異世界転生は現実逃避だとは言いますが、よく考えれば、現実逃避の何が悪いんですかね。今日逃避しなけりゃとても明日を生きていけない社会でないですか、我が国の社会は。 そこまで否定できる程に日本に生きてる人はみんなみんなシニカルで強いですか。そんなわけないです。
異世界転生は現実逃避だとは言いますが、よく考えれば、現実逃避の何が悪いんですかね。今日逃避しなけりゃとても明日を生きていけない社会でないですか、我が国の社会は。 そこまで否定できる程に日本に生きてる人はみんなみんなシニカルで強いですか。そんなわけないです。
昭和の田舎にはボロい家に一人で暮してる常に怒ってるメチャ恐いオッさんがいて、子供が「オラー出てこいアホが」って叫ぶと出てきたオッさんに棒で殴られそうになるといったエンタメあったんだけど、一度は消えたそれが今ではインターネットにある。
クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss、1908年11月28日 - 2009年10月30日[1])は、フランスの社会人類学者、民族学者。ベルギーのブリュッセルで生まれ、フランスのパリで育った[2]。コレージュ・ド・フランスの社会人類学講座を1984年まで担当し、アメリカ先住民の神話研究を中心に研究を行った。アカデミー・フランセーズ会員。 専門分野である人類学、神話学における評価もさることながら、一般的な意味における構造主義の祖とされ[3]、彼の影響を受けた人類学以外の一連の研究者たち、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、ルイ・アルチュセールらとともに、1960年代から1980年代にかけて、現代思想としての構造主義を担った中心人物のひとり。 1908年に、両親が一時的に滞在していたベルギーのブリュッセルで生まれる。両親ともアルザス出身のユダヤ人
ショッピングモールや駅や公園などの公共空間で、人目をはばかる事なく大きな声で子供を怒っているお母さんを見かける事がある。そんな時、子供がかわいそうだと非難する気持ちよりも先に、感情が決壊してしまった母親への同情が先に立ってしまい、彼女に対して、今がふんばりどころやからなんとかおだやかに、深呼吸してがんばろうや、などと心の中で声をかけずにはいられない。 理屈だけで言うならば、意のままにならない自分よりも小さな存在に対し声を荒げても仕方がない。しかしそんな事は当人が誰よりもわかっているはずで、ひとりの弱い人間でしかない私たちは時として、自分の感情すらコントロール出来なくなる事がある。育児はどっぷりつかればつかるほど闇と隣り合わせだ。余裕を失ったあのお母さんの追い詰められ方は、我が事のようにきついなと胸が痛む。 十代の頃、東京の山手線に乗っていた時、女装している男性が突然目の前に座っている女性の
もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて This is Not the End of the Open Web 2016.08.22 Updated by yomoyomo on August 22, 2016, 10:31 am JST すっかり旧聞に属しますが、Internet Archive が主催し、これからのウェブのあり方を議論するイベント Decentralized Web Summit が6月に開かれました。 このサミットには "Locking the Web Open" というサブタイトルが付いていますが、逆に言えば、主催者には現在のウェブはオープンではないという認識があるわけです。それにいたる流れを少し辿りたいと思います。 そもそも Open Web(オープンウェブ、開かれたウェブ)という言葉が特に言及されるようになったのは、2010年だったと記憶します。その背景の
私のツイッターへのレスにマジレスしてみます。元の議論はメディアによる自殺報道のありかたです。それもって反論対象ですが、 passerby_k @psychiatrist_uk @Yosyan2 ウェルテル効果は問題点も指摘されている。必ずしもマスコミ報道が悪いとは断定は出来ない。妄想が過ぎるw 私の根拠はWHO及びIASPによる「自殺予防メディア関係者のための手引き 2008年改訂版日本語版」(以下、「WHOの手引き」と略します)です。passerby_k氏のコメントは短いですが、分割して反論させて頂きます。 ■ウェルテル効果は問題点も指摘されている passerby_k氏は根拠をどこにも示されていませんので、指摘されている問題点が具体的に何かがわかりません。ここはなんらかの問題点の指摘が存在するのであろうぐらいに理解しておきます。しかし私の知る限り問題点の指摘があるとしても、メディアの自
LA Timesにて「昔であれば病気とされなかったような人々が病気と診断される」という、現代の医療における診断の敷居の低さを指摘する記事が掲載されている。この結果、人々の医療費負担は上がる一方であるという。 高精度な検査が可能となり、解剖学的にも生化学的にも以前であれば検知することができなかった異常を検知することが可能となったことが一因としてあるのは確かだが、我々の取り組み方もその一端を担っているという。我々は目を皿にして「何かおかしいところは無いか」と異常を探すようになり、症状が表れていなかったとしても多くの検査を行うようになった。その上、異常とされるしきい値も時代とともに変わったという。例えば130mg/dlの血糖値は1997年には糖尿病と診断されなかったが、現在では立派な糖尿病患者となるそうだ。 また、低いしきい値ぎりぎりで病気と診断され「治療」される人々は、治療によって受けるメリッ
