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punkに関するstonedloveのブックマーク (193)

  • Q1「どんな音楽がパンク・ロックなのか? 実例を」後編——『教養としてのパンク・ロック』第5回 by 川崎大助|光文社新書

    パンク・ロックなのだが、レゲエなのだ。いや、レゲエなのに、熱き血潮たぎるロックであり、そしてまぎれもなくパンク――という1曲がこれだ。クラッシュの専売特許である必殺技「パンクな精神にて楽曲に取り組めば、元来それがどんなジャンルであろうとも、パンク・ロックになり得る」が、目に見えて発揮され始めたのは、ここらへんからだった。 歌詞が玄妙だ。オールナイトのレゲエ・コンサートをハマースミス・パレスに観に行った主人公が、思いついたことをつらつらつぶやく、という外枠なのだが、これが――大袈裟に言うと、まるでプルースト『失われた時を求めて』のマドレーヌ効果のごとく――寂れゆくイギリスの「現在」の、かなり広い範囲を次から次へとで素描していくことになる。この点で当曲は、クラッシュの代表曲のひとつとして、またパンク・ロック史に残る名曲として、多くの人に記憶されている(レゲエなのに)。 主人公は、社会に幻滅はし

    Q1「どんな音楽がパンク・ロックなのか? 実例を」後編——『教養としてのパンク・ロック』第5回 by 川崎大助|光文社新書
  • ザ・クラッシュ『Combat Rock』40年目の再検証 崩壊寸前だったバンドの進化に迫る | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

    2022年はザ・クラッシュのデビュー45周年、初来日40周年、そしてジョー・ストラマーの没後20年。そんな節目のタイミングで、黄金期メンバーによるラスト・アルバムの40周年記念スペシャルエディション『Combat Rock / The People’s Hall』が5月25日に日盤リリースされる。新しい世代からも再発見されてきた作の意義、今回のリイシューにおける聞きどころを、荒野政寿(「クロスビート」元編集長/シンコーミュージック書籍編集部)に解説してもらった。 ザ・クラッシュが1982年5月にリリースした通算5作目のアルバム『Combat Rock』は、彼らにとってアメリカで最も売れたシングル「Rock The Casbah」(全米8位)を収録、アルバム・チャートでも英2位、米7位を記録した大ヒット作。しかしトッパー・ヒードン(Dr)、ミック・ジョーンズ(Gt, Vo)在籍時最後のア

    ザ・クラッシュ『Combat Rock』40年目の再検証 崩壊寸前だったバンドの進化に迫る | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
  • マンチェスターの音楽シーンに火をつけたセックス・ピストルズの歴史的ライヴ 参加したピーター・フックが当時を語る - amass

    史上最も影響力のあるライヴのひとつと言われている、セックス・ピストルズ(Sex Pistols)が1976年6月4日にマンチェスターで行ったコンサート。マンチェスターの音楽シーンに火をつけたこのライヴには、後にバズコックス(Buzzcocks)、ジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)/ニュー・オーダー(New Order)、ザ・スミス(The Smiths)、ザ・フォール(The Fall)のメンバーとなる人物や、ファクトリー・レコードを設立したトニー・ウィルソン(Tony Wilson)も参加していました。 参加していたピーター・フック(Peter Hook)とバーナード・サムナー(Bernard Sumner)は、ピストルズのパフォーマンスに衝撃を受け、すぐに自分たちもバンドを結成することを決意。イアン・カーティスらと共にジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)を

    マンチェスターの音楽シーンに火をつけたセックス・ピストルズの歴史的ライヴ 参加したピーター・フックが当時を語る - amass
    stonedlove
    stonedlove 2022/05/19
    42人の客のうち、モリシー、イアン・カーティス、バーナード・サムナー、ピーター・フック、ピート・シェリー、ハワード・デヴォート、トニー・ウィルソン、ミック・ハックネルがいたという伝説のライヴの話。
  • Don't Let Go - Seventeen

