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ブックマーク / mojimoji.hatenablog.com (21)

  • 簡単に言っていいんだよ。 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    選挙おもしろい@sociologbookについて。 以前、県内某所でボランティアの平和ガイドやってる教員崩れの腐れナイチャー(笑)が、「わずかな補助金と引き換えに青い海を売り飛ばしてしまう愚かな沖縄人には目を覚ましてほしい」(原文ママ)と発言したときにぶち切れた俺だが(笑)、「カネがない」ということをあまり甘くみないほうがよい。地位を保証されてのうのうと暮らしている教員や公務員ならなおさらである。 わかるんだけど、やっぱり違う、というか。ここできしさんが「腐れナイチャー」と言う文脈は、想像できなくはないんだけど、とりあえず、「わずかな補助金と引き換えに青い海を売り飛ばしてしまう愚かな沖縄人には目を覚ましてほしい」という文言自体がまちがっているかというと、それは違う、と思うんだよな。モヤモヤするので、整理する。 きしさんが紹介しているような「無駄な公共事業」は、もうどうしようもなく無駄であっ

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  • Araikenさんへのレス - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://araiken1964.blog124.fc2.com/blog-entry-290.html 問いを提起することと答えを出そうとすることは両立します。僕は答えを出すことを重視しますが、当たり前のことですが、自分が答えを出そうとしている問いを提起してもいるわけです。というわけで、対立は、ラディカルであるかどうか、という点にはありません。「ラディカルに問いを立ち上げること」と「ラディカルに問いを立ち上げ、かつ、それを問うこと」の間にあります。 そして、提起する問いはまちがっていたり、ズレていたりすることがあります。また、そのままでは答えられないので、いくつかの問題に分割し、一つ一つ考えていかねばならないことがあります。こういうことに気づくためには、自ら答えを出そうとしてうまく答えがでない、というところをくぐり抜ける必要があります。 つまり、問いを立ち上げても、答えを出そうとする

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  • 「個人に依拠する」ということ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    主に、「個人と民族主義」について。 「個人に依拠せよ」の意味が取り違えられていると思うので(無理もないことですが)、そこから始めたいと思います。 「個人に依拠する」=「「私が在る」に依拠する」 僕は「個人に依拠せよ」と述べました。「いかなるアイデンティティの基盤とも関係のない無色透明の個人」みたいな理解をしている人が多々いるので、それは誤解であるとハッキリ申し上げておきます。僕が「個人」に依拠せよというときに述べているのは、私の身体、私の生活、私の関係性、すなわち、私の生の現実に依拠せよ、ということです*1。それが民族主義者の言う模範的形式にしたがっているならば、それをそのままに、したがっていないとしても、それをそのままに。「そのままに」です*2。これは抽象的なものでも透明なものでもありません。民族主義が要請する規範などより、遙かに具体的で現実的なものです。生きられている現実そのままなので

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  • 「決断」の暴力に抗するからこそ、こう述べている - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「決断」の暴力に抗する@過ぎ去ろうとしない過去 こういう内ゲバなら歓迎ですが、もちろん、内容には承服していません。 慎重に語るということ なるほど、パレスチナ問題の解決のためには究極的にはシオニストとの交渉は不可欠かもしれません。シオニストの殲滅という、ともすれば反ユダヤ主義的な解決策をわれわれが選択しないならばなおさらです。ですが、われわれ(日人)は結局はパレスチナ問題において他者でしかない。もちろん、当事者でなければ問題について意見を述べてはならないということではありません。ただ、われわれが他者であるならば、その語りかたには注意を払わなければならない。 あるいは、小田実の「殺すな!」はなぜ普遍的な理念たりえたかというと、そのスローガンは彼のベトナム戦争反対運動に対する徹底的なコミットと日国憲法のラディカルな読解による「政治的」産物に他ならないからであって、たとえば、文脈背景は分から

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  • 排外主義者、あるいは日曜サヨク - モジモジ君の日記。みたいな。

    今ここで手を組めば、この人を助けることができる。そのような決定的な場面においてであるならば、悪魔とだって手を組むかもしれない。ただし、ほとんどの瞬間は、そのようなマンガみたいな決定的瞬間の遥か手前にあって、そのような地味な場面で考えられるべきことは別にある。 倫理が力を持つのが、倫理を語る者が腕力を持っているからであるならば、倫理など不要であり、ただ腕力だけがあればいい。そうではなく、倫理が、倫理であるがゆえの力を持つとすれば、それは何に由来するのか。仮にそんな力があるとすれば、それはそこで語られる倫理の一貫性に由来するはずである。倫理が、その恥じ入らせる力によって力となるためには、一貫性がなければならない。一貫性を欠いた倫理は、既に倫理としての力を欠いており、ただの飾りである。その一貫性を欠いた倫理要求が仮に受け入れられることがあるとしても、それは倫理として受け入れられたのではなく、ただ

