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punkに関するstonedloveのブックマーク (196)

  • 水玉消防団ヒストリー最終回 天鼓1988年—現在 |K&Bパブリッシャーズ

    取材・文◎吉岡洋美 水玉消防団活動休止後、ヴォイス・パフォーマーとしてヨーロッパはじめ海外でのライブ活動が多くなっていった天鼓。常に自分の直感と興味にブレることなく歩み続け、表現の可能性を広げてきた彼女だが、連載最終回は天鼓の水玉消防団休止以降から、ここ最近目を見張るほどライブ活動を行っている現在までを話してもらった。 日の即興ミュージシャンたちの台頭 ——‘88年に水玉消防団が活動休止になった頃は、子育てと海外ツアーで多忙を極めていたと話されていました。 天鼓「その頃はヨーロッパのツアーでNYのメンバーばかりとライブしていて、NYに行ったら行ったで、たまたま出くわす友人のミュージシャンに『テンコ、NYに来てるんだったら明日レコーディングするから、ちょっと1曲やってくれ』とか、そんなのはお互いしょっちゅう。そうした、ちょっとだけ参加している作品も私には結構あるんですね。皆、いいものを作り

    水玉消防団ヒストリー最終回 天鼓1988年—現在 |K&Bパブリッシャーズ
  • MMGB - G.I.S.M.|meshupecial

    2022年11月末に刊行した『現代メタルガイドブック』(自分が監修・執筆を担当)では、レビュー作品選定の時点でG.I.S.M.も挙がっていたのだが、諸般の事情から今回は掲載見送りということになった。しかし、同書の発刊と連動して開催されたDOMMUNEの実写版「現代メタルガイドブック」がご好評をいただき、2023年1月にBEAST ARTS公式から依頼される形でDOMMUNEのG.I.S.M.特集に登壇したことをふまえ、これはやはりレビューを書いておいた方がいいだろうという判断に至った。宇川直宏氏との打ち合わせの際に「是非!」と言っていただけたこともあり、今回こうして公開させていただくことになった次第である。 G.I.S.M.はハードコアやメタルの歴史において(日に限らず世界全体を見ても)最も重要なバンドの一つであり、Lady Gagaが「Telephone ft. Beyoncé」のMV

    MMGB - G.I.S.M.|meshupecial
    stonedlove
    stonedlove 2023/12/27
    「手に負えない危険さと不思議な親しみやすさを両立する佇まい」嗚呼素晴らしき哉G.I.S.M.、素晴らしき哉横山SAKEVI。
  • If the kids are united, Sham 69, Steve Hillage, Reading Festival 1978

    Finally isolated from a long news article on the festival in 1978. Wonderfully lumpen and well-intentioned.

    If the kids are united, Sham 69, Steve Hillage, Reading Festival 1978
  • 水玉消防団ヒストリー第17回 カムラ1988年—現在 |K&Bパブリッシャーズ

    取材・文◎吉岡洋美 それぞれメンバー個々の仕事や活動が活発になるなか、1988年のライブを最後に活動休止した水玉消防団。ここからの2回は連載のストーリーテラーで、現在も現役で音楽活動を続ける天鼓、カムラに、それぞれ水玉休止以降から現在までをインタビュー形式にして、連載を締めることにしよう。 まず今回は、水玉休止のあと日を離れ、現在ロンドン生活が35年となるカムラにその後の音楽活動の軌跡を聞いた。 ◇ 水玉活動休止前年の1987年、カムラは天鼓主宰の即興ユニット「UZO-MUZO」に竹田賢一、石渡明廣とともに参加、ヨーロッパツアーを行い、ツアーが終わったその足で在ロンドンのある日人女性を訪ねる。その女性こそ、カムラにロンドン在住のきっかけを与えた、フランク・チキンズのホーキ・カズコだ。フランク・チキンズは1982年、ホーキとタグチ・カズミの在英日人女性によってロンドンで結成された音楽