  • ロシアのバンド・メンバー 刑務所行きを言われた後 食糧配達人に変装してロシアから脱出 - amass

    ロシアのバンド・メンバーは、刑務所行きを言われた後、糧配達人に変装してロシアから脱出しました。 ニューヨーク・タイムズ紙によると、脱出したのは、ロシアフェミニスト・パンク・ロック集団、プッシー・ライオット(Pussy Riot)の創設メンバーの一人であるマリア・アリョーヒナ。プッシー・ライオットは長年にわたってプーチン政権への抗議活動を行っています。 彼女は2月、「ナチスの象徴のプロパガンダ」だと言われ、15日間刑務所で過ごした後、モスクワの自宅で軟禁状態にありましたが、当局が21日間の実刑判決を出したことを受けて、ロシアを逃れることを決めました。 「彼らは私たちをコントロールできないので、怖がっているのです」と彼女は言っています。 アリョーヒナは、鮮やかなグリーンのパーカーを着て、保温性の高い品配達用のリュックを背負って逃走しました。追跡されないように、彼女は監視下にあったアパート

    ロシアのバンド・メンバー 刑務所行きを言われた後 食糧配達人に変装してロシアから脱出 - amass
    stonedlove
    stonedlove 2022/05/12
    プッシー・ライオットだ!
  • 時と場所を超えた、「逆襲」の指南書──野中モモインタヴュー:『女パンクの逆襲──フェミニスト音楽史』

    Guest 0 Collections Redeem Passcode Sign In Sign Up Guest mode has some restrictions. Please sign in or sign up for free to use all the features of OTOTOY. Guest Mode Messages Collections My Page Settings Register Your Card Purchase History Points History Sign Out オトトイ読んだ Vol.10 文 : 津田結衣 今回のお題 『女パンクの逆襲──フェミニスト音楽史』 ヴィヴィエン・ゴールドマン(著)野中モモ(訳) ele-king books : 刊 出版社サイト Amazon.co.jp OTOTOYの書籍コーナー“オトトイ読んだ

    時と場所を超えた、「逆襲」の指南書──野中モモインタヴュー:『女パンクの逆襲──フェミニスト音楽史』
  • “片手のパンクス”MASAMIの生涯追ったテキストが書籍化、甲本ヒロトやYOSHIKIのインタビューも収録

    ナタリー 音楽 ニュース FORWARD “片手のパンクス”MASAMIの生涯追ったテキストが書籍化、甲ヒロトやYOSHIKIのインタビューも収録 “片手のパンクス”MASAMIの生涯追ったテキストが書籍化、甲ヒロトやYOSHIKIのインタビューも収録 2022年4月11日 20:41 480 67 音楽ナタリー編集部

    “片手のパンクス”MASAMIの生涯追ったテキストが書籍化、甲本ヒロトやYOSHIKIのインタビューも収録
  • ロシアの活動家プッシー・ライオット「いまのプーチンはロシア国民にだって発砲しかねない」 | アクティビズムこそ、正気を保つ手段

    フェミニスト・パンクロックバンド「プッシー・ライオット」のメンバー、ナディア・トロコニコワは筋金入りのアクティビストだ。クレムリンに目をつけられ、投獄されただけではへこたれない。現在彼女は、ゲリラライブの代わりに「仮想通貨」という手段で社会に変化を起こそうと戦っている。 ズームの画面越しに向き合ったナディア・トロコニコワ(32)は「プッシー・ライオット」のTシャツを着ている。彼女の居る場所は、明かされていない。何が起きても動じない、不屈の決意が見てとれた。 プッシー・ライオットを結成した2011年以降、彼女が繰り出すフェミニスト・プロテストアートはいつだって大真面目の真剣勝負。観客の目には、バンドが奏でる遊び心ある音楽や無許可でおこなわれるゲリラライブは楽しそうに映ったことだろう。 それが最高潮に達したのは2012年、モスクワの救世主ハリストス大聖堂で「神の母よ、プーチンを追い払って」と歌

