前回の記事(「APU副学長が解説!こうして出口学長が選ばれた」)では、出口さんがAPU(立命館アジア太平洋大学)の学長に就任するまでの経緯について説明しました。 そもそも、なぜ「出口さんに学長になってほしい」と思ったのか。 1つ目の理由はスケールの大きな「改革者」でありビッグな「アマチュア」だったからです。 APUは2000年の開学から20年近く経ち、そのユニークさや教育システムが評価され、さまざまなメディアにも取材に来ていただけるようになりました。けれど、それは20年前に別府で発した光がようやく世の中に届きはじめただけではないか。星の光と同じで、もう“古い光”かもしれないと思ったりもします。 今すべきなのは、数年後、数十年後に届く光を発すること。しかし、それが難しくなっているという気がしていました。なぜか。 みんながAPUを愛しすぎて、居心地のいい場になってしまった。だから、その空気を大