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  • 本気でパレスチナに寄り添うつもりなら - モジモジ君のブログ。みたいな。

    【末尾にブコメへのレスを追記しました。】 村上春樹が誰に向かって何を言ったのか。この点を明瞭に押さえておく必要があるでしょう。単に、「イスラエル人に対して語った」というだけでは、十分ではないでしょう。彼は、ガザの攻撃も含めてイスラエルの政治的正当性を疑っていない人に対して、政治の一つ手前にある前提について語りました。彼は、正真正銘、生粋のシオニストに向かって、倫理を説きました。そのことの意味を、考えておきます。 「シオニストに倫理を説く」ことの必要性 シオニストに対して、倫理を説く。その必要性は明瞭だと思いますが、確認しておくべきことではあるようです。基的なことから確認しましょう。パレスチナ問題は、いかにして解決されるのでしょうか?イスラエルの占領終結によってです。その後、どんな状態が待ち望まれているのでしょうか?イスラエル人とパレスチナ人がともに暮らす一つの国が形成されることです。 言

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  • 「村上春樹」を巡る政治 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    まだ、講演全文は入手していないけれど。 私たちが得たもの 村上の発言は、少なくとも想像されていたよりはずっと踏み込んだものであったし、具体的でもあったのではないでしょうか。イスラエル側の被害者のイメージを切り捨てなかったのは、(そこに誤解の余地が残ってしまうにしても)むしろ大事なことだと思います。先の記事へのコメントにも書きましたが、ハマスのロケット砲が問題ではないわけではないですから。正しくは、問題にすべきだが、問題にするための前提を欠いている、という状況なわけであり、少なくとも村上は、そのことを否定することは言っていません。 村上発言に対するイスラエルにおける受容については、いくつかのパターンがあると思います。「もう村上なんて読まない」と怒る人。「村上は、村上の信念を述べた。私は私の信念に従う」と満面の笑みでリベラルさを演出する人。忘れたフリ、見なかったことにする人。「村上の突きつけた

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  • 村上春樹、エルサレム賞授賞式でイスラエルを批判 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    とりあえず、速報的に、気になることをいくつか。 とりあえずの感想 イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞が15日、作家の村上春樹さん(60)に贈られた。エルサレム市で開かれた授賞式の記念講演で、村上さんはイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすい卵に例えたうえで「私は卵の側に立つ」と述べ、軍事力に訴えるやり方を批判した。 …… 村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。 また「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」と述べた。イスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言と

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  • 本当に文学的想像力があるならば - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「隠喩としてのガザ」@地を這う難破船 まずは、丁寧な言及をいただき、ありがとうございました。 村上春樹について 最初に申し上げておくならば、僕は村上春樹に対して、一切の判断を停止しています。よい判断も、悪い判断も、です。一冊も、それどころか、一文字も読んだことがなく、それで評価のしようがない。しようとも思いません。そもそも、知らない。知らないということは、理解がないということですし、理解がないとこう明言しているからには、可能的な誤解もない、ということです。*1 文学と村上春樹は、パレスチナの自由と自律を剥奪された人々とは関係ない。そんなことがあるはずありません。ただ、それがいかなる関係であるか語るつもりがないし、僕が述べていることを述べるためには必要もない、ということです。村上春樹の受賞におけるふるまいは、村上春樹の作品の立場から批判されるか賞賛されるか、あるいは、村上春樹の作品もろとも批

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  • 政治的直接性からの逃走 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    font-daさんの記事後半で紹介されている、ピンターについての書評記事より。 決して感情的にならず、あくまで劇の対話のように、ユーモアとアイロニーを手放さない。それがために、かえってBBCの愚挙が鮮明になってくるのだ。あくまで「表現」を通しているから、その研ぎ澄まされた言葉は読者のなかに通り一遍でない感情を巻きおこす。 劇作家らしく、ピンターの言葉は直接的でない。必ずユーモアとシニカルな目をたたえて、事態を見据えている。彼は政治的問題を「政治」で解決できないことを知っている。そこで前述した「知性」や「言葉」の問題が出てくるのだ。 一読して違和感を持つのは、ここではピンターの主張に対してではなく、ピンターが「劇作家らしく」「直接的でない」表現を使っていることに対して共感が寄せられている点です。もちろん、ピンターの主張にも賛成なのでしょうけれど、その手つきは、どこかピントがずれている。たとえ

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  • 村上春樹を読まずに批判してるって? - モジモジ君のブログ。みたいな。

