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ブックマーク / deadletter.hmc5.com (24)

  • 「政治性」への感性について (Dead Letter Blog)

    天皇と中国政府の要人の会見の設定について各紙「天皇は政治的に中立であるべき」・「政治に巻き込むな」と猛反発をしている。それじゃ、天皇の政治利用の最たるものだった1992年の訪中時の社説を幾つか拾ってみよう。まずは読売新聞の社説。もちろん、天皇の政治的利用は憲法上も許されない。政治的権能のない象徴天皇の外国公式訪問は、国事行為に準じる公的行為として内閣の責任で行うべきものだが、国家間の“儀礼”と思ってよい。訪中も個々の政治問題を超越した友好親善訪問とすべきだ。結果として、日中の国民感情に一つの区切りがつき、アジアの安定につながるのは、望ましいことでこそあれ、政治利用ではない。招請に応じないことで日中関係を後退させてはなるまい。訪中での「お言葉」については、わが国は日中共同声明で「中国国民に重大な損害を与えた」責任を反省していることだし、国民感情を踏まえたお気持ちと平和な世界への願望を表明され

  • 「ゲーム」に参加しないことの意味 (Dead Letter Blog)

    このEntryを御覧になる方は是非、以下もあわせて読んで頂きたい。 「被害者の人権」は普遍的か? 今朝のみのもんたの番組での下村健一のレポートのテーマは「被害者参加制度」だった。市井の人間が参加することになる裁判員制度が始まろうとする中で、さらに被害者遺族が当事者として加わるということの意味について問題提起するものだった。果たしてそこには某市で起きた母子殺害事件で有名になった被害者遺族のコメントが寄せられていた。その彼いわく「被害者が裁判に参加するのは当然」・「そもそも被害者を理解せずに刑を科すことなど出来る訳がない」。 彼は「裁判への被害者参加」が被害者にとって待ち望まれたものであって、被害者の癒しに繋がるものであることを露ほども疑っていないように見える。だが当にそうだろうか?というわけでここでは、彼の理想とするような司法制度がどのような帰結を齎しうるのかを考えてみたい(従って実際の「

  • 涼宮ハルヒの憂鬱 (Dead Letter Blog)

    文化庁のメディア芸術100選」のアニメーション部門・自由記入欄得票数第1位に選ばれたという同作品。話題にしている人も多い作品なので観てみた。 ライトノベルの谷川流原作「涼宮ハルヒシリーズ」のアニメ化なので、あらすじを知りたい人はwikipediaの「涼宮ハルヒシリーズ」を見てもらえばいいと思う。さて僕がこの作品を見て想起したのは「マンガ・嫌韓流」に関して東浩紀が語ったことだった。 手元に「論座」が見つからなかったのでとりあえずネット上から該当部分を拾って抜粋してみる。 …『マンガ嫌韓流』を一読して印象に残ったのは、表面の熱気とは裏腹の、冷笑的な空気である。…公平を期すために言えば、そこには説得力のある議論もある。しかし、それらの議論は、日韓関係の改善に繋がる積極的な提案に結びつくわけではない。結局残るのは、「歴史問題にしても竹島にしても、韓国人はどうしてこう話がわからないんだ、まあバカだ

    synonymous
    synonymous 2008/07/23
    俺はハルヒになりたいよ、あの作品では。ネタになりたい。
  • 「自分にとっての真実」について (Dead Letter Blog)

    某高裁での某事件に対する判決に関して、現時点で僕が得られた情報の範囲内での感想。 判決直後に接見した弁護士の「会見で伝えたいことはあるか」との問に被告人は「自分にとっての真実を述べた」と答えたという。 「真実」ではなく「自分にとっての真実」という謙抑的な言葉を彼が選んだという点にあえて注目してみたい(それは「真実を語れ」と彼に迫った側の方が、ややもすればその謙抑性を無自覚に踏み超えていたのとは対照的であった)。そもそも「真実」など当は誰にも、人にすらも分からないのではないだろうか。仮に今過去へ戻ることの出来る装置・或いは過去に生じた出来事を忠実に再現する装置が発明されたとしよう。しかしあらゆる出来事には複数の記述が存在する(哲学的にはかなり荒っぽい言い方であることはお断りしておく)。 ex.)以下の記述は全て同一の出来事を指示し得る 「スミスはスケートボードに乗っていた」 「スミス

    synonymous
    synonymous 2008/04/26
    私の持つ思いときわめて近い。
  • シニシズムの放棄について (Dead Letter Blog)

