住吉川流域を紹介する「東灘マンスリー 甲南山河」。まちを取材していると、ふと気になる光景に出くわすことがある。その背景を探ると「えっ!」という理由や歴史が隠されている。今回は地元ではおなじみの阪急電鉄の不思議からひもとこう。 神戸市東灘区の住宅街を通る阪急神戸線。岡本-御影駅間で、地元住民や鉄道ファンから「村山カーブ」と呼ばれるS字カーブがある。地図では緩い曲線に見えるが、現場に立つとかなりの急カーブ。誕生の裏には、地元住民による反対運動と苦心の末の打開策があった。 場所は、住吉中学校(住吉山手1)南から弓弦羽神社(御影郡家2)北までの辺り。踏切から見ると、木々の向こうから現れた電車が「キキ」と、車輪をきしませながら民家沿いをうねり、御影駅方面へと消える。 阪急は、箕面有馬電気軌道だった1916(大正5)年、神戸線に着工。阪神間をできる限り直線で結ぼうと、住吉川以西は邸宅街のど真ん中を突っ
阪急阪神百貨店を傘下に持つエイチ・ツー・オー(H2O)リテイリングは27日、そごう神戸店(神戸市中央区)の名称を、2019年10月1日に「神戸阪急」に切り替えると発表した。同店が神戸・元町から現在地に移転して今年で85年。地元ファンに長年親しまれてきた「そごう」の屋号が三宮から消える。 阪急阪神百貨店は、来月から約1年かけて、同店の本館地下1階の食品フロアを大規模改装することを明らかにした。第1弾として来月末に洋菓子売り場を刷新する。 屋号変更はグループ内の事業再編に伴うもので、同店の運営をH2O子会社のH2Oアセットマネジメント(大阪市)から阪急阪神百貨店に移す。同様に、西武高槻店(大阪府高槻市)も「高槻阪急」に改称する。 阪急阪神百貨店の荒木直也社長は27日、「阪神」でなく「阪急」に切り替える理由について「阪神は地域密着型で、阪急は広域型の店舗。梅田本店を核として関西の商圏を広げるには
阪神・淡路大震災で線路とともに駅舎が倒壊したJR六甲道駅(神戸市灘区)。神戸線が寸断され、本格再建は2年を要するとみられたが、壊れなかった床と梁をジャッキで持ち上げる工法で74日後に再開させた。その復旧に従事した人たちを描いた関西テレビ制作のドラマが15日夜、全国放送される。「何としても大動脈をつなぐんだ」。使命感を胸に不眠不休の作業を続けた当時の担当者が24年前を振り返った。 1995年1月17日の震災で同線のほか、並行する阪神本線や阪急神戸線も大きな被害を受け、東西の鉄路は寸断された。 六甲道駅の被害はひどく、高さ10メートルの高架が約2キロにわたって倒壊。復旧工事にはゼネコン各社から人手が集められ、ピーク時には2千人以上に及んだ。大破した駅舎を含む難所約200メートルの区間を請け負ったのが奥村組(大阪市)だ。 震災2日後に先陣で到着した当時の工事主任岩沢茂幸さん(59)は「駅が地中に
激震で発生時の時刻で止まり校庭の花壇に落下した大時計=1995年1月17日、神戸市東灘区魚崎中町、魚崎小学校 「阪神・淡路大震災の発生から24年です。震災の前日、1995年1月16日、月曜日、3連休の最終日。あなたはどこで何をしていましたか?」 神戸新聞ツイッター公式アカウントで1月9日、コメントを募ったところ、平穏だった前日の神戸で大切な時間をすごした人たちから、50件のコメントをいただきました(15日15時現在)。一部を紹介します。(ネクスト編集部) ■懐かしのあの場所、あの店 ・当時20歳。友人と阪急三宮の吹き抜けの下で待ち合わせ。三宮周辺で1日過ごしました。どこで何をしたのか、震災が強烈過ぎて記憶が吹き飛んでしまいました ・母と妹と3人で「ヴァージンメガストア神戸店」で欲しかったCD買い、「ケーニヒスクローネ」でお茶しました。前日いた街がすっかり変わり果てたことにショックでした ・
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