    水玉消防団ヒストリー第17回 カムラ1988年—現在 |K&Bパブリッシャーズ
  • 水玉消防団ヒストリー第16回 1986—1988年 カムラ山猫、天鼓ソロアルバム、水玉活動休止|K&Bパブリッシャーズ

    取材・文◎吉岡洋美 協力◎糸川耀史、松永もうこ 水玉消防団はセカンドアルバムを発表し、天鼓はメールスで大喝采を浴びた翌1986年。海外からオファーを受けることが多くなった天⿎は、ソロのヴォイスパフォーマーとしても国内外で忙しい日々を送るようになっていた。 天鼓「メールスのあとはNYノイズのミュージシャンたちと、ほとんど毎年のようにどこに行っても会うような感じでしたよね。日以外のライブが多くなって、ヨーロッパから頻繁に声がかかるようになって、デヴィッド・モスのバンドのメンバーとしてだったり、フレッド・フリスとのデュオ、自分でもグループをつくってツアーに行ったり」 ‘86年、天鼓とカムラのハネムーンズも、NYのCBGBはじめ、ヨーロッパでもライブを重ねることになり、同行した水玉マネジャーの松永もうこ曰く「ハネムーンズはNYでもライブは大盛り上がりでスタンディングオベーション。ライブ後、二人に

    水玉消防団ヒストリー第16回 1986—1988年 カムラ山猫、天鼓ソロアルバム、水玉活動休止|K&Bパブリッシャーズ
  • MELT-BANANAインタビュー(前編):日本より海外の方が圧倒的に知名度が高いバンドの活動の実情|小野島 大

    Left→Right YAKO,AGATA MELT-BANANAは今年で結成30周年を迎えた。あの衝撃的なデビューからもうそんなにたったのか……と感慨深くなってしまうが、去る6月17日にWRENCHとの対バンで見た彼らのライヴは、そんな感傷など軽く吹き飛ばしてしまうようなすさまじいパワーとカッティング・エッジなエネルギーに満ちていた。平たく言えば、30年前の登場時と同じように彼らは尖っていたし、2023年の今でも彼らのノイズはガリガリと時代に爪痕を残すような鋭い切っ先を突きつけていた。ハードコア・パンクやポスト・ロックやグラインドコアやノイズコアやオルタナティヴや、そんな流れから生まれてきた彼らは、今もハードネスとラウドネスとノイズとスピードとポップの最高値を弁証法的に更新し続けている。 MELT-BANANAは1993年にYAKO(vo)AGATA(g)を中心に4人組として結成された。

    MELT-BANANAインタビュー(前編):日本より海外の方が圧倒的に知名度が高いバンドの活動の実情|小野島 大
  • 水玉消防団ヒストリー第15回 1985年『満天に赤い花びら』、天鼓メールス・フェスティバル|K&Bパブリッシャーズ

    取材・文◎吉岡洋美 協力◎松永もうこ 2ndアルバム『満天に赤い花びら』 演奏も活動も「自分たちのやり方でしかできない」(カムラ)し、「あくまでも自分たちの面白いこと」(天鼓)を重ね続け、必然的に大手レコード会社からのリリース話を断った水玉消防団は、’84年秋、自身のレーベル「筋肉美女レコード」からリリースする新アルバム制作に入る。翌’85年3月、『満天に赤い花びら』のタイトルで発表されたこのセカンド・アルバムは難産の末に完成したという。 カムラ「セカンドは当に産みの苦しみだった。1枚目と違って立派なスタジオも借りて、サウンド・クラフトにレコーディング、ミキシングをやってもらったんだけど、荒削りでも1枚目にあったライブ感、ドライヴ感がどうしても出なくて、ミキシングを何回もやり直してもらったんだよね」 天鼓「それでも結局、私がミキシングにどうも納得いかなくて、プロデュースを別に頼み直したん

    水玉消防団ヒストリー第15回 1985年『満天に赤い花びら』、天鼓メールス・フェスティバル|K&Bパブリッシャーズ
  • Soul Gloが語る、絶対に知っておくべきハードコア最重要バンドの哲学と成長過程 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