    mojimojiさんの一連のEntry周辺の議論。 排外主義者、あるいは日曜サヨク 排外主義者、あるいは日曜サヨク、その2 排外主義者、あるいは日曜サヨク、その3 排外主義者、あるいは日曜サヨク、その4 論点は2つ。 ・ネット右翼がなぜ中国のチベット支配を批判できるのか? ・中国のチベットへの抑圧を批判する為に左翼・人権派とネット右翼・保守派は共闘すべきか? 前者について。左翼・人権派がチベット問題を「ネット右翼が満足するようなかたちでは」取り上げていないこととチベット問題に類する人権問題に関してネット右翼がどのような態度を取ってきたかということは同列に並べられるべきではない。 仮に左翼や人権派のチベット問題への関心が相対的に低かったとしよう。しかし人間が有限的存在であって、あらゆる問題へコミットすることはできない以上、それは矛盾とまでは言えない。もしチベット問題について左翼・人権派がどの

    synonymous
    synonymous 2008/04/01
    『中国はまさに「持ち出し」でチベットの「近代化」を図ってきたのだから。一体どのような論理でネット右翼は中国を批判しうるのだろうか?』
  • 「民間であれば破綻」? (Dead Letter Blog)

    大阪府を始めとして、財政赤字に苦しむ地方自治体について「民間であれば破綻している」と言われることが多い。「一私企業ならばとっくに倒産しているはずのところを、行政機関ということで存続を許されている」、「公務員・公的行政機関はある種の特権を持っている」というわけだ。 もちろんそれは間違っている。 行政機関というのは要するに「誰かがやらなくてはならないこと」をしている機関のことである。仮にある自治体が消滅したとしても、その仕事自体は結局「誰かがやらなくてはならない」のである。市場原理の中で存在する民間企業はそうではない。民間企業が潰れるのは畢竟「その企業が提供するサービス(仕事)が不要とされたから」である。行政機関が潰れないのは誰かが与えた既得権でも特権でもない。民間と異なり、「誰かがやらなくてはならない」仕事だからなくならないだけの話である。 例えば夕張市では行政機関の提供するサービスが縮小す

    synonymous
    synonymous 2008/03/29
    『必要なのは「財政規律」の存在であって、「財政黒字」ではない。』
  • それぞれに違うけれど「一つ」 (Dead Letter Blog)

    「ホワイトカラーエグゼンプション」提案時の2ちゃんねらーの反応 →http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/892743.html →http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1029469.html 行政の長の「超過勤務」を正当化する言い草に反論する職員への2ちゃんねらーの反応 →http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1102983.html いや、興味深いです。かたや、「サービス残業に対する理解がまるでない」ことに非難が集中しているのに、かたや「サービス残業するのは能率が悪いから」ですか。もちろん同じ人が言っているわけではないのでしょうけど、同じ話なのに空気が「正反対」なのはどう理解したらいいのでしょうか。単に公務員が憎たらしい=叩ければ理屈は何でもいいとい

    synonymous
    synonymous 2008/03/15
    政治家と「下っ端」役人の差が反応の違いを生むのかもしれません/↑内ゲバすんな。
  • 「橋下徹の当選」の意味 (Dead Letter Blog)

    はてなブックマーク - ぼやきくっくり | なぜ大阪府民は橋下徹氏を選んだか はてなブックマーク - はてなブックマーク - ぼやきくっくり | なぜ大阪府民は橋下徹氏を選んだかあたりの議論に関して。 はてなブックマーク - 「ネガティブ・キャンペーンだ!」というネガティブ・キャンペーン - モジモジ君の日記。みたいな。 この中のD_Amonさんのコメントにあるように、橋下に投票するということは橋下の発言に見られる価値判断にコミットすることと事実上同等の意味を持つ。 「橋下氏の財政再建策に同意しただけで、核武装発言にはコミットしていない」とか、「買春は中国へのODA」という発言には同意していないとか、まあどのような意図で彼に投票したのか(支持を与えたのか)は人それぞれだろう。 が、ポイントは日において憲法で定められている「自由委任の原則」の下ではそのような「意図」はあまり意味がないとい

    synonymous
    synonymous 2008/02/12
    ネガキャンで勝った岩国市長選の後では、くっくりとやらの言は色を失うのみ。
  • 上品な趣味について (Dead Letter Blog)

