タグ

punkに関するstonedloveのブックマーク (192)

  • 1:日本パンクのゆりかごは、『ポパイ』と『ミュージック・ライフ』と原宿だった——『教養としてのパンク・ロック』第33回 by 川崎大助|光文社新書

    第5章:日は「ある種の」パンク・ロック天国だった1:日パンクのゆりかごは、『ポパイ』と『ミュージック・ライフ』と原宿だった「東京ロッカーズ」 最後に日におけるパンク・ロック受容史をまとめてみよう。端的に言って、非英語圏であり非欧米圏でもある国と地域のなかで、ここまで巨大なる「広義の」パンク・ロック文化が花開いた例はほかにない。ある意味一時期の日とは、豊かすぎる「パンク天国」だった。それは後述する「日ならでは」の特性が大きく作用したせいだった。 そんな日におけるパンク・シーンの「最初」について評するならば、音楽アーティスト、DJ、文筆家の高木完の簡潔なこのひとこと以上のものはない。 「日におけるパンク・ロックなるものは、最初からポストパンクだったと言える」 雑誌『インザシティ』第十七集・高木完「ロックとロールのあいだには、、、」 第9回/ビームス・2017年より これは1978

    1:日本パンクのゆりかごは、『ポパイ』と『ミュージック・ライフ』と原宿だった——『教養としてのパンク・ロック』第33回 by 川崎大助|光文社新書
  • Mizutama Shobodan 水玉消防団 M.S.U. 水玉スーパーユニット LIVE 8th August 2022 Japanese Female Post Punk, New Wave

    stonedlove
    stonedlove 2023/03/12
    原始高度知的生命体の夜宴。水玉消防団の楽曲がもつゴツゴツして朴訥で野放図な音楽的強度とポテンシャル、時空をひょっこり超えてビシッと緊密に結びついたM.S.U.の演奏の緊張感と弾力性にヤラれました。
  • 水玉消防団ヒストリー第8回 1980年1月 新宿ロフト|K&Bパブリッシャーズ

    取材・文◎吉岡洋美 協力◎地引雄一 女性パンクバンドとの邂逅 楽器未経験のバンド結成から約2ヶ月足らずで初ライブ、1年も経ずして野外フェスに参加。カムラ曰く「無知蒙昧、傍迷惑をものともせず」、天鼓曰く「今さらながら、その厚かましさに脱帽、脱力」するほど、何の躊躇も迷いもなく突き進む水玉消防団。そのパワーは身内以外の耳にも止まり、79年末のある日、パンク・ミニコミ誌「CHANGE2000」の編集長、チホこと小嶋さちほのJORA訪問を受ける。 丁度、東京のライブシーンでは同年の夏、東京、名古屋、関西のパンク、ニューウェイヴの24バンドが登場する6日間連続のライブイベント「DRIVE TO 80s」*が新宿ロフトで開催され、連日満員の大成功をおさめていた。前年に東京ロッカーズらが起こしたストリート・ライブシーンが、より大きなうねりになっていたときである。 こうした流れのなかで水玉消防団は、チホか

    水玉消防団ヒストリー第8回 1980年1月 新宿ロフト|K&Bパブリッシャーズ
  • 水玉消防団ヒストリー第7回 1979―田島ヶ原フリーコンサート|K&Bパブリッシャーズ

    取材・文◎吉岡洋美 協力◎高沢正樹 フリースペース「JORA」の昼間、借り手のない場所と時間を持て余し、「何かやるなら、ロックバンドがかっこいいんじゃない?」と78年秋、ほぼ思いつきで楽器が弾けない4人の女性と友人1人で結成された「水玉消防団」。とりあえず『You really got me』『Jumpin’Jack Flash』『心の旅』のレパートリーが出来た時点で、結成から1ヶ月後の12月、早くも友人たち50人あまりを集め、JORAでデビューライブが決行された。 天鼓「ギターやベースのチューニング、曲のテンポなんか、どれだけ時間をかけても一向にまとまらない。なのに、『もう3曲も出来るんだからお披露目しないとね』というところでは話はまとまる(笑)。それぞれ皆、人生経験はソコソコあるものだから、そういう場合の機動力はある。まあ、曲の出来不出来なんか二の次(笑)」 ちなみに“人生経験はソコソ