    ロシアの活動家プッシー・ライオット「いまのプーチンはロシア国民にだって発砲しかねない」 | アクティビズムこそ、正気を保つ手段
  • 命がけで歌うパンク ミャンマーの友のため、大阪の男性は動いた:朝日新聞デジタル

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    命がけで歌うパンク ミャンマーの友のため、大阪の男性は動いた:朝日新聞デジタル
  • 「パンク」とは何か? ──反権威、自主管理、直接行動によって、自分の居場所を作る革命|『Punk! The Revolution of Everyday Life』展主宰・川上幸之介インタビュー

    「パンク」とは何か? ──反権威、自主管理、直接行動によって、自分の居場所を作る革命|『Punk! The Revolution of Everyday Life』展主宰・川上幸之介インタビュー 「パンク」とは何か? コロナ禍の日にあって大いに話題となった展覧会『Punk! The Revolution of Everyday Life(パンク!日常生活の革命)』展の全貌、そして今あらためて「パンク」を知ることの意義について、企画&キュレーションを担当した川上幸之介氏に話を訊いた。 「パンク」という言葉から皆さんは何を連想するだろうか? 音楽のジャンルとしては、セックス・ピストルズやクラッシュが有名で、パンク・ファッションの典型といえば、モヒカン・ヘアや鋲ジャンを思い浮かべる人も多いだろう。しかし、「パンク」には、DIY精神を尊び、自主独立のライフスタイルを奨励し、インディペンデントでク

    「パンク」とは何か? ──反権威、自主管理、直接行動によって、自分の居場所を作る革命|『Punk! The Revolution of Everyday Life』展主宰・川上幸之介インタビュー
    stonedlove
    stonedlove 2021/12/23
    PUNKS NOT DEAD👊💣💥
  • ダムドという名の深き森 -episode4 – in the middle

    text by Tsuneglam Sam/YOUNG PARISIAN 前回述べたように2nd『MUSIC FOR PLEASURE』のセールス失敗によりSTIFFレコードをクビになった不運なバンドTHE DAMNED。アルバムに不満を持ったラット・スキャビーズはレコーディング後に脱退することとなった。そもそもラットと一緒にやりたくてバンドを始動したという理由もあってブライアン・ジェイムスもおって脱退。そして ルー・エドモンズ も去り、バンドは空中分解へ。因みにラットの脱退後から78年2月に解散することを決定するまでの代役を務めたのは元LONDONのメンバーであり、後にルー・エドモンズとTHE EDGEなどで活動し、THE NIPS、そしてADAM&THE ANTSのレコーディングにも参加し、最終的にはCULTURE CLUBのドラマーとして大ブレイクするジョン・モスである。彼はCLAS

  • メルケル首相、送別曲にパンクロック選ぶ 独で退任式

    ドイツの首都ベルリンにある国防省で行われた退任式典で、手を振って別れを告げるアンゲラ・メルケル首相(2021年12月2日撮影)。(c)Odd ANDERSEN / POOL / AFP 【12月3日 AFP】ドイツの首都ベルリンの国防省で2日、アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相(67)の退任式が行われた。メルケル氏は送別の曲として、共産主義政権時代に「パンクのゴッドマザー」と呼ばれた歌手ニナ・ハーゲン(Nina Hagen)のヒット曲を選び、周囲を驚かせた。 ドイツでは今月8日、議会が社会民主党(SPD)のオラフ・ショルツ(Olaf Scholz)現財務相をメルケル首相の後任として正式に選出し、16年間続いた保守政権から中道左派政権へと移行する。 2日夜の式典では、正装した兵士たちが火のついたたいまつを持ち参加し、鼓笛隊が演奏する伝統的な軍楽に加え、首相自身が選んだ曲目が

    メルケル首相、送別曲にパンクロック選ぶ 独で退任式
    stonedlove
    stonedlove 2021/12/03
    ニナ・ハーゲンとな!?
  • 怒れる若者はどこへ行ったのか──「PUNK! 展」にみなぎる熱量と流れた冷や汗 | elabo