    僕は福士加代子は非難しないが、あれを「感動した」とか言っている人を見るとうんざりする。 「諦めずに最後まで走りきったことはこれからの糧になる(意味がある)」と主張しているコメンテーターがいるのだけど正気なのだろうか?「最後まで完走したこと」にあのレベルの選手として客観的な「意味」があるわけがない。だいたい、レース前「福士加代子は42.195kmを完走できるか」に関心を寄せていた人がどこにいるというのか。「完走など出来て当たり前で、どのくらいの記録を出せるか」を注目していたに決まっているのである。福士が「マラソンを完走できるかどうかのレベル」にないことなど誰もが知っていたはずじゃないか。何故シラをきろうとするのか? 逆に「諦めずに」完走したところで、平凡な記録に終われば「期待外れ」と言われるのがあのレベルの選手たちの宿命である。現に今回のレースで日人トップでゴールした選手など、その「平凡な

    synonymous
    synonymous 2008/02/03
    もしも代表になったら、棄権しても非難されることにはなろう。
  • 「忘れる」という権利 (Dead Letter Blog)

    前回のEntryでは、被害者が非の打ち所のない・何も責めを負うべきところのない人間であったとしても、彼らが共感・同情心を世間から調達し続けられる保証はない、従って「被害者の人権の保障」を巡る「ゲーム」は被害者にとって苛酷である、という主張をした。 今回はもう少し踏み込んでみる。 藤井誠二はこのようなことを言っている。「愛する家族が殺されたら、復讐したいと思うのは当たり前」であり、それは「ごく当たり前の人間の感情や情緒」であると。 ここで先に結論を言っておく。僕は「そうは思わない」。 なぜなら人間は「忘れてしまう」生き物だからである。激しく恋焦がれる「感情」も月日と共に消え去っていくのが普通だし、愛する人が目の前で死ぬ絶望感のそのありありとした生々しさでさえ時間が奪い去ってしまう。憎しみも感情である以上またそうである。藤井が「人間としてそれが当たり前」という論理で押し通そうとするのなら、僕

    synonymous
    synonymous 2007/07/15
    『周りの無理解、マスコミの取材のあり方、司法・行政の不備によるダメージが彼らにとって相当に大きい』つまり、最も変えていくべきところを変えないために持ち出された擬似問題なのです。
  • 「被害者の人権」は普遍的か? (Dead Letter Blog)

    仮に子を惨殺された夫が、葬式で涙の一つも見せず、その翌日に女と遊びに行ってしまうような男だったとしよう。さらにもう一つ、彼の殺されたもしばしば育児をほったらかしにしながら男と浮気をし、家庭内不和が表面化していたと仮定を置いてみよう。つまり彼らの家庭は世間的に見て眉をひそめられるようなものだったのである。 さてその被害者遺族=夫がいかにも美味そうにタバコの煙をくゆらせながら記者会見でこのように主張するのである。 「犯人を決して許すことが出来ない。彼は許されないことをした。命をもって償わなければならない。」 光市母子殺人事件の被害者遺族である村氏はもちろん上記のような人間であるどころか、それとは正反対にあるような人である(ように少なくとも僕には「見える」)。彼は生真面目なサラリーマンであり、そして大恋愛の末結ばれたと待望の一人娘を一途に愛す良き家庭人でもあった。彼の家庭は現代の社会に

  • 「ターゲット」の政治性? (Dead Letter Blog)

    ところで先ごろ「死ぬ死ぬ詐欺」とやらで「心臓病に苦しむ女の子を責めたいのではなく、寄附を集めながらまともに会計責任を果たしていないことを批判する」みたいなことを言っていた人たちがいたのだけれども。 (1)寄附どころか「血税」までも政治資金として「還流」させておいて(2)しかもその金を数千万~億単位で使途不明(=裏金?)にしながら(3)プライバシーの侵害だから公表できない、などとふざけたことを抜かしてる連中に対して、先の騒動で批判を繰り広げた「会計の透明性にシビアな」人たちの間から一向に同様の批判が聞こえてこないと思うのは僕だけだろうか。 ちなみに当に愚にもつかない言い訳なのでわざわざ指摘するのもバカらしいのだけれども、事務所費の領収書添付が不要なのは、プライバシー保護の為でも何でもない。要するにそれは経常的にかかる費用であって、あえて領収書添付をさせるほどでもない(事務処理負担の軽減)た

    synonymous
    synonymous 2007/03/01
    『彼らは「祭り」のターゲットにはならず、自分が一銭も出していない団体の会計は厳しく追及するというわけでしょうか。』です。
  • 「我々」と「彼ら」のポリティクス (Dead Letter Blog)