    なにやら「村上春樹の作品を読まずに批判している」みたいなことを書く人があちこちにいますね。一例をあげれば、「非読検閲官」などとおっしゃってるid:mnemoさんとか。というわけで、言うべきことをハッキリいっておきたいと思います。 わたしは、村上春樹の作品への評価を、一切行っていません。*1 エルサレム賞の受賞のしかたによっては、村上春樹その人がこういう批判/賞賛を受けることになるだろう、ということを述べているだけです。村上春樹その人がこういう批判/賞賛を受けることになるだろう、ということを述べているだけです。村上春樹の作品への評価とはまったく独立のことしか述べられていない、ということは、まったく明瞭なことだと思います。 村上春樹の作品と関連付ける形で、別様にも言っておきましょう。エルサレム賞の受賞の仕方によっては、村上春樹は「村上春樹の作品の立場から批判される」か、「村上春樹の作品とともに

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  • 村上春樹、エルサレム賞受賞おめでとう!!! - モジモジ君のブログ。みたいな。

    イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞の09年受賞者に作家の村上春樹さんが決まった。受賞選定委員長が編集長を務めるイスラエルの有力紙ハアレツは21日付で、受賞理由について「日文化と現代西欧文化とのユニークなつながりを描くなど、西側で最も人気がある日人作家。読むのはやさしいが、理解するのはむずかしい」と伝えた。 http://www.asahi.com/culture/update/0124/TKY200901240160.html 他にも、「村上春樹 エルサレム賞」で検索すると、いろいろ出てきますね。*1 ところで、あれこれ検索してると、エルサレム賞については、かつてこんなことがあったそうです。 5月11日の南ドイツ新聞によると、ニューヨークの作家で、人権擁護活動でも有名なスーザン・ソンダクがこのほど、イスラエルのイエルサレムで開催されていた国際書籍市のおりに、「2001年イエルサレム賞

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  • パレスチナ問題を理解するための基本前提 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    最低限の(と僕が思う)ことを、三つ。 パレスチナはイスラエルの占領下にある 1967年の第3次中東戦争以来、パレスチナ(ガザ地区およびヨルダン川西岸地区)はイスラエルの占領下にあります。その間、イスラエルによるパレスチナ側への不法入植*1が続いています。 昨年、2008年においてさえ、ヨルダン川西岸地区への入植は続いており、むしろ、加速しているという見方もあります。次の記事は、昨年8月から9月にかけて書かれたものです。>「西岸入植地建設、飛躍的な加速!」、「西岸地区のユダヤ人入植者の横暴」 つまり、国境をはさんでそれぞれの国があり、時々、国境を越えて攻撃が行われる。といった状況ではありません。パレスチナは、1967年以来、一貫してイスラエル軍の支配下に置かれている、イスラエルはパレスチナ側の土地を奪い、入植を続けている、ということです。ですから、当然、パレスチナ側からイスラエル側への攻撃と

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  • 本気でイスラエルがかわいそうだと思うなら - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「イスラエルがかわいそうになってきたよ」@増田 気でイスラエルがかわいそうだと思うなら、どのように考えることになるのか。 犠牲を分けない イスラエルによる今回のガザ侵攻以前から、多くのパレスチナ人が殺されている。暗殺攻撃によって、あるいは、経済封鎖に起因する料・医療等の不足によって。また、多くの人が、イスラエルによって逮捕(=事実上の拉致)されている。イスラエルによるパレスチナ人への人権侵害は枚挙に暇がないほどだ。 そこに、今回のガザ侵攻によって、既に700名余の死者と数千人の負傷者が生み出された。今回の攻撃がもたらしたものは、平穏だった日々の破壊ではない。既に悲惨すぎるほどだった状況がさらに悲惨なものになった、つまり、追い撃ちだ。 今回の攻撃のきっかけとなったとされている、ハマスのロケット砲の攻撃によって、聞くところでは、4名のイスラエル兵士が死亡し、30名余の負傷者が出たとされてい

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  • オマワリの主人の自覚が必要 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「死ねばいいのに - 無産大衆」 ここを普段読んでる人なら知ってるだろうけど、僕は全然アナキストなどではないのであって、どちらかというと秩序大好き人間なのであるが(大概の落書きも大嫌いだし)、にも関わらず、こういうデモの弾圧とか、それをまともに報道しないメディアの話とかになると、非アナキストの有象無象のたわごとなんかより、アナキストの方が全然共感できるってのも悲しい話だよな、とは思う。 とりあえず立ち位置 直後に聞いたところによると、運転手に関しては運転席の窓ガラスを割って、無理やりこじ開けたとのこと。それで、逮捕理由が公務執行妨害だと。なんだ、それは。こっちは来しなてもいい許可申請までしてやってるんだぞ、カス。死ねよ。というか、公妨ってなんだ。とりあえず、さっき警察署に弁護士を派遣した救対の人の話によると逮捕者は四名、上記三名に加えてロイターのジャーナリストも持っていかれたとか。 まぁ