    Soul Glo 左からTJ・スティーヴンソン、GG・ゲラ、ピアース・ジョーダン(Photo by Christopher Postlewaite) Soul Glo(ソウル・グロー)の初来日ツアーが10月26日〜31日にかけて京都・大阪・名古屋・神奈川・東京で開催される。2022年に名門Epitaphからリリースした最新アルバム『Diaspora Problems』が世界中で絶賛され、今年のコーチェラ・フェスティバルでも圧倒的な存在感を放った「今絶対見ておくべき」ポストハードコアバンドはどのように生まれたのか? 米ローリングストーン誌が発表した、音楽産業の刷新をリードする25組「Future 25」にも選ばれた彼らの最新インタビューをお届けする。 様々なジャンルを横断するロック界の無頼漢、Soul Gloが2014年に結成された頃、フロントマンのピアース・ジョーダンはワイルドで実現不可能

    Soul Gloが語る、絶対に知っておくべきハードコア最重要バンドの哲学と成長過程 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
  • 水玉消防団ヒストリー第13回 1981年 全国ツアー、すぺーすJORA閉店|K&Bパブリッシャーズ

    取材・文◎吉岡洋美 協力◎地引雄一 ハイエースに機材を積み、26箇所のライブツアー ‘81年5月、1stアルバム『乙女の祈りはダッダッダッ!』を自分たちのレーベル「筋肉美女レコード」からリリースした水玉消防団。これと同時に、バンドはレコ発ツアーを行う。彼女たちのツアーは、毎回、機材を積み込んだ白いハイエースにメンバーたちが乗り込み、運転も自分たちで行う。そうして各地のライブハウスをまわる。 天鼓「と言うか、運転してたのは結局、免許と一番体力のある私(笑)。あとは可夜さんが時々。その頃はナビがないから地図を見ながら、メンバーともう1人マネジャー役の女性の6人でトヨタのハイエースに乗ってね。全員があまりにぐっすり寝てるのを見るとちょっとイラッとして運転席から『起きろー!』みたいな(笑)。‘81年のツアーは、割とLPが売れちゃってたから、その余波で色々な地方から声がかかったり、大きなフェスティバ

    水玉消防団ヒストリー第13回 1981年 全国ツアー、すぺーすJORA閉店|K&Bパブリッシャーズ
    stonedlove
    stonedlove 2023/10/02
    こんな痛快なフェミニズム革命がかつて日本にあったんだ! 吉岡洋美さんの水玉消防団ヒストリー、時代の空気をブチ破るアナーキーなエネルギーとバイタリティの熱量と密度がもんのすごい。毎回読むたびわくわくする
  • Siouxsie & The Banshees - Make Up To Break Up / Metal Postcard - 30/10/77 - Elizabethan Suite

  • Siouxsie And The Banshees - Love In A Void

  • 水玉消防団ヒストリー第12回 1981年「乙女の祈りはダッダッダッ!」|K&Bパブリッシャーズ

    取材・文◎吉岡洋美 「いいときも目もあてられないほど悪いときも、ライブのアップダウンは激しかったけど、気づけばそんな1年を乗り切った」と、カムラも言うように、ライブハウスとパンクシーンへの参入、相次ぐオファーに地方ツアー、ハネムーンズ結成と、怒涛の’80年をバンドはひと通りくぐりぬけ、翌’81年。ライブの場数をハードにこなしていくなか、「ライブハウスでも、“足元の黒い箱はモニターって言うんだ”とか、”ステージ上と観客側では聴こえる音が違うんだ”とか、少しずつわかってきて」(天鼓)、「ギグでも演奏が安定して、水玉消防団の動きも軌道に乗ってきた」(カムラ)ころ、まるで見計らったかのように面白い偶然と展開が彼女たちのもとにやって来る。 「棚ぼた」のアルバム・レコーディング  その偶然とは、JORA併設のカフェバー“マヤー・ジーズニー”の常連客からもたらされた。 天鼓「早稲田のJORAの近所に、た