    2000年、沖縄県生まれ。国際基督教大学4年。専門は平和研究、人類学。小学生の頃から沖縄戦についての平和教育を受けてきた。「継承」について考えるようになり、もっと発展した平和教育を目指して、大学では平和教育を専攻。副専攻は人類学だが、特にアートと平和の関係に興味があり研究テーマにする予定。 展示のなかで、私は自分の社会に対する熱量がどれほど少なかったかを思い知った気がする。しかし同時に、励まされるような熱い何かを感じ取ることはできたかもしれない。 北千住にあるギャラリー「BUoY」で、川上幸之介氏(倉敷芸術科学大学)がキュレーションを手がける「PUNK! The Revolution of Everyday Life」(以下「PUNK! 展」)が開催された。会場には、40代くらいから20代前半くらいの人が、パイプ椅子に腰掛けヘッドホンを着用しては、展示に見入ったり聞き入ったりしていた。多く

    怒れる若者はどこへ行ったのか──「PUNK! 展」にみなぎる熱量と流れた冷や汗 | elabo
  • 西村 明 (SMASHWEST.COM の投稿者)

    実録 関西パンク反逆の軌跡 Vol.21 Akira Nishimura 西村 INU「メシ喰うな!」のリマスターLPが10月4日にアメリカのMesh-Key recordsからリリースされました。 […]

    西村 明 (SMASHWEST.COM の投稿者)
  • 実録 関西パンク反逆の軌跡 第1回 - SMASHWEST.COM

    実録 関西パンク反逆の軌跡 第1回 2021.01.01 COLUMN FROM VISITOR 初めまして。関西パンク史家の西村明と申します。私は雑誌DOLLにこのコラムと同名の連載を持っていました。関西パンク・ムーブメントの当事者にインタビューする内容でした。ところが同誌は2009年8月号で廃刊。新しい発表場所が見つからないまま11年が過ぎました。此度スマッシュウエストの南部裕一ボスのご厚意で企画が復活する事に。感謝の気持を込めて初回は南部氏との出会いを書いてみます。 1979年、私はスーパーミルク(写真 1979年京都大学11月祭 軽音茶屋にて)というパンク/NWバンドのベーシストだった。バンドは京都大学軽音楽部に所属していて西部講堂に向かって右側にあった部室で週に2回6時間は練習していた。部室は木造で音は外に漏れ放題だった。 10月のある日、私達が練習しているとアーミー・ジャケット

    実録 関西パンク反逆の軌跡 第1回 - SMASHWEST.COM
  • 町の洋食店、店主は現役パンクミュージシャン 料理は手間かけじっくりと|観光|地域のニュース|京都新聞

    肉汁たっぷりのハンバーグが人気のロコモコに舌鼓を打っていると、店の大型スピーカーからアメリカン・ロックの名盤が流れ始めた。京都府舞鶴市の「洋キッチン ベリーズ」。カウンターに座った客の好みを聞き、店主の守部立人さん(57)がCDラックから曲を選んだ。「いい音楽は、事の楽しさを引き立てる」。 1980年代前半に過激なパフォーマンスで異彩を放ったパンク・ロックバンドのリーダー。「卑龍」の名でギターボーカルを務め、現在もドラマーの中村達也さんらと東京や大阪のライブハウスで活動している。料理人としてもベテランで、京田辺市で20年以上、「南国堂グッド フェローズ」を経営。2018年に・真希子さん(41)の出身地・舞鶴に移住し、現在の店を構えた。 4日間じっくり煮込んだブイヨンで作る欧風カレーなど、選び抜いた国産材に手間をかけた肉料理が魅力。「音楽料理も、人が喜ぶ顔が好きで続けている」と話

    町の洋食店、店主は現役パンクミュージシャン 料理は手間かけじっくりと|観光|地域のニュース|京都新聞
  • グッドバイ・パンクロッカーズ。今までありがとう。大好きだった。|樋口恭介|note