    水玉消防団ヒストリー第7回 1979―田島ヶ原フリーコンサート|K&Bパブリッシャーズ
    stonedlove
    stonedlove 2023/02/08
    完全DIYのフェミニズム(結果として)パンク。なにからなにまですばらしい! 必読です。
  • マーク・E・スミスのパンク観~ザ・フォール出自を「パンク」と認めない理由 - Dead Beat Descendant ‐ THE FALL blog in Japan

    前回のブログでは、1976年7月のピストルズの2回目のマンチェスター公演がザ・フォール結成のきっかけになり、1977年5月23日にバンドが初ライブを行ったことを書きました。 パンクのライブを観て「俺らもできる」って始めたわけなので、どんなにマークはパンクキッズかと思いますよね。でも、ピストルズが放つパンクのDIY精神を稲のように受けて始めたぞ!!というわけでもないようです。たまたまライブを観て、当に物理的に「あれならできる」ということだった、自分たちザ・フォール出自を「パンク」と絶対認めない理由は何なのか…というのを書く前に、当時のマンチェスターのパンクシーンをのぞいてみます。 このフォールの1977年8月18日のマンチェスターでのライブ、初ライブから3ヶ月ですでに9回目ですが、 (Photo by Kevin Cummins) The Ranchという、伝説の、マンチェスター初のパン

    マーク・E・スミスのパンク観~ザ・フォール出自を「パンク」と認めない理由 - Dead Beat Descendant ‐ THE FALL blog in Japan
  • 4:プロトパンクの「傑物」たち——『教養としてのパンク・ロック』第25回 by 川崎大助|光文社新書

    第3章:パンク・ロックの「ルーツ」と「レシピ」とは?4:プロトパンクの「傑物」たちヴェルヴェット・アンダーグラウンド プロトパンクの「プロト(Proto-)」とは、「初期のもの」という意味だ。だから試作品や原型という意味の「プロトタイプ(Prototype)」同様、パンク・ロックとして世に認知される前の段階にあった「パンクの直接的なご先祖様」がプロトパンクとなる。この「プロト」の流れのなかで、「これぞ」と呼ぶべき大物を、いくつかご紹介したい。順番として、まずは「最も古い」アーティストというと――。 パンク・ロックの「直系のご先祖様」の出発点は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドだということになっている。1964年にニューヨークで結成され、アンディ・ウォーホルに「発掘」された彼らは、言うなれば「闇の帝王」みたいな存在だ。エルヴィス、ビートルズ、そこからたとえばレッド・ツェッペリン、アメリカ

    4:プロトパンクの「傑物」たち——『教養としてのパンク・ロック』第25回 by 川崎大助|光文社新書
  • 3:そしてロンドンには、モッド・ポップと「牛肉心」が……——『教養としてのパンク・ロック』第24回 by 川崎大助|光文社新書

    第3章:パンク・ロックの「ルーツ」と「レシピ」とは?3:そしてロンドンには、モッド・ポップと「牛肉心」が……セックス・ピストルズの「素材やレシピ」 では、ロンドン・パンクのトップランナー、セックス・ピストルズの「素材やレシピ」とは、基礎的な音楽アイデアとは、いかなるものだったのか?  すでに書いたとおり、ストゥージズらアメリカのガレージ・バンドからの影響がある。ほかにアメリカ方面からは、「プロトパンク」バンドの雄、ニューヨーク・ドールズからの影響もある。とくにギタリストであるジョニー・サンダースからの影響を、スティーヴ・ジョーンズのなかに見ることは容易だ。ラモーンズからの影響は、音楽的にはたぶん、ほとんどない――というのがピストルズ・サイドの言い分なのだが、一方のラモーンズ側では、そうではない。 ラモーンズの側には、じつは、屈があった。サード・アルバム『ロケット・トゥ・ロシア』(77年1

    3:そしてロンドンには、モッド・ポップと「牛肉心」が……——『教養としてのパンク・ロック』第24回 by 川崎大助|光文社新書
  • 2:ブルースなんて、知らないよ——『教養としてのパンク・ロック』第23回 by 川崎大助|光文社新書