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  • 匿名の主に宛てて書く - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「強姦被害から自分を守るために、少しでも意識したいこと。」 見過ごせない点だけを指摘しておく。 注意されていないわけでもないし、されていても、万能ではない 自衛することを教えるのも、とても大事なこと。親はきちんと教えなきゃいけない。 …… そういった事件が身近で起きているにも関わらず、自分のような子供にはそんなことが起きるはずはないと思ってしまったんだろうか。 親が教えていないと決め付けることに根拠はない。教えていても、それを子どもがどのように受け止めるかは、親にとってさえ未知数。 そもそも、この記事の筆者であるあなたにおいてさえ、「ショックな経験」を通じて初めて理解しえたのだろう。あなたは親から教えてもらわなかったのか。おそらくはそうではあるまい。子どもはどうしようもなく子どもであり、一般的には、大人の言うことを片っ端から真に受けるような子どもではない*1。この点に限っては大事なことだか

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    sphynx
    sphynx 2008/02/17
  • 保険業界は混合診療解禁で何を狙っているのか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    混合診療「全面解禁を」 規制改革会議、重点項目に@asahi.com この、規制改革会議とやらに参加している経営者が、当に国民一人一人の生活を考えているのかを試すには、簡単な方法がある。「自由診療部分をカバーする民間保険商品の販売禁止」という条件を呑むのかどうか、聞いてみればいい。 もし、このような民間保険商品が販売されるならば、自由診療部分で行われる医療が保険診療化することによって、民間保険会社が市場を失う(その分、損害を出す)、という構図が生まれることになる。当然、民間保険会社は、「自由競争の擁護」を主張し、自由診療部分の保険診療化に反対する勢力になるだろう*1。保険診療の充実は、一層抑制されることになる。アメリカ風の、医療格差社会の格的幕開けということになるだろう。 ただし、他方で、厚生労働省も手放しで信頼することはできない。厚生労度省にも、製薬業界などと癒着した上で、たとえば癒

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    sphynx
    sphynx 2007/12/22
  • 政権担当能力 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    民主党への批判の定番として「政権担当能力に疑問がある」というものがある。まぁ、民主党が頼りになりそうだとも思わないし、その他の政党についても同様。「能力がある」とは言わないよ。しかし、だ。いつも不思議に思うのは、こういうことを言う人たちは、今まさに政権を担当している政党を見て「政権担当能力がある」と考えているのだろうか。 与党にも野党にもないのであれば、どっちにもないのだから、選ぶ基準は別のところにあるということになる。仮に、与党に政権担当能力があるという豪快な人がいるならば、その人の言う政権担当能力とは何なのか、ということが問題になろう。──まさか、政権を担当しているという事実のことを言っているのではないよね。 そういや、その政党の、次の選挙で公認されるかどうか微妙な1年生議員が、「私は現職ですよ!」と力説してたな。現職であること以外に売りがないことを、人が白状してた。しかも、その発言

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    sphynx 2007/12/21
  • 可能性の問い方 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    自分を全力で守ってくれる大人の庇護の下に、ではなく、ホッブズ的世界に生まれ落ちるような生まれ方がある。そのような中に生れ落ちた子どもが、暴力の吹き荒れる中で*1、ただ生き延びる、そのような育ち方がある。──そのような境遇からでも、自己を肯定することはできるだろうか。記憶を失うような暴力の中を生き延びてきた人が、それでも、生きていること、生まれてきたことを肯定できるのだろうか。 知的に問われるべき問いとして問うならば、こんな問いに答えを与えることなどできない。できるわけがないし、してよいことでもない。ただ、そのようにして生きてきた人が、世界や他者を破壊しようという衝動に抗うようにして立ち上がろうとしているのを、見たことはある。だから可能なのだ。──このように述べることは、何を意味するだろうか。 実証的に問題を解決したいならば、そのような人が実際にいるとして、「この人がその人だ。その人を見よ」

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    sphynx 2007/12/05
  • 既に承認されて在ることを信じる、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    先の記事からの流れを受けて。font-daさんからコメントとトラックバックをいただいている。x0000000000さんからもトラックバックをいただいている。font-daさんの記事に即して考えてみる。 人は無からは生まれない。なんらかの他者の営みから生まれてくる。そういう意味では、全ての人は誕生する時に、原理的には、他者に存在を肯定されている。たとえ生み出した人間から「望まない」「望んでいなかった」と言明されていても、殺されなかったという事実によって、その人の誕生の瞬間に起きた、原初的「存在承認」は担保されている。「存在承認」を経験したことない人はいない。この世に生まれ出ることとは、純粋な「存在承認」の発露だ。 このような意味での「承認」であるならば、私たちは、日々、自らの排泄物に対してさえ、行なっている。承認を求める人たちが求めているのは、このような形式的なものではない。求められている承

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    sphynx 2007/12/04