    香山さんは指摘する。「安倍さんは著書『美しい国へ』のなかで、『わたしたち』と『かれら』という言葉を多用している。『わたしたち』は家族を愛し、国を愛し、公共心があり、にこやかで美しい。『かれら』は利己的で姑息(こそく)で悪意に満ちたイメージです。ものすごく違うのに、『わたしたち』や『かれら』のはっきりした定義は書かれていない。2者の線引きはあいまいで情緒的です。まるで漫画のような2項対立でしか世界をとらえていない」(2006.9.13 毎日新聞) 前回述べた「アンチノミー」についてもう一度おさらいしておく。安倍は国民の支持を取り付けなければ、政権が持たないことを知っている。国民から人気がある(少なくとも他人からそう思われている)ことこそが自らの権力源泉であることを知っている。そうでなければ、自分が現在の地位にいなかったであろうことも痛いほど自覚している。 一方で彼の認識のレベルでは、国民=「

    synonymous
    synonymous 2007/02/28
    「キッズ」と「やつら」のホコテンロック。「キッズ」の理想郷を邪魔するのはいつでも背広を着た無表情な「やつら」だ!「やつら」と闘え!!
  • 一つのアンチノミー(Dead Letter Blog)

    安倍は憲法改正の動機の説明においてよく「日人の手による憲法」という言葉を使う。この主張に色々と含まれている「議論としての甘さ」についてはとりあえず今は置く。しかし「日人が自ら憲法を書く=作ることが重要だ」と言っておきながら、例えば国民投票法案では最低投票率規定も設けず、「とにもかくにも成立させればこっちのものだ」的なやり方を図るのはなぜなのか。「日人が自ら作ったと思える憲法を」とは、「なるべく多くのコミットメントこそ憲法の重要な構成要素」であるということではないのだろうか。 「日人の手による憲法」=「(手続きにおいて)なるべく多くの国民がコミットした憲法」では必ずしも無いとすれば、それは結局「内容的に」日人らしい憲法であるということにならざるを得ない。しかしそもそも「日人らしさ」とは誰が判断するというのか。 思うにそれは「人権メタボリック症候群」に罹った「醜く」・「不健全な」

    synonymous
    synonymous 2007/02/27
    『国民を信頼していないどころか再生の対象としてしかみなしていない安倍が、いかにして国民から広く支持を取り付けることが出来るのか。』
  • NHKは死に続けている (Dead Letter Blog)

    NHKは死んだ」 「(続)NHKは死んだ」報道ステーションでの安倍晋三の「修正作業は何日も前から始めていた。私が会う会わないは全く関係がない。」という弁明は、やはり奇妙だ。仮に番組内容が「偏向(この単語はナンセンスなので用いたくないが)」していたとして、自主的な修正作業が為されていたのなら、なぜその最中に安倍にNHK幹部がわざわざ自らお伺いを立てる必要があったのだろうか。また、その後NHK幹部による異例の試写、そして放送直前に番組の放送時間を縮めてまでカットするという、これまた業界内でも異例の事態に発展していたということ、これを合理的に説明するには、彼の主張はいかにも白々しい、と言わざるをえないのではないか(修正作業が予定通りに進んでいて、なぜそんなにバタバタした段取りになるのか)。 先日の控訴審判決で「NHKが自主的に修正作業を始めていたので、安倍・中川がNHK幹部に会ったか会わない

    synonymous
    synonymous 2007/01/31
    またもやくすぶりの種が。
  • レトリックと自己欺瞞 (Dead Letter Blog)

    藤岡(引用者註 藤岡信勝氏のこと)のやっていることと、藤岡によって「自虐史観」と批判されている歴史家のやっていることは「『何よりだめな日』とはいつからいつまでの日のことなのか」という設問に対する時間的なレンジの取り方の違いだけであるようにしか私には思えない。切れ味鋭い批評であると思う。 要するに藤岡らが行っている「自虐史観批判」とやらは事実上「戦前は戦後よりも良い時代であった」というイデオロギーの表明、政治的言明なのだ。一切の「自虐」が許されないとするならば、戦後を悪し様に罵ることも許されなくなるはずだからだ。 (2)「現在の価値観で過去の歴史(出来事)を裁いてはいけない」という、これまた「さも道徳的に」為される御託宣がある。僕にはこれもイデオロギーから逃れられていない、ご都合主義的な主張であるように思われる。 仮に過去に対する一切の「審断」が許されないなら、例えば過去に日において社

    synonymous
    synonymous 2007/01/19
    彼らにとって、真の日本とは、アメリカによる占領以前の日本なのです。それ以降は日本ではないから、貶めてもかまわない。そういう意味では一貫しています。
  • 「畏れ」と「英雄」 (Dead Letter Blog)