    第3章:パンク・ロックの「ルーツ」と「レシピ」とは?2:ブルースなんて、知らないよガレージ・ロックの「二重屈折」構造 『ナゲッツ』に収録されているバンド、あるいはそれ以外の60年代の「ガレージ」連中がお手としたのは、まず最初にビートルズが先導した第一次ブリティッシュ・インヴェイジョン、つまりはマージー・ビート(日で言うリヴァプール・サウンド)につらなる「UKのビート・バンドたち」だった。 そして濃淡はあれど、その波のなかにあるかなり多数のイギリスのバンドがアメリカのロックンロールのみならず、ブルースやR&Bから直接的な影響を受けていた。ローリング・ストーンズやヤードバーズのように、黒人音楽に没頭し、学徒としての長い道のりを真面目に歩む(あるいは、歩もうと志す)バンドも、少なからずいた――のだが、とにもかくにも「アメリカのガレージ連中」は、そんなイギリス人バンドから影響を受けた、というわ

    2:ブルースなんて、知らないよ——『教養としてのパンク・ロック』第23回 by 川崎大助|光文社新書
  • R.I.P. Vivienne Westwood | ele-king

    MOST READ interview with Sleaford Mods 賢くて笑える、つまり最悪だけど最高 | スリーフォード・モッズ、インタヴュー (interviews)Columns 創造の生命体 〜 KPTMとBZDとアートのはなし ①アーティストと薬 (columns)R.I.P. Mark Stewart 追悼:マーク・スチュワート (news)Cornelius ──2023年、私たちはあらためてコーネリアスと出会い直す。6年ぶりのニュー・アルバムとともに (news)interview with Kid Koala カナダのベテラン・スクラッチDJ、久びさにターンテーブルが主役のアルバム | キッド・コアラ、インタヴュー (interviews)OZmotic & Fennesz - Senzatempo | オズモティック (review)Gina Birch -

    R.I.P. Vivienne Westwood | ele-king
  • GAUZEの解散は世界にとっても大きな損失だーーISHIYAが綴る、偉大なハードコアパンクバンドの功績

    GAUZEの解散は世界にとっても大きな損失だーーISHIYAが綴る、偉大なハードコアパンクバンドの功績 2022年の音楽界で、個人的に一番衝撃を受けたニュースといえば、日で最初のハードコアパンクバンドでありながら、40年以上現役で活動し続けてきたGAUZEの解散だ。 11月も終わりに近づいていたある日、筆者がボーカルをやっているDEATH SIDEの東欧オーストリアとセルビアのツアー中に、この信じられないニュースが入ってきた。 その一報はTwitterのGAUZEオフィシャルサイトのツイートだった。 「GAUZE解散の報告 現メンバーになって以来、一人でも脱退したら解散と決めていましたが、この度それが現実となってしまった為、日GAUZEは解散する事になりました。」 こう書かれていただけで、誰が脱退したのか、何があったのか全くわからない。これを見た瞬間に「GAUZEが解散したらしい」と、

    GAUZEの解散は世界にとっても大きな損失だーーISHIYAが綴る、偉大なハードコアパンクバンドの功績
  • The Jam: Punk Icons | Full Documentary | John Robb | Pat Gilbert | Gary Mulholland

  • Skinny Girl Diet - Silver Spoons

  • Skinny Girl Diet - Nadine Hurley

  • 3:エルヴィスも、ビートルズも、ローリング・ストーンズも、1977年には……——『教養としてのパンク・ロック』第17回 by 川崎大助|光文社新書

    第2章:パンク・ロック創世記、そして、あっという間の黙示録3:エルヴィスも、ビートルズも、ローリング・ストーンズも、1977年には……  1977年の夏のロンドンは、寒かった。Tシャツ1枚でいられるような陽気の日は数えるほどしかなく、僕はたいてい、薄い上着をひっかぶっていた。 イギリス人ならば「例年どおり」だったのかもしれない(76年は猛暑だったらしいが)。しかし日からやって来た子供である僕にとっては、なんともしみったれた、夏らしくない夏だった。深夜になるまで陽が沈みきらない、白々とした「夜もどき」も、じつに落ち着かなかった。そして街じゅうのどこであろうが、古びて、すすけて、壊れかけていた。 後年、崩壊直前のソ連邦のサハリンを旅したとき、僕は、このときのロンドンを思い出した。つまり77年のイギリスとは、あたかも長く続いた共産主義体制の末期であるかのように、あらゆる社会システムが機能不全に