誰かと共同作業をするときには、最初の入り口として「私は損得勘定という言語で会話が可能な人間です」という挨拶が欠かせない。 損得勘定は、その価値こそ低いかもしれないけれど、それを理解できる人は最も多い。誰かと協力して行く中で、「良さ」とか「正義」とか、もっと価値の高い絆で共同作業をしようと思ったならば、まずはお互いに理解が容易な言葉で会話できることが大切になってくる。 持ち込みの昔 本を出したかったのだけれど、どうしていいのか分からなかったから、出版社に原稿を持ち込んだ。 持ち込みというものを行って、最初にびっくりしたことはといえば、「その原稿が売れる根拠を、まずは作者が示してみせないといけない」という部分だった。それが商業出版である以上当たり前のことではあったのだけれど、お花畑だった昔は、「いいものを書けば分かってくれる」なんて勝手に思い込んでいた。 「皮算用でかまいませんから」と、出版社
ちょっとお手伝いした、日経アソシエの吉田さんの連載 【第156回】自分は「組織に向いていない人間」です 私が登場してるんだけど、これは私が書いた原稿じゃなくて、吉田さんの電話インタビューに答えたものをちょっと手を加えただけ。それでもまぁ、自分の言ったことなんで、責任を感じつつ気になるコメントに反応してみる。 まぁここを見てる人なら、いかにも私が言いそうなことだとゆーことで、前に書いたものへのポインタ。 「10年間は泥のように働け」 そーいやー、件の言葉を言った人は、結局自殺とか(リンク張ろうと思ったら記事が消えてる。日本の新聞パネぇな)。泥のように働いて、昇り詰めてそのまま天まで昇ったとか。本当に最後まで業界のネガキャンやってくれるね。 とゆーのは良いとして、20代は下積み頑張れなことは何度か言ってること。もちろん人には早熟晩成あるので、早熟な人は腐る前に一働きすると良いんだけど、そーゆー
当面の文化芸術活動について このたびの東日本大震災によって亡くなられた方々のご冥福を衷心よりお祈り申し上げると共に,被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます。被災地においては,今なお行方不明の方々の捜索が続き,不安かつご不自由な生活を余儀なくされている方々が多数いらっしゃることには胸が痛むばかりです。 こうした中で,余震の恐れや計画停電,事業の自粛などにより,被災地以外の地域においても伝統的な行事や文化芸術活動が縮小されるなどの動きがあると承知しております。文化芸術は本来,私たちの心に安らぎと力を与え,地域の絆を強め,明日への希望を与えてくれるものであり,その縮小は経済社会全体の活力にとって好ましいものではありません。全国各地の活発な文化芸術活動によって国民ひとりひとりが活力を取り戻すことが,日本全体の元気を復活させるために必要なことであり,被災された方々に対する一層の支援につながる
ちょっと前、「ジューサーの中に金魚を入れる」という現代美術の展示があった。 ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。 金魚の寿命を延ばすもの この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。 匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディ
先日BBCで現代日本社会について多少気になる記事を見かけた。一言で言えば、賃借者が自殺した賃貸物件についての話である。世間でよく聞く話でもあるし、誰も賃貸のお世話になるときは気になる項目でもある。が、自分の印象ではあまり日本の報道で見かけたことはない。 住宅域で増えている空き家の少なからずも住んでいた人の自殺が関係しているのではないかなと思いつつ、先日、NHK追跡!AtoZで「消えた家主を追え ~都会で急増 “迷惑”空き家~」(参照・参照)も見たが、その関連の話はなかった。ちなみに同番組は足で稼いで努力をしたのは理解できるが、特例一例に着目するだけのひどい代物で、しかも落とし所に最近NHKのネタである無縁社会を持ってきてしまった。普通に考えたら空き家でも所有者がいるなら固定資産税がかかっているわけで、普通ならまずそのあたりについて調べるだろうに。というか、NHKも調べたはずに違いないのだが
日本では「若者の内向き志向」が話題になっているようだ。 留学する人が減っているとか、 海外赴任を嫌がる人が多いとか、 海外で日本人のプレゼンスが低下している、 というのが主な理由として語られている。 いろいろな記事を読んでいると 個々の根拠については怪しい点がたくさんある。 留学生の数は、若年人口の減少や 90年代半ば以降の円安の影響、 国内の大学入試の競争緩和などを考慮したうえで 有意に減っているのかどうかは疑わしい。 海外赴任の希望者が減少しているのは、 年功序列・終身雇用の不確実性の増加、 海外勤務者の待遇の悪化、途上国勤務の増加、 といった要因を考慮する必要がある。 海外での日本人のプレゼンスが低下したのは 他国からの人材流入が増えたことが主因だろう。 しかし事実関係について反論するのは、 どうも論点がずれているような気がしてならない。 問題の本質は「今の若者が内向き志向かどうか」
「うちの会社って、何をやっているんだか分からない上司がやたらと多いんです」 またもや耳の痛い話を聞いた。何かと評判の良くない40代のバブル世代のことかと思いきや、その上の50代の上司も含まれるという。 そのため、全体に占める「何をしているのか分からない上司」の割合が半端じゃないらしい。野球に例えれば、1人のピッチャーに対してピッチングコーチが10人はいる感じ、なのだそうだ。 つまり、頭でっかちのいびつな年齢構成になっている組織では、「何をやっているのか分からない上司」が、“個”ではなく“層”で存在するわけだ。 ある程度の年齢に達した人に、いつまでも現場ばかりをやらせるわけにはいかない。そのためには管理職にするしかない。ところが、フラット化や人員削減に伴うポストの廃止で、昇進したところで直属の部下は存在しない。 こんな「何のための管理職」だか分からない上司が増殖するやんごとなき状況がどこの会
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く