    水玉消防団ヒストリー第12回 1981年「乙女の祈りはダッダッダッ!」|K&Bパブリッシャーズ
    stonedlove
    stonedlove 2023/09/06
    ついにアルバム『乙女の祈りはダッダッダッ!』制作・リリース。自由奔放な発想と行動力が強運を呼び込む引き寄せパワー、資本主義のオルタナティブを地でいく自前の資金繰り・流通システムもすごい。
  • G.I.S.M.の横山SAKEVIが死去、日本ハードコアパンク創成期の伝説的ボーカリスト

    この情報は横山が代表を務めるBEAST ARTS Internationalにより各SNSで伝えられたもの。現時点で死因などの詳細については公表されていない。 G.I.S.M.は1981年に結成されたハードコアパンクバンド。「ANARCHY & VIOLENCE」をスローガンに掲げて、客席に降りた横山がオーディエンスに暴行を加えるといった暴力的なライブ活動で知られる。G.I.S.M.が参加した1984年発売のコンピレーションアルバム「ハードコア不法集会」は日のハードコアシーンにおける金字塔的作品に。2001年にギタリストのRANDY内田が亡くなったことを受け、2002年開催のライブ「+R」をもってバンドは活動を“永久凍結”したが、2016年にオランダで開催された音楽フェス「Roadburn Festival 2016」にて14年ぶりにライブを行った。さらに、1983年リリースの1stミニ

    G.I.S.M.の横山SAKEVIが死去、日本ハードコアパンク創成期の伝説的ボーカリスト
  • 【座談会 vol.2 🔴砂漠の小舟🟠香村かをりに聞く!🔴5/25、26、27 関西3days上映+LIVE記念🟦香村かをり+川口雅巳🟦】

    砂漠の小舟+色硝子 @Yellow Vision 5月11日の上映イベント第一回目を終えて、翌日、12日の午後に収録したものを4回に分けてアップロードします。 東京1dayにつづいての関西3daysにおいてライブ演奏で参加する香村かをり、川口雅巳、に加えて監督の野上の3人による座談会。 2回目は、ギタリスト川口雅巳によるコリアンパーカッショニスト香村かをりへのインタビューになります。 日でもまだまだ聴く機会が少ない、そして演奏者の数も少ないと思われる韓国打楽器(主に両面太鼓であるチャンゴと金属製の鳴り物)を響かせつづける香村かをり。 80年代東京の「吉祥寺マイナー」というレアなアンダーグランドシーンの体験から初期GISMへの参加。 そして韓国という国とともに歩んできた音楽的半生記。とても30分で紹介できるものではないけど、気楽にお楽しみ下さい。 ーーーーーーーーーーーーーーーー

    【座談会 vol.2 🔴砂漠の小舟🟠香村かをりに聞く!🔴5/25、26、27 関西3days上映+LIVE記念🟦香村かをり+川口雅巳🟦】
  • 赤痢 | ele-king

    文:水越真紀 久しぶりに赤痢を聴いて思うのは、なんと楽しいバンドなのかということだ。ドラムとベースの、乗るものを決してうらぎらないおもったい確かさの上で好きなように不機嫌になり、照れ、言葉を駆使し、頭を痺れさせる赤痢の楽しさったらない。赤痢が何度も何度も発売され続けるのは、このリズム隊の心地よさと歌詞の古びなさのためだろう。 ユーモアと切なさに満ちた歌詞はほとんど1分から2分という短い一曲でも同じフレーズの繰り返しが多い。つまり言葉を尽くして、言葉を駆使してストーリーや心情を語ったり、描写をするのではなく、ときには、あるいは多くは、メロディやサウンドに呼び覚まされたたとえば「死体こぼれ死体こぼれ」(“ベリー・グウ”)のような唐突な、「音」優先のフレーズは、それでも何かのイメージを映しながら、身体と心を揺さぶる。 「うまいよこれほらべてみて 愛してやまない理由がある 笑えない口で、はい、ど