    3:エルヴィスも、ビートルズも、ローリング・ストーンズも、1977年には……——『教養としてのパンク・ロック』第17回 by 川崎大助|光文社新書
  • Q10「パンクにはなぜ『敵』がいるのか?」——『教養としてのパンク・ロック』第14回 by 川崎大助|光文社新書

    第1章:なぜなにパンク・ロック早わかり、10個のFAQ〈11〉Q10「パンクにはなぜ『敵』がいるのか?」悪いのはパンク側  平たく言うと、これはほとんど「パンク側のせい」だと言える。まず(1)自らの姿勢や態度のせいで「次から次へと敵を増やした」から。(2)そもそもが「許せない敵がいたゆえに」反発心を胸に立ち上がったのがパンクスだったゆえ、態度が悪くて当然だったから――このふたつについて、説明しよう。 前述したとおり、とくにロンドンで、テディ・ボーイズがパンクスを敵視していた。なかでもとくにセックス・ピストルズが、さらにはジョニー・ロットン(ライドン)が「とくに」目の敵にされて、幾度も襲撃された。テッズに代表される右派の不良とパンクスの対立は、60年代のロッカーズ対モッズの抗争よろしく、大衆紙ダネになる乱闘事件を何度も引き起こした。テッズに続いて、スキンヘッズもパンクスと対立した。 と、こん

    Q10「パンクにはなぜ『敵』がいるのか?」——『教養としてのパンク・ロック』第14回 by 川崎大助|光文社新書
  • 村上春樹、パティ・スミスと食事をしたときの会話を振り返る「さすがパンクの女王、かっこいいですね」 - TOKYO FM+

    最新ニュース 悪性リンパ腫を克服し真打昇進、講談師・一龍斎貞弥「あるがままに楽しもう」当時を振り返る2023-01-25 11:55(水)詳しくはこちらプロのスタイリストが選んだ「お洋服」が家に届く!?『airCloset』が展開する“ファッションレンタルサービス”とは?2023-01-25 11:40(水)詳しくはこちら「スマホ結露」「水道管凍結」に注意!「最強寒波」到来で気をつけること、対策は?2023-01-24 21:02(火)詳しくはこちら急きょ仕事を休みに、交通・物流にも…「寒波の影響、ありますか?」アンケート結果発表2023-01-24 20:48(火)詳しくはこちら5年かけて貯めた“ポイントカード”、“免許の更新”だけなのに…あなたが“あと一手で達成できそうなこと”は?2023-01-24 19:30(火)詳しくはこちら

    村上春樹、パティ・スミスと食事をしたときの会話を振り返る「さすがパンクの女王、かっこいいですね」 - TOKYO FM+
    stonedlove
    stonedlove 2022/11/04
    このタイミングで知ってか知らずか「ロックンロール・ニガー」をかける村上春樹。さすがだ。
  • Q6「パンクは左翼なのか?」——『教養としてのパンク・ロック』第10回 by 川崎大助|光文社新書

    第1章:なぜなにパンク・ロック早わかり、10個のFAQ〈7〉Q6「パンクは左翼なのか?」  そうだ――と言い切りたいところなのだが、しかしかならずしも、そうではない。もし全世界のパンク・ロック支持者全員に統計をとってみることができたならば、おそらくは左派やリベラル派が多数を占めるだろう、と僕は想像するが――だがパンク・ロック音楽家にもファンにも、少なからぬ数の右翼もいることは、歴史が証明している。 たとえば今日、極右や人種差別主義者、ネオナチの代名詞と化している感のあるスキンヘッズ(=頭髪を五分刈り以下程度の坊主頭にする、もしくは完全に剃り上げるストリート・スタイル)は、伝統的に、パンク・ロックと浅からぬ因縁を有する。そもそもはイトコ同士だったのに、モメて袂を分かってしまったぐらいの関係性だろうか。 また「パンクは政治的なのか?」と問われると、これも前述同様の、玉虫色の答えとなる。総じて見