    映画「ワールド・トレード・センター」の宣伝を見て思うのだけれども「セプテンバー・イレブン」を語るのになぜアメリカ人はいつも「消防士」の物語を持ってくるんだろうか。 「命の危険も顧みずに現場に飛び込み、救助活動を行った」というように、少なくともアメリカでは、消防士は「勇気」の象徴であり、命を恐れない英雄として表象するようだ。でも、あの事件を「消化」するのに勇気とか、英雄とかを持ってこざるをえないアメリカ人はやはり屈折しているのかもしれない。ほとんどの消防士は、英雄云々なんて考えていなかったと思うからだ。 あの時ビルがあんな風に粉々に崩れるなんて誰も思ってなかった。消防士にもビル全体が崩落寸前であることなんて伝わっていなかったし、退去命令も伝わらなかった。彼らがおそれを知らずに勇敢に振舞った理由は簡単だ。彼らは単に「知らなかった」のだ。彼らはアメリカを救った英雄というよりは、その他の死亡者と

  • 「宮廷女官チャングムの誓い」 (Dead Letter Blog)

    最近「チャングム」にハマっている(しかも家族じゅうで)。 どれくらいかというと、先週と先々週の日曜日には朝10時から夜10時くらいまで飲まずわずでぶっ通しの「チャングム上映会」を敢行するくらい。 現在韓国映画が充実していて、傑作が次々と出ていることは知ってたんだけども(よく観るし)、テレビドラマはどうも…という印象が強かった。 けれどもこの「チャングム」に関しては、ただただ素晴しいの一言に尽きる。複雑な因縁と人間関係、様々に絡み合う思惑と策謀、そして流転し続ける因果の皮肉。善玉・悪玉を超えた人間臭い魅力を湛える登場人物たち。観る者はその中に誰か1人は必ず感情移入できるキャラクターを見出せるだろうし、また物語の見事な展開に画面から目が離せなくなるだろう。まさに傑作である。 次々に事件が巻き起こり、展開が起伏に富むという点では、今人気のアメリカのドラマ「24」シリーズとも同じなのだけれども、

    synonymous
    synonymous 2006/10/21
    日本のテレビのお客はスポンサーだけだから。
  • 君に幸あれ (Dead Letter Blog)

    昭和天皇の死因は膵臓ガンだった。 彼が最初に倒れたのは昭和62年9月。ガンの進行による腸閉塞を起こしたのだ。東大病院の関係者は一様に驚いたという。「こんなに末期的な症状になるもっと前になぜガンだと分からなかったのか」。天皇家に敷かれている医療体制はこの国で最高水準のものだと、考えていたからだ(これは当時も、今も誰しもが思うことだ)。が、その内実はお寒いもので、彼はその時までまともな検査をほとんどしたことがなかったそうだ。天皇の身体に触れることが「畏れ多いこと」、「不敬である」とさえ考えられていたからだ。 さらに彼は、ものが通るように腸のバイパス手術を行っただけで、まともなガン治療を受けられなかったという。抗癌剤治療や放射線治療を行うには当然、病名の告知が必要だが、「告知はできない」という理由でそれら一切が見送られたのだ。当時のマスメディアでも「慢性膵炎」と報じられた。 彼は1年後(昭和63

    synonymous
    synonymous 2006/09/08
    神として祭り上げられると、人としての福祉はあずかり知らぬものとなる。
  • おまえに何が分かるというのか? (Dead Letter Blog)

    死刑制度を支持する人は「自分の家族が殺されたら死刑を望む」と何とかの一つ覚えのように繰り返す。だが誓ってもいい、もしも当にあなたの家族が殺されたなら、あなたはきっと「そのような仮定のもとに死刑だけを求める(今のあなたのような)人」に強い不信感を抱くだろう。 かのニーチェを思い出させる(今手元にがないので、適当にネット上から拾ってきた)。私が同情心の持主たちを非難するのは、彼らが、恥じらいの気持ち、畏敬の念、自他の間に存する距離を忘れぬ心遣いというものを、とかく失いがちであり、同情がたちまち賤民の臭いを放って、不作法と見分けがつかなくなるからだ。最も深く、最も個人的に苦悩しているとき、その内容は他人にはほとんど知られず、窺い知れないものである。だが、苦悩する者と知られたときには、苦悩は必ず浅薄な解釈をこうむる。他人の苦悩から、その人に固有の独自なものを奪い去ってしまうということこそ、同情