取材・文◎吉岡洋美 協力◎糸川耀史、松永もうこ 水玉消防団はセカンドアルバムを発表し、天鼓はメールスで大喝采を浴びた翌1986年。海外からオファーを受けることが多くなった天⿎は、ソロのヴォイスパフォーマーとしても国内外で忙しい日々を送るようになっていた。 天鼓「メールスのあとはNYノイズのミュージシャンたちと、ほとんど毎年のようにどこに行っても会うような感じでしたよね。日本以外のライブが多くなって、ヨーロッパから頻繁に声がかかるようになって、デヴィッド・モスのバンドのメンバーとしてだったり、フレッド・フリスとのデュオ、自分でもグループをつくってツアーに行ったり」 ‘86年、天鼓とカムラのハネムーンズも、NYのCBGBはじめ、ヨーロッパでもライブを重ねることになり、同行した水玉マネジャーの松永もうこ曰く「ハネムーンズはNYでもライブは大盛り上がりでスタンディングオベーション。ライブ後、二人に
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