    Q6「パンクは左翼なのか?」——『教養としてのパンク・ロック』第10回 by 川崎大助|光文社新書
  • 水玉消防団ヒストリー 第1回 1976年 新宿「ホーキ星」|K&Bパブリッシャーズ

    取材・文◎吉岡洋美 協力◎松路子写真事務所、地引雄一 1978年末、5人の女性によって結成された日のオリジナル女性パンクバンド、水玉消防団。1953年生まれの天鼓、1955年生まれのカムラ、1949年生まれの可夜、まなこ、みやもとという、結成当時23歳〜29歳のメンバーたち。そのバンドのはじまりを辿ると、まず1970年代の東京・新宿のとある場所に行き当たる。女性たちだけで運営されたというカフェ「ホーキ星」である。話は彼女たちの出会いの場となったここから始まる。 女による女のためのカフェ 1976年、新宿2丁目の古い木造二階建ての一軒家を改造し、作られたという「ホーキ星」。その目的は “女たちが集える場”。1階は事も出来てお酒も飲めるカウンターとテーブルを配したカフェ、2階の畳の間は多くの女性関連やイベントチラシが置かれ、お茶を飲んでくつろぐことも出来るが、フリースペースとして女性に

    水玉消防団ヒストリー 第1回 1976年 新宿「ホーキ星」|K&Bパブリッシャーズ
    stonedlove
    stonedlove 2022/10/11
    水玉消防団、当時は雑誌で名前しか知らなかったけど、こんな背景があったとは! 日本のフェミニズム史・思想史にとっても重要な資料だと思う。
  • Q4「パンク・ファッションは『ブランド服』なのか?」——『教養としてのパンク・ロック』第8回 by 川崎大助|光文社新書

    第1章:なぜなにパンク・ロック早わかり、10個のFAQ〈5〉Q4「パンク・ファッションは『ブランド服』なのか?」 少なくともまず、セックス・ピストルズは、まぎれもない「デザイナーズ・ブランド」の一丁羅を身に着けることが、よくあった。マネージャーのマルコム・マクラーレンの「業」が洋服ブティック経営であり、店の宣伝のために、出入りしていた若者たちに声をかけ、彼が「結成させた」バンドこそが、セックス・ピストルズだったからだ。後述するが、バンド名もマクラーレンが「勝手に考えて、押し付けた」ものだった。 ゆえに、ピストルズの面々にはつねに「店の商品」をマネキンかモデルよろしく着続けるという任務があった。当時マクラーレンのパートナーだったデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドの手による奇抜な衣装の数々を。ウエストウッドはのちに自身の名を冠したブランドなどを成功させ、06年には英王室よりデイム・コマ

    Q4「パンク・ファッションは『ブランド服』なのか?」——『教養としてのパンク・ロック』第8回 by 川崎大助|光文社新書
  • Q1「どんな音楽がパンク・ロックなのか? 実例を」後編——『教養としてのパンク・ロック』第5回 by 川崎大助|光文社新書

    パンク・ロックなのだが、レゲエなのだ。いや、レゲエなのに、熱き血潮たぎるロックであり、そしてまぎれもなくパンク――という1曲がこれだ。クラッシュの専売特許である必殺技「パンクな精神にて楽曲に取り組めば、元来それがどんなジャンルであろうとも、パンク・ロックになり得る」が、目に見えて発揮され始めたのは、ここらへんからだった。 歌詞が玄妙だ。オールナイトのレゲエ・コンサートをハマースミス・パレスに観に行った主人公が、思いついたことをつらつらつぶやく、という外枠なのだが、これが――大袈裟に言うと、まるでプルースト『失われた時を求めて』のマドレーヌ効果のごとく――寂れゆくイギリスの「現在」の、かなり広い範囲を次から次へとで素描していくことになる。この点で当曲は、クラッシュの代表曲のひとつとして、またパンク・ロック史に残る名曲として、多くの人に記憶されている(レゲエなのに)。 主人公は、社会に幻滅はし

    Q1「どんな音楽がパンク・ロックなのか? 実例を」後編——『教養としてのパンク・ロック』第5回 by 川崎大助|光文社新書