓である。それゆえ、雪と、外からの視線をほぼ完全に遮るとともに、逆に室内からの眺めは、格子の存在を感じさせないほどに良く見える。格子の技術のひとつの頂点

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    sphynx 2014/04/18
  • 世界で最も美しい書店 - 記憶の彼方へ

    世界で最も美しい書店 書で紹介されている世界各地のそれぞれに魅力的な20の書店のうち、私が「最も美しい」と感じたのは、プラトンを彷彿とさせる名前のアトランティス・ブックスだった。ギリシャのサントリーニ島の北端の町イアのエーゲ海に面した高台にあるその書店は、世界中から文学を志す若者たちがかわるがわる訪れては、店内のベッドで寝泊まりしながら、店番をして維持されてきた。しかも、店内にはエーゲ海から砂や小石交じりの潮風が容赦なく吹き込み、店頭のはすぐに色褪せるという。なんと痛快な! ATLANTIS BOOKS(Oia, Santorini, Greece) そんな痛快な屋の成り立ちについて、ふだんはニューヨークに暮らす共同経営者であるクレイグが語るビデオがYouTubeにアップされている。 若者じゃない私もいつか店番をしてみたい。

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    sphynx 2014/03/31
  • 音叉(A-440Hz) - 記憶の彼方へ

    栞代わり

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    sphynx 2014/03/15
  • ジョルダーノ・ブルーノの素描を通して - 記憶の彼方へ

    *1 上:ジョルダーノ・ブルーノの素描(オリジナル) 下:ジョルダーノ・ブルーノの素描(構造図) メカスの365日映画で3月22日(81日目)「有機的な外部記憶装置としての Giuseppe Zevola」以来何度も登場したイタリアのかなり変わったアーティスト、ジュゼッペ・ツェヴォーラ(Giuseppe Zevola, 1952-)は、ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548-1600)のユニークな研究者としても知られる。4月28日(118日目)「"Theatre" Mars Bar, Giuseppe Zevola」(2007-04-28)でもセバスチャンにダンテを朗唱させ、自らはジョルダーノ・ブルーノに捧げる詩を朗唱していた。 『どこにもないところからの手紙』asin:4879956546の「第十三の手紙 1995年5月」のなかで、メカスはたくさんの頭を持つ「

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    sphynx 2013/12/21
  • アブラハムかオデュッセウスか - 記憶の彼方へ

    *1 エマヌエリス・レヴィナス リトアニアに生まれ、フランスに帰化したユダヤ人哲学者がいた。エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas, 1906-1995)。ジョナス・メカスはひょんなことからエマニュエル・レヴィナスが亡くなる年、1995年にはじめてその存在を知り、彼のを読み漁った。 メカスにレヴィナスを教えたのはマーガレット・ホプキンソンというオーストラリアの修道院のシスターだった。彼女は文部省の仕事もしていて、オーストラリアの教育制度全般の改革に携わっていた関係でニューヨークに立ち寄った際に、ある事情からメカスの家に一週間滞在することになった。そのとき交わした会話の中で、メカスがエマニュエル・レヴィナスの著作を読んだことがないことを知った彼女は呆れて諭すようにレヴィナスのことをメカスに教えたらしい。(「第十の手紙」、『どこにもないところからの手紙』128-129頁)

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    sphynx 2013/12/21
  • 愛は不在そのものである - 記憶の彼方へ

    *1 昨日のエントリー「生命維持装置としての詩」の蛇足。 昨日もちょっと触れた、ジョナス・メカスがおそらく「彼自身のための歌」でもあると感じているはずのゲンナジイ・アイギの「私自身のための歌(SONG FOR MYSELF)」はこう始まる。 secret song: "I want for nothing" 秘密の歌:「私には無が欠けている」 「無(nothing)」とは何か? 11月25日に翻訳を試みたときにはまだ腑に落ちないところがあったが、ようやく見えてきた。 まず、何ものでもないものが無なのだから、「無とは何か」という正面からの問いに対してまともには答えられないものが無である。 無。 ここで、「補助線」が見つかった。メカスは「芸術はあえて言えば愛の形態だ」と69年11月の日記で書いて、こう続けた。 愛とは愛以外のすべてのもの------憎悪・羨望・怒り・嫉妬・物欲・エゴ------

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    sphynx 2013/12/21
  • 生命維持装置としての詩 『アイギ詩集』 - 三上のブログ