    赤痢 | ele-king
  • 水玉消防団ヒストリー第11回 1980 年ハネムーンズ|K&Bパブリッシャーズ

    取材・文◎吉岡洋美 協力◎地引雄一 「これは“声”で私がやれること」天鼓NYでの出会い ライブハウスや学園祭のライブ出演によって、東京のパンクシーンで水玉消防団が頭角を表すようになった1980年。もともとメンバーたちが持っている恐れ知らずのエネルギーが楽曲、ステージでも体現されはじめたこの年。これだけでも充分パワーある話なのだが、実は’80年のトピックはまだまだこれだけに留まらない。 まず、1980年の春に戻って話を進めよう。天鼓が「しょっちゅう遊びに行くようになっていた」というNYを、何度目かに訪れたときのことだ。 天鼓「NYは特に音楽に触れたいとかそういうわけじゃなく、街自体がすごく面白くて、よく行ってたんですよ。で、2〜3回目かに遊びに行ったそのとき、街をたまたま歩いていたら、道で知り合いの日人ミュージシャンの男の子にばったり会ったのね。彼が『面白いライブがあるんですよ、行きません

    水玉消防団ヒストリー第11回 1980 年ハネムーンズ|K&Bパブリッシャーズ
  • 水玉消防団ヒストリー第10回 1980年 神奈川大学、京大西部講堂|K&Bパブリッシャーズ

    取材・文◎吉岡洋美 協力◎モモヨ、地引雄一 78年秋にバンド結成して3か月足らずで初ライヴ、翌年の野外フェス出演を経て、80年の年明けにライヴハウスデビュー。ここまでほぼ1年半にも満たないスピードで展開してきた水玉消防団。さらに初ライヴハウスでパンクシーンに足を踏み入れたこの80年は、カムラが言ったように「1年が10年ぐらいに思える」ほど、バンドのスピードとパワーは加速していく。 天鼓「ライヴハウスにも出ることが多くなると、音がどう出るのかライヴのやり方も段々分かってきて現場に慣れていったし、この1年はバンドとして曲を当に真剣に作るようになった」 JORAでセッションのようにそれぞれが思い思いに音を出しながらオリジナル曲を作るようになったのは前述したが、それにしても「曲の作り方なんか分からなかった」(カムラ)どころか、バンドもロックにもほとんど縁のなかった女性たちが1年数ヶ月で「ジークフ

    水玉消防団ヒストリー第10回 1980年 神奈川大学、京大西部講堂|K&Bパブリッシャーズ
  • honninmanのグラインド漫談コア/honninman

  • https://twitter.com/honninman/status/1670248953378672642

    stonedlove
    stonedlove 2023/06/18
    「グラインド漫談コア」すばらしい発想! 折衷することでよりコアになる。
  • NAPALM DEATHとINDUSTRIAL MUSICの関係性|MIASMA ZINE

    序文 EXTREME MUSICはお好きだろうか。ならば書を捨て街に出よ。そしてクラブで硬く冷たい死の香りのするノイズに身を任せるのだ—————。 事の起こりは1981年英国バーミンガムであった。CRASSに触発されANARCHO PUNKバンドとして始動したNAPALM DEATHは数多の国内外の名バンドのメンバー巻き込みながら後にCRUST~GRINDCORE~DEATHMETALと、また94年作FEAR,EMPTINESS,DESPAIRからはSOUNDGARDENやHELMETといったオルタナ(好きな表現ではないがあえて使わせて頂く)に影響を受けてジャンルを変遷していった。 NAPALM DEATHの音楽性が変遷していく中、理由は様々であれども脱退したメンバーは新たにバンドを始動しEXTREME MUSIC歴史に名を残してきた。ジムホワイトリーはRIPCORD、NAPALM DE

    NAPALM DEATHとINDUSTRIAL MUSICの関係性|MIASMA ZINE