    フジロックが経産省の補助金を受けていたことに対して、「政府から補助金もらっておいて、その口で政府を批判するなんて、ロックというのはダサいものだね」という意見がSNS上で多数見られた。 そのことに対して、それは違うと私は思ったので、それは違うと私は言った。具体的には、「俺の中ではロックは(というかとりわけパンクは)、路上で酒飲みながら「福祉くれよ! もっとくれ! 働かないで飯わせろ!」と愚痴ってる最悪なやつらというイメージ。だから政府の金でライブしながら政府はケチ! 政府はクソ! と言うのはロック的に(パンク的に)合ってる」とツイートした。そうして私は炎上した。2021年8月28日のことである。 まあ、こういう強い言葉を使うと、ロックとかパンクとか何もわかってないやつらから怒られて、炎上はするかなと思っていたので、そのこと自体は何も意外ではなかったのだが、驚いたのは、普段ロックやパンクに触

    グッドバイ・パンクロッカーズ。今までありがとう。大好きだった。|樋口恭介|note
    stonedlove
    stonedlove 2021/09/02
    パンクロックは悪人正機。善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
  • パンクと映画、演劇衣装。名バイプレイヤー・松重豊のファッション遍歴| メルカリマガジン - 好きなものと生きていく

    好きなものと生きていく#42 映画、ドラマ、舞台、CMと幅広く活躍する俳優の松重豊さん。ラジオ番組『深夜の音楽堂』(FMヨコハマ)ではゲストを招いてディープなトークを繰り広げるなど音楽への造詣も深い松重さんですが、その原点には高校生時代にリアルタイムで経験したパンク・ムーブメントがあります。 イギリス・ロンドンで生まれたパンクが、松重さんのファッションや生き方に与えた影響とは? スタイルの遍歴や今挑戦してみたいファッションについても伺いました。 (執筆/小川智宏、撮影/西田香織、スタイリスト/増井芳江、ヘアメイク/林裕子、編集/メルカリマガジン編集部) ――松重さんが最初にファッションに興味を持たれたのはいつ頃でしたか? 中学高校の頃、僕らの時代はみんな制服のズボンは太いのを履く時代だったんですね。ボンタンっていう。それがものすごく自分の中で嫌だったんです。 田舎は福岡だったんですけど、

    パンクと映画、演劇衣装。名バイプレイヤー・松重豊のファッション遍歴| メルカリマガジン - 好きなものと生きていく
    stonedlove
    stonedlove 2021/07/13
    松重さん、こんなにパンクの影響デカかったんだ!
  • パンクの視覚文化 前半 セックス・ピストルズ・プロジェクト 文:佐藤守弘(視覚文化研究)|Column|AMeeT

    AMeeTは、一般財団法人NISSHA財団が運営しています。 © 2009 Nissha Foundation. All Rights Reserved.

    パンクの視覚文化 前半 セックス・ピストルズ・プロジェクト 文:佐藤守弘(視覚文化研究)|Column|AMeeT
  • ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝|ISHIYA

    まえがき この連載を始めるにあたって、まずはじめに謝っておかなければならないことがある。 俺の著書「ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史」と、noteでの連載「ISHIYA私観平成ハードコア史」の第一話と、雑誌ヘドバンVol.30「L.O.Xというスーパーグループ」などの記事におけるGHOULのボーカルであったマサミさんの倒れてしまった日付が1989年となっていたが、正しくは1990年の3月15日であり、記述を間違えてしまった。 元々の資料は、唯一といっていいマサミさんに関する詳細を取材して調べた「片手のパンクスマサミはなぜ死んだのか?」という鶴見済氏の記事が元で、雑誌「ア・ハード・デイズ・ナイト」の1993年2月号と、鶴見氏の記事が収められた書籍「無気力製造工場」に掲載されていたものだ。 ネット上の情報も全て鶴見氏の記事の表記によって統一されていたと思われるのだが、俺が自分で

    ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝|ISHIYA