    メカスの365日映画のおかげで旧ソ連のチュヴァシ出身のゲンナジイ・アイギという名の詩人を初めて知った。 a Chuvashian poet, Gennady Aygi:365Films by Jonas Mekas(2007-11-21) それで興味が湧いて、メカスが強く薦めていた"FIELD - RUSSIA"(New Directions, 2007)を注文したり、メカスがカメラで行を追った詩「SONG FOR MYSELF」(p.51)の一部を訳してみたり、アイギその人についてちょっと調べてみたりした。 SONG FOR MYSELF by Gennady Aygi, transaleted by Peter France(2007-11-25) "FIELD - RUSSIA"(New Directions, 2007)が届いたときのことも書いた。 ブラジルとロシア(2007-12

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    sphynx 2013/12/21
  • 母と子の行方 - 記憶の彼方へ

    明るい部屋―写真についての覚書 『明るい部屋』で、病気(不詳)で衰弱していく「母」にただ寄り添うように暮らしていた「私」は、最後には「母」を自分の「小さな娘」として実感していたとロラン・バルトは書いた。さらに、実際には子どもを作らなかったロラン・バルトは、「私」は「母」の病気そのものを通して「母」を「子ども」として生み出した、とまで書いた。ある種の極限状況においては、母子関係は逆転しうることは、数多の映画やドラマで描かれてきたありふれた話かもしれない。ただ、そのように逆転しうる関係を支えるものは一体何なのか。ロラン・バルトはある種の「愛」だと断言した。 雑草と時計と廃墟 アルツハイマー型の認知症の「母」と暮らす「ぼく」の日々が極めて具体的に物語られた『雑草と時計と廃墟』では、話はもっと複雑になる。「母」は小さな娘どころか大きな赤ん坊に近づいていく。「母」を「娘」として実感する、あるいは「母

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    sphynx 2013/10/19
  • タルコフスキーのポラロイド - 記憶の彼方へ

    Instant Light: Tarkovsky Polaroids 晩年(1979年から1984年まで)のタルコフスキー(Андрей Арсеньевич Тарковский, 1932–1986)はロシアとイタリアで、好きな場所、家族(飼い犬を含む)、友人をポラロイドカメラで撮っていた。この『瞬間の光』には、フェルメールの絵画に準える評者もいる、彩度を抑えた色の中で光沢と陰翳を見事に捉えた60枚の写真(前半のロシア編には27枚、後半のイタリア編には33枚)が収められている。書の前書きでタルコフスキーの友人の一人、イタリアの詩人トニーノ・グエッラ(Antonio "Tonino" Guerra, 1920–2012)は、タルコフスキーのポラロイド写真を「人生の儚さを感じている人の目の周りを飛び交う蝶の群れのような映像」と詩的に評している。イタリア編にはトニーノその人とはっきり分かる

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    sphynx 2013/05/03
  • 三冊の写真集 - 記憶の彼方へ

    写真から伝わってくるのは三者三様の眼差し。その源は氷原か荒野か砂漠のようだ。

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    sphynx 2013/05/03
  • 姜萬保写真集『母たちの済州島』 - 記憶の彼方へ

    大型書店のコーチャンフォー(ミュンヘン大橋店)には、目当ての『雑草と時計と廃墟』(asin:4783733406)はなかった。 写真集の棚をゆっくりと見て歩いた。必要以上に豪華に思える造りの写真集が多いのに嫌気がさしてきたとき、等身大の造りの小さな写真集を見つけてホッとした。『母(オモニ)たちの済州島(チェジュド)』(東方出版、2012年、asin:4862491928)。大型の写真集の間で肩身が狭そうだった。 写真家は1948年、済州島生まれのカン・マンボ(姜萬保)さん。三十年余にわたって済州島の農村と漁村を転々としながら、「やせた石島の済州島の地を肌で感じ、暮らしを支えてきた多くの母や父の姿をカメラに収めてきた」という。知らなかった。 『母たちの済州島』以前には、『南海岸のスンビソリ 済州海女』(オディコム、2008年)、『東海岸の済州海女』(オディコム、2009年)、『西海岸の済州海

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    sphynx 2013/05/03
  • ロバート・フランクの写真集『THE LINES OF MY HAND』の落書き - 記憶の彼方へ

    かなり傷んだ古書だったが、それがロバート・フランクの写真集『THE LINES OF MY HAND』には似合っていた。1972年に日で出版された高価ではなく、1989年にニューヨークのパンテオン・ブックスが出した廉価な改訂版の方だった。その表紙を開くと、見返しに黒のサインペンで丁寧に書かれた落書きのような文字列が目に飛び込んで来た。写真集が出版されたのと同じ年の12月9日の日付で始まる「永遠(Forever)の愛」を誓うネッドからブランシュへのメッセージだった。 9 DEC 1989 TO BLANCHE Now & Forever Love Ned ロバート・フランクは写真を撮ることで「真実(Truth)」を追求していると随所で書いている。それは、例えば、永遠の愛などありえないとする皮相な見方ではなく、永遠の愛の形を求め続けるしかないという屈折した覚悟に近いような気がする。だから、

    ロバート・フランクの写真集『THE LINES OF MY HAND』の落書き - 記憶の彼方へ
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    sphynx 2013/05/03
  • ジャズにおける即興演奏に関するビル・エヴァンスの解説試訳 - 記憶の彼方へ

    ジャズにおける即興演奏 ビル・エヴァンス 水墨画の絵師は天然になることを強いられる。絵師は雁皮紙に特殊な筆と墨汁で描く。不自然ともいえる途切れがちの筆運びは描線を破壊し、雁皮紙を突き破ることもある。削除も変更も許されない。絵師は思案の邪魔が入らない直接的なやり方で、着想を手によって表現することができるようになるまで、特別な稽古に励まなければならない。 その成果としての水墨画は、西欧の絵画に見られる複雑な構図と肌理を欠いているが、よく見れば、どんな説明も追いつかない何かをうまく捉えている。 直接的な行為は最も意味深長な思想であるというこの確信は、思うに、ジャズすなわち即興演奏家の非常に厳しく類のない訓練の進化を促してきた。 集団即興演奏にはさらなる困難がつきまとう。首尾一貫した思考を共有する技術的困難はさておき、ここには、共通の成果を目指す全員の共感を引き出さねばならないという、非常に人間的

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    sphynx 2013/05/03
  • 記憶の底割れ - 記憶の彼方へ

    掘り起こせなかった甘い歌を いくつ抱え込んだところで生涯は閉じられるか 山博道『恋唄』(ワニ・プロダクション、1985年)より いま、こうしてぼくの少年期に出会うとき たまらないさびしさがあふれてくる 山博道『短かった少年の日の夏−−遠い風景』(思潮社、1998年)より 家族にまつわる記憶には踏み固められた地面のような底があると感じていた。山博道の詩集を読みながら、そのような底が割れ始めるのを感じないわけにはいかなかった。三十八歳で子宮癌で死んだ母、九十歳をすぎて施設で眠るように死んだ祖父母、七十四歳で肺癌で死んだ父をめぐる記憶が揺らぎはじめた。あちこちに小さな暗い穴が開いて、その底の見えない深みから無性に懐かしいと同時にたまらなくさびしい子どもの唄が聞こえて来るような気がした。

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    sphynx 2013/05/03
  • 山本博道詩集『バゴダツリーに降る雨』 - 記憶の彼方へ

    パゴダツリーに降る雨 詩は「reminder」だと言った詩人がいた。詩は読む者に忘れていたことを思い起こさせる言葉の装置のようなものだと。そしてその詩の言葉そのものは速やかに忘れられるべきだと。しかし、今までそんな詩に出会ったことはめったになかった。なんだか独りよがりで押し付けがましい詩が多かったような気がしていた。最近、「ダチュラ」に惹かれて『ダチュラの花咲く頃』を読んで以来、山博道の詩集を立て続けに読んでいる。二冊目は『死をゆく旅』、三冊目はこの『パゴダツリーに降る雨』だった。これはマレーシア、ミャンマー、ベトナム、タイ、カンボジア、フィリピン、そしてインドネシアと、東南アジアの国々を巡った旅の経験を、自分が壊れて行くリズムで、生の瀬戸際あるいは死の淵から報告したような詩集だが、そこには私たち人間の思惑をはるかに越えた植物たちの存在と時間が見え隠れしているような気がして、例えば、表題

    山本博道詩集『バゴダツリーに降る雨』 - 記憶の彼方へ
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    sphynx 2013/05/03
  • フクジュソウもユキワリソウもまだ眠っている - 記憶の彼方へ

    仕事の愉しみ 百年前の三月、ボーデン湖(Bodensee)畔で春を待つヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse, 1877–1962)は次のように語った。 庭をもつ人にとって、今はいろいろと春の仕事のことを考えなくてはならない時期である。そこで私はからっぽの花壇のあいだの細道を思案にふけりながら歩いて行く。道の北側の縁にまだ黄色っぽい雪がほんの少し残り、全然春の気配も見えない。けれど草原では、小川の岸や、暖かい急斜面の葡萄畑の縁に、早くもさまざまなみどりの生命が芽を出している。初めて咲いた黄色い花も、もう控えめながら陽気な活力にあふれて草の中から顔を出し、ぱっちりと見開いた子どもの目で、春への期待にあふれた静かな世界を見つめている。が、庭ではユキワリソウのほかはまだ何もかも眠っている。この地方では春とはいえ、ほとんど何も生えていない。それで裸の苗床は、手入れされ、種が蒔かれるのを辛抱

    フクジュソウもユキワリソウもまだ眠っている - 記憶の彼方へ
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    sphynx